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油糧作物栽培による農業と
地域再生の取り組み

─福島県 南相馬農地再生協議会代表

 杉内清繁さん ─

 福島県南相馬市の農家、杉内清繁さんのお宅は東京電力福島第一原発 からおよそ20.5km。大規模な基盤整備と大規模稲作経営によって農業の活性化を図ろうとした地区を、放射能汚染と米価暴落という災厄が襲う。 先行きの見えない状況の中で、菜種を中心にした油糧作物による植物除染と食用油の生産、地域コミュニティーの再生のために奮闘しておられる杉内さ んに、取り組みの過去・現在・未来についてお話をうかがった。インタビュアーは日本有機農業研究会幹事であり、当研究所運営委員でもある本野一郎 氏。
 なお、今回の報告は昨年4月の本紙No.119号「油糧作物栽培の試みに学ぶ」と題した稲葉光圀、大内信一、大内督、三氏へのインタビューの続 編でもあり、合わせて参照いただければ幸いである。
(事 務局 下前幸一)


南相馬における農業の現状


 本野:最初に、原発事故から4年になりますが、南相馬市における農業の現状を教えて下さい。今年もこのあたりの農地はほとんど手つかずですね。
杉 内:地域農業再生協議会という組織があります。これは県、市、JA、農業委員と各生産団体が構成メンバーになっています。今は農地除染作業が進んで いない状況で、農業に取り組むことは困難、という結論です。一般的な雑草処理作業が続いています。
 また、20キロ圏内は環境省の管轄になっています。ただ、仮置き場の問題が未解決なので、除染した物の行き場がないという状況です。
本野:飯舘は先行的にやっているのですね。
杉内:飯舘は先行的に、幹線道路沿いの農地除染を実施したようです。いまは支線道路に沿った農地除染を大々的に行っています。ただ、あの地域は山に囲 まれた農地で、風の影響で放射能が山から圃場のほうに飛ばされてくる点もある。ただ以前のような汚染状況ではありません。
 樹種の問題ですが、杉は顕微鏡で見ると葉の表面に多くのくぼみがあり、表面積も非常に大きく、その表面に放射能が入り込んで、3〜4年とどまってい ます。それが風等によって飛散されるみたいです。松も同じようです。
本野:ちょっとその辺が分かってきたというぐらいなのですね。だからどうするかというような話はまだまだこれから。飯舘だけではなくて、南相馬の山際 はみな同じ条件ですよね。
杉内:南相馬の阿武隈山地、太平洋に面した東面のところは、杉が多く植林されています。
本野:一昨年、米からセシウムが検出されましたね。その対策を打たなければということですね、水の問題とか。
杉内:ここは太田川という2級河川があります。その水源地が、ちょうど第1原発から飯舘に向かって放射能が流れた、該当地にあたります。実際その山際 のサンプリングした水を測ってみたときに3.5ベクレル以上ありました。この水1リットル当たりの数字はとても高い値です。
 その水が上流にあるダムサイトに入ってきます。そして腐食物に付いた形で堆積していますが、夏場の異常な高温によっては、堆積物が巻き上がってくる 現象も考えられるようです。またここの地質は鉄分が非常に高いこともあり、入ってくる水も鉄分の多い水だということで、化学反応で変化する過程で、腐 食物に付いているセシウムが時として腐食物から離れ、水に溶け出し、それが本流に流れ出して水田等に流れ込みます。
 一昨年、2013年産は40〜50ベクレルの値が出てしまいました。原因としては廃炉作業中の事故で飛んだ汚染が疑われています。出荷の際には全袋 の放射能検査が義務づけられていますが、去年試験圃場でサンプリングした玄米からは10ベクレル以下でした。
 放射能は玄米の表面の糠層というところにほとんど含まれている様ですが、精米してできる白米については削り落とされてしまいます。また当然水で研い で炊きますので、さらに下がります。しかし食べる物を生産する環境が汚れてしまうと取返しがつかない。
本野:そうすると、今の出荷は有機米ということではなくて、一般米として農協で扱うということですか?
杉内:そうです。農協に出荷した時点では有機米も特別栽培も一緒の扱いになります。
本野:4年間、本格的な作付けがないという、今の南相馬の農業の現状ですが、作付けを再開する見通しというのはどうですか
杉内:水稲栽培に向けては大学の調査チームが入って、土壌や水の汚染の状況、収穫時点で稲体に含まれる放射能の状況を検証していくという作業を実施し ています。私と同じ仲間で取り組んでいる4、5ヘクタールの圃場があります。そこは中流域の調査対象圃場になっていて、私も40アール、下流域での調 査を行っています。どのような汚染の動きが出てくるのか、検証していきたいと思います。
 また一部の圃場では、水の取り入れ口に籾殻とゼオライトを置いて、セシウムをブロックする実験も行いながら、状況を調べています。
本野:稲作以外の作物というのはどうですか。ここへ来る途中に、麦はちらっと一ヵ所見たのですが。
杉内:ここでも一部で麦の収穫作業も行っています。2011年のときは麦に非常に高い汚染が出ました。大豆も出ました。大豆は非常にセシウムを吸収し やすい作物のようです。


 稲作の大規模経営から有機稲作へ


本野: ちょっと杉内さんの個人的な経営の話を聞かせてください。そもそも稲作の大規模経営をやられていたのですね。
杉内:大規模経営ということに該当するかどうかは分かりませんけれども、水稲10町歩くらいです。
 1993年にこの集落で、大規模基盤整備の事業が行われ、農水省、県、市、試験場、生産者が一体となって大規模経営に取り組みました。パイプライン の自動灌水、管理の面から、排水を全て地下に埋設しました。私もこの集落営農の担い手の一員でしたが、大規模経営のなかで指導される栽培技術は化学肥 料、農薬を多量に使う技術でした。完備されたスーパー圃場と栽培技術ができあがっていく中で、反対に自分が思い描く農業のあり方として有機農業に強く ひかれたと思います。1998年頃に有機栽培に転換しました。
本野:ある程度集落営農という形を取って国のモデルになるという方向の中で、おひとりになるというのは結構厳しかったでしょう?
杉内:思い返せば厳しいことの連続でした。
本野:民間稲作研究所の稲葉光國さん(注1)との出会いは、その後なのですか?
杉内: 大分前に遡ります。稲葉先生の稲作技術講習に参加させていただきました。太茎・大穂の1本植えです。自分の米作りの基本にしたいという思いで取 り組みました。それから有機栽培の取り組みに発展しながら、今に至っています。
本野:販路の話ですけれど、自分で消費者を探されたのですか?
杉内:販路については、農家経営を左右する重要な点です。東京の大手有機米を扱う会社のマゴメさんと有機栽培研修の折に偶然話す機会がありました。以 後、連絡をいただいき、有機米の流通の実態等も話す機会ができ、販路としてのつながりができました。
本野:3.11のあと、マゴメさんとはどういうお付き合いですか。
杉内:マゴメの社長さんから電話がきて、もう福島の米はダメだと言われました。私もそのあと社長のお宅に伺って状況を話してきました。福島のものを扱 わなくても他のところでいっぱいだと言う話です。米の需給は大変厳しいという内容でした。
本野:マゴメさんとの話し合いの中で、もう先行き当分米は難しそうだ、ということで油糧作物の話が出てくるのですか。


 菜種、ヒマワリ栽培を試みて


杉内: 事故当初から米を作るということは、頭になかったという感じがします。何一つ分からない、経験のない放射能汚染という世界ですから。
 稲葉先生からお誘いを受けて、栃木で避難生活をすることになりました。栃木県の那須周辺にも有機栽培者がいましたが、やはり高い汚染地です。そのこ ともあって、放射能汚染と向き合う方法を考えようということになりました。稲葉先生は当時、河田昌東先生のチェルノブイリ原発事故からの農地再生の取 り組み(注2)を参考に考えておられたと思います。記事を私も見せて頂きました。それが菜種栽培でした。
本野:最初に種を蒔かれたのは、もうその年ですか?
杉内:その年の秋、南相馬で蒔きました。この地域で取り組むものとして、菜種が一番適していると思いました。本来は9月中に蒔きますが、準備にてこず り、10月の下旬頃まで遅れる結果となりました。なんとか芽は出ましたが、最終的に期待には届かない残念な結果でした。
本野:ちょっと話は戻りますが、油糧作物による除染の効果というのは、当初はあまり期待するほどのものではないという見解が農水省からも出されていま した。チェルノブイリからの報告も0.05(5%)という数字だったのですが。
杉内:その年、2011年に農水省が飯舘の農地にヒマワリを栽培しました。同時に、私どもの仲間にもヒマワリ栽培を試みた圃場がありました。飯舘での ヒマワリをサンプリングして、移行率を検証した結果、0.0679という値が農水省から発表されました。一方、仲間のヒマワリを測定したところ 0.123という飯舘より高い数字になり、なぜ差が出たか考えてみました。
 飯舘圃場サンプル採集では、黄色い花びらが若干残っていても、芯の実が黒くなってくればもう収穫時期という判断で測定されたと思います。私どもは完 熟を待ってサンプリングしました。遅くまで置くと鳥害がありましたが、結果としてはセシウムの移行係数が高く出ました。しかし、大きな除染に結び付く ものではありませんでした。
本野:そうすると、ヒマワリ、大豆、菜種という、この三つの輪作を経営的には想定されているわけですから、その三つを栽培したときの除染効果というも のは見通しがある、というふうに今は考えていらっしゃいますか?
杉内:見通しはあると思いますが、私どもの地域環境を踏まえた長い取り組みになることは覚悟しています。油糧作物を使った農地の再生に向け、従来の食 糧生産のあり方から新たな方向性を見い出す取り組みを行っていきたいと思っています。
本野:油糧作物もやはり有機栽培ということにこだわっているということですが、これからの南相馬の農業の復興、再生ということを見通す上で、有機農業 というのはどんな役割を果たすというふうに考えておられますか。
杉内:放射能汚染は何十年、何百年、何万年という世界のものですから、一度汚染された地域で有機農業の位置づけというものは、そう簡単に元に戻れると いうものではないと思います。ただ汚染環境の実態把握を慎重に行いつつ、油糧作物という油を介しての商品についてはセシウムが混入しないということが 実証できたことですから、農地再生の位置づけとして大きな意義があると思います。
本野:南相馬農地再生協議会は去年結成されたというふうに聞いていますが、結成の経緯というか、どんな形で作ろうということになったのですか?
杉内:当初は油糧植物という内容ではなかったのですが、まずはということで私が菜種に取り組んだのがきっかけです。それと同事に、地元の皆さんや高校 生のみなさん、またマスコミに関係する皆さんにも、支援、協力の輪が繋がっていきました。
本野:なるほど、それが杉内さんを中心にして、さらに油糧作物に繋がっていったわけですね。そのあたりはどういう経緯があったのですか。
杉内:このあたりは太田地区というのですが、千有余年を誇る相馬野馬追いの郷土祭りがあります。三社(三神社)を守るお祭りです。地元太田神社、南に 小高(おだか)神社、北に相馬中村神社。その祭事が7月下旬、地元太田神社から繰り広げられます。災害以前は青々とした田園風景のなかで騎馬武者行列 の祭りが執行されました。
 それが、2011年の放射能汚染により見渡す限り雑草の風景に変わってしまいましたが、翌年の2012年「祭事復活」が実を結び、地域社会の意志も 盛り上がりました。その祭典に際して、水稲に代えてヒマワリ街道で騎馬を送り出すことになりました。震災後初でもあり、太田神社からの祭事執行に応援 の花を添えるものとして、前代にない光景の実現ともなりました。
本野:だから、農地再生協議会で誰を代表になってもらうかというときに、やはり油糧作物というヒマワリを植えた実績が前提にあった。そして除染にも役 立ちそうだと結びついたのですね。すると、河田先生の市民観測所と農地再生協議会とは重なっているのですか?
杉内:非常に強く結びついています。
 チェルノブイリ救援・中部は、東日本大震災発生後の4月には河田先生、神谷さんが南相馬入りをし観測所を開設されたということです。その頃、市でも なかなか測定する施設がなく汚染の実態をつかむことすらできない状況で、不安な生活が続いていました。私たちも避難地と自宅の行き帰りを繰り返す日々 でしたが、じっと自宅で生活を続けていた人たちもおりました。事故直後の避難時に声をかけてみたものの、自宅に留まるという決意の言葉に、涙ながらに 離れた時を思いだします。
本野:ここは原発から何キロ圏のところですか?
杉内:20キロと500メーター。21キロまでは行きません。放射能汚染の中で、どのように安全を確保したらいいのか分からないことばかりで、ただ逃 げるしか手段がありませんでした。


 地域の中での油糧作物の取り組み


本野:いよいよ、その菜種油の製品「油菜ちゃん」が出てきて、関西よつ葉連絡会でも取り上げて記事にしているのですが、今どんな感触ですか?
杉内:油の分野については、私どもも初めて取りかかる事業なので、手探りの状態でした。ただ、河田先生や稲葉先生の話や、遠く滋賀県まで足を運び今も 搾油に携わっている西堀さんの搾油技術の話も聞くことができ、とても参考になり感慨深い体験ができました。
本野:面積的な広がりというのはどうでしょうか。
杉内:私どもに作ってほしいという要望が出てきています。現在、20〜30ヘクタールくらいの面積を対象として進行中です。
本野:他の農家の方々から油糧作物をやってみたいということはまだ出てこないですか?
杉内:この地域は、圃場の基盤整備事業の取り組みが進んでいるところです。その裏には、兼業農家の人たちは地域の農業担い手の方たちに農地を全てお任 せするというのが、事業推進の基本になっています。ただ、原発事故の後、農業経営として歩む先が見えないのです。その状況は、いまも続いています。
本野:そうすると、まだ杉内さんが油糧作物に取り組まれている唯一の方ということですね。ただ、そのことを専業農家として再開したいと思ってる人たち は、うまくいくか様子を見てるわけですよね。
 僕は南相馬に通いながら、やはりこれしかないというふうに思います。有機米のプロが言う通り米は売れない、他に展望がないのです。では、転換すべき 作物は何かと言っても、それ以外の大豆、麦も無理。行き詰まるしかないと思います。
杉内:やはり確実性の高いものを中心に位置づけた取り組みを重ねていかなくてはいけないと思っています。その中で油糧作物を、今後の方向性を決める原 動力にしたいと思っています。商品としても300cc(270グラム)と、900cc(810グラム)がありますが、270グラム換算で約6000本 を生産できました。
本野:油糧作物はやはり面積的にかなりの規模をやらないと経営的にも採算ベースに乗ってこないということがありますね。その点南相馬は土地が真っ平ら だという条件がありますので、福島のなかで一番見通しがあると思います。
 ところで、油糧作物で南相馬の農業を再生していこうというときに、自治体の役割というのは大きいですよね。どういう方向付けを考えておられるので しょうか。
杉内:震災直後も有機農業を続けておられた安川さんという方がいました。非常に強い意志を持って、被災の年の当初から有機農業を取り組んで、収穫まで こぎ着けたひとりです。
本野:20キロ圏外ですよね。20から30のあいだということですね。
杉内:行政の方から法的処置の通達が出されました。田植え後、5月以降になって、それは認めることができないので廃棄処理という通達でした。
本野:認めませんというのは補償しないということ?
杉内:補償は当然対象外です。即、廃棄処理の指導。通達を守らない場合は禁固1年、罰金300万円とする通達です。福島県有機農業ネットワークでも農 水省に出かけて、話し合いをしましたが、結論は不透明なものでした。
本野:それでも、いよいよ農地再生協議会を動かしていこうと思うと、なにか具体的な指標とか、農業再生の具体的なプロセスを提案して、自治体に働きか けなくてはならないわけですよね。バッシングどころではないですよね。
杉内:当初から、いまの農地の荒廃について、行政としてどのような対処で進めていくかを聞きましたが、当時は民生の安全面を優先するということでし た。
 3年、4年と続けて取り組んできた結果、ようやく行政サイドにも理解していただく状況になりました。菜種を乾燥する機材とか、栽培に使うための播種 機、トラクターの導入申請など、今年議会も通過し、事業採択していただきました。
本野:やはり、地元の自治体が動かないと次が繋がらないですよね。
杉内:市長はじめ、執行部、市議会もこの取り組み内容に期待し、手応えを感じて頂いたのかもしれません。


油糧植物と脱原発・再生エネルギー  遺伝子組み換え


本野:南相馬市の桜井市長は『脱原発をめざす首長会議』の中心メンバー(世話人)ですね。浜岡原発のすぐ近くの湖西市の三上元市長(世話人)が彼に声 をかけたようです。
 昨年10月、イスタンブールでIFOAM(世界有機農業運動連盟 加入770団体、116ヶ国)大会が開かれ、原発事故に遭った福島の有機農家の集 まりが、いろいろな苦しみに直面しながらも、希望を失わないで各地でがんばってるというアピールが感銘を与えました。そして、日本からの動議を受け 「IFOAMは反原発・再生エネルギー促進に向かって行動する」と決議しました。そのことは、世界の有機農業者やその関係者は当然ですが、脱原発運動 や桜井市長、他の首長会議のメンバーなどには響くと思いますよ。
杉内:私どもも、いま油糧作物の取り組みを行っていますが、究極的には油糧作物の残渣をバイオガス燃料へと、効率的なエネルギー変換が可能なのかどう かも検討しています。私どもの取り組みとしては、地域集落単位を基礎として、生活する上での食料とエネルギーを確保する中で、高齢化社会が急速に進行 している状況を踏まえた取り組みを実現したいと考えています。
 取り組みに対する私どもの思いとしては、やはり若い人たちが目を向けてくれる生活環境、また互いに共有できる人間関係をつくっていきたい。年の差を 越えた取り組みのための社会基盤、男女の向き合いも含めて、ここに生きるものが共有する新しい地域社会の姿を多角的に作り出すことが必要だと考えてい ます。
本野:共同体の核心部分は、ひとつはエネルギー問題と食料ですね。
杉内:つい最近、滋賀で開催された「日本菜の花プロジェクト」(注3)に行きました。そこで藤井代表にお会いできましたが、南相馬にも菜の花を通した 応援をいただいています。
本野:食用油として使って、廃油を回収してという「菜の花プロジェクト」の考え方自体が、ここで実現していこうとすると、この5000本なり6000 本がまず福島、南相馬の住民の人たちが、「これは大事だと、育てていかないと」という気持ちになって買い支えてくれなかったら難しいですよね。そこは ポイントだと思う。
杉内: やはり地産地消が原則です。地元の年寄りの人たちは昔懐かしい油だと喜んでくれますが、一般に出回っているサラダオイルと比較すると3〜4倍の 価格になってしまいます。私どもの謳い文句として3〜4倍の差は、サラダオイルは3回で廃棄とすれば、この油は注ぎ足しでも廃棄なしで使える。それを 考えれば3倍、4倍の値段でも同じ価値だという説明をします。ただ、価格という尺度で考えると、手っ取り早い安さに手が伸びてしまうのも確かです。ま た食の安全面から、化学抽出ではなく、遺伝子組み換え菜種でもないという話をします。
本野:そうですね。だから、油の自給がいかに大事かというような、もう一度文化のところからやらないと難しいですね。ブラジルのアマゾン川で蒔いた遺 伝子組み換え大豆が輸入されて、それで市販のサラダオイルはまた安くなっていますしね。
 杉内さんも行かれたのではないですか?
杉内:リオ(注4)に行きました。ジャングルで生活をしている人たちを追い出して、どんどんジャングルを開拓し、大々的に焼き畑をしている話を聞きま した。あの写真は凄かった。野生の動物が多く焼け死んでいる様子を撮した写真です。
本野:ああ、なるほど。森の住民たちは住むところもなくなってしまっている、ということですね。確かにアマゾンに入植した大豆農家の人たちは儲かって いるけれども。
杉内:とても衝撃的でした。忘れられないくらい悲痛な自然破壊が起こっている光景です。本当に悲惨なものが多かった。ジャングルの中の出来事は私ども の日常生活からは遠く離れて見えない面が数多くあり、理解や判断に大きな違いを感じました。
本野:そういう状況でできた遺伝子組み換え大豆を日本人が食べているということを、日本人はほとんど意識できていないですよね。どこかで情報の遮断が あるのですよ。
杉内:今後TPPも含めて、グローバルな経済の方向にドンドン進んでいく状況で、国内での地域社会の営みは流されてはいけないと思います。地域自然環 境の持つ豊かさに思いを起こし、持続的な生活環境創造の方向へ、展開を期待したいと考えます。


 地域コミュニティーの復興を


本野:反TPPの最大勢力がJAグループだったのですけれども、もう旗もほとんど振れなくなっています。地元の農協はこういう油糧作物とか、農地の再 生とか、なにか仕事をする気はあるのですか。
杉内:情勢が厳しいだけに、難しい面が多くあると思います。近々に合併が迫っています。
本野:今はJA南相馬ではないのですか?
杉内:南相馬から相馬、新地、そして飯舘の浜通り北部2市1町1村のJAそうま、それが福島と合併するのです、来年の3月予定。
本野:ちょっと、もう何も見えないね。
杉内:見えなくなるかも知れません。あとは金融部門だけが柱ということですか。
 そんなこともあって、自分たちが活気づく地域社会をなんとか地道に形作って、何か起きたときにはいつでも地域コミュニテーの力が発揮されるという社 会基盤が必要だと思います。
本野:結局、暮らし方がどこまで地に足がついているか、というふうに周りの人が見て、それが復興だという基軸、見方が出てくればいいのですよね。
 僕は、阪神淡路大震災で、人々の暮らしは良くなっていないのに、元に戻っていないのに、ビルが建って、高速道路が通って、飛行場ができて、復興だ、 復興だという話になっていったのをずっと見てるから、その感覚、分かります。
杉内:やはり、大都会に人が集中して、経済も集中し、物も集中するというところはそうなりますね。ただ、われわれは本当にひなびた地域環境ですから、 それをふまえて自分たちのエリアを自分たちのスタンスできちっと作っていくことが先決だと思います。物を作るのと平行して、心の環境や、人間同士の付 き合い方、コミュニティをもっと良くしていけないかと思っています。
本野:そういうことを考えておられる南相馬の仲間というのは、やはり農地再生を目指して集まっておられるのですか?
杉内:農地再生協議会の中にはそういう考え方の人が多くいると思います。今は大きく取り組み内容を考えていかないと、前向きな取り組みが減速してしま うかもしれません。ですから、難しいかもしれませんが、難しいなりに進まないとあとに繋がらない。人々が喜んでここに来たい、住みたいという環境には ならないと思います。
本野:そのへんの話としては、チェルノブイリの25年後の姿として、油糧作物あるいはヒマワリ栽培みたいなこと、あるいは菜種プロジェクトみたいなこ とが、今ウクライナでどんなふうに評価されているか、というのは河田先生からは聞かれていますか?
杉内:実際に、見てきました。2014年の2月です。農地再生協議会で行きました。ジトーミルという州の大学を訪問でき、学長以下、専門の教授の皆様 に出迎えて頂き、お話の時間をとって頂きました。
本野:どうですか。あそこの今の姿というのは、25年後を想定したときに、何か役に立つような情報というか、姿はありましたか。
杉内:今もって、30キロ圏内は非常に悲惨な状況が、そのままでした。
 ただ、30キロから外の部分については大農法の取り組みが大々的に行われていました。大学のデイードフ先生の教え子がそこで大農場を担っており、話 を伺うことができました。
本野:油糧作物はやはり大々的にやっているのですか。
杉内:見せてもらったのは菜種が多かったですが、畜産(養豚)や他の作物も。あそこはとても広大な肥沃地なので、ヨーロッパ各国から大資本が入ってい ろんな作物を取り組んでいる状況でした。日本の企業、商社も入って、大豆を栽培するような展開をしていました。
本野:ウクライナには杉内さんのおっしゃる「心のコミュニティ」みたいなものは発生していましたか?
杉内:厳しい状況ではありましたが、朝市の広場は買い物で賑わって、地域の人たちのコミュニケーションの場となっていました。放射能測定が義務つけら れた中で、食べ物も販売されていました。油糧作物は車のバイオ燃料としての取り組みの説明がありましたが、大々的な取り組みは今ひとつかと見ました。
 私どもとしては、バイオガスのエネルギーに変換するドイツの試みが参考になりました。ウクライナに行く前にドイツに立ち寄った際、マンハイムという 地域の取り組みを見学しました。


  今後をみすえた展望は


本野:話は変わりますが、6000本作られたなかで、いまどれだけさばけているのですか?
杉内:5400くらいです。もう在庫はだいたい底をつきつつあります。東京方面とか。名古屋の生協で取扱っていただいています。ただ、やはり値段が高 いことがネックになっています。
本野:オリーブ油とほぼ同じ値段ですよね。1本1000円というのは。
 消費者グループがあって、有機農産物を共同購入していて、そこにプラス油をどうですか?みたいなことは福島ではまだないのですか?
杉内:まだそこまでは取り組みを展開できていません。
本野:あまりブームになってもこちらが困るという、生産の問題もありますよね。
杉内:販売と生産量のバランスに気を配ることも考えています。パルシステム(注5)も一時、是非、南相馬産として使いたいと、市を通して要望がありま した。搾油メーカー、パルシステムの担当者、県、市とわれわれで話し合いの席を持ちましたが、やはり南相馬の放射能汚染の地域で取れた原料は、生協販 売に向けた取り組みはまだ難しい面があるようです。
本野:それはあかんなぁ。またいろいろなルートで働きかけをしなければしようがないですね。だけどやはり、南相馬で市役所レベルで動いたら、それはパ ルシステムくらいが受け皿にならないと、ちょっときついですよね。
杉内:いま私ども協議会で、経済的にも循環していく取り組み手段を、将来のことも見据えて検討中です。農地の耕作放棄が広がってきた状況で、農地の貸 し手と借り手の契約内容取りまとめをはじめとして、柔軟に地域再生に結び付く方向を考えながら、少しずつ着実な歩みをめざしています。
本野:そういう農地を集積する会社という形になるのですね。そこで生産されたもので利潤を得ながら、再生産に投入していけるような仕組みを作ろうと。 そうすると、そこの再生産可能な搾油所の償却とかが出てくるわけですね。
 いくら借りて作ろうが、補助金で作ろうが、どれだけ利益を確保するかという問題を毎年問われるわけですよね。5000本くらいではとてもとても、1 桁違いますね。何万本という、やがて南相馬全域を睨んだら何十万本ということになって、大生協が本気で取り組めるかどうかみたいな見通しは、だから相 当考えておかないとだめだと思います。
 脱原発、遺伝子組み換え反対はやはりパルシステムなど、生協の命ですから、初心を忘れないでがんばって欲しい、と期待しています。
杉内:やはり生協の取り組みは、安心安全はもちろん、価格の面での厳しさもあるでしょうから、生産基盤を整えながら、みんなで話し合って進める形にし たいと思います。
本野:今後ですが、油糧作物というのは南相馬でひとつのモデルが作られていくというのが基本なのですが、福島全体を見て、これがひとつの福島モデルと いうか、福島の各地でこういう取り組みになるという見通しはどういうふうに思われますか?
杉内:福島有機農業ネットワーク(注6)も福島県全域での活動になっています。しかし、福島は中通り、浜通り、会津と自然的、社会的条件にもそれぞれ 特徴があります。昔から会津は独特な文化の継承されている地域で、雪も多いところです。中通りは県庁所在地で、商工業の中心として展開されている地域 です。また浜通りは海に面して、年中を通して温暖な気候と自然環境に恵まれた地域です。ですので、ひとつの福島モデルというのはどうでしょうか。 2015年には高速交通網のひとつの高速道路が開通したこともあって、これからの動向を見守っていきたいと思います。
本野:この高速道路は福島県のどこを通って行くのですか?ずーっと海岸通りを行くのですか?
杉内:海岸線から8キロ〜10キロの阿武隈山系沿いに、いわき方面から北は仙台へと繋がりました。また隣の相馬から福島に抜ける高規格道路も工事され て、浜通りから中通りへの横断道が2本伸びる形です。
本野:そうすると、やはり油をトラックに満載して仙台、もしくは関東圏ですよね。
杉内:あとは用途について、油を直接使う料理はもちろんですが、化粧品部門の分野も開拓するひとつだと思います。
本野:菜の花、菜種油の化粧品ということですね。化粧品はやはり特にオーガニックですよね。
杉内:オーガニックです。やはりニーズを受け止め、さらにはその内面にも目を向けながら配慮することが必要かと思います。
本野:最後にコメントをいただきたいのですけれども。福島農業ということではなかなか立っていけないですけれども、油糧作物ということに最初から着目 されて4年間経った今ですが、取り組んでよかったという感触はお持ちですか。
杉内:いまの油糧作物の取り組みについては、多くの皆様からの手厚い支援を頂いて進めてきました。多くが初体験の連続ですが、目を見張る発見もあり、 その手応えの中から取り組みを進める気持ち、強いパワーを頂いたことに感謝したいという思いでいます。
 遺伝子組み換えの問題も、持続的自然循環の理念に反した、種子の戦争という形に巻き込まれてしまい、取返しのつかない状況に陥ってしまう恐ろしい未 来を想像します。いかに安全な自然の生態系を壊さない農業をするかということが大事で、それに向けた取り組みに意識を向ける機会をつくっていくことが 非常に大事だと思います。
 原発事故後の20キロ圏域も、4年間の経過で生態系が非常に混乱してしまいました。経済優先的な考えの下では、自分たちの身近な生活環境をも犠牲に してしまうことに気づく時だと強く思います。もっと自然と向き合う社会生活の有り様に目を向けて、次世代につながる地域社会の再生を見たいと思いま す。
本野:長時間、ありがとうございました。

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