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市民環境研究所から


「災害の忘却という人災」に抗するために


今夏ほど異常な気象が続いた夏もめずらしいだろう。局所的な豪雨が各地で未曾有の災害を発生させている。広島市山手の土石流による街の崩壊の惨劇は、はたしてまれに見る異 常気象のせいだけであろうか。数時間で1ヶ月分の降水量の強雨が降ったのはまさに異常であるから異常気象が多くの人命を奪ったことは否定しがたい が、それだけではないのでは、と考えないと今後の防災は成り立ちがたいのではと思う。
 公害問題が噴出した1960年代後半に研究者の端くれとして歩み出したが、自らの専門性の在りように疑問が生じ、爾来、公害現場・環境破壊の現 場で被害者とともに問題解決に努めてきた活動の基本にあるのは、このコラムでも何度も書かせてもらったように、「人災でない災害はない」との思い である。思いなどといういい加減な表現ではなく思想であると言うべきなのだろうが、そんなおこがましく、重い言葉は使う器量がないのでお許しをい ただきたい。
 今回の広島の惨状を見ていると、専門外の筆者にも、あの被害は単なる災害ではなく、人災としか思えない。被災された方々には申し訳ないが、なぜ あの山の中まで開拓して宅地にしたのだろうと疑問が沸いてくる。なぜ行政は開発を許可したのだろうか。人々は土地の歴史情報を得て考えなかったの だろうかと、命を落とした人々への哀悼を捧げながら考えている。
 この文章を書いているのは、中央アジアの国々の一つであるカザフスタン共和国の最大の都市・アルマティの一隅のアパートである。思えば25年以 上も前からこの都市にやってきて、ここから2000キロも離れたアラル海に出かけ、環境調査を実施してきた。世界第4位の湖であるアラル海はすで に9割が消失し、広大な旧湖底砂漠になっている。流域に開拓された灌漑農地に必要な農業用水を大量に取水したためにアラル海への流入水が激減し、 湖が縮小したというきわめて単純な因果関係の結果である。このアラル海とアラル海漁業で生きてきた漁民と漁村地域にとってはまさに人災そのもので ある。その災害実態を記録し、世界に発信し、このような愚挙の再発を防ぎたいとの思いで通っていた。そして、もはや回復が不可能となったアラル海 地域のリハビリとしての植林を細々と続けているが、もはや世界はアラル海の悲劇は忘れている。
 20世紀最大の環境破壊と言われた現象でさえ忘却の彼方へと押し去っている。アラル海を消滅させた人災とその消滅さえも忘れ去ろうとする人災の 下で生きることに苦悩する人々に会うため、明朝から2000キロの旅に出る。我が国と我が国の民は広島の土石流災害という人災を忘れ去ることな く、災害を防ぐ知恵を打ち立てることができるのだろうか。その前に、フクシマという、まさに人災そのものである原発被害の土地と人々を私たちは忘 れることなく対処しているのだろうかと思いながらの旅である。




(市民環境研究所代表 石田紀郎)


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