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常総生協インタビュー

 
 震災・原発事故に対する常総生協の様々な取り組みを組合員の側はどのように感じてきたのかについて、組合員 の皆さんにお集まりいただきお話を伺った。
 お話を伺ったのは、加藤さん(茨城県龍ケ崎市)、茂田さん(同県龍ケ崎市)、高橋さん(同県つくば市)、名和さん(同県取手市)、野口さん(同 県守谷市)、村井和美さん(常総生協・理事長、同県つくば市)の6名(50音順)。以下、インタビューの結果をかいつまんで紹介する。  
(2014年2月26日実施、文責・研究所事務局)

 


 津田:皆さん、震災前から常総生協に加入しておられたんですか?常総生協に入ろうとし たきっかけは何でしょうか?

名 和さん:約40年前の、常総生協ができたころに加入したんですが、きっかけは偶然です。地域に団地ができはじめたころで、周囲には 見渡す限り店がなかったんです。当時、団地に生協の勧誘が何組もきて、その勧誘を受けて加入したんです。このあたりは生活クラブ、常総生協、いばらき コープが中心ですね。

高橋さん:うちは主人が加入を 決めました。共働きだったんですが、生協は品物はいいが高いと聞いていたので、私はどうでもよかったんです。たまたま勧誘の人の話を夫が聴き、「始め てみたい」と。夫も食材の買い物を分担してくれていたんですが、当時はスーパーも遅い時間まで営業していませんでしたし。個配料もタダだと聞いたので 加入に踏み切りました。やってみると便利で、多いときは宅配ケース10箱くらい購入していました。

野口さん:私は6〜7年前から 常総生協に加入しているんですが、その理由は真ん中の子がアトピーだったからですね。大きい生協じゃなく、ちゃんと安全に目を光らせている生協がいい 気がしたんです。子どものアトピーは治りました。いまだに生協じゃない鶏肉を食べると蕁麻疹が出ますけれど。

津田:総 生協は、皆さんにとってどういう存在ですか。

村井さん:生協というところ は、人生の学びの場になっています。生協活動をやってみると、すごく居心地がいい。若いママたちにとっても、食べ物の本当の美味しさとか、本当の生き 方みたいなものにちょっとずつ触れる機会になっていると思います。

野口さん:今の時代に欠けてい るものを補うものがありますよね。たとえば「ばあちゃんと日向ぼっこ」(注1)のような、世代を超えたつながりがあったり。世知辛い世の中ですけど、 組合員が好い方ばかりなので。いい感じで楽しくすごさせてもらっている。常総ならではのこと。

名和さん:生協のニュースレ ターにはすごいことが書いてあるんです。あれが無ければ原発事故のことも何もわからなかったですよね。ですから、いろんなことを判断するための情報源 になっています。生協発足のころはニュースレターはなかったんですけど。

大石さん:始めたのは2003 年位からです。何か事件があると、ワーッと書いていました。
茂田さん:JCO事故(注2)のときからですよね。「ああ、生協は原子力の危険性をちゃんと分かってるな」、と思いました。

村井さん:生協が(わかってい る)なのか、大石が(わかっている)、なのか、わかりませんけれど。
茂田さん:私たちにとっては「生協=大石さん」です。最初は配 達員が大石さんでしたし。

津田:現在、配達職員との関係はどうですか?

名和さん:お会いすれば、いろいろ話します よ。ただ、配達日に不在になることが多くて。

茂田さん:私は昔ながらの班で すから、配達職員さんとも同じ班の人とも話します。配達員さんはみんな若いから、「ちゃんとお昼を食べてる?」とか。具合が悪そうなら心配したりし て。もっと班が復活したほうがいいと思います。

村井さん:せめて隣同士は班に してほしいですね。

野口さん:ウチは個配なので、 ニュースレターに書いてあったことの話などは、あまりしていないです。だってすごく忙しそうだから。話したいけれど、配達で忙しそうだから気の毒で言 えないです。

津田:被災地や生産者とのつながりはどう考え ていますか

茂 田さん:たとえば、「清水さんのお野菜セット」に付いてくる手紙を見ると、「ああ、こういう苦労があるのか」なんていうのが見えて きますね。本当は援農にいくのが一番ですね。私たちの家族も援農に行きました。山形・置賜だったかしら。子どもたちにそういう経験が必要だし、常総生 協が私たちと生産者さんとを結びつけてくれていることをすごく感じます。

村井さん:生産者の皆さんが やってこられた軌跡を映像で観たりしても、こんなに頑張ってきたのかという思いで涙が出ます。無農薬を守るためにヘリコプターとどう闘うか、とか。そ れを私たちが支えずしてどうするのか、という思いがありますね。

大石さん:被災地との関係で言 うと、嬉しかったのは、飲料水のペットボトルが争奪戦になっているとき、日生協(注3)から被災地支援でもらった飲料水を組合員に配ろうと思っていた んだけれど、よく考えれば被災地のほうが大変だと思って被災地に持っていくことを提案したら、組合員さんがみんな「いいよいいよ」って。

高橋さん:この周辺も、水道が 止まったりいろいろ不便もありましたけど、被災地の状況を見ちゃったら、「あっちへ持ってって下さい」という気になりましたよね。

津田:震災・原発事故に対する常総生協の取り 組みに、どんな感想を抱いていますか?

茂田さん:大石さんは、私たちが状況を理解で きていない頃からいろんな手を打ち、情報を出してくれました。私たちは「どうして?なぜ?」と思いながらも、とにかくついて行っていたんですが、1年 も2年も経ってから、マスコミが大石さんと同じようなことを言い出してきたんです。いろんなことを先手、先手を打ってやってくれたので本当に助かった と思っています。
私はとにかく情報が欲しくて、常総生協内にできた脱原発委員会(注4)に入ったんです。あまりにも知らされていないことが多いと思って。チェルノブイ リのあと、どうなったかも誰もわからない。こうなったら自分たちで調べなければならないということになって、大石さんから話があって、チェルノブイリ に関する報告書をみんなで翻訳したんです(注5)。30人〜40人が関わって、出来上がるまで1年かかりました。翻訳をやったおかげで、いろんなもの が見えるようになりました。「翻訳本を欲しい」という人もいますし、「読んでね」と、こちらから送る人もいます。関西に住む人にも送ったんですが、残 念ながら無反応でした。こちらに住む人は地元なので、おかしいな、と思っていても情報が少なすぎて困っている人が多かったのか、必死で読んで下さいま した。読んだけど理解できませんでした、という声もありましたが(笑い)。
大石さん:医学書なので難しいんです。
茂田さん:知らなきゃ、知らなきゃ、という気持ちだったけれ ど、本の翻訳がひと段落したら今度は知らせなきゃ、という気持ちに変わってきました。NHKなどでたまに報道しているとしても夜中の放送だったり、放 送がカットされたりして、普通に生活していてもなかなか情報が入ってきませんから。今は、どういう形で知らせられるのか、伝えられるのかについて悩ん でいます。「もう考えないことにしよう」という人が増えてきちゃったので。
加藤さん:事故当時は何が起こっているかわからなかったんです が、生協からいっぱい情報がきて、事故当初は、あまりにも恐ろしくて情報をシャットアウトしてしまったんですね。でも、龍ヶ崎もホットスポットだとい うことが分かって、それで、地域のみんなで市役所に行ったり学校や公園の放射線量を測定したり、いろいろ始めました。
 最初はずいぶん参加者が集まったんですが、最近は会合をやれば固定した顔ぶればかりになっています。今は常総生協の組合員がほとんどですね。他の参 加者の方も、しばらくは心配だから、といって来る人がいたんですが、一回でこなくなったり、そこまでしなくても、という感じで温度差が出てきました。 常総生協の組合員は、生協ニュースなどを読んでいたりして情報をたくさん持っているので、やらなきゃダメだよね、と一致するんですが。どうすれば知ら ない人に知ってもらうか、拒否反応が出ないように知らせる方法を考えています。
村井さん:加藤さんは「放射能から子どもを守ろう@龍ヶ崎」をすぐに立ち上げたんですよね。そこに「生活クラブの会員だけれど、生活クラブじゃ動けな いから一緒に脱原発運動をやりたい」という人が来たり。
茂田さん:「常総生協はちょうどいい小ささだよね」といわれた ことがありました。生活クラブは大きすぎて動けないって。原発問題をみんなと取り組みたい、といって常総生協に来た人もいますね。
野口さん:守谷も線量が高いホットスポットになっちゃったんですが、ご近所の方の中には、事故直後から計算機片手に「外に何時間いたら危ない」とか自 分で計算している方もいました。ご家族が研究機関に勤務していたり医師をしていたりするので。「そんな情報、テレビで言ってないですよね」と言ったら 「テレビなんて信じてるの?」って言われたり。そういう知識のある人は常総生協の取り組んでいることをちゃんと理解してくださいます。
大石さん:つくばという土地柄、研究者が多いので。私もニュースレターでうっかりしたことは書けないんですよ(笑い)
野口さん:そういえば、事故直後の3月に(生協の)理事会をす ると聞いて、「こんなときに理事会?」と思ってました(笑い)。学校もみんな休みになってるのに。
大石さん:3月20日くらいまでは、もう生協も終わりだから、解散だから、どう閉めるかを考えていました。皆さん外へ出るな、出るなと呼びかけている のに、みんな平然と外に出ていて。
野口さん:理事会はあるしね(笑い)
大石さん:常総生協が、ここじゃなくて郡山にあったとしたら、 大阪にあったとしたら、どうしただろうと思ったりします。福島にあれば「逃げるぞ」と言ってたのか、ここに残って「がんばろう」って言ってたのか。逆 に大阪にあったら「福島の農産物?冗談じゃない」なんて言ってたかも知れない。
村井さん:「半分だけ被害者」という感じがありますよね。
野口さん:「被曝してる」という意識のある人とない人がいて、そこのギャップが大きいですよね。何も考えないでいるひとが悪いわけじゃないですけど、 一緒に考えられる条件をもう少し広げていきたいな、と思いますね。
村井さん:国がすべきことを放棄して、一般の人たちが一生懸命 助けなきゃ、助けなきゃってがんばっている。いったいこの国って何なの?って思います。こんな状況で若い人たちが寄る辺もなくさまよっている。この国 は本当に病んでいると思います。今、一緒に手をつないでなんとかしなきゃ、という思いでいます。


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