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震 災・原発事故から4年

福島における農業の現場はいま

− 福島座談会 −

 
 東日本大震災・東京電力福島第一 原発事故から4年が経過し、復興に向けた取り組みがおこなわれているが、様々な問題も指摘されている。とりわけ放射能汚染の影響を深く受けざ るをえない農業の現場で、いまどういう現実が進行しているのか。現場で格闘しておられる三者をお招きして問題点を探る座談会を行った。
 出席は、福島県有機農業ネットワークの菅野正寿さん、震災以降積極的に発言をしてこられた米農家の中村和夫さん、日本有機農業研究会副理事 長で「魚住農園」の魚住道郎さんの三氏。司会は当研究所の津田道夫。常総生協の大石副理事長にも立ち会い、写真撮影のご協力をいただいた。以 下、当日の模様を報告す る。             (文責は当研究所)

 

福島の農業の現場から

【津田】 原発事故から4年が たって、福島の農業の現場でいまいったいどんなことが起こっているのか、何が変わったのか、何が変わらないのか。できるだけ農業の現場に近い所でいま どういう現実が進行しているのかという話をお聞かせいただいて、それに対して、どんなふうに考えていけるのか少しでもつながっていけたらいいなと考え ています。

【菅野】 二本松市の東和地域で米が2.8 ヘクタール、トマトや大根や雑穀などが2ヘクタール。冬場はもち加工と仕出し弁当の複合経営です。震災の年は3割の顧客が減少しました。4年経って、 まだ2割近くは戻っていない部分もあります。
 震災の直後から、私どもの地域では、長く地域づくりにとりくんできたので、いちはやく支援が入って、放射能の空間線量測定が4月から始められまし た。農産物の測定も8月から始めることができました。そういう意味では民間の団体としては比較的早く支援が入って測定することができましたから、夏野 菜のじゃがいも、トマト、きゅうりもどんどん測定が始まりました。有機農業学会の先生たちも9月から本格的に支援に取り組んでくれて、土壌の測定、わ ら、もみがら、大豆、なども調査が始まりました。見えない放射能の見える化といいますか、あ、これなら食べられそうだという、目に見える形で測定でき ると、少しは前向きになれた大きな検証だったと思います。
 ただ一年目、二年目も、「やっぱり土地は汚染されているんでしょ」と言われた。私の土地は3000、4000ベクレルありましたから、とんでもない という消費者の声もありました。ただ、二年目から福島県の米の全袋検査が始まって、2012年は1300万袋。99.8%が20ベクレル以下だったん ですね。これはやっぱり農家にとって大きな力になりました。去年は99.99%が10ベクレル、検出限界以下ということで、米にそれほど移行しないと いうことが証明されて、更に前向きになりました。
 ただ残念ながら、二本松市はタケノコ、ワラビ、ゼンマイなどの山菜は出荷制限が今もあります。山の汚染は深刻だということはいまも変わらないし、山 の除染は手つかずです。そういう意味では、福島県は大丈夫ですよ、検査してますよ、米、野菜はかなりの部分ほとんど不検出ですって発信は出ています が、山の汚染は予想以上に深刻です。当然原木しいたけはだめだし、川魚もまだまだ出荷制限があります。
 山をどうするのか。炭焼きとか、薪ストーブとか、どうなんだっていう、そこの検証をもっともっと農水省が前面に出て農地、水、山の調査をすべきで す。今、そういう施策の政府主体は全部環境省なんですね。農水省の視点がない。環境省は空間線量を下げるための調査。農業を続けるという視点の調査が 必要。今の農地除染は問題が多いと思っています。除染作業の結果、黒いバッグが一等地の農地に山積みです。これで帰還しましょうって不可能です。
 両面ですよね。厳しい部分と、ここはいけるっていう部分、希望の部分と。交錯しているという状況。そこが伝わらないのは難しいところだと痛感しま す。そういうなかで新しい販路を開拓していかないといけない。4年経つとみなさん別の産地から買っているわけで、それをもう一回福島産に戻していくの は時間とコミュニケーションの労力がかかります。私はもうここで腹を据えて、新しい関係をつなぐことが大事だと思います。いまそんな状況で、今年も例 年通り米野菜を作っています。

【中村】 私は福島県郡山市で稲作を中心に やってきました。東和の方は最初から線量が高いってことで、いろんな研究機関も入っていましたが、郡山では動きはおそいものでした。当初、事故があっ た直後、おれの長年のお客さんの一人から、一週間後に電話が入って「米はいいからって」。お客さんに、事故以前の米ですよって言ったんですが、はて、 去年の米(2010年産)がなぜダメなのかと、正直ギクッとしたんです。そしたら、その電話一件だけでした。今になってそれなりに行政も郡山市が対応 できるようになったけど、当時は対応が全然できてなくて、うちらはうちらなりに自分らでやるしかねえって、自分らで対応してきました。
 確か菅直人の名前で作るのは待っていろってお触れが出て、4月になって耕作可能ってなってその年は種まいて。農産物直売所は、ずっとここにくるまで ほとんど売上半分以下で、ずっと低迷してて、一時、閉めるかってところまで追い込まれて。今年1月の決算で半分よりちょっと上にいったかなぁってくら いまで回復しました。
 地元で売れないからって東京のほうにも出張販売をしました。去年は5回。でも依然として、あんたらどっから来た?福島っていうと、買おうとしていて も、福島って応えただけで買ってもらえないということがある。郡山って言うと買ってもらえたりすると、福島って言葉を聞いただけでだめなのかなぁっ て。依然として首都圏の人たちは福島ってだけで敬遠する傾向が、いまだにおれが見た限りでは変わっていない。福島原発が大熊原発だったら違ったのか なぁと思ったりします。なんともしょうがねえ。
 おれらは自然界の資材を集めて米づくりをやって来たから、それがいまだにはっきりしたゴーサインが出ていません。有機資材の特に野草や藁やなんかは 発酵が進むと容積が小さくなって、汚染が濃縮されてえらい数字になってしまう。酪農家のひとも依然として、場所によりけりとは言え、今までの採草地は まだすっきりした気分では使っていないみたいで、除染はしたけれども、深耕してもらって、知ってる酪農家も測ってみてからの相談だ、って言っている。
 地元産野菜のスーパーの直売の売り場面積がどんどん小さくなっちゃって、なくなってしまうんじゃないかと心配しました。今は元に戻ってきましたが、 その当時は3分の1、4分の1というスペースしかなくなっていました。やっぱり売れないからか。風評被害というよりは、うちのほうは実害があるわけだ けどね。だからその辺も、県外の人にどういうふうに発信していって、前のように理解してもらえるかなぁと心配しながら今年もやっています。
 米に関しては、県では全量検査って言うけど、うちらのほうは今年は1321袋、検査場に自分で運んだんです。運賃は出すって行政はいうけど、保管し て、運んでとなると半端でない。お金の問題ではねぇもんな。でもそれをちゃんとやり続けることが、福島県のお米は大丈夫という原点であれば、致し方な いのかなあと。
 そういう中で今後ほんとに、どうしたら福島県の農産物が前と同じく抵抗なくやってもらえるのかなぁって。いろんな努力しているのが、よその人には見 えないだろうけれどもね。市役所のほうでもいろんな専門の対応をするようになって、やっと農地の除染がうちの方にもきたんだけれども。「なんだ今ご ろって」思うけれども、やらないよりはいいのかなって。それより、除染よりは元を封じ込めてやってもらわねぇと、元の木阿弥になってしまう。できな いって言ってないで、やってもらわないと困る。いちばん切に願うのはそれだ。元を断ち切ってもらうしか。

【魚住】 私は茨城県石岡市で有機農業を やって来ました。私のところも直後の山林の落葉は2000とか3000べクレルくらいありました。手つかずのところは今もそのレベルを維持しているの かもしれません。
 事故後、数日間は、うちの電気も消えて、「これで魚住農園も終わりかな」と思うような状況でした。14日に畑の野菜を収穫して、いままで世話になっ た会員の人に、とにかく今までお世話になった人にお礼ということで配って歩いて。15日の晩には息子は和歌山のほうに避難しました。これで家族もバラ バラになるのかなと思って。私とカミサンとはニワトリの世話があったから、腹を決めて鶏と運命を共にして、しばらく放射能をかぶりながらやっていくか と、親子の中でも覚悟を迫られるようなところがあって。ああ、原発というのはこういうことまで迫ってくるのかなという、そんな感じでした。
 うちの場合はほとんどの農作物は直売所にも出さない、農協にも出さない。ほとんどは消費者に、ないしは保育園に提携というスタイルで、直接とっても らっていました。いちばんネックになったのは保育園の子育て中のお母さんや妊娠中のお母さん方が取ってくれるのかなということでした。それと、千葉県 松戸の消費者グループがどうなっていくのかなということと、私も食べてどうなるのかという不安があって、迫られたんだけれども、どうするもこうするも 方法が見当たらないから、とりあえずは今まで通りの農業生産を、国はやってはならないという耕作禁止にはなっていない地域でしたから、自分から断念す るよりはまずやってみて、検査に出してみようと決めたわけです。特に堆肥を使う、有機物を使うような農法ですから、みなさんに迷惑をかけるようなら、 茨城での農業は断念せざるを得ないのかなと思っていました。
 その当時、新聞記事の中に、土中にある腐植がセシウムの放射能を吸着すると出ていましたので、これはわれわれの農法がピタリだと。じゃあこれに期待 をかけて、今まで通りのことを変更なくやってみて、吸着能力があって、逆に移行させにくい力として働いてくれるなら、これは大いに活用して、逆にその 力を検証する機会になるかなと、生産を断念することなくやり続けて来ました。
 5月だったかな、有機農業の関係者が福島県三春町に集まりました。周辺の茨城、栃木、福島、宮城の生産者、消費者が集まって検討会議をやりました。 そのときにすでに須賀川の有機農家の人でキャベツを何千個もつくったのが放射能でだめになって、ショックで命を絶たれた生産者の方がおられたことを聞 いておりました。われわれとしては生産者として作っていいのか、いけないのか、岐路に立たされたわけです。だけど、先ほどの話のように腐植に力がある のなら、ぼくらが百姓として生きていく、消費者に安全な農作物を届けていくために腐植がブロックしてくれる作用を願って検証できればいいなと思って取 り組んできました。その仮説をもとに消費者とも話をして、そうしたら松戸の有機の会の人たちも支持をしてくれた。
 常総生協の大石さんたちが、7月か8月の段階で、ヨウ化ナトリウムのシンチレータを入れてくれて、魚住さんのも実験的に調べていくから、土壌から作 物から全部よこせって積極的に取り組んでくれたおかげで、意外と移行しないんだ、ということがわかってきました。30ベクレルくらいが検出限界値だっ たと思いますが、不検出。これは行けるかもしれないと望みが出てきた。
 その翌年の3月くらいまでにゲルマニウム半導体の機器を入れてくれて、作物の汚染のレベルをみてもらうとひとケタないし2ケタ。これは生産者が離れ ないで生産し続けられる状況があるんだなあと。今日ではゲルマニウムの0.5ベクレル前後の検査限界でやっても出てこないような状況に来ていますか ら、こういうので証明されて、福島のものであれ茨城のものであれ、その透明性が消費者に説得力を示すことになる。拒否反応ではなくて、土壌は確かに高 いかもしれないけど、農産物そのものからは放射線はこのレベルしか出てきませんよということなら。消費者だって根拠のない敬遠は差別そのものになって いくから、逆に切り込んでいくべきだと思っております。
 常総生協の検査機器を日本有機農業研究会にも共同利用させていただいて、共同検査室ということでやっていけないかと提案したところ、大石さんや理事 長の村井さんも快く賛同いただいて。地域の生協、有機農業で生きていこうという仲間たち、消費者も含めて、その命の支えを常総生協が受け皿をちゃんと 作ってくれたというのは非常に大きい。いいも悪いも洗いざらい公開していいですよということで、非常に安い検査料でやって頂いて。通年、土壌の検査も やっています。
 こういうことをしながら百姓が消費者に何が起きているのかを科学的な数値も含めて、メカニズムもある程度、こうなっているんだということで説明して いったところ、かなり消費者の不安はだんだん解消されていきました。有機農業って、すごい力があるんじゃないか、ということを感じました。
 火山の噴火は止められないけれども、原発は止められる。止められるものは止めたらいいというふうに私は思うようになりました。生産者は、ただ買って ほしいじゃなくて、消費者も命の基盤である森と里と海が汚染され、ないしはひどい破壊を受けて、生活圏まで破壊を受けた。それを壊したのは原発という 単なる発電システム。そういうのに依存しない社会をつくっていくべきじゃないかなという結論に至りました。消費者にもそれを強く提案しています。

消費者の反応が投げかけるもの


【津田】 ぼく達は関西の消費者を対象にした食品の流通組織 の1つですが、関西の消費者の中にも放射能汚染については、やはり数値で安全性をとらえられないというか、とらえないというか、そういう考え方があり ます。原発事故によって放射能が自然界にまきちらされたという結果に対して、特に若い、これから子どもを育てていこうとするお母さんの中には、数値が いくらだとかということとは無関係に、やはりそういう地域で生産された農産物は避けたい、そこで生産している農家に対して拒否感があるのとは全く違っ て、そういう感覚があるのは事実ですよね。そのあたり、汚染が現実に起こった地域でこれから農業を続けようとしているみなさんからすると、都会の消費 者、生活者とのコミュニケーションはどういう風に考えられますか。
 国は何べクレル以下だから安全ですよときわめて安易にいうけれども、現実はそのようには動いていないというのが実態で。関西よつ葉連絡会でも郡山市 の中村さんのお米をなぜわざわざ企画するのかと問われる構造がやはりあります。これだけ自然界の中で放射能が拡散しているという現実の中で、それが汚 染を拡大する企てだというのは極端すぎる意見になっているとは思うのですが…。

【菅野】 要するに数値よりも 産地ですよね。福島や関東は汚染されたという4年前の衝撃は今でも引きずっていると思います。それは福島の農家だけではどうしようもない。マスコミで 次から次に汚染水が出ました、ということがバーッと出れば、また福島は汚染というイメージで汚染される。その繰り返しですね。
 福島のお母さん方も、国とか県の情報は信じられないと強く思っています。それは当然ですよね。情報を隠して来ているわけですから。だから何を信じる のかとなると、顔が見える、菅野さんとか、中村さん、ああこういう人たちがこういう思いでこういう数値で、と対話をして初めてわかりました、ってなる わけですよね。
 ここの福島の現状、情報を伝えるだけではとても伝わらないもどかしさとか、マスコミの在り方もそうですけれども。これは時間がかかると思います。

【中村】 うちらも県や国の情 報は信じられないってところで、みんなそう思っているのは間違いない。うちの場合は孫がいるんだわね。そんで、バッジ付けて、被ばくの数字出したや つ。それがちゃんとした封筒に入ってきて、立ち会った医者の名前が伏字にして出してある。測定した医師の名前が伏字にしてある。ということは、誰も責 任を持ちませんよ、ということ。そういうことからしても、前は500ベクレルだったのが100べクレルに規制基準が変わった時、その根拠もお客様に説 明する必要があるからと言って問い合わせしたが、県からはなんの返事も来ないし、不信だらけ。
 安全だという数字というのはそれぞれが持ち合わせているものだから、そういうのは説明会に行ってうんうんと聞いて知ってはいるんだけど、いざとなっ たら、福島でないのがあるんだったらって。おれも裏を返せば、孫がいたらそうなるかなって。立場が逆だったらそういうふうになるのかなあって思いつ つ、今までやってきました。自宅も空間線量を自分で測ると甘くなっちゃうから、1年に一回はちゃんとした人に測ってもらって。ある意味では人体実験の ような感じでいいのかなぁという思いで、心配は常にあります。
 国県の基準以下といっても50〜60ベクレルの米なんて誰も買いませんよね。毎日食べる主食である米、野菜と、年に一回や二回の山菜とか特産物とが 同じ基準だというのはおかしいですよ。乾燥物もそうですよね。お米と同じ100っていうのはおかしい。そこはもっと福島に基づいた数値を見直して。 ちゃんと情報を流すという努力をしないといけないよね。

【津田】 有機農業はぼくの理 解では、都会の消費者と単に農産物の売り買いという以上の関係を積み重ねて、農産物のやりとりをしていこうとやって来たと思います。そういうなかで今 回の福島の事故が起こったことが、関係づくりの在り方にどんな問題を投げかけたのか。どこらへんで価値とか大切さみたいなものが見えて来たのか。逆 に、大切だと思ってきたけれども案外いい加減なものだったとかそういうところはどうですか。

【魚住】 ひとつは、有機農業運動が安全な農産物を売り買いす るための運動だった人と、もうひとつ前に進んで、世直し的というか、消費者と生産者との共同作業で農園(=農縁)を作っていくという立場に立った人 と。単に安全なものを売る、手に入れるというレベルでは、ほんとうの有機農業運動の楽しさとか真髄とかに到達していないですよ。安全な農産物を手に入 れたいという人たちに対して、消費者運動ないし有機農業運動のなかからも、放射能に汚染されたものは一切口にすべきでないとあおってしまった人たちが いる。そうした対応全部を否定はしないけれども、安全かどうかだけの指標でしか有機農業をみていなかった。
 数値は一つの安心材料としてあったらいい。何もしないで目隠しして見えなくして、観念だけでいうわけにはいかないと言っているんであって、数値がい ろいろ飛びかう中で、それでも福島産、茨城産は食べるべきではないという人も生まれた。
 そこで、もう一回、有機農業運動はなんだったんだという、土台からいかにしていくのかというところを作り直さないといけない。近年私は、有機農業運 動とは自給農園(=農縁)運動だと考えています。生産者にとって、消費者があっての農園であるからいいものを作らないといけない使命を帯びるのは当然 であって、でもそれは消費者に買ってほしいから作るんではなくて、いっしょに耕すために農民も消費者に農地を開放するし、そこが放射能で汚染されよう が、農薬が流れてこようが、そこで農園(=農縁)を作ってしまった人間関係の協同がそこにあるわけだから、そこで何とかしようという立場に双方が立た ない限りは、やっぱり買う人、作る人にわかれちゃう。そこが根幹から揺さぶられた。
 この近代化した社会の中で僕らが、もともと農家の一人だった人が都会に労働者として流れて行って、市民生活をするようになって、街なかが労働者があ ふれかえったのが戦後から今日だったわけじゃないですか。でもみんな都市生活の中で病んじゃったわけですよ。病みながらも原発の電気でこれまでなんと かやってきて、近代化を謳歌してきた矢先に、食べ物まで汚染されてきたという、ある意味滑稽な近代社会の現象が起きてしまっていて、それなら滑稽と言 われない地道な拠点づくりを生産者といっしょに、森に海に里に労働者を呼び戻して、自分たちの生活領域がこうなっているんだということをつぶさに知っ てもらって、耕してつくりなおして、森も農地も海もつくりなおしてという運動をやったらいいんじゃないか。それは都会の消費者の協力なしにはできな い。売り買いの関係ではできない。あなたたちの大事な命をここの地で、流域で作るんですよ、というスケールのでかい提案をしていかないと。
 10ベクレルだと食えないとか、0.5でも食えないとか、ご都合主義な都市文明だったわけじゃないですか。福島で被害が出ても、東京では被害が出な い。風下の遠方に原発を作って、送電して、そこに市民が群がっているわけ。その市民の中に健康な野菜を食べたいという人が出てくるのは僕らも助かるん だけど、この歪んだ近代社会の中の歪んだ結果が今回の問題であるならば、原発のない社会をつくるために、もう一回、農薬のない、放射能のない農地をど う作り上げていけるのか、みんなで考える拠点、現場に市民が戻ってくる運動にしないと。

農家と消費者が結びつくために


【津田】 原発事故が起こったことによって、農村と都市、農 民と消費者との関係が揺さぶられた。本質的に大きな、基礎に隠れている問題が少し見えたのに、それがだんだん時間がたつことによって、それを変えるこ とではなくて、元の状態に戻すということだという方向に動き出しているように思えます。これだけ多くの人たちの人生や生活を破壊しちゃったのに、あま りに芸がなさすぎる。
 ただそういう方向に、福島の農家の人もそういうことを自覚して、自分たちの取り組みのある意味での不十分さや至らなさをもう少しいいものに変えてい こうという格好で進んでいるのかどうか。
 ぼくらの側から言うと、消費者の組織化を通じて都会のゆがみ、無農薬で安全なもの、きれいで安いものがほしいという身勝手な要求である意味組織され ていたような都会の消費者運動が、あの原発事故と放射能汚染で揺さぶられて、そんな関係で本当の生活が作れているのか。すごくそのことにたいして考え 始めた人もいたと思うんだけど、そこらへんが4年経って、どう落ち着こうとしているのか。
 農家の側から見ても販売量が落ち込んで、福島産というだけで今でも手が伸びてこないという現状、これを乗り越えていくためには、原発事故以前に積み 重ねてきた取り組みを、もう一歩前に進めるために、どんなことが大切になってきているのでしょうか。
【中村】 うちの場合だと、私の田んぼにどういう作り方をしているのかと疑問を持って、訪ねてきた人だけが今残っているんですよ。裏を返せば、時間を かけても、いままでのお客さんをたずね回って歩き、理解してもらおうかと考えている。単なる手紙のやり取りとか写真のやり取りだけでなく、面と向かっ て話したらばもっと理解してもらえるかなぁと。やっぱりこっちから、丁寧に回って歩いたほうが。一回離れた人はなかなか戻ってこないにしても。それを やらないと進展が見えないし。

【菅野】 有機農研の会員であ る南相馬市小高区の根本洸一さんが、仮設住宅から毎日一人で通って、事故の後も野菜を作っています。周りが草だらけだから、やっと整備されてきました けれども。試験田で無農薬の米を作った。その田んぼでトンボが飛んだんだよね。それは感動だったね。
 3・11は私たちに何を教えたのか。産直提携の在り方、お互いを支え合う、生産者は消費者の台所を支える、消費者は生産者を顔の見える関係で支える というそうだったんだけれども、本当ならば心寄り添うべき消費者が離れたということは、もう一度産直とは、提携とは何なのか、議論をして意識を共有す ることが大事だと思う。
 農家はただ単に付加価値をつけるための有機農業ではない。消費者は自分だけ安全なものを食べて生活すればいいというものではない。農家のバックボー ンの里山の風景とか、田んぼ、山、日本の農業を守るという視点を消費者はもう一度持ってほしい。それが食べ物を、暮らしを守るということにつながって いる。日本の農業を守っていかないと、私たちの国は、というところ。そこをもう一度議論をしていくことが大事だと思う。そうしたことを消費者団体も有 機農業団体も考え直すことが必要なんじゃないか。
 昨年から米価が大暴落しています。私の集落でも米づくりをやめたいという農家が増えているんですよ。このままいくと、米がなくなるという事態が来る んじゃないか、何かが起こった時に。これは消費者の問題です。自給率が何%というのは。農業を守るということが暮らしとエネルギーを守るということに つながると思います。第一次産業をいましっかりと市民団体、生協、流通団体も含めて、基盤を作っていくということが大事だよという議論を発信していく ことの必要さを強く感じています。

【津田】 生産者の側からは 買ってもらっている相手に「物売りだけでやってんじゃねえぞ」となかなか言えないところがありますよね。
【菅野】「買ってもらっている」という関係ではね。生産者も意識を変えないといけないと思います。消費者に媚を売るんじゃなくて、こういうことで、自 分たちの取り組みは、次代のためにいのちを支えていかないといけない、その準備をしていると。そのことをやるんだから、われわれが今めげて、挫折する わけにはいかないというふうに消費者にも伝えていきたい。

【津田】 食べ物の安全性に強い意識を持っ て、生産者にもそれを要求していた流通組織が、福島産は自分たちのお客さんから買ってもらえないからと、農産物の産地を西へ西へと移しているという動 きはものすごくあります。それをどうするのかを考えないと。
【中村】 曲がりなりにもいろいろな話を聞ける人はいいけれども、そうではない人が大半なわけだから、問題はそういう人たちによく理解してもらうため にはどうしたらいいか。いかに発信していくかが大きな課題だと思います。
 自分なりにお客さんを、いままで袋でただ送ってたけど、今は文章を書いて、実はこうなんだ、ああなんだという機会が多くなりました。ちょっとでも理 解してもらうべと思って。いままでは数さえ合わせればいいと思ってやってきたけど、時間のある時はなるべく書いて、パソコンは使えないけれども、今ま でやったことないんだけれども、そういうことでもつながっていけたらなぁ、理解してもらったらなぁと思ってやっています。

【魚住】 松戸の市民団体なん ですけど、被災者支援千葉西部ネットワークっていうのがあって、2011年6月から茨城産の野菜を南相馬の学校給食に送っているんです。その野菜は実 はうちの野菜で、西部ネットが買い上げて、それを送ってくれているんです。その資金をねん出するのに講演会をやったりオークションをやったりしていま す。
 実は、私の野菜と、福島県有機農業ネットワークの二本松の大内さんの野菜の汚染のレベルは同じですよ。南相馬の人がやはり地元産のは避けたいという 人と、いいよという人と分かれている。地元産をちゃんと食べることで、ぼくはだんだんに南相馬が自立できると思っているんだけど、まだそうでない自立 への過渡期に、どういう支援があるのか、孤立しないで支えられるのか、つながりを作っていけるのかが重要だと思っています。
 菅野さんや中村さんたちの、地元で採れたものが地元で理解されて気持ちよく消費される日が来るまで、それを目標に、どうつくり続けていくのか。野菜 の汚染レベルはほとんど一緒だけども、農地の汚染レベルは茨城より10倍くらい高いです。日本有機農研は、じゃあ援農に行って、現地の生産者が被ばく する時間を少しでも短くしようということをやるんです。これを日常的に、農家だけに生産を委ねるんじゃなくて、そこに市民なり遠方の生産者が訪ねて、 少しでも作業のシェアをする。そういうなかでバラバラになっちゃた関係が、行動することによって、だんだんこわばった緊張感が解きほぐれて、新しい活 力が出てくれば。
 中村さんの手紙を読んだ時に、中村さんはこういう人なんだねという実感が持てて、じゃあ、中村さんの畑に行ってみようというふうになって、いっしょ に作業ができるようになれば。土着という言葉がいいか悪いかは別にして、ぼくらは土着なわけですよ。土着の喜びを消費者にも還元してあげなきゃいけな い。土つきの、そのことが精神健康上、いかに大事かという。そこに腐植があって、彼らがブロックしてくれて、命を宿してくれる腐植。それなのに、土は いらない、コンクリートがアスファルトがいいという暮らしをしている彼らに、いかに生産現場の人が、放射能があろうが農薬があろうが、土のあるところ が現場だよという話をしていきたい。

【津田】 福島県の消費者運動 が、福島の農産物をもっと大切にして、みんなで食べて育てようという動きは出てこないですか。

【中村】 原発反対運動ばっか りで、とても聞いたことはないな

【菅野】 東和の保育所では福 島産は使わないという状況です。小学校中学校の学校給食は一部使い始めていますけど。それは保護者の拒否反応があるのが現実。地元のお母さんにして は、そうでなくとも外部被ばくを受けたから、これ以上内部被ばくを受けたくないという心情が働いている。数字の問題じゃなくてね。そこをいかに地産地 消、地域の中でしくみをどう作るかという段階が来ているんだと思う。そういうときに地元の生協とか消費者団体、農家がきちんとしたテーブルで、復興の 在り方を議論する場所がない。
 政府が進める復興プランは、なんか、パナソニックが植物工場を作る、吉野家が工場を作る、大手企業がどんどん入ってくるような復興なんですよ。雇用 を生み出すという目的で、これが大問題です。安倍政権が農地法を改悪して農民から農地を買い上げて、企業が使いやすいように。彼らの手によって農地、 森里海が放射能で汚染されて、今度は植物工場だって。これはあまりに出鱈目ですよ。農業を大地にはってやるんならいいけれども、そうじゃなくて建物を 建てて、ふんだんに電気を使って、おかしいでしょう。

【津田】 福島に植物工場を 作っていくというのはそういう意味なんですか。福島県の土で農産物を作るということが、都会で消費者から拒否されているから、工場で作るんだという。

【菅野】 土で作っていません から安全ですよ、というイメージと、そこに企業が入ってきて、そこに復興補助金が出て。安倍政権の経済が大事だという流れだよね。

【中村】 郡山市の農業セン ターがあるんだけど、郡山市の惣菜屋が来ると聞いていたが、東京の大手の三菱商事とかがワイン工場を作る話がある。いま言う雇用創出みたいな感じで。 おそらく福島県中のブドウを集めたって間に合わない規模じゃないかな。だから、言葉では復興支援と言ってても、実際は違った意味があるんじゃないかと 思ってみています。うちの集落よりずっと山の方に入ったところだから。市の土地です。

【津田】 行政もそれに協力し て、国からの予算がバーンと出て、そこに企業が入って。それが植物工場だって、ほんとに笑えない話。

【魚住】 そういうところに何 億っていう予算が下りてますから。ふざけんなですよ。大規模。企業化。土からかい離した様な農作物を食べさせる方がはるかに歪んでますよ。
 ぼくらが目指している小農的な家族農業の、豊かな、多くの人たちが村にとどまれて、小家畜、大家畜がそこそこいるような農村のイメージを残したいな と思うんだけど、それとはまったく違う現実が津波のように押し寄せていますよ。震災後のアベノミクスの中で。

【菅野】 もういちど、日本の 農業の在り方を、ちゃんと対抗できる形で提案を出さないとだめです。つまり身の丈に合った技術。家族農業とか、地域が支え合ってきたからこそ里山を守 れてきた。そういう本来の農業の在り方をどうやって地域に作っていくか。

協同組合のあり方を求めて

【津田】 農協はそういう流れの中でどうい う位置ですか。

【菅野】 発信力が弱い。農協 改悪の中でもしっかり農業を守るという対抗軸を示せないことが残念です。

【津田】 ぼくが聞いた話で は、福島の農協は原発事故以降、すごく補助金で農協自体で収益が上がっているということのようですが、本当なのでしょうか。

【菅野】 かなりの寄付と損害 賠償が入っています。でも、ほんとの復興をどうするかとか、学校給食をどうするかとか、正面切って向かっていなくて、農協を守るための農協になってし まい、放射能汚染の福島をどう復興させていくのか、発信力が弱い。むしろ大型合併のための農協になってしまっている。

【中村】 農家からしたらます ます農家の意に反して違う方に行ってしまっている。JAスタンドはなくなったし、みんな合理化一辺倒。まさに今の政治のやっていることにのっていると いう感じだよね。

【魚住】 農協がいまは金融だ 保険だとなっていって、農協は協同組合という名前はついているけど、実態は協同組合的じゃないよね。それよりは、今この問題を一般市民に対して問題提 起できるとしたら、生活協同組合なんじゃないですかね。その受け皿としての生活協同組合があれば、生産の方にも大きく関与できるし、貢献できる。消費 者を生産地に連れて来れる素地があるのは生活協同組合なんですよ。そういう市民組織が現場の人間とどういうおもしろい支え合いの社会を作れるか、これ をチャレンジしてみましょうよという提案をしてくれたらね。

【菅野】 福島の農家が今どう なっているのって、農協はどうなっているのって聞かれるんです。農協は敵ではない。じいちゃんばあちゃんが種ひとつ買いに行く、資材を買いに行く、醤 油を買いに行く、農協の仕組みは世界に冠たるすばらしい仕組みだと思うんですよ。本来の農協が力を発揮してくれたら、地域を守るために測定器を置い て、ちゃんとした復興をしましょうってやってくれたら。ところが4年間、して来なかった。そこをもう一度問われている。

【中村】 なんぼくそみそに 言ったって、農協がなくなったらだめだって農家はみんな思ってる。農協、もっとしっかりやってくれよって。でも、農協役員に農家の声を吸い上げる機会 がなくなっちゃってるんだよね。そこが誤りの一つなんだ。うちらも残念だけど農協に何も売ってないし、何も買ってない。前からうちらから農協に言うの が正直、面倒になっていった。ここまで来たら農協に何か言うより、自分でやったほうがいいかなって。
 前は農家が農協から離れたって言われていたけど、今は農家から農協が離れている。離れ方が違う。だけど、農協なんとか、農家の目線に立った活動をし てくれないか、というのが正直な願いです。受け身であったら農協はほとんど縁がない。まして今度、順調にいけば来年3月で福島県下のJAは16農協が 4つに合併するわけさ。合併になったらまた疎遠になるし。

【津田】 さっき菅野さんが言 われた、農村の本当の復興の姿っていうものを、家族農で、地域で生活と農業生産が一体の、集落で共同して、地域の土地も守り、生産も守り、生活も協同 していくっていう、日本の農村の本来ある形に戻していかないと。全部つぶして平地にして、そこに大きな企業が政府の予算で工場を作っていくというよう な復興じゃあだめだと思います。それを何とか提案していく運動を作らないと。

【菅野】1960年代までは、 商店街に鍛冶屋があったように、地域経済が農村と商店街が連携して循環していた。農家が豆腐屋に豆を持って行ったり。60年代に戻れとは言わないけれ ども、地域を作り直す。全部大手メーカーにもっていかれている。もういちど、醤油もお酒も、豆腐も、薪も炭も地域で循環していく。そういう仕組みを作 り直して、新しい復興の在り方を我々有機農業陣営も提案していくことが大事かなって思います。

【魚住】 そこは非常に難しい 側面があって、それを推進するために地域の中に慣行栽培と有機栽培とがあって、地域の中では有機栽培はひとにぎりですよね、実態としてね。私の小さな 集落では私だけです。ここの中で対立が起きないように進めないといけない。
 かつて米で食えた時代は農協がしっかり集荷業をしながら、みんなが農協を基盤にしながら地域の農村集落を形成できていた。だんだん米が自由化され て、ますます海外から安いコメが入ってくるようになって、今年からコメをやめるという農家がうちの集落でも出てきています。そんななかに、有機農業も 慣行栽培も生き残っていけるように、とりあえずね。その部分の中で、どういう取り組みができているか。私は、生協と農協が受け皿としての役割があると 思う。受け皿としてそうとうにでかくないと。私も消費者と付き合いあるけど、それだって簡単にできたわけじゃなくて、生協のような広報力があって、地 域に根差している生協が、地域の課題について生協が農協に、いまの農村の崩壊を、今後どういう地域づくりをしていけるのか、有機で立て直していくの か、農村の崩壊を食い止めるにはどうしたらいいのか、消費者の理解と支えがなければ無理なわけですよね。地域全体に消費者を呼び込めるように、慣行も 有機もかなり入り組んだ取り組みが必要かなと思います。
 もちろん有機陣営は自分たちの等身大の呼びかけをしますけれども、まだまだ復興の在り方に提言するまでの力量はできていないし、あまりに微弱すぎる と思うんで。しかしこの期に及んでますます農村破壊が進められるんでは、食い止めないといけないし。そこのところを、除染も含めて、みんなが残ってい けるようなムラづくりに。それは県境を越えて茨城も似たりよったりだと思うんですよ。やっぱり時間の問題で、原発災害がなくても、この近代合理主義の 中で勝手に崩落して来た矢先のところですから。
 有機農家と地域の慣行農業ともう少し力を合わせるという考え方で行けば、放射能に汚染された福島だからこそ、環境保全型の農業をしっかりと主軸に据 えて農業をやりましょうと言えるわけです。環境に優しいということは、将来的に有機を目指すという人も含めて、しっかりとした顔の見える関係を届ける 仕組みを作るという。地域づくりということでいうと、農法だけでなくて、エネルギーもやっぱり、里山も使って、落ち葉も使って、地域資源を使った地場 産業を興していくような、そういう身の丈に合った地域づくり、村づくりを考えた、環境保全型農業、農村を再興しましょうというメッセージをみんなで作 り上げていく必要があるという気がしています。そういうことなら生協なんかの消費者団体にも届くんじゃないか。

【津田】 福島県下の生協って どこが大きいのですか

【菅野】 残念ながらコープ福 島が大規模な店舗展開をして、借金だらけになって、財政再建のためにみやぎ生協の傘下に入って、そのためにみやぎ生協の産地のものが福島の組合員さん が食べているという実情です。

【中村】 もちろんおれらも地 元生協の会員になっていて、以前、有機栽培の米扱ってもらえないかと、ざっくばらんに話しに行ったんだけど、ぜんぜん取り合ってくれなかったけど。

【津田】 農協もそうだけど生 協も元の生協に戻るのはぼくは無理だと思います。頭からつま先まで商売として、事業として、いまの日進月歩の流通革命の中で生き延びていくことしか考 えてないもの。地域で生産と消費とが共同していくという仕組みづくりにいくらかでも価値を置いて事業を考えているところって、生協の中でも少なくなっ ているんじやないですか。小さくても志のある生協を農家の側も支えて行けるのかという、もう一度そこから始めて行かないと。

【菅野】 かろうじて可能性っ てそういうところで再構築、再連携ができるかってなりますよね。

【魚住】 小さな一軒の農家レ ベルの話が提携とすると、生協はもう一つ規模がでかいスケール。生協の中でも何十万人という規模になると、普通の商業主義になってしまう。だとすると 適正規模というのが、協同組合の精神がちゃんと宿って伝わっていく規模というのがあるんだと思うんですよね。完全にあきらめるわけにもいかないし、 我々としては、協同組合の精神の原点に戻って作っていくというかな。
 表面的な事業規模がいつも取りざたされたり、経済活動の事だけが指標になっているのは非常にけしからん話で、そういう近代国家の中で、小さい農家も あれば大きな生協もあったり、同じ空気を吸って同じ社会で生きている中で、もう一回、組みなおさなければいけない。破壊して、絶滅してしまったら取り 戻せないけど、まだ残されているとしたら、2度目の原発災害を絶対に起こさせない。それと、いま戦争への開国に向かっているところをぼくらの協同組合 の精神でもって、どこまで地に足の着いた取り組みや、取り返しのっかない事態にならないようにこの協同社会をつくれるのか、今非常に時代の方が迫って いるような気がしますね。

【津田】 長時間ありがとうご ざいました。



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