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油糧作物栽培の試みを学ぶ

─近代文明の転換点としてのフクシマ─

   今号は、前号に引き続き東日本大震災・東京電力福島第一原発事故をめぐる問題 について取り上げる。前号では、消費者・流通者の立場から食の安全や地域自給、脱原発問題に取り組んできた常総生活協同組合(茨城県守谷市)の行 動を紹介した。今号では、以前から有機農業口取り組み、産消提携を進めてきた生産者の側か、このたびの震災・原発事故をどのように受け止め、行動 してきたのかについて、(特)日本有機農業研究会幹事であり当研究所運営委員でもある本野−郎氏に考察を寄せて頂いた。また、植物除染と食用植物 油の生産に取り組む、(特)有機稲作研究所代表の稲葉光國氏(栃木県上三川町)と二本松有機農業研究会代表の大内信一氏、信一氏の三男である督 (おさむ)氏に対するイタビューもおこなったので、その概要も合わせて掲載する。   (事務局)


1.近代文明の可視化


 東日本大震災による津波被害および原発事故に直面し、自らの生き方を問い直すことが多々、あった。近代文明を超えて、もうひとつの、オルタナティブ な文明を目指していたものとして、自分がどこにいるのか、どこへ行こうとしているのか、を改めて考えた。
 その結果、考えたことは歴史認識という基軸だった。次の文明の基軸は、「身近な人々と協同しつつ、食料と水を持続可能な方法で確保していく」かであ ろう。そして「食料確保のために持続可能なエネルギーを生み出す」ことが求められる。 これを私は、「たべもの協同社会」と呼んでいる。
 大震災によって、その具体的な課題が示され、それに対する具体的な答えが要請された。それは、近代文明の限界が可視化されたからだ。科学技術は津波 に無力であり、科学技術の最先端であった原発が災禍を引き起こしている。多数の人々が、近代文明への疑問や市場経済の息苦しさを感じていたが、それが 形として見えてしまったのだ。
 だから、これまで近代文明に代わる新たな文明を、より具体的プランとして示すべき時代に入っ たと言っても良い。今回、その具体性あるプランに<フクシマ>で取り組んできたお二人に話を聞いた。お二人とも有機農業生産者である。放射能に汚染さ れた農地が広がり、そこから生み出される農産物には放射性物質が吸収される。この困難とどう立ち向かうのか、それが作物による除染と食用油の生産・販 売である。


 2.国家の起源の可視化


 また、大震災によって、とりわけ原発事故によって、国家というものの本質がみえたと思う。原発によって放出された放射能が危険かどうか、ではなく、 退避できる住民は何人が限度か、が判断の基準となった。 20 km圏、30 km圏という設定がそれである。
 この日本列島のなかで100万人が一気に退避しても行くところがない、という事実がある。外部被曝20msv/h以下なら安全かどうかではない。こ こでこれまでどおり暮らしていてくれ、という国家の意思である。また、内部被曝lOObQ/kg以下なら安全、ということでない。
 これくらい食べないと福島や北関東の農村が無人になるから、国民は食べるべきということだ。
 放射能によってただちに死なないなら、動くなという棄民政策である。ゆっくり死んでもらう分には国家に打撃はない。国家は国家を守るための基準を決 め、実行している。国家は、人々の健康と暮らしを守ることが目的ではない。それは、国家の起源に遡れば確かめられる。私はそれを「文明のたべもの史 観」という角度から考えてきた。
 5000年に前農業文明か生まれたとき、人口を支えるためにたべもの確保の方法として少数による多数支配という形態の国家が成立した。だから国家 は、階級分裂を伴っている。「人類の歴史は、階級闘争の歴史である」というマルクスの主張は、この5000年前から現在にいたる農業文明の歴史的局面 を指している。
 1万年の歴史をみれば、「人類の歴史は、たべものを確保する闘いの歴史である」と言える。1万年前と5000年前、2度にわたる絶滅の危機を乗り越 えてきたホモサピエンスは、いま3度目の絶滅の危機を迎えている。近代文明は行き詰まり展望がない。国家は差別を構造化し、格差を広げ、それをときほ どく能力はもはや期待できない。




 3.市民社会の分断、分裂


  市民社会は国家を信用せず、新たな文明を求めている。そうした問題意識に対して、既得権益者とその周辺にいる支配階級に属する人々は、国家の生き 残りと近代文明の擁護をかけて、攻撃を始めている。
 攻撃の方法は、昔からやってきたことをやっているだけである。お金を使って市民社会を分断する。お金の力で世論操作をする。これだけである。今回 は、こ れまでになく大規模であり、そうとう焦りが見て取れる。原発推進派は少数であることが見えてしまっているからだ。こんなことは、反原発運動始まって以 来の 出来事である。いま、きっちりとこの攻撃に対峙すべきだろう。
 首相官邸包囲も大事である。電力会社へのデモも大事である。しかし、いま一番私か大事だと思うのは、持続可能なたべものの生産を基礎にした地域での 試み 一有機農業運動と、反原発運動か結びつくことである。脱原発を唱える人々が、外国農産物に頼らず、国内で有機農業を実行するか、それを支えるか、とい う選 択をすべきだ。それが分断攻撃に耐える方向性だろう、と思う。
 福島では「同じ被災者なのに家族や仲間うちで、どうして非難しあい、憎しみあうことになるのか、それが一番、つらい」と何度も聞いた。地域で声をあ げる と、露骨な差別分断を行ってくる国家権力があり、その結果、声をあげた市民社会の側か分裂する。そして、結果として分裂したもの同士の争いとなる。
 近代文明をどう超えるか、という問題意識は、地域で差別分断と闘う生身の人間の証言から生まれている。高度経済成長のさなかである。これまで「足を 踏まれたものしか痛みはわからない=差別」という仕組みのなかで苦しむ人々の声が、変革を生み出してきた
 例えば日本が工場排水浄化機器の輸出国となったのは、水俣病を告発する漁民の闘いの結果である。闘いがあるから地球の環境が問題となったのだ。
 <地域差別>一国際空港建設・原発建設のために先祖伝来の農地や漁場を国家が収奪するという理不尽、<公害差別>一御用学者が横行する反公害運動の 現 場、水俣の水銀中毒患者・被害者がそれを隠さざるを得ないという差別構造、<教育差別>一地域社会が国家の末端機構として機能し、教育を真剣に考える 生徒 と教育労働者が弾圧される構造、<部落差別>一婚約破棄による自殺が相次ぐいわれなき差別の存在、<民族差別>一関東大震災の渦中に朝鮮人虐殺を引き 起こ したアジア民族へのいわれなき優越意識など、差別分断に直面し、闘うことが、変革の方向を決める発信源である。これを私は地域闘争と呼び、その連携を 訴え たい。いま原発廃炉と震災復興の方向をめぐって、フクシマという地域で闘いが始まっている。特に今回は、「避難地域」と「影響の少ない地域」の間にあ る 「境界線上」の人たちによる、棄民政策との闘い、差別分断との闘いに耳を傾けたい。

 4.分断された関係を回復するために


  地域とは、自然と生命を基礎とした世界である。日本列島の各地域では、農林漁業を包み込む共同体が存在してきた。この数千年の安定した 地域が、原発事故によって一気に崩壊させられたのだ。
 福島県や北関東に降り注いだ放射性物質は、今後、この地域に住む人々を苦しめ続けることになるだろう。特に消費者と提携して有機農業に取り組んでき た農家は、その半分以上の消費者を失った。食べ物に農薬という化学物質が入っていること自体がおかしい、と有機農業生産者は語ってきた。子供を抱える 消費者は、残留農薬は危険だから、有機農産物を食べるために農薬を使わない生産者を支えてきた。だから、消費者にとって放射性物質が入っていること自 体がおかしいのであり、それは食べないほうがよい農産物であろう。
 しかし、境界線上で残ることを選択した農家にも暮らしがある。これまで農産物を作って生計をたて生きてきたし、これからもそうである以外にない。そ して実際に作付しないと放射能の影響が、どう出るかはわからない。そこで栽培が再開される。そして、どの畑のどの作物に どれくらいのセシウムが入っ ているかがわかってくる。まったく出ないことはないが、国の基準の10分の1以下のものが多い。しかし、売れない現実を目の前にして、油にはセシウム は移行しないというチェルノブイリからの情報と向き合うことになる。ここで油糧作物による農業経営という選択が生まれてくる。
 原発推進派によって生み出された生産者と消費者の分断は乗り越えなければならない。油糧作物を手がかりにして、分断された生産者と消費者の関係を回 復したい。その可能性を押し広げたい。

 5.植物汚染の提起


 山林と農地と河川をどうやって除染するのか、国はそのことに正面から向きあっていない。フクシマでは棄民政策が引き続き行われているという指摘は、 この事実からもあたっているといわざるを得ない。国は、ゼネコンに地面をかきとる公共工事を発注した以外に何も手を打っていない。そして、結局、移染 をしただけで、線量は元に戻るという税金の無駄づかいをしている。
 除染の基本は、流さず、出さず、閉じ込める、であろう。農地の表土をかきとると作物が作れなくなるので、ゼネコンの重機では除染が出来ず出番がな い。植物除染によって、次第に農地からセシウム濃度を下げていくしか方策はないが、なぜか予算はつかない。
 稲をはじめとする農作物の作付け、そして油糧作物による輪作は、農地除染の可能性を拓いている。具体的に取り組むところからしか、突破口は見えてこ ない。作っても消費者が買ってくれないという事実を、風評被害と言ってしまうと市民が分断されることになる。そうではなく、放射性物質が食べ物の中に 入っていることに対する告発と補償こそ必要である。
 そして多くの住民を死亡に至らせ、傷つけた東電や政府は、刑事罰を受けるべきだろう。そのために刑事告訴・告発運動が組織された。そして、この闘い は、都市住民と農村住民、消費者と生産者との連帯を作っていく鍵であり、その可能性を推し進めるべきだろう。そしてただ単に責任者に罰を与える、とい うことに留まらず、新たな文明にむけた具体性が必要である。ここにも、フクシマの油糧作物を支える輪が広かって欲しいと思う。

 6.食糧とエネルギーの自給にむけて


 現在、油の自給率は2%である。なぜこのようなことになってしまったのか。もともと日本の油は菜種油であった。菜の花畑が次第に姿を消すのが、高度 経済成長の時代である。ここでは食用油とともに食用油の廃油を回収して動力源エネルギーに利用するという循環社会が構想されてしかるべきだった。しか し、これまでのところ油糧作物の価格水準を考えると、市場経済の原理だけでは実現しない。食料とエネルギーの自給政策が必要である。国民がその必要性 を認識し、未来に向けた投資することによって新たな文明が見えてくる。油糧作物はそのことを考える素材である。
 国の自給率という概念は、個々人の判断にとってほとんど意味を持だない。必要なのは、暮らしの中の自給である。その暮らしこそ豊かであるという価値 観が必要であり、農的くらしという具体性がそれを実現するだろう。都市を前提とする近代文明に代わる文明は、都市住民による農的くらしが日常的に取り 組まれることで道筋が見えてくるだろう。

7.三年目のフクシマからの情報発信


 消費者と生産者一市民が、国や原発推進派によって分断されないために象徴的な取り組みが必要である。国際社会にむけて情報発信しつづけることによっ て棄民政策を乗り越えたい。フクシマの体験が発信されることを21世紀の世界は待ち望んでいる。
 持続可能な農業は、持続可能なエネルギーを前提としている。持続可能性を追求してきた有機農業は、持続不可能な原発に頼らないことを、世界の有機農 業者とともに宣言したい。いのちを大切にする農業を目指してきた有機農業は、いのちを危険にさらす原発を廃止することを要求する。地域の自然循環=自 給を基礎にした有機農業は、自然循環=自給を破壊する原発再稼働を許さない。
 こんなことを有機農業運動と脱原発運動が連携した地域から、世界に発信したい。

稲葉さんインタビュー

植物汚染の現状と展望



本野一 郎さん:有機稲作研究所では、菜種やひまわりを使っての植物除染に取り組まれているとのことですが、どのようなきっかけで始められ たのですか?稲葉光國さん:福島県には、私ども有機稲作研究所とともに有機稲作に取り組んできた仲間が、南相馬市を中心に浜通り地域で27名いらっ しゃったんです。その人達は、この震災・原発事故を受けて、今までどおりの稲作をすることが非常に困難になりました。仮に米を作っても売れなくなりま した。何しろ農地が、放射能被害が少ないところで800b q、多いところでは6000bqとかいった汚染を受けてしまったのですから。
 みんな今まで農業しかやってこなかった人たちですから、農業でしか生きていけない。それでも諦めて農業を辞めた人も出ました。もちろん、移住のこと も話に出てはいました。ところが、移住をして新たに農業を始めようとするには資金が必要なんてすが、その元手となる資産の評価が、原発事故後の不動産 評価でしか評価されないんです。そうなれば、放射能に汚染された田畑も家屋も、資産価値としてはゼロじゃないか、ということになってしまいます。それ に、仮に移住しても、事故が起きる前の状態で生活ができる保証がありませんよね。
 やはり、今まで地元を離れたことのない人たちばかりですから、在所を離れるとしても、せめていわき市あたりにしたい。今から雪の降る地域での生活や 農業は考えにくいですし。茨城、千葉あたりまでなら、なんとか移住できるかも知れませんが、そういったところは農地の確保が難しいのです。
 そういった事情から、なんとか今住んでいる地域で農業を続けることができないか、必死で考えた末に畑・田んぼの除染をしながら、油を絞って売り、農 業経営を確立していくことを決意したんです。

本野さん:現在のプロジェクトはどのような状況ですか?

稲葉さん:除染の作業はだいたい見通しがつきました。2回代掻 きを行うことで、線量を3年で半分にできることがわかったのです。
 2回代掻きをすることで、セシウムが上に移動してくるんですね。セシウムは雲母などの軽い物と結びつきやすいんです。そこで代掻きをして泥水を攬絆 してやると、重いものから沈んでいきますから、軽いものにひっついたセシウムが上に上がってきます。それを泥水のまましたの田んぼから流し出してしま うんです。もちろん、水路には受け皿を作っておきます。だいたい30cinくらい深く掘った溝に流し込んでやります。そこに冬場、菜種を植えるんで す。また、水口にも沈澱池を作って、セシウムを吸着するための籾殻を沈めておき、水環境へのセシウム流出を防ぎます。

本野さん:沈澱池など、大掛かりな土地の改修が必要なのではな いですか?

本野さん:植物の除染効果については、農水省がその効果をかな り小さいものと公表するなど、論争がありますね。

稲葉さん:農水省が最初に実験したときのデータは、菜の花が咲 いた時に収穫して測定した結果です。それは菜の花を観賞植物として位置づけ、花の咲いたときに収穫し、測定したからです。花が咲いたときは、まだセシ ウムは充分に移行していないのです。種子をつける間際にセシウムは移行しますから、そこまで待たなければいけなかったんです。農水省が後に行った追試 のデータでも、移行係数は0. 16まで出ています。
 また、ひまわりだけ、菜種だけの単作だと、時間がかかります。ひょっとすると30年以上かかるかも知れません。しかし、輪作すると、先ほど述べまし たように3年で半分になることがわかりました。特に輪作のサイクルの中に大豆が入ることで、大幅に効果が高まります。大豆は空気中の窒素を固定して土 壌の力を回復します。大豆による窒素固定は、アンモニアによるものなのですが、セシウムがアンモニアと置換され、セシウムが分離されるので、植物が吸 収しやすくなるのです。

本野さん:土壌からセシウムが植物によって吸い上げられ、除染 ができることはわかりましたが、その吸い上げたセシウムはどうするのですか?

稲葉さん:まず、収穫した菜種やひまわり、大豆を絞って食用油 を精製します。セシウムは水溶性であり、油には溶けないので、絞った油にはセシウムは移行しません。
 残った搾りかすには、当然セシウムが濃縮されますが、これは炭化処理し、体積を圧縮しようと考えています。セシウムの気化温度である681度以上で 燃やしてしまうと、セシウムがまた環境に戻ってしまいますが、消し炭を作るときの温度は約400度ですから、セシウムが大気中に出ていくことはありま せん。また、炭化処理に際して出る熱を、ビニールハウスや家の暖房、穀物乾燥に使用することも考えています。
 今、パルシステムから助成を受けて炭化処理施設の設計・製作に着手しているところです。炭化による圧縮処理によってセシウム濃度が 8000bq/kg以上になれば、放射性廃棄物として国の管理になりますから、「持って行ってください」と国に言えるようになります。

本野さん:植物除染の発想は、どこから出てきたんですか?

稲葉さん:これは、すでにチェルノブイリのときに河田先生(河 田昌東氏:NPO法人チェルノブイリ救援・中部理事)が実践しておられるんです。また、他の土壌汚染、例えばカドミウム汚染などでも実践されていま す。
 河田先生は、チェルノブイリでの実践を踏まえ、「植物除染に期待以上の効果はなかったが、菜種のあとに麦を育てると、麦には吸収されなくなることが わかった」と仰っておられます。
 どうも、吸収されやすいセシウムが菜種に先に取られると、後作の作物には吸収されにくくなるようなんです。これを、大豆を含む輪作で効果を高めてい こう、というのが私たちの取り組みです。

新たな地域産業を切り拓く農業に


本野さん:除染効果の他に このプロジェクトで目指しているも のはなんでしょうか?

稲葉さん:なんといっても、食用油の自給率向上と、遺伝子組み 換え作物への対抗があります。
 私たちの作る食用油は、トランス脂肪酸やコレステロールが含まれておらず、天然のビタミンEが多く含まれています。現在流通している多くの食用油に は、天然のビタミンEはゼロです。酸化防止のために後から添加しているのです。オリーブオイルに匹敵する栄養がありますから、今、天然の菜種油やひま わり油が健康志向の人に注目されています。私たちのプロジェクトによって生産される食用油は、消費者の健康に大きく寄与・貢献できると考えています。
 日本の油脂産業は、完全に遺伝子組み換え作物に席巻されてしまいました。小さな村々の油屋さんは全部破壊され、今みなさんの口にする油を作っている のは、とどのつまりモンサントの子会社ということになってしまっています。日本の国中に遺伝子組み換えが溢れかえっていますよね。1700万トン、日 本で消費される米の2倍以上の食物が、油脂作物やとうもろこし等を中心とする遺伝子組み換え作物になっています。
 近代科学で作り上げてきた植物油の成れの果てが、遺伝子組み換え、トランス脂肪酸、様々な添加物の入った油であり、それらによって我々の健康が破壊 されています。明治以降の、科学技術優先・経済優先の最終的な帰結が、健康を、命を危機に晒す事態になったのです。

本野さん:その象徴が福島なのですね。

稲葉さん:仰るとおりです。このことをしっかり踏まえて、命を 再生するための取り組みが今こそ必要です。そして、農業がその取り組みの最先端に立っているのです。これは、農業を生産活動のワクだけにとどめている と見えてきません。加工から、口に入るところまで全部やって初めて見えてくるものです。つまりは地場農業・地場産業の再建です。だからこそ、この地で 菜種をひまわりを植え、この地で油を搾るのです。
 日本の農業は今、どん詰まりまできています。これで日本の農業が完全に否定されるのか、何くそ、と本物の農業をスタートさせるのか、その正念場に今 立っていることを実感しています。 50年かかるか100年かかるかわからないが、新たな地域産業を作っていく中で、経済の仕組み全体も変えていきたい、そう考えています。

大内さんインタビュー

グリーンオイルを突破口に


本野さん:震災・原発事故の前後で、出荷状況は変わりました か?

大内督(おさむ)さん:震災前には、提携農家として150軒く らいに向けて出荷していたのですが、震災・原発事故を挟んで出荷先が約6〜7割減りました。それでも4割残ってくれたから、何とか出荷して経営を続け ています。震災前から徐々に提携先は減っていたんですよ。最近の家庭では、料理を作る際に献立を決めてから食材を買うので、セット野菜の販売はだんだ ん難しくなってはいたんです。

本野さん:首都圏の提携先のほうが大幅に減ったんですか?

大内信一さん:地元・首都圏のどちらかが多く減ったということ ではなく、地元の出荷先・首都圏の出荷先ともに減ったんです。熱心な人ほど離れていきました。「提携」という関係が根本から問われることになりました ね。有機農業の生産者が、消費者に「残留農薬のない野菜が安全だ」と、安心・安全の面を強調してきた面がありますから、放射性物質の降下によって「安 心・安全」が覆されるという事態に対応できなかったのではないか、という反省が自分たちにはあります。
 今はむしろ、不特定多数の、一般の消費者の方々が私たちを応援したいと買い支え、頑張ってくれているんです。

大内督さん:震災・原発事故があった年は、大豆にせよ野菜にせ よ豊作だったんです。夏場には、きゅうりなどがよく売れていました。それが、米からセシウムが検出されて以来、大豆も野菜も、何もかも一気に売れなく なってしまいました。米で検出されたのが、不信感を生む決定打になってしまったようです。行政への不信感も消えないまま今に至っています。自分たちが いくら測っでも絶対大丈夫なんてすが、不信感が解消されるまでにかまだまだ時間がかかるのかな、と思っています。

大内信一さん:現在は、学校給食でも地場野菜が使えていませ ん。米だけは福島県産を使うようになっだのですが、保護者の中には「学校給食が信できない」と弁当を持たせる人もいます。個人で頑張っても信用を回復 することは難しいでし、農協も行政が動かないと中々動かない状況あります。農協は今「飼料米をつくりませんかとしきりに言ってきます。でも、そんな気 には中なれないですよ。人間が食べる米を作るためにを入れてきた田んぼですから、そこで飼料米をつくるというのはちょっと抵抗があります。遊休地でな ら飼料米を作るのもいいのかな、と思いますが。荒れてしまうよりはマシでしょうから。

セシウム対策の努力


本野さん:今はどのようなセシウム対策をしているのですか?

大内督さん:私たちは、とにかく農地をできるだけ深く鋤込んで います。農地の吸着力はすごいものがあります。自分の被曝防止のためにも、できるだけ深く鋤込んで、上中の奥深くに沈めることを対策としています。
 この近くに阿武隈川が流れているのですが、その河口の放射線量が高くなっていると聞いています。雨が降るたびに流れていくわけですから。除染の際に 使った水もどんどん流されていました。以前は、「除染に使った水も全部回収するんだ」とか言ってましたが、そんなことできないですよ。一軒一軒、屋根 や壁を洗った水なんて回収できないでしょう。
 また、セシウムが壁などにくっついちゃってますから水だけでは落ちなくて、コンクリなんかも薄く削りながら除染していたりしていたんですが、今は全 くやっているところをみません。そんなことをしても埓があかなかったんでしょうね。
 やはり、どこか別のところに溜めておいても、流してしまったとしても、そこが汚染地域になるわけですから、それだったらここで土壌の力を借りて、深 く鋤込むことで沈めてしまおうと。

本野さん:かなり深く鋤込んだのですか?

大内督さん:はい。一度、日本有機農業研究会の補助を受けて、 プラソイラという機械を使って、天地返しとまではいかないまでも、かなり深く深耕しました。

大内信一さん:それから植物除染ですね。セシウムを吸うのはや はり菜種・大豆・ひまわりです。なんとかして、食用油の消費拡大を図りたいと考えています。消費が拡大すれば、作付面積も大きくできますから。

本野さん:二本松では、油を自給する文化が元々あったのです か?

大内信一さん:昔は地域で油を作っていたようです。昔は二毛作 だったので、菜種と米を交互に作っていました。搾油業者は二本松で5〜6軒あったようです。自分の代の頃にはあまり作らなくなっていました。

本野さん:では、どうして油を作ることにしたのですか?

否応なしに取り組む必要


大内信一さん:そりゃあ、原発事故が原因ですね。原発事故の影 響を受けにくい作物を生産する必要が否応なしに生じましたから。油にセシウムが移行しないこと、なす、きゅうり、トマト、そしてにんじんがセシウムの 移行しにくい作物であることが分かったので、食用油とにんじんジュースの生産販売に踏み切りました。
 それから、日本の油の自給率の低さに対する反発心もあります。やはり農家である以上、自分のところで作ったものを食べて、生きていきたいですから。 有機の菜種や大豆、ひまわりで作った油は、天ぷらに使ってもなかなか悪くならないんです。遺伝子組み換えの安い油はすぐ悪くなりますよね。あんな安い 油、なにを使っているかわかったものではないですから。
 もう一つ、自然再生可能エネルギーの問題にも寄与できるのではないか、という期待もあります。使用後の食用油を回収して燃料化するようなサイクルが できれば、今の事態を生じさせた原因、セシウムの降り注ぐような社会を変えていくことができるのではないかということです。

事務局:それがグリーンオイルプロジェクトを福島で起こすこと の意義でしょうか?

大内信一さん:そうですね、セシウムが油に移行しないことは、 大げさかも知れませんが、これは天が与えてくれた賜物ではないかと感じています。
 これからの福島を菜の花で飾りたい。それがないと、福島の復興はないと考えています。そのためには、グリーンオイルの普及がどうしても必要です。そ のための突破口を開きたいと常々考えています。


本野さん:現在の販売状況はいかがですか?

大内信一さん:それが全く大変です。やはり自分たちの米や野菜 を食べてくれる人々が中心で、あとは直売所などでの販売になっていますが、微々たるものです。 先ほど学校給食に触れましたが。学校給食でこのグリー ンオイルが使われることが突破口にならないかと考えています。福島での学校給食の地産地消の取り組みは約10年前からで、今は震災でストップしていま すが、一応納入契約だけは更新していますので、ぜひセシウムの出ないグリーンオイルを地産地消の復活につなげたいと願っています。





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