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連 載:ネパール・タライ平原の村から(32)
プンマガルの故郷の村(その3)

 
 ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。その31回目。

 

山岳部にあるプンマガルの故地。前回は、そこでの出稼ぎ・過疎化について述べました。ただ、それは何もいまに始まったことではありません。村の労働人口は昔から、仕事を求めて出稼ぎに出るのが普通だったようです。こうした事実は、村で暮らす人々の証言から知ることができます。

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かつて「ただの男(農家)か、グルカ兵のどちらか」と言われたように、出稼ぎ先のすべてが、インドもしくはイギリス軍に雇用されるグルカ兵だった時代がありました。ちなみにグルカの名称由来は、かつて王朝があったゴルカという地名から来ています。
  「年齢条件は16歳以上だったが、14歳になればみな入隊した」。「第二次世界大戦や印中、印パ国境が緊迫した時には、片眼を閉じ、人差し指の関節を曲げることができれば、誰でもグルカ兵になれた」。要するに、誰でもなれたというわけです。
  給料や年金が保証されるグルカ兵は、山岳民にとって十数年前まで、現金収入を得る唯一の“職業”だったようです。採用されると、新調した軍服やブーツを常に身につけることができます。休暇になれば、その姿で帰村し、しかも外の世界とつながるラジオを抱えています。村の誰もが、その身なりに憧れを抱いたそうです。軍隊で読み書きを学んだ彼らは、地元の学校設立に寄与し、山村に近代化をもたらす存在でもありました。
  一方、最前線での体験談は、辛いものばかりです。「ジャングルの中、泥を被って、滴る泥水で喉の渇きを潤した」。「空襲の際、恐怖のあまりどうすることもできず、ひたすら神に祈り続けた」。「空襲でジャングルの中をさ迷っている時、部隊の一人が『30、30! 助けてくれ!』(番号で仲間を呼び合うそうです)、と失った片足を引きずりながら、叫ぶ悲鳴が聞こえた。しかし、助けに行く勇気はなく、走り続けた」。「夜警で、ジャングルの岩陰に隠れていた4人が尋問に答えないため、隊長の指示で初めて人を撃った」。
 

空家
国内各地や海外への移住で
空家が増える山村

現在は、戦争のハイテク化や兵士の高学歴化で、グルカ兵の数は大幅に減っています。同時に、退職して年金を受給する元グルカ兵とその家族の多くは、開発が進む平地タライ、あるいはカトマンドゥやポカラなどの都市部へ移住しました。
  また、イギリスが退役グルカ兵の待遇を改善し、1997年以降に兵役に就いた者とその家族に対しては、イギリス永住権も与えられるようになりました。イギリスをはじめ、米・豪・カナダといった英語圏の移民受け入れ国では、さらに高い所得や生活水準が得られると認識されています。そのため、多くのグルカ兵を輩出したプンマガルの村では、家族そろって離村し、イギリスへの移住を選択する人々も増えています。

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トウモロコシを乾燥保存
●主食のトウモロコシを乾燥保存
山岳部は農業生産性も低い

19世紀、東インド会社によるインド植民地経営の際、勇敢な山岳民として優先的な雇用を受けた少数民族の1つプンマガルの人々。彼らの故地がいまに至る過程は、植民地政策や二度の世界大戦、海外援助による平地や都市部のインフラ整備、労働力不足を補う先進国の積極的な移民受入れ政策など、大国の歴史と深い関係にあることがわかります。
  私たちが抱く、牧歌的なアジア農村というイメージとは異なり、昔から自給だけでは生活を成り立たせることができなかった、山村の歴史の実相を垣間見ることができます。   

(藤井牧人)

 


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