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ネパー ル・タライ平原の村から(44)

プンマ ガルのルーツ

 少数 民族・プンマガルの始祖神カルパケリの神話によると、プンマガルの人々は、狩猟採集生活を続け、今は主にミャグティ郡、カリガンダキ河の東側に定住し たとされています。そして祈祷師やお年寄りらの語りによると、プンマガルのルーツ(祖先)は、西ネパール、ルクム郡マイコット村である“らしい”と言 われています。こうした伝承は、事実なのか? ルクム郡マイコット村とは、どのような場所なのか? プンマガルのルーツを訪ねる旅をドキュメンタリー にしたDVDが、プンマガル協会内で作製されました。こうした映像資料から、先住少数民族を研究するのは、かつて西欧の専門家だけだったのが、今や少 数民族自らが土着の文化・歴史・伝承を保存/調査する時代であることがわかります。
 映像では、5人の調査員と撮影者1人がミャグティ郡の郡庁ベニからマイコット村へ向かうところから始まります。マイコット村へは、まずジープで半 日、それからの交通手段は全て徒歩となります。村まで4日かかると聞いていたのが、実際には7日間歩いてようやくたどり着きます。
 初日は、まずムナ村へ移動。そこで、一人の祈祷師が恣意した時のみ解読できるという古文書を所持したプンマガルのお年寄りに出会います。そこでは、 儀礼の進行やカルパケリの神話が、タライのプンマガルと同じようにあることが確認されます。その地域の民家の映像では、飼われた牛の顔の側に、死んだ 子牛が寝そべってある姿が映されます。実際には、子牛の毛皮の中に、おそらくモミガラのようなのを詰め込んで縫い付けてあります。乳牛が子牛の着ぐる みを実物と勘違いして世話するらしく、人が楽に搾乳するための方法であるそうです。以前はネパール各地で見られた光景です。
 さらにいくつもの山を越える道中、広々とした草原に廃墟となった民家がある上ジャルジャラ村、下ジャルジャラ村が映されます。こちらも実際には廃墟 ではなく、広々とした草原の放牧地で、夏季に森林限界を越えた高山草地のヤギ・羊の放牧が、冬季に季節移動して滞在するための宿営地であるようです。 また、意図的な山火事跡が映されます。映像では、山火事跡を非難する声が聞かれますが、これらは羊飼いによる家畜の放牧地を確保するための戦略でもあ ると思われます。
 さらに映像では何度も、数百頭超えるヤギ・羊の放牧に遭遇します。さらに道中、2軒だけの民家が映ります。そこでは周囲に他の家が全く見当たらず、 隣家同士で互いに2人の娘息子が結婚しているとのことです。水汲みにはロバを使って1時間かかるといいます。その他、マイコットへ物資を運ぶロバの隊 商、買い付けた商品や食糧を背負い、数日かけて戻る2人の女性。羊の毛を紡ぐ老人、シコクビエを杵で突く女性、山を流れ落ちる水力で動く石臼……、映 像から、ここでの人々の生業や暮らしを垣間見ることができます。また、どこでも昔ながらの集落が映される一方、小型の太陽光パネルがどの民家にも設置 されている様子が伺え、相当数普及していることもわかります。
 7日 目、ようやく先祖の故地と言われるマイコット村に到着。ちょうど祭りが催されている時期でした。そこで祭りのゲストが演説で「かつてマイコットは、遠 すぎて別世界のようなところだった。昔(フカム郡の)国王は、マイコットの村人を(はるか遠方まで出かける)ヤギ・羊と同じであると罵った」「それが 今では、電気が通るようになった」と熱く語っています。ネパールの村人にとって、電気の普及は一つの発展の指標として認識されています。

 映像では、プンマガルの故地とされるマイコットに、確かに神話の舞台と同じと思われる岩山が存在しました。ただし、古い仮説がそのまま実証された訳 ではなく、この地域に着く途中から、マガル族内のプン氏族は知らない、プンマガルに伝わるパルパケリの伝承など知らない、と言うことが村人へのインタ ビューから確認されました。
 伝承をたどるドキュメンタリーには、ヒマラヤの山をいくつ越えても、そこには農を軸に暮らす人々いる模様が映されていました。毎日、高層ビル群に向 かって通勤する都市やヴァーチャルな経済を軸にした暮らしが当たり前と思われることには、ちょっと待ってほしいと伝えたいと思うのです。                


 (藤井牧人)

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