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市民環境研究所から


環境を冠した科目は環境を救うのだろうか



京都の桜も今日が満開であるが、寒の戻りは殊の外で、片付けたコートを取り出した。事務所近<の百万遍交差点は京大の新入生を迎えて、車ならぬ人の渋滞である。毎年と違っ てこの新入生たちが縁遠<思える。それは、京大で1、2回生のために1978年に立ち上げた「自然科学−1ゼミ」が、昨年度で廃止になり、今年度 からは2回生と出会う機会がなくなったからである。 1970年代は公害問題が噴出しか時代であり、公害問題に取り組みたいと思って入学してきた学生が相当数いた。「自然科学1−公害」という講義科目が1975年から開講さ れていたが、公害問題を議論できるゼミがほしいと思った学生が、京大教養部の規定の中に、「学生が担当教員を見つけて講義科目に付随するゼミを申 請すれば正規の科目に認定される」という制度を見つけてきた。今では古き良き京大らしい規定を使って「自然科学1−ゼミ」を認定してもらうから、 担当教員になってくれと言ってきた。即刻引き受け、通称「1ゼミ」が始まった。
 学生側からの要請で始まったゼミであるから、受講生が集まるかどうかと心配したが、なんと60人以上もの受講生である。これでは講義の人数で、 ゼミの人数ではない。まして一人で面倒がみることなど不可能である。そこで、公害現場で活動している京大の助手仲間に助っ人を頼んでの開始となっ た。さて、このゼミの運営方法はどうするかはずいぷんと考えた。既存のゼミのように、先生が主導するようなゼミでは面白<ない。そこで次のような 原則を立てた。
1) 教員側から課題を与えない、
2) ゼミ時間に出席を取らない、
3) 成績は学生個人が申請し、そのまま教務ご報告する。
これでは教員はなにもしないのと同じだと思われるかもしれないが、そのとおりで、教員は助っ人でしかないと位置づけた。
1):課題は各人が申請し、何人かで班を作り、自分たちで課題を深める。
2):ゼミの時間に教室に来ても、図書館に調べに行っても、学外の公害現場に出かけてもよい。
3):よい成績を付けてもらうために頑張るのではな<、自己の成長のために頑張ってくれればよいから、教員は採点者ではな<、支援者でしかない。
 こんな無謀な原則でゼミは出発したが、出席率は常に90%以上もあった。
 原則3)は非常に面白い展開を見せてくれた。成績を記入する際に、たとえば、夏休みに水俣に行き、患者と1週間ほど暮らしてきた学生は、患者の 苦しい状況が思い出され、高い点数など書けないと悩む。こんな風にこのゼミは京大の中でもきわめて特異なものだった。 2003年に京大を去るまで続け、その後は友人が続けてくれ、時々助っ人として参加した。公害という言葉が消え、ゼミの名前も環境科学基礎ゼミとなり、環境という語を冠し ただけの科目や研究室がぞくぞ<登場する大学の申に埋没していった。こんな大学が環境問題の解決に寄与しているのだろうかと疑問に思うが、現役で ない身には外からの繰り言にしかならない。フクシマの現実を前に、環境○○学がフクシマを救済できるのだろうかと思いながら百万遍の交差点を通る 毎日である。                                

(市民環境研究所代表 石田紀郎)


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