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アソシ 研リレーエッセイ

自 らの歴史観の見直しから…

新しい歴史教科書をつくる会が登場してきた時、まさか、今日のような言論状況が生まれるとは予想もできなかった。安倍を筆頭に次から次へ、「自虐史観」を否定し、東大の西 尾幹二が提唱した「自由主義史観」(と言うそうだ)を信奉する連中が、雨後のタケノコのように というよりは、地獄の釜のフタが開いた様にして政 界の中枢へ踊り出してくるなんて。そもそも、西尾幹二の書いたモノを全く読んでいないし、戦前の皇国史観の焼き直しくらいに思って、バカバカしく て読む気もしなかったし、今もそう思う。ただ、先の都知事選で若い人たちほど、田母神支持にまわったという結果を見て、彼らの影響力はすごかった んだと思った。
 恐らくマンガ家の小林よしのりの果たした影響も大きい。こいつも、少年ジャンプに『東大一直線』でデビューした時から知っているが、画風が嫌い で読みもしなかった。その後、『ゴーマニズム宣言』を連発して、自虐史観批判を展開したことに対しても、アホが悪のりしよってと思い読みもしな かったし、今も読む気はしない。だが、この国において、テレビとマンガの影響力は、測り知れないほど大きい。
 彼らに対して反知性主義と批判したところでそれは批判にはならない。彼らは自ら反知性主義であることを自覚しているし、確信犯だから。例えば橋 下が光市でおこった母子殺害事件の弁護人をテレビで批判したことがあった。彼は弁護人の役割を十分知った上で弁護士批判、つまり知識人批判をやっ ている。ぼくが、西尾幹二や小林よしのりを読む気がしないのも、ぼくの中に根強く知性主義があって、彼らをバカにしているからだ。だが、彼らをイ デオローグ、アジテーターとして見れば、驚くほど有能だった事になるし、こちらの不明も実に恥ずかしい思いがする。
 2001年刊行(08年に再刊)だから、ちょっと前の本なのだが、網野善彦対談集『「日本」をめぐって』を友だちにすすめられて最近読んだ。と 言うか、今も何回も読み返している。網野さんはこの本の中で「進歩史観」「発展史観」を批判し、マルクス主義史観を否定していて、今だにマルクス 主義史観をひきずっている自分にとっては実に衝撃的で、今だに消化しきれずに何度も読み返している。今頃何を言っとるのかと笑われそうだが、15 年ほど前に岩波新書の『日本社会の歴史』を読んで、これが意外と平凡で、それ以来網野さんの本とはごぶさたしてしまっていた。もっとちゃんとつき あっておけばよかったと後悔しきりだが、網野さんが自由主義史観を自分の問題として受け止めてきっちりと批判している部分があるので、それを紹介 する。
 網野さんは、自由主義史観は「戦後歴史学の鬼子」と指摘している。戦後歴史学の部分をマルクス主義史観と読み直せばいい。「自由主義史観はむし ろ根本的に戦後の左翼の歴史観とオーバーラップしてくるところがある」と語っている。 自分たちが産み出したことを自覚せずに鬼子を批判しても批 判にならない。当時、つくる会は小中学校の先生に対してかなり大きな影響力を持っていたようで「事態はそう楽観はできない」と、今日の言論状況を 見越していたようだ。
 「明治維新、近代日本を江戸時代に対してあれほど明るく評価していること」が自由主義史観と左翼の史観の最大の共通点である。暗い江戸時代の封 建制(白土三平の描く世界)に終止符を打ち、人々を身分制のくびきから解放し、近代化を達成した、つまり、社会を大きく進歩・発展させたという見 方である。渡辺京二さんが『逝きし世の面影』で江戸時代の再評価への道を開いて以来、暗い時代どころか、流通も大衆文化も発達した、結構自由な社 会だったことが明らかにされてきている。これらの研究成果を待つまでもなく、落語によって描かれる江戸時代を見るだけでもそれはわかる。武士と町 人(工と商)が同じ遊郭で遊び、同じ居酒屋で飲むなどと言うことは、もし士農工商の身分と階級が固まっていたら、できることではない。            
         

(やさい村 河合左千夫)


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