タイトル
HOME過去号>129号


「大阪維新の会が

現代社会に示した課題とは」

─大阪市・都構想住民投票の結果を受けて ─

 先頃(5月17日)行われた大阪市特別区設置住民投票いわゆる大阪 都構想の是非を問う住民投票は、直前まで賛否が拮抗するという状況だったが、結果は1万票強の差で特別区の設置は否決された。この結果をどのよう に受け止めるか。
 また一方、住民投票に先立つ大阪府・市議選では大阪維新の会がダントツの第一党としての議席を占め、大阪府・市にあいかわらず大きな影響力を もっている。ここ数年の大阪維新の会の躍進の背景には何があるのだろうか。
 そして死屍累々とも言われる府・市の現在の状況を目前にして、我々に何が問われているのか。「維新的なもの」を克服していく可能性はどこにある のか。

 以上のような問題意識で、当研究所は「大阪維新の会が現代社会に示した課題とは」と題して座談会を行った。出席は島和博さん(大阪市立大学・人 権問題研究センター)、海勢頭恵子さん(近畿大学非常勤講師、元大阪人権博物館学芸員)、小沢福子さん(元大阪府会議員)、司会は当研究所代表の 津田道夫。以下、当日の模様を報告する。



 【津田】 「大阪維新の会が現代社会に示した課題とは」というのが今日の座談会のテーマです。
 今や国会でも一定の議席を持っていて、関西では前回の統一地方選挙で大阪府議会・市議会で第一党を占め、他の近畿圏でも一定の票を得てい る維新の会。この政治勢力の評価は、もちろん大きなテーマですが、地域・アソシエーション研究所の問題意識としては、維新の会の政策とか、主張の内容 とか、代表の橋下徹さんのキャラクターとか、いろんな問題点を指摘されながら、なおかつ支持を得ている、実際に選挙で当選者を出すという状況が、今の 日本の社会状況、政治状況のどこに起因しているのか、というところが一番の関心事だったので、こういうテーマにさせていただきました。
 進め方としてはまず、島さん、海勢頭さん、小沢さんの順序で、維新の会とご自身とのかかわり方を少し自己紹介も兼ねてお話をいただきます。その後、 それぞれのご意見に対して応答していただく形で進めさせていただければと思います。

〈維新の会とのかかわり〉


【島】 この3月に定年で大阪市立大学を退職しましたが、4月からは特任という形で、まだ大学と縁が切れずに残っています。僕と維新の会との因縁は、 まず第一には、市大の改革と言いますか、府大・市大の統合をめぐっての問題にかかわっています。特に橋下市長になってから、橋下市政のブレーンである 上山信一という人物が大学の中に土足で踏み込んできて、きわめて強圧的で非民主的な形で「改革」がなされ始めて、僕たちはものすごくしんどい思いをさ せられました。これが維新とのまずいちばんのかかわりですね。
 もうひとつ僕は、長いあいだ西成区の釜ヶ崎で、寄せ場の日雇い労働者や野宿者の問題について、研究というか、関心をもって見てきたのですが、そこに もやっぱり橋下が西成特区構想という形で、手を突っ込んできた。詳細についてはいくらかさしさわりがあって言えないのですが、僕からすれば、このこと によって釜ヶ崎の運動の現場は大きく混乱させられ、弱体化したのではないかという思いがあります。鈴木亘なんてゴロツキみたいな人物が乗り込んでき て、それに現場の活動家や運動団体がひっぱりまわされている、そういう状況を見ていて、とてもたまらなかった。ああいうのに対して、別の対応の仕方が あったのではないかと僕は個人的には思っているのですけど...。

【海勢頭】 2008年に橋下さんが大阪府知事になりました。私は1991年から大阪人権博物館で学芸員をしていました。ここは府市から補助金が出て います。まず知事になった橋下さんが目をつけたのが、人権・平和・女性・子ども。そこにぴったりはまって、知事就任後に視察に来た橋下さんは、「展示 が難しい」「小中学生にもわかるように」などと異議を唱え、その後、展示内容について大阪府教育委員会から指示があり、補助金が減額されるということ がありました。厳しい財政状況のもとで学芸員の業務には「運営費を稼ぐ」ことが加わりました。
 橋下さんが市長になったのが2011年。就任後2012年4月に松井知事を伴って視察に来ました。それはたぶん、つぶすという目的をもって。「おか し過ぎる。いつもの差別と人権のオンパレード」などとツイッターで批判し、2012年度で補助金打ち切りを表明、松井知事もこれに追随。私たち職員は そのことを新聞やテレビの報道で知りました。
 補助金が切られていく中で、博物館と職員をどう守るかを考えて組合をつくるなどしましたけれど、組合自体が人権博物館の中で非常に厳しい状況に置か れるということもありました。補助金の廃止により、リストラの話などもあり、組合としての提案もしましたけれど、2013年3月に組合を立ち上げた学 芸員も辞めていきました。
 補助金が廃止されても土地は市有地なので、「妥協」という無抵抗の状況は変わらず、学芸員が辞めたので展示作業に人手がない。資料の調査・研究を ベースにした展示というみせる作業はチームワークなんです。口より趣旨にもとづいて作業をできる人が必要です。理事長の知り合いの退職教員などもサ ポーターとして入ってきましたが、精神的にも追い詰められ、2013年の11月に退職しました。
 その後2015年4月の大阪市議選に大正区で無所属で立候補しましたが、見事な落選をしました。定員は3人で、ダントツ維新がトップです。公明党、 共産党がもともと強いところ。その後も住民投票がありましたので、事務所を継続して、大正区でも超党派で反対運動をつづけました。住民投票の結果は反 対派が勝ちましたけれども、大正区は市内で反対率がトップだったので、やった甲斐はあったかなと思っています。

【小沢】 私は99年に府議会に出させてもらいました。その間に横山ノックさんの失脚とか、太田房江さんが出てきてとかあったんですけど、2008年 の1月に橋下さんが知事として登場してきました。私は4期目(11年4月)の挑戦で反原発しか言わへんたたかいをやって落ちました。ですが3期目のま るまる3年間、議会の中で橋下さんと一緒だったわけです。
 知事選に出るんだというときに、マスコミを引き連れて議員控室へあいさつに来られたんです。テレビで知ってはいましたけど、ついてくるマスコミもマ スコミ。そのときに「橋下さん、自治ってどれだけ地道なものであるかをよく心得ておいてくださいよ」と言いました。
 その後の3年間、見事に議会が崩れていくのを目の当たりにしました。議員報酬の削減では共産党まで巻き込まれて、議会の中でも反対したのは私一人。 あとはこちらの体の免疫力が下がるのは嫌やから、とにかく笑いとばせと思って笑ってました。
 今後の話につながると思うのですが、一言で言うと闘う側の言葉を作れなかった。やっぱり、橋下がどうこうではなくて、今の政治状況に対して、主権者 である側の言葉。みんなに届く言葉をどうやって作り出すかというところで負けていたと思います。。

【津田】橋下さんは府知事選に無所属で立候補したわけですね。立候補した後、府議会議員の保守の松井さんたちと一緒に維新を立ち上げたのですね。

【島】 自民党から引っこ抜いたんですよね。

【小沢】て言うか、松井さん達は自分から自民党を割って出た。
 府県という広域行政のほうに出てくると、どんなふうにして党が機能しているかということがよくわかるんですよ。市町村議会の中では、地域と非常に密 着していますから、あまり党というものは見えてこないんです。広域行政になってくると、市町村と国とをどう調整するか、番頭みたいな形で府会議員の役 割があるわけで、党の意向というのが運営の仕方も含めてよくみえるんです。
 自民党というのは国政の候補者は党中央が決めるんです。地域では選べない。地域の思惑と党の思惑が一致した時に、あたかも地域から出たように見えま すけど、あれは党中央の決定なんです。だから、ちょうどあの年代の大阪府下の自民党の人の党中央に対する不満があったわけです。自分たちの地域での活 動に対する党中央の締め付け。それに対する不満。そういう中で、公認をけってでも自民党から出たのが5人いたんです。その中に松井さんもいた。府議会 の議席で私の隣に来たのが維新の5人。要するに、いままでの既成の政治に対する反発できてるから、隣の5人と当時はよくしゃべりました。
 ただ、だんだん大きくなって、最後の、2011年の統一地方選挙で、維新はふくれあがったんです。自民党の二世だの三世だのの府会議員、そういう意 味では自民党の本流じゃないですか。そこまでが維新の会に行った。あの人たち維新の中では何をやってるのかと思うけど。中身を知ったら、維新は橋下と 一番最初に出た5人以外、覚悟している人は一人もいない。通るために維新の名前を取った、通るから出たというだけ。

【津田】 2011年の統一地方選挙で維新が雪崩を打って上位当選したわけですよね。

【小沢】 だいたい市町村議会を経験して府会に出てくるのが主流でした。ところが、近年では国会議員には基礎自治体を経験した議員はほとんどいない。 だからあんなバーチャルな議論ばかりしている。昔の自民党は違った。京都府の野中さんなんかがそうです。ところが2011年の府会選挙では自民党も民 主党も含めて、そうした経歴を持つベテランというのがほとんど落選しました。

【津田】 そういう意味では、11年の統一地方選挙が大阪の既成政党の議会状況を大きく流動化させた。

【小沢】 一つの風潮としてあったのが、いわゆるリクルート。4年間の就職。議会がリクルートの場になっているというのがある。憲法も地方自治法も知 らないんだから、関係ないんですよ。

【津田】 小沢さんの話は維新の会を出した現代社会が抱える問題の切り口として非常に関わりがあると思うのですが、まずは、都構想の賛否を問う住民投 票の話から。事前予測では接戦だけれども反対票がもっと上回るのではないかという予測が出ていました。最後は橋下さんが泣き落とし戦術をとったと報道 されていましたが、現場はどうでした?

 〈住民投票をめぐって〉
【海勢頭】私は市内に住んでいて、「維新熱」というのは去年の衆院選から冷めてはいないし、統一地方選でもっと上がっていると感じていたので、住民投 票は危ないというのが実感としてはありました。
 選挙の時から、「具体的に何をよくしてくれるんだ」「対案を出せ」、ということはよく言われました。橋下市長の言葉をハンコで押したようなことばか り言うので、そうとうな支持者がいると思っていました。反維新で闘わないと、危ないと。大正区の場合は、反維新の超党派の活動に無所属で落選した私に も声がかかり、集会でも訴えました。

【津田】 公明党は本当に反対運動をやったんですか。

【海勢頭】 大正区では公明党の反対運動は表では一切見なかったです。維新に対する配慮なのかもしれません。橋を渡った隣の区では、あるときから公明 党のポスターに「都構想反対」というビラが貼られるようになったんです。意思表示をする人たちも公明党にはいるんだなぁと思いました。表には出てこな かったけれども、結果的に大正区で反対が増えたのは、公明党支持者の反対意見が多かったからだと思います。
 大正区は「湾岸区」とされていましたから、そのことも理由だったかもしれません。橋下さんは「湾岸区」とされる区を重点区と位置付けていましたか ら、投票日の前日までがんがん入ってきました。みんな同じオレンジのユニフォームを着て、大正区の府会議員と市会議員に前振りをさせ、インチキなパネ ルでの説明。集まっているのは若い人だけではありませんでした。熱気はすごくありましたね。
 それから、お金のつぎ込み方がすさまじい。大阪市内ではテレビのCMも朝から晩までやっていましたし、宣伝カーも映像を流しながら、どれだけ街宣車 があるのかというくらい走らせていましたし、二人一組で何十人もの人たちが街中に繰り出していました。
 負けるかもしれないと思いましたね。お金のない私たちに何ができるかと考えて、丁寧に説明することにしました。共産党といっしょに説明するときは、 共産党が作成したパネルを借りたりして。
 言葉の力という面で、橋下さんのワンフレーズは受ける。けれども、ひとたびそれが検証され、間違いがあぶりだされると不信感が市民に広がっていく。 その媒介役を果たしたのは街頭に飛び出した人たちです。瀬戸際で、一市民が「分かったこと」を伝える、という動きが大きかったのではないかと思いま す。橋下さんのように短いフレーズでわかりやすくと思うのですが、本当にわかりやすく、丁寧に伝えるにはワンフレーズでは無理です。

【津田】 宣伝戦としては向こうのほうが一枚も二枚も上手だったと言うことですか。

【海勢頭】 そうです。維新の会の支持者の人って、橋下さんと同じことしか言わないんです。対案出せとか、二重行政とか、どうしても押されてしまっ て。こちらの反論はワンフレーズでは終わらないですから。けれどめんどうくさいけど、これをやらないと、というのは住民投票で思いました。維新の過去 の公約などを示して、言ってることが違うということなど、検証しながら反撃することは大事なことではないかなと思いました。

【津田】 島さんは住民投票の結果はどう見ておられますか。

【島】 正直に言うと、僕は賛成派が勝つだろうと思っていたんです。僕は投票の直前に、反対派の集会などにもいくつか顔を出したのですが、そこでとて も気になったのは、反対派のほうの「大阪市を守れ」というスローガンです。たとえば、扇町公園での反対派の決起集会ですが、たぶん5000〜6000 人くらいの人が集まっていたと思うのですが、そこでは、民主、自民、公明、共産の主要政党の代表者が一緒に並んで、「大阪市を守ろう」と気勢を上げて いました。それを見て、「これではダメだろう」「反対派は負けるだろう」と思ったんです。なぜかといえば、その「大阪市を守ろう」というスローガンが とても空疎だと思えたからです。その守るべき大阪って何も中身がないではないかと思ったんですよ。たとえば自民党と共産党とで何か共通の「守るべき」 大阪があるなどとは、とても思えなかったのです。それは、たんなる言葉だけの「共闘」で、こんなもので大阪市民を維新から引き離せるとはとても思えな かった。
 しかし、結果的には、わずかの差でですが、反対派が勝っちゃった。だから、正直に言えば、僕は今回の投票の結果をどのように見たらいいのか、いやそ もそも、今回の「都構想」を巡る一連の状況をどのようにとらえたらいいのか、まだよくわからないでいるのです。
 それでも、結果がでてから、自分なりにいろいろと考えてみました。なぜ反対派は「勝った」のかと。僕は大阪市民ではありません。だから、大阪市民の 橋下維新に対する日常的な感覚というか、評価というか、その細やかなニュアンスのようなものはわかりません。職場の同僚や友人たちのなかには橋下を評 価するような人は一人もいませんし。本当は、大阪で暮らしている普通の人びとが橋下政治をこれまでどのように受け止めてきたのか、そして都構想問題が 提起されたいま、どのように受け止めているのか、といったところから、今回の投票結果を分析する必要があるのですが、残念ながら現時点ではこのような 分析はとてもできません。そこで、僕は、とても大雑把で荒っぽいやり方ですが、大阪市の地域の構造、もうすこし詳しく言えば、地域の社会階層的な構 造、という視点から今回の結果を見てみようと考えました。
 国勢調査を始めとするさまざまの統計データを読んでいくと、大阪市は決して一様な都市ではなく、むしろさまざまに異なった地域の集まりであるという ことがわかります。たとえば、いまさかんに再開発が推し進められて日に日に「オシャレな」街(東京みたいな街)になりつつある北区(とくに大阪駅周 辺)と、西成区(とくにいわゆるあいりん地区)とを比べてみれば、その違いは歴然としています。そして、地域の違いを単にその見え方(外観)の違いだ けではなく、その地域の社会構造の違いという視点からとらえて、この地域の違いと今回の投票の結果がどのように関係しているのか(それとも関係してい ないのか)ということを見てみよう、というわけです。そして実は、このような作業はすでに何人かの方たちがやっていて、僕の分析から何か新しいことが わかったというわけでもないのですが、簡単にその結論を言えば、大阪の相対的に貧しい人びと、いろいろな意味で不利な状況に置かれている人びとは都構 想に反対の意思表示をし、逆に、相対的に豊かな層、あるいはいろいろの面で有利な立場にある人びとは、それに賛成したのではないか、ということです。 いろいろなデータを突き合わせて総合的に判断すればそういうことになる、ということです。
 地域的に見てみると、大雑把に言えば、賛成派が多かったのは、職業では専門職、管理職の比率が高く、正規雇用のホワイトカラー層が多くて、失業率が 相対的に低い地域、具体的にいえば、北区、福島区、西区、都島区、中央区などです。それに対して、反対派が多かったのは、西淀川区、此花区、港区、大 正区の湾岸部から南部の区、西成区、住吉区、東住吉区、平野区など、職業ではブルーカラー職業の従事者が多く、非正規雇用者の比率が高く、失業率も高 くて、高齢者(世帯)の比率が高い地域、簡単に言えば貧乏人が多い地域なんです。
 そして、データを見ていて、大阪もかなり急激に階層的に分化しつつあるということを改めて感じました。近代日本、そして高度経済成長期の日本をけん 引してきた「産業都市大阪」は、たぶん、90年代頃から、その一部が急速にネオリベ的な都市になってきていて、ネオリベ的な価値観や生活感覚をもった 人びとが集まった地域が形成されてきていて、その代表的な地域が西区とか福島区ではないか。高層のタワーマンションなどがどんどん建って、オシャレな レストランやカフェなどがオープンして、そこに大卒で、専門的・技術的な職業や管理的な職業に従事する、相対的に若い人たちが集まっている、そんなイ メージですね。そしてそのような地域に、橋下さんのネオリベ的なメッセージは一番浸透している。それに対して、湾岸部や南部には、現時点ではそのよう な「発展」や「再開発」からは取り残されて、「停滞」している地域が多い。もともと、工場労働者を中心とするブルーカラー層が多かった地域ですが、大 阪の産業構造の変化とともに、その就業状況はきわめて不安定化しています。だから失業率や非正規雇用者の比率が高い。その典型が西成区であり、平野区 であり、大正区ですね。そしてこうした地域において相対的に都構想に反対する人びとの比率が高かったということです。
 もちろん、こうした単純な図式だけですべて説明がつくというわけではありません。これはあくまでもきわめて大雑把な全体の見取り図にすぎません。実 際にはもっと細かく見ていく必要があります。たとえば、天王寺区と阿倍野区、この二つの区は大阪市のなかでは相対的に所得水準が高い「豊かな」地域な んですが、ここは反対が多いんです。それとは逆に、東淀川区と淀川区、この二つの区はブルーカラー層が多く、失業率もかなり高く、どちらかといえば貧 しい人びとが多い地域なのですが、ここは賛成派が多いんです。このことからもわかるのですが、都構想と橋下維新に反対したのは大阪の相対的に貧しい層 で、賛成したのは豊かな層であるという単純な図式だけでは説明できない部分もたくさんあるということです。
 橋下維新と都構想賛成派は、この間ずっと、「都構想に反対するのは既得権益層だ」というキャンペーンを繰り広げてきました。ここでは、彼らが言う 「既得権」の中味を問わないとすれば、彼らの主張はそれなりに正しかったのではないか、と僕は思っています。上の例でいえば、阿倍野区と天王寺区、い くらか単純化して言えば、この二つの区は、古い大阪、「商都大阪」を支えてきたというか牛耳ってきた、地域の名望家層、いわゆる旦那層が一番分厚く蓄 積されている地域だと思うのですが、そしてそれは同時に「旧来の」自民党の支持層の中心だったと思うのですが、そこは反対派が多かった。地付きの商店 主や中小企業の経営者などですね、そこが都構想に反対した。そしてこの層は、長年にわたって大阪市の行政とも密接に連携しながら、これまでの大阪の地 域の秩序を支え、地域の利害構造を調整し、それを通じて自らのさまざまな「既得権」を守ってきた層です。その意味では、たしかに彼らは橋下維新が言う 大阪の「既得権益層」であり、都構想に示された大阪市の消滅にもっとも危機感を抱いた層であるのは間違いないと思います。
 それに対して、橋下維新に流れていったのは、「新興」のビジネスマンや「大阪版」ヤッピー層、もちろんきわめて底の浅いほとんどお笑い草のような似 非ヤッピーだと思うのですが、もしくは都構想による旧来の利害構造の組み替えに何らかのビジネスチャンスがあるにちがいないと思っている山師のような 連中、こういった連中が都構想に賛成した。簡単にいえば、地域にほとんど足も持たない、それゆえ、現在の大阪市の利益配分構造から何の恩恵も受けてい ない(と思っている)層、ここが都構想賛成にまわったのだと思います。
 大阪の相対的に豊かな層や「勝ち組」層のなかで、このように「既得権」の有無によって都構想への賛成・反対が分かれたとすれば、同様のことが貧しい 層、恵まれない層においても起こったのではないかと、僕は思っています。たとえば、都構想への賛成派が多かった淀川区、東淀川区、ここは各種の統計 データなどから判断すれば、決して豊かな地域ではなく、どちらかと言えば貧しい人の方が多い地域です。しかし、ここでは賛成派が多かった。詳しい説明 は省きますが、この地域は外からの流入者が多く、若年層の失業率が高く、総じて言えば、地域社会がきわめて流動的になっているような地域です。また、 都市再開発の波が押し寄せようとしている地域であるようにも思えます。豊かな層のそれとは違った意味でですが、やはり大阪の利益配分構造から疎外され た人びと、すなわち「既得権」にほとんど与ることのなかった人びとの割合が高いのではないかと、想像されるのです。その代表が相対的に若い貧困層や不 安定就業者層ですね。それに対して、貧しくとも古くから地域に定着している人びととの多い西成区や平野区、大正区などでは、大阪市政からそれなりに有 形無形の恩恵にあずかってきた、少なくともそのように感じている人びとの割合が高くて、そういった人たちは都構想反対にまわったのではないか。そうい う意味ではやっぱり「既得権」、老人の無料パスとか、福祉サービスとか、生活保護とか、ほんとにささやかなものだけれども大阪市政の恩恵に預かってき た層はやっぱり都構想に反対した。それに対して同じ相対的に貧しい層でも、地域に流入して比較的間が無くて、地域との関係がうすく、また仕事が不安定 で、大阪市政からは無視あるいは疎外されている層、少なくともそのように感じている層、そういった人びとは橋下の「改革」のメッセージに共感して、都 構想の支持に流れたのかなと、このように考えるとある程度説明がつくような気がします。
 今回の都構想への賛否は、大阪の人びとがどのような階層的な位置にあるのか、地域社会のなかにどのように位置づいているのか、それとも位置づいてい ないのか、そういったことに規定されて、彼らがこの間の大阪市政をどのように評価してきたのかということと、たぶん密接にからんでいる。その意味で は、今回の都構想を巡る住民投票の結果を、「民主主義の勝利」であるといったふうに単純に評価するのは間違っていると思います。むしろ、大阪における 社会階層的な、そして地域的な矛盾や対立がきわめて大きくなっている、その意味では「危機」的な状況にある、ということが示されたのだととらえるべき ではないかと思っています。
 都構想に賛成した人びとを、単純に橋下に騙されているというふうに見るのは間違っていると思うんです。橋下徹という人物はそれなりに鋭い政治感覚と 状況をとらえる眼を持っていて、どこに人びとの不満が蓄積しているかを敏感に探し当てている。そして、そのような不満を抱いている人びとの意識や欲求 を的確にワンフレーズで刺激して、そういう人たちの支持を取り付けている。

【海勢頭】 パッと質問に答えてくれるというところが上手だと思います。

【津田】 そこに新しさというか、既成の政党に所属している政治家では感じさせられなかった新しさを感じさせているのでしょうか。

【小沢】 私、自分が政党に入って、政党とは何かというのがよくわかりました。今の政党は国政中心で地域の息吹に鈍感。政党としての役を果たしていな い。ここのところに橋下が付け込む素地があった。
私は都構想が負けていちばん痛手を受けたのは中央政治だと思うんです。安倍や自民党は都構想を応援していた。そっちのほうが中央政治の進め方にとっ て、維新と手を組めるわけだから、大阪のことなんか考えていなくて、それなりに地元の市議団は中央からかなり圧力を受けていたと思います。公明党が表 向き動けなかったのは、中央政治とのからみだと思う。
 ようするに、あれだけの物量でプロパガンダでやって、一万票差でしたけれども、結局勝てないというのは、安倍政権にとってはすごいショックだと思 う。これでは憲法だとか安保法制でも意のままにならないと思ったでしょう。
 市民が最後のところで判断したのは具体的な生活ですよ。ここで女性が果たした役割って、すごく大きいと思う。
 都構想が実現すると、決定権が大阪府のほうにいくわけでしょう。問題だらけの大阪市でも、決定権が身近にあるというのは自立の条件です。議会がなく なるということは、自立を失うこと、自由を失うこと。保育所どないなるの、介護事業はどないなるの、水道はどないなるの、ごみどないなるの、っていう ふうに考えたときに、ちゃんと自分の言葉では説明できないけれども、生活意識のある人ほど都構想には反対になっていく。説明はようせん。だから表には 出てこないし、積極的な反対運動はしない。だけれども、絶対にそれは困る。そういうのがせり勝った投票結果だと思うんですよ。
 たった一万票差しかなかった。あの差というのは誰が入れたという分析はできないけれども、決定的だったと私、思うんですよ。安倍、困ったやろなあと いうのが第一番に思ったことでした。

【島】 そのあたりは上山信一が朝日新聞のインタビューで言っているのですが、彼らにとって、一番のネック、癌は大阪市議会だと言うんです。市議会は 良くも悪くも、地元のどろどろしたというか、地域のこまごまとした個別利害を背負った議員さんによって構成されていますから、ネオリベ派の大所高所か らの「改革」案というのはすんなりとは通らない。橋下市政を牛耳っているネオリベ派にとって「古い」大阪の利害調整機関である市議会はジャマなので す。だから上山は、「大阪市議会がなくなれば民営化はスムーズに進みます」と言うわけです。都構想のひとつの狙いは、少なくとも上山を中心とするネオ リベ民営化論者にとっては、大阪市議会をつぶすことにあったと思うんです。都構想に反対した人びとは、このことを直感的に感じ取ったのだと思います。 都構想が実現すれば、自分たちが勝ち取ってきた「既得権」が奪われると、人びとはそれぞれの立場で感じ取ったのだと思います。その意味では、人びとの リアルな利害認識と、それを守ろうとする日常生活レベルでの抵抗意識のようなものが、都構想の否決の、表には出ないけど、非常に大きな原因だったと言 えると思うんです。

【津田】 人間の生活を経済活動の数字とかで全部見ている人たちは、日々の生活をしていくうえで、いろんな関係と利害とで動いている構造というのが。

【島】 そういうものはほとんど見えていないのでしょうね。

【津田】 見えないというよりも、非常に不可思議というかもっと言えば。

【島】 ノイズでしょうか。

【津田】 ノイズですね。こんなんないほうが大きな事業計画が進むというふうに思うんでしょうね。

【島】 今回の都構想反対運動では、女性と、若い人たちが動き出した。しかも彼らのはっきりとしたメッセージも感じましたね。市大の学生が学習会を開 いたなんていうのは久しぶりでした。

【海勢頭】 SADLという、反対の意志を明確にしたグループが活動しました。特定秘密保護法のロックアクションにも来ていた学生なども参加していま したね。

【島】 僕なんかはいわゆる学生運動世代ですから、正直に言えば、若い人たちの運動にハラハラするところはあるんですけれども、しかし、学生たちが主 催した都構想反対の集まりをすみっこでみていて、割と自分の頭で考えて、自分の言葉で呼びかけているのを見て、少しびっくりした。こういう動きが始 まっているんだって。僕は長い間、学生運動といってもほとんどセミプロの運動みたいなものをずっと見せられてきたから、そういうのではない運動が出て きたというのはけっこう新鮮でした。
 だから一方でひな壇に勢揃いした自民党や共産党みたいなのに幻滅しながら、もう一方では、今後に芽を残すかもしれない、若い人たちや女性の集会やデ モにもついていったんですけど、はたして今回の都構想反対の運動が今後どのように発展・継承されていくのか、それとも一回限りのもので終わってしまう のか、そこがとても気になります。

【海勢頭】 女子パレについては府民のちからから相談がありました。東京や大阪で愛と平和の女子パレードっていうのをやっているみたいだけど、どう やってるの?と。

 〈私たちに問われているもの〉
【津田】 都構想は僅差で否定されましたが、あれだけ物量と組織性、個人的なタレント性を投入して、結果的には負けたという事実を積極的に見とかない といけないんじゃないの、というところを出してもらいました。
 でも、あれだけの支持を集められる政治勢力として、やはり大阪維新は存在している。しかもひとりひとりの議員の能力やスキル、議員としての住民自治 や住民の生活に意欲的に何らかの役割を果たしていこうという志でいえば、どうしようもない議員が多いにもかかわらず、ああいう議席を占めるに至ってい る。この現実はどうでしょうか。

【島】 やっぱり、70年代以降の都市の社会運動が持っていた決定的な弱点みたいなものがあるんじゃないかと思います。市民運動はとりわけ環境運動を 中心に展開されてきましたが、それはやはり狭かったんじゃないか、それは突き放して言えば、ミドルクラスの生活防衛運動でしかなかったんじゃないか。 当然のことながら、それはアッパークラスの支持は得られないのですが、それはいいとして、どうして市民運動は、もっと下のほうに広げられなかったのか なあ、ということを思います。
 僕は90年代に西成区の太子・山王一帯で聞き取り調査をしたことがあるんですけれども、その地域には、元釜ヶ崎の労働者でいまは高齢になって生活保 護を受けて暮らしている労働者がけっこうたくさんいたのです。古くて狭いアパートの部屋に入っていくと、そこは布団は敷きっぱなしで、電気コンロが一 つ置いてあって、ランニングシャツ姿のおじさんがひとりぽつねんと座っているんです。そして驚いたのは、その狭くて乱雑な部屋にものすごい立派な仏壇 がデンと置いてある。そしてその人から、ここでは唯一創価学会の人が声をかけてくれて、学会員さんが定期的にやってきて話し相手になってくれて、とい う話を聞いたときに、日本の市民運動やリベラル派の運動はこうした人びとを見落としてきた、もしくは無視してきたのだな、ということがわかったので す。そして逆に、公明党の「強さ」もわかったような。

【津田】 理屈としては言って来たけれども、現実的にはかかわりを持ちきれなかった層ですか。

【島】 そのような人びとにたどりついたのはたぶん公明党、もしくは共産党だけだったというのが実態じゃないのか。いわゆる市民派的な運動が取りこぼ してきた層、無視してきた人びとがたくさんあった、それを橋下がワンフレーズでさらっていったのではないか。だから、上と下、両方あると思うんです ね。橋下が出てきたときに、橋下を支えているのは、フリーターとか若い不安定な若者だと言われたけれどもそうじゃないと思う。やっぱり、橋下を支えて いる中心はアッパーミドルクラス、今風のタワーマンションなんかに住んで年収600万円超くらいの層です。

【津田】 自分の能力で何でもできるんやと思える人達。世の中的には既得権や公務員体質が閉塞感の根源になっていると言いたい層。

【島】 それが中心なんですけれども、橋下の一種のポピュリスト的な振る舞いやメッセージに惹かれていったのは、いわゆる底辺層もそうだったのではな いか。結局のところ、市民派やリベラル派が呼びかけていったのは、いわば真ん中の層、いわゆるミドルですよね。しかし、問題はこのミドルが、もともと 脆弱であった日本のミドル層が、1990年代初頭のバブル崩壊以後、急速にやせ細ってきたということ。高度経済成長とともに膨れ上がってきた日本の促 成ミドルクラスは、そしてこのミドルの生活感覚を基盤としてうまれてきた日本の市民運動は、バブル崩壊以後、その社会的基盤を急速に失っていく。まだ 真ん中が大きい間は一定の有効性を持っていたと思うのですが、真中がやせ細って、いわば上下に分かれていくにつれて、日本の市民運動はその有効性とヘ ゲモニーを喪失しつつあるのではないか、そして、その結果うまれた政治的な空隙を埋めるようにして橋下(的なもの)が登場してきたのではないか。同じ ころ一斉に、日本の大都市部では右翼ポピュリスト的な政治家(東京都の石原、横浜の中田、名古屋の河村、そして大阪の橋下)が出現して、それまでの市 民運動の「成果」を否定して、ネオリベ的な都市運営が強まってくる、そして都市住民もまたそれを歓呼して迎える、こういった大きな流れがあったのだと 思います。このように見ていくと、根底にあるのは、日本の市民運動の弱さと衰退であり、そのひとつのグロテスクな現れ方が橋下現象ではないか、と僕は 思っているのです。

【海勢頭】 大正区はなぜ共産党や公明党が強いかというと、生活保護の世話をするとか、地域の医療活動をしているとか、まざまざとそういうものを見せ られるなかでわかったような気がします。選挙の時、昼間、ベロンベロンに酔っぱらったおじさんが共産党の候補者の名前を出して話しだしたので、あ、そ ういうことなのかと。維新が出ようが民主が出ようが、大正区では公明党、創価学会と共産党が地域の活動をやっているし、公明党は死ぬまで面倒みてくれ る、自民党は商売をやっている人が支持している。こういうものが地域のなかにできている中で選挙をやるのは無謀だったなと思います。
 大阪市内にミドルクラスはほとんどいないのではないかと思いました。大阪市役所に勤めている人も、大半は市内に住んでいないわけで、がんばってねと は言われるけど・・・。

【島】 いまでも旧来のミドルクラス的な雰囲気が残っているのは、城東区と鶴見区。旭区はそうではない。「大正区型」の代表は大正区と平野区ですね。 そしてこの二つの区は都構想反対の比率がもっとも高かったところです。ここは共産党と公明党が日常的に地べたの運動を展開して支持層を獲得してきたと ころ。そういうなかで、市民運動を支える基盤を大阪のどこに見つけることができるかなと考えると、どうもよくわからない。大阪ではなぜ民主党が弱いの か、ここらあたりと関係しているように思えます。

【海勢頭】 民主党の地盤を引き継いでの選挙だったので、連合大阪には今回限りの連携推薦というかたちの推薦を受けましたが、脱原発ではないし、基地 は沖縄にないと困るという。名簿も渡したくないというような状態だったので、そうなのかと思いましたけれども。ええ?労働組合???と。連合というと ころが橋下支持者からみると既得権益層とみえるだろうなとは思いました。橋下さんがそういうところを攻めていくうまさは感じますね。たしかに既得権益 だよって。

【津田】 そういう意味では橋下支持ですね(笑)

【島】 橋下のすごさは大正だとか平野とかでもかなりの票を集めるというところにあると思います。そういう意味では、共産党的な、あるいは公明党的な 地べたの運動でもすくい切れていない層がかなりあったということなのでしょうね。

【津田】 政治って、日常生活のところで関係を作って、組織していく。それは基礎だけれども、それだけでくくれるかというと難しいところがある。ぼく らも地域ということを考えて、日常的な人間関係を重ね合わせて、考え方も収入も含めて、いっしょに考えられる仲間を作ることが政治の基礎だと考えて やってきました。そういう意味では公明党も共産党も政治活動の基礎みたいなものは共通しているものがありました。でもそれが全てかというとそうではな くて、そのことを維新に突き付けられたと思います。

【島】 橋下維新の「ワンフレーズ」が持つ力がすごい。ある種のべったりの日常生活からほんのちょっと上のところにある、あえて言えば理念みたいなも のを示したということだと思うんですよ。それはインチキの理念だったということは後になってわかるんだけれども。どんな人でももうちょっと大きく状況 を理解したいという欲望や願望はあるわけで、橋下維新はそのような人びとの願望を「改革」という言葉であったり、「既得権益」という言葉であったり、 あるいは「公務員叩き」のメッセージですくい取った、そして人びともまたそれによって「諸悪の根源」がわかった気になり、状況を自分なりに理解できた という気になった、ということですね。

【小沢】 私は海勢頭さん、選挙やられてよかったと思うんです。いろんなこと見えてきたでしょう。選挙はものすごくリスク大きいですけど、やってみよ うと思う人はやったらいい。例えばマイクもって立つときの、それは公職選挙法によって守られた、基本的人権の中の最も大事なもののひとつで、自分の言 葉がどういう空気を醸し出すか。そこで初めて不特定多数の人々との接点ができる。いま自分が持ってる言葉の質だとか考え方の質が、一般普遍のところに 出した時にどの位置を占めるのかという、その質をはかるのが選挙なんです。ほんとにそこのところで得るものがあるんですよ。
 それと思うのは、議員が絶対にやらないといけないことが、市民相談をこなせるちからをもつということ。市民相談を受けて、それを本当にこなしていく ちから、公明党や共産党が持っているようなちからが弱いんですよ。
 公明党と共産党というのは、70年代に戦争があって、あのときは下層階級の取り合いだった。あのとき私は豊中の市会議員をしていました。どっちが生 活保護を多くとってくるか、そればっかりやっているわけだから、私、あれは少しも怖くない。その人が生活保護をとって終わりか、暮らせるようにはなる けど、人間てそうじゃない。その人がいかに自分に尊厳をもってい生きていくかという力を一緒に考えて身に着けるかという事をしない限り、創価学会や共 産党がやっている市民相談って、少しも怖くない。

【海勢頭】 不十分な市民派というかたちで、選挙に出て、こういう負け方をして、これから拠点づくりをとか、次も、と周囲から言われますけど、今後の ことをどうするのか、事務所、住まいなど財政的な問題もあり、現在、夫婦で普通の生活のできない生活困難者になっています。取り残されたような感じで す。私も共産党に相談に行っちゃおうかなってくらい。

【小沢】 わかります。生活のリアリティの部分で、家のこととかなにから、そういうことに想像がいかない。それでは絶対ダメだって。

【海勢頭】 大阪市内の選挙は厳しいと思います。たとえば宝塚市などは(大選挙区で)いろんな人たちが候補者にいるなぁと思えるけど、市内の選挙は定 数が3人とか5人とかで、組織をバックにする選挙が当たり前だと市民も思っているから、無所属ではなかなか難しい。

【小沢】 でもね、政令指定都市の中でそういう議員が出ていないのは大阪市だけなんです。神戸市でも横浜市でも、他の政令市は不十分な市民派であって も、一人や二人はいます。一人として通ったことがないのは大阪市議会だけなんです。そこのところが反対に、大阪市の特殊性と橋下に付け込まれたところ なんです。

【海勢頭】 だから橋下はちゃんと民主主義を利用しているんですね。

【島】 大阪というのはもっとも古い資本主義都市、産業都市で、それこそ長い時間をかけて、地域への利益誘導の仕組みも含めて、都市の利害構造を調整 していく仕組みが入念かつ緻密に構築されてきた都市だと思います。その仕組みの中核を担ってきたのが、おそらく、先に言った旦那衆と労働組合と解放同 盟。この三つをコアにして、市役所、市議会、町会などの地域組織、これらが連携して長いあいだ大阪市の統治がなされてきた。しかし、このような構造も やはり1990年代の後半から揺らいできます。市職員の「不祥事」が暴かれたり飛鳥会事件などを通じて市の同和行政が批判されたり、これらはこの揺ら ぎの現れと見ることができますね。そして、この大阪市における統治構造の弱体化と流動化に乗じて橋下維新が入ってきた、大まかに言えばそういうことだ と思います。問題は、それじゃなぜ、そのときに「市民派」が介入できなかったのか、ということですよね。

 〈今後の見通しは〉

【津田】 地方議会の選挙にかかわっていると、近年、強く思うのは議員の質でいえば、維新だけじゃなくて、職業として議員を選んで、選挙で当選すれば ある程度の収入で、拘束されるのは限られた時間で4年間はメシが食える。極端なこういう発想で立候補する、しかもわりと若くてイケメンやかわいい女の 子が通る。こういう代議制そのものが、片方で投票率が40%切るとか、そういう代議制、議会制の仕組みそのものが信用を失っているというか、矛盾にさ らされていると強く思います。

【島】 正直に言うと、僕は選挙や議会というものをあまり信用していません。だから今回のことでへんな方向で大阪市民が目覚める可能性があるのではな いか、「やっぱり、選挙でなんとかなるんだ」って。それをいくぶんか危惧するところもあります。政党を軸にした選挙と議会の政治がもっと違った方向 に、たとえば市民の直接的な参加と自治をめざしての運動とか、そういった方向に変わっていく可能性はないのかなぁ、などと考えています。

【小沢】 参加した人は何かの機会に発言すると思う。投票率68.9%っていうのは驚異的な数字です。特に反対で一票を入れた人って必死の思いで入れ たと思うから、これに動いた人というのは、自民党がまたこれまで通りでいけると思ったら、徹底的にしっぺ返しを食うと思います。町衆の中からも意見が 出てくると思う。

【島】 ただやっかいなのは、都構想には反対したけど選挙ではやっぱり維新に入れるっていうのが十分にありえる、ということです。自らの生活のリアリ ティに根ざして判断する場合と、ちょっと空中戦になって「理念」や「大きなビジョン」などで選ぶ場合とで矛盾があっても、有権者は気にならないみたい で、その意味では選挙をどのレベルで闘うかというのもあるんだと思うんですよね。これは僕の偏見かもしれませんが、市民派の人たちは、どちらかという と理念先行で、そのうえ、その理念が市民の、とくに相対的にしんどい状況にある市民の生活の現実に届いていないような気がする。

【海勢頭】 橋下って、どの目線でも合わせるというか、逆に言えば一貫性がないんですけど。

【小沢】 橋下さんの生い立ちが生活密着なんですよ。いじめがあって、お母さんが離婚してひとりで育て上げてきてとか、子どもをぎょうさん産んでと か。生活感覚というのは、ほんとにみんなが苦労して生活しているという感覚ではなくても、空気の中での生活感覚というのはわかるから目線が合わせられ る。安倍やなんかにはありませんから、そういうのを持っているのは維新の会の中でも橋下だけですから。橋下を失うとメッセージを出す人はいなくなりま す。

【島】 橋下がなぜ多くの大阪市民を惹きつけたのか。ずいぶん前に赤木智弘というひとが「希望は戦争」、ようするにどうにもならないんだったら戦争で もやってくれよ、というようなことを言って話題になったことがありますが、今のどうしようもない状況を一度リセットしたいというような感覚もあったと 思うんです。小さい小さい「改良」の積み重ね、ちょっとずつ生活はよくなるというのをいくら積み上げても、自分が置かれている根本的な状況は変わらな いという絶望感、絶望というほど深くはないのだろうが、それでもとにかく一度ガラガラポンしたほうがいいというような感覚は、かなり広範に広がってい るような気がする、特に若い層に。ただもう一方には、そのような無定形の衝動だけじゃなくて、もうちょっと、理念という言葉がいいかどうかは別とし て、細々とした日々の生活を越えた、こういう方向に自分たちの生活とか社会の在り方というものをもっていきたいというような、そういうものに対する願 望もあるのではないかと、思っています。それに、そのような理念みたいなものがないと、社会運動はそもそもにおいて成り立たない。あるべき社会の形だ とか、あるべき人生の形みたいなものがあるという前提ではじめて運動は運動として可能になる。たとえば、地べたで困っている人に、議員さんを紹介し て、生保を受けられるようにしましょうねっていう、そういう「お世話」の永遠の繰り返し以外にないっていうことだと、やはり現在の多くの人たちが抱い ている閉塞感を打ち破ることはできない。
 橋下さんはそういう理念があるような気にさせてくれた、本当はそれは現実の生活にはまったくそぐわない、むしろ自分たちの首をしめることになるよう な理念だったのですが、それでも、たとえば、自分自身が生活保護を受けなければいけないようなしんどい状況にある人たちを「自立をすべきだ」というよ うな言葉によって惹きつけていった。なぜそうなるのか、僕にはまだよくわからないのですが、橋下さんはそのような言葉(理念)で多くの人びとを惹きつ け、動員していった。現実の利益よりも言葉が力をもつことがあるということを実際にやってみせたという点では、橋下さんはやはりそれなりにすごい人物 だし、決して侮ってはいけないと僕は思っています。重要なのは、橋下的な天下りの理念に対抗して、僕らの日々のみみっちい生活の積み重ねの中から出て くる理念をどうやって提起できるのか、そこにあると思う。

【津田】 こういう政党がこのあと何ものかになるんでしょうか。それともう一つは、橋下に象徴される、不安を持っている有権者に何らかの期待なりを抱 かせ、引き寄せた質のようなものは、維新に引き継がれていくのでしょうか。

【小沢】 統一地方選挙を見てて、候補者そんなんばっかりで。かならず参謀がおって、候補者募りますよね。ようするに使い捨てなんですよ。条件はイケ メンとイケ女。芸能プロダクションのやり方。そんな中で伸びる奴だけ伸びたらええ。あかんかったら次は何ぼでもおる。そのやり方がいつまで通用する か。
 私が思うのは、いま、どういう言葉を新しい政治として作っていくのか。それに全精力を注いだらええと思うんですよ。いま、どこの政党でもそうなんで す。共産党までそうなんです。
 ひとつ私たちが陥ってはいけないと思うのは、こんなことが起こるのはメガロポリスだけだということ。大阪は880万人と言いますが、全国から寄って きています。橋下がおろうがおるまいが、私が大きな都市に対して不満をもっていたのは、ここまで都市を大きくしてこれたのは、この人たちを働きに出し てくれた地域・地方があるからでしょ。そこを考えて施策を打つんでなければ、そんなの絶対あかん。
 私もすごく迷うところは、こんな都市部に寄って来た人は、地域の濃密な人とのつながりが嫌で出てきたんですよ。私もそう。私が生まれ落ちたところと いうのは、今日何を食べてるかまで全部わかって。私はそこから離れたかった。でも、この列島に住んでる人間は、その濃密さの中で育ったDNAみたいな のがあると思うから。だから、今回の東日本大震災の中で、あの濃密さがみんなを助けていくわけでしょ。それをヨーロッパの個人主義とかにとっぷり変え てしまっていいのかどうか、私はすごく悩むんです。
 議会活動で市民相談を受けていた時に、みんなで他人同士が手を携えて、自立して、距離をもって、どう連帯するのだという一方で、もたれ合って生きて いけばいいやんかという思いもあるんです。

【島】 たぶん、特に公明党のような地べたの活動をきめ細かくやっていくようなのも政治の極限みたいなものだと思うんだけれども、そういう政治に代わ る、もっと対抗的な政治のかたちというのはないのかなと思いますね。

【小沢】 政党でなくてもいいと思います。政党になったら、結局地方議員を増やし、その力で国会議員を増やしって、結局数の力になるでしょ。そんなも んじゃないでしょ。70年代は自民党のおっさんでも「少数意見を切り捨てるのか」と言うとひるんだ。今は数を取ればいい。そういうふうな政党でみんな 踊っていく。

【海勢頭】 維新を支持する若い人は老後のことを考えるよりは今のことに不安を抱えていて、毎日、不安だけが大きくなっていくんです。いま非正規の人 はずっと非正規でいる可能性のほうが高い。社会保障は当然ない可能性のほうが高い。なにかが変わると思うと維新に投票してしまう。社会保障を切り捨て る方向に向かって。現実を「ぶち壊してしまえ」というエネルギーが維新の支持に向かっているけれども、そのエネルギーはそこにしか向かえないのだろう か。市民派の運動の人はきれいなことは言うけれど、維新に不安の解消を求めている人たちの受け皿には絶対にならないんですよ。逆に毛嫌いされているく らいで。

【島】 ネット上の書き込みなんかをみていると、なんでリベラル派的な物言いが特に若い人たちの反発を買うのか、何となくわかるような気がします。そ れと対比して橋下さんはとても受けている。僕なんかでも、リベラル派の紋切り型の言葉を見ていると苦笑してしまうくらいですから、若い人の多くはもう ほとんど反発しているんじゃないかな。市民派、リベラル派は、もっと別の言葉を、人びとの日常的な生活感覚に触れるような、それでいて同時にそこを越 えて未来を展望させるような、新たな言葉を見つける必要があると思う。

〈橋下・維新の検証を〉

【海勢頭】 橋下には今すぐにでもやめてもらいたいんですけど、橋下はやってきたことの効果や成果をアピールするのが上手です。それを真に受ける人は 市民の約半数はいると思いますが、実際は負の側面の方が多いのではないでしょうか。本人はいっさい言わないこと、市政改革プランがどうなったのか、計 画倒れになったものにいくらかかったのか。橋下をそのままやめさせるのではなくて、検証した上でやめてもらう、そのままやめさせてはいけないのではな いでしょうか。維新が大阪府政で、大阪市政で何をしたのか、という検証が必要です。

【小沢】 府議会にいた時に、やりたかったけどできなかった。あそこのやり方は、次から次へと矛先を変えていくわけ。議会で採決が待っている。論戦を 張って行かないといけない。国際児童文学館はそのままだとか、いまだに万博協会に地代を払っているとか、WTCの検証もしていないし、そういう意味で は死屍累々。でもそんなことをやっている暇なんかなかったんですよ、あの3年間。最後まで全てに反対していたのは私一人ですよ。たった一人しかいない のに、全部の課題に意見を書いて反論していく。最後、議員報酬なんかも私以外みんな賛成で、一人ですよ。絶対検証やらないといけないですよ。

【海勢頭】 市政改革プランは市民の生活文化にかかわるものです。壊されたものとか削られたものは何か。道頓堀にプールを作ろうとして使ったお金の問 題とか。

【小沢】 それはおもしろいけどね、誰がやるかですよ。

【島】 既成政党がそれをやらないとしたら、それに代わる政治勢力が必要だということですよね。領域によってはほとんど焼け野原になったわけじゃない ですか。この責任を誰が取るのかと...。

【小沢】 橋下はええかっこして情報公開だけはやる。たとえば、国民健康保険会計が各大阪市町村どうなっているかとか。見て下さい、情報公開している でしょ、って。だから請求したら全部出ますよ。

【島】 橋下市政になって、大阪市は膨大な市有の土地を民間に売りに出しました。これについて、ちょっとだけ調べたことがあるのですが、たしかに、売 却リストは「公開」されてはいるのですが、その読み方がよくわからないんですよ。ある土地が誰にいくらで売却されて、そこが今では何になっているの か、といったことを丹念に調べていくことはとても大切なことで、それをやっていけば橋下市政が何を目指しているのかもわかるはずですが、残念なこと に、それはとても素人の手におえるような作業ではない。ある程度、専門家を入れてやらないと無理なのです。ましてや補助金の具体的な執行過程の検証と か、予算書や決算書を分析するとか。橋下にきちっと対抗していこうとすればこういう作業がぜひ必要なんだけど、市民運動レベルではそのための技量が決 定的に不足している。

【小沢】 なるほど。そこはやめた議員が協力しないといけませんね。

【島】 議員や市の職員や、専門家といった人びとを結集して、それらの人びとの協力を得て、具体的に橋下市政の「中味」を検証し、批判していく作業が ぜひとも必要だと思うのですが、果たしてこのような作業をいまの大阪の市民運動が組織できるかどうか。いずれにしても、もっぱら個別イシューへの取り 組みを中心にして組織されているさまざまの運動を横断的に繋いでいくことが重要ではないかと僕は思っています。

【海勢頭】 橋下のブレーンで、いまは辞めた人とか距離を置いている人とかにも加わってもらうというのは?

【津田】 それを呼び掛けて組織していくという主体が大事になるのではないですか。
 それでは、だいたいの論点が出されたと思いますので、今日のまとめというか、感じたことなど一言ずついただけたらと思います。

【小沢】 橋下現象研究会発行の「橋下現象徹底検証」に書かれている島先生の分析に賛成です。その中で主張しておられる未来を示す「ことばと理念」を 広範な人々と共同でどう創造していくかが今後の政治方針となると考えています。
 また海勢頭さんが言われた橋下行政の徹底検証はぜひやる必要があります。希望ですけれど、アソシ研が音頭取りをしてくれたらなと思います。
 今日はいろんな立場で異議申し立てをしてこられた方と間近でお話ができて、すごくうれしかった。イメージでごまかそうとする政治が横行する中で、小 さな力であっても多数の人達にごまかされてはダメだと訴えていく行動を続けることを前提にしたうえですけど、私は必ず勝つと信じています。一喜一憂す ることなく笑ってやっていこうよと思います。

【海勢頭】 大阪維新の登場から8年間、私にとっては長くて苦痛の時間でした。候補者として選挙を経験することになったのも、維新の登場がなければあ り得なかったと思います。私の選ばなかった政治家によって壊され、失われていくものを目の当たりに、8年前、その登場を許してしまった市民である私は 迂闊だった、とつくづく思います。
 小沢元府会議員から「いろんなこと見えてきたでしょう」と言われた通り、選挙の経験からほんとうにいろんなことがみえてきました。これまでの生活で はみることも、聞くことも、体験することもできなかった驚くべきことの連続でした。そうしたことを受け入れたり、慣れたりすることはないとは思います が・・・。
 「選挙のしきたり」というのは右から左まで変わりないですね。8年前の大阪維新の会の支持者はそうした「しきたり」を嫌った人びとだったのではない でしょうか。しかし、今や大阪維新の会という組織も支持者もそうした「しきたり」に染まり、党も議員も「既得権益」にしがみついているようにみえま す。今もメディアが新鮮なもののようにみせていますが、橋下という一人の人物を崇拝する古くさい組織だと思います。
 橋下さんが発する憎悪を背景にした言葉に、別の「物言い」を考えることが必要という島先生のご意見、小沢元府会議員の、空気をつかんで言葉とぴった りはまったときはいける、という経験談。選挙を闘うとき、言葉は大切なものです。と同時に言葉はとても軽いものだとも思いました。選挙でなくてもそう ですが。選挙前に小沢さんにお会いしたかったです。ありがとうございました。

【島】 今回の都構想を巡る一連の出来事は、いろいろな意味で、大阪における市民運動を始めとする社会運動の大きな転換点になる出来事だろうと思いま す。それがはたしてどの方向に向けて「転換」するのか、もちろんそれを現時点で見通すことはできませんが、少なくともこれまでのどこか予定調和的な市 民運動、たとえば市民と行政の協働だとか市民の政治参加といった「牧歌的な」運動は、もはやその有効性を失ってしまったということだけは確かだと思い ます。今回の出来事を通じて、僕らは、大阪という都市の内部にはきわめて大きな分裂と対立が存在するということを確認しました。もう一方で、きわめて 皮肉なことですが、橋下維新は、これまで長い間、こうした分裂と対立を覆い隠してきた大阪の「由緒ある」統治システムがもはや完全に機能不全に陥って いるということを暴き出してくれました。その結果、きわめて乱暴な言い方をすれば、大阪はあからさまな闘争、もっと言えば階級闘争の局面に突入したの ではないか、少なくとも突入しつつあるのではないか、そのように僕は考えています。そして、橋下=安倍ラインによるファッショ的な社会の再編成の目論 みもはっきりしてきたいま、これまでの社会運動はもはや無効になったと思います。そうだとすれば、この厳しい対立状況にあって、僕らはどのようにして 新たな対抗的な運動を「下から」構築することができるのか、そのことが問われているのだと考えています。

【津田】 ありがとうございました。

200×40バナー
©2002-2019 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.