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連 載  ネパール・タライ平原の村から(30)
     プンマガルの故郷の村(その2)

 
 ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。その30回目。

 

僕が暮らすカワソティには、プンマガルの故地である山岳部のミャグティ郡から平地タライへ移住した154軒が散在して暮らしています。ここで、プンマガルの儀礼や親戚に招待されることが多々あります。その際には、1970年、80年代前後に故地から移住してきたお年寄りや、幼少期を山岳部で過ごした人々から、懐かしくも厳しかった故地での暮らしぶりを耳にすることがあります。

※    ※    ※

「薪を集めた帰り道。疲れたので一休みしようと腰を降ろしたところ、背負いカゴに入れてある娘が泣き出した。仕方なく、もう一頑張りと再び歩き出した。しばらくして、後ろの方から“ゴォ
ー”と大きな地鳴りが響いた。さっき一休みした場所や道は、そのまま崖底へ消えた。地滑りだった」。
  「トウモロコシが稔る季節。朝から晩までサルの群れに喰われないよう、“ハアアアー”と追い払う声を張り上げ、何日も見張りを続けないといけなかった。サルは実をもぎ、少しだけかじっては、次の実をかじる。人を恐れないので木の棒で銃を撃つフリをして追い払ったりもした。追い払ったと思ったら、上の方の畑へ、また追い払うと次は下の畑へ」。サルの思い出話は尽きない。


カワソティの藤井宅とミャグディ郡の位置関係

●カワソティの藤井宅とミャグディ郡の位置関係

 

ミャグディ郡に続く山道。これが幹線道路
●ミャグディ郡に続く山道。これが幹線道路

「寒さが増したプース月(12月中旬から1月中旬)。家畜を連れて、どこの家も山の下へ移動し始めたそんな季節。牛小屋で娘が生まれた。それから3日後、寒さの中、娘を抱えて山を降りるのが非常に辛かった」。
  「ダージリン(インド)でグルカ兵として働く父が亡くなったという知らせを聞いた。歩いてダージリンからの帰路、あと1日で家にたどり着くその日、弟も力尽きて亡くなってしまった」。
  「13年前、祖母が亡くなった。死因は下痢で孤独死だった。近辺に家が少なく、出稼ぎや移住で見守りにきてくれる人もいなかった。葬儀は地元ではなく、山を下ったカリガンダキ河沿いでされた。タライへ移住した母(祖母の娘)がかけつけた時のことを考えて。ところがその話が伝わったのは、祖母の死から1ヵ月も後のことだった」。

※    ※    ※

現在では、こうした僻地の村まで農道が続くようになり、畑では換金作物としての野菜が一部作付けされるようになりました。
  かつて下痢は深刻な病気でしたが、今では地域にヘルスポスト(簡易保健所)ができ、下痢止めの錠剤が手に入るようになりました。また、水分補給しないと脱水症状を起こすなど、衛生知識も以前より認知されてきたようです。出産も、かつては9割以上が自宅分娩でしたが、今では病院での出産が常識となりました。
  近年では、とくに携帯電話の普及によって、遠く離れた移住者もいつでも故郷と連絡できるようになりました。その山の暮らしも近年、大きく変容しているようです。一方で、出稼ぎや移住で空き家や耕作放棄された段々畑が目立ち、お年寄りも多く見かけます。どこか日本の過疎の村と似ていて、寂しい気分にもなります。
  山村が過疎化してしまうのは、なぜでしょうか? 経済の周辺へと追いやられた山は、住む価値のないところへ追いやられてしまいます。そんなことではいけないと思うのですが……。

(藤井牧人)


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