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研究会報告:たべもの歴史研究会
    比較文明の旅A―中国の風土

 
 (特)日本有機農業研究会幹事の本野一郎さんを講師に実施している新規研究会「たべもの歴史研究会―“文明のたべもの史観”にむけて」。以下、第3回の内容をかいつまんで紹介する。

 

 講師の本野さんは研究会の第二回目で、イングランド南部を訪れた経験をもとに、和辻哲郎の言う「牧場型風土」における食べもの確保のあり方について指摘した。
  すなわち、気温の低い冬に雨季が、気温の高い夏に乾季がくることで、年間を通じて牧草の確保が可能となり、家畜の飼育が極めて容易であることから、肉食中心の食文化が生まれた、ということである。
  そして、それは同時に、「モンスーン型風土」や「砂漠型風土」に比べて自然が人間に従順であり、人間が自然に忍従したり脅威を感じたりしないが故に、自然に対する人間中心主義的な態度の根源を形づくっているという。

 

「緑の地球ネットワーク」に同行

これに対して第三回目の今回は「比較文明の旅A―中国の風土から」と題して、「モンスーン型風土」に属するとされる中国が舞台である。一口に中国と言っても範囲は広大だが、本野さんが大阪に事務所を置くNPO法人「緑の地球ネットワーク」(GEN)に同行して、2008年に中国の「黄土高原」を訪れた際の報告を、スライドを使って紹介していただいた。
  「黄土高原」は北京の西方、黄河の上流・中流域に位置する広大な高原で、シルクロードの入口にあたる乾燥地域である。かつては豊かな森林があったとされるが、これまで数千年間にわたる戦乱や森林伐採、過度の開墾や放牧などの結果、今では森林どころか緑色さえ稀な黄色の大地となり、砂漠化が進んでいる。にもかかわらず、人々は生きるために急斜面まで耕地に変えざるを得ず、それが降雨による表土の流出を促し、ますます砂漠化が進む悪循環に苛まれている。
  こうした生態系の危機に対抗すべく、「緑の地球ネットワーク」は1992年から、黄土高原の東北端に位置する山西省大同市の郊外で、以下のような緑化協力を行っている。
  @植樹造林プロジェクト
  A地球環境林センターの運営 (育苗、見本園建設等)
  B自然植物園の運営(育苗、基盤整備等)
  Cカササギの森建設 (実験林場。基盤整備、植樹等)

 

植林だけが緑化ではない

このうち、本野さんが紹介したのはBの自然植物園である。ただし、「植物園」と言っても、実際には一つの山である。霊丘県上寨鎮南庄村に位置するこの山は、もともとは南庄村の所有だったが、ハゲ山と化して使い途もなく放置されていたところ、中国側カウンターパートの名義で、1998年に使用権を購入することができたという。
  さて、標高が900メートルから1300メートルと高低差もあり、86ヘクタールという広大な面積を持つこの山、100年間の使用権は実に日本円で12万円とのこと。大同市でも南部にあるため、黄土高原の中でも土壌や気候の条件は比較的植林に向いているという。実際、付近に自生している広葉樹から各種のマツまで、各種の樹木を集めて試験栽培も実施されている。

 

黄土高原と中国の位置関係
●黄土高原と中国の位置関係

とはいえ、植林よりも先に実施したのは、放牧による進入を防ぐための対策である。なぜなら、放牧されている羊やヤギは、春に芽吹く木の新芽を好んで食べてしまうからだ。そこで、山の周囲をトゲのある樹木で囲い、羊やヤギが入れなくした。すると、それまではごくわずかな種類の草しか生えていなかったのが、徐々に別種の草や灌木などが繁茂しだしたという。
  それ故、本野さんによれば、緑化運動は、もちろん植林も重要だが、それ以上に家畜の過剰な放牧や過剰な森林伐採、過剰な耕地化といった緑化の阻害要因をなくすことが不可欠である。
  もっとも、こうした阻害要因は、巨大資本による飽くなき利潤追求の結果と言うより、地元住民が生存のために自然を利用してきた結果である。したがって、地元住民の生活の維持と両立する自然利用のあり方が確立されない限り、持続的な緑化運動は望み得ないと言える。
  ところで、大同市近辺は中国有数の鉱物資源の産地でもある。本野さんによれば、自然植物園の周辺の村々にはレアメタルの採掘場が散見され、村人たちは現金収入のためにレアメタル採掘に仕事を求めているという。言うまでもなく、レアメタルの採掘にしても、また精製にしても、多大な環境破壊を伴う。その意味でも、緑化運動は50年先、100年先を見据えた息の長い運動とならざるを得ないのである。

 

8年で消滅した川

今回の研究会は当初、前回のイギリスの風土に続き、フランスの風土について取り上げる予定にしていた。にもかかわらず、あえて中国の風土を取り上げたのは、折から話題の「PM2.5」をはじめ、北京ほか中国各都市での大気汚染が取り沙汰されていたからである。

わずかに回復した植生
●わずかに回復した植生

本野さんが中国を訪れた2008年には、大気汚染についてはさほど問題となっておらず、それよりも「水問題」が深刻化していたという。すなわち、国家当局によって、国内外から北京オリンピック観戦に訪れる訪問客向けに上水を確保すべく、周辺の農村に対して米の作付けを禁止するなど、なりふり構わぬ対策を講じていたのである。
  それというのも、年を追うごとに北京に向かって流れるの水量が減少しているからだ。とりわけ、中国を代表する河川の一つである黄河は、ところどころで水流が途切れる「断流」が恒常化して久しい。


  本野さん自身も、そうした実態の一端を目の当たりにしたという。それは、植物園からマイクロバスで宿舎に帰る途中に見た、見事なトウモロコシ畑の情景である。もちろん、中国ではトウモロコシはありふれた作物であり、トウモロコシ畑そのものには特段の意味はない。問題なのは、トウモロコシ畑の位置しているのが川の中だということである。橋の上から見ると、上流も下流も見渡す限りトウモロコシ畑。畑の横幅はおよそ200メートルだという。
 

川の中のトウモロコシ畑。左は橋
●川の中のトウモロコシ畑。左は橋

「緑の地球ネットワーク」によれば、この川は北京に向かって流れる川であり、2000年の時点ではこの川幅いっぱいに満々と水が湛えられていたという。にもかかわらず、年々川幅が狭くなり、とうとうトウモロコシ畑に変わってしまった。川底の土は豊富な養分を含んでいると同時に、周辺に比べれば水分も比較的多い。川すら涸れる水不足の中で、農民たちが少しでも水のあるところを目指すのは当然でもある。
  しかし、こうして畑にしてしまえば、わずかばかりの水分すら吸い上げられ、伏流水も流れない状態になってしまう。その上で雨が降らなければ畑もできず、結局は砂漠になっていくほかない。実際、そのようにして黄土高原の砂漠化は進んでいる。
  それにしても、わずか8年間で、ここまで劇的な変化が生じるのはなぜか。人口増加に伴う生活用水の利用拡大、増えた人口を養うための耕地拡大に伴う農業用水の利用増加など、さまざまな理由が考えられる。
  本野さんによれば、その中でも最大の規定要因と思われるのは、1978年以降の改革開放政策の中で中国社会の市場経済化が進んだこと、それに伴って黄河流域の村々が豊かになるために、自ら工業を興して工業用水に使い始めたことにあるという。たしかに、先に見たレアメタルの採掘でも、洗浄や精製の過程では大量の水が必要である。
  あるいは、農業の面でも、かつては自給的な農業を中心に営まれてきたものが、市場化に即した産業としての農業に転換していく過程で、大規模な潅漑設備など、大量の農業用水を消費することも、よくある話と言えよう。
  いずれにせよ、こうして川の途中で水が使い尽くされてしまえば、当然ながら下流域には到達しようもない。また、水が不足すれば緑が失われ、緑が失われば水源も枯渇する悪循環にも陥る。かくして急速に乾燥化が進み、200メートルの川が8年で消滅を余儀なくされてしまうのだ。
  もちろん、中国政府もこうした状況に手をこまねいているわけではない。現在、水不足を解消するため、南方に位置する長江の上流、中流、下流からそれぞれ取水し、東線、中央線、西線の3ルートで西北・華北の各地に引水する「南水北調」計画が進行中である。東線工事は02年末に、中央線工事は翌03年末に着工したが、西線工事は自然条件の過酷さから、未だに検討段階となっている。
  中国らしい雄大な計画だが、それ自体が環境への大きな影響を予想させる。また、水をめぐる地域間の対立を招く可能性もある。さらに、年々深刻化している水質の悪化も問題となるだろう。そもそも、これまでのような野放図な水利用の改善が伴わない限り、弥縫策に終わる可能性が高い。

 

さらに深めるべき点

以上、本野さんの報告は、中国における自然環境の深刻な悪化について、今さらながら確認させるものだったと言える。
  その一方で、さらに深めるべき点も、いくつか感じられた。一つは、中国における地域的な差異の問題である。周知のように、一口に「中国」と言ってもあまりに広く、自然条件も多様である。当然、その中には普遍的に括れる部分と個別的に分別すべき部分があるはずだ。たとえば、よく言われるが、中国の食事における「主食」は、北京を含む華北地方以北では小麦ないし雑穀、上海を含む華南地方以南では米である。それ故、農業における水利用のあり方も異なれば、社会の編成のあり方も異なる。いわゆる「漢族」の中でさえ、そうした違いがある。黄土高原の事例もまた、そうした普遍性と個別性の中で、改めて位置づける必要があるのではないだろうか。
  もう一つ、本野さんが引き合いに出す和辻哲郎の風土類型に従えば、中国ないし黄土高原の風土はどれにあてはまるのだろうか。たとえば、地域的には「モンスーン型」に属するはずだが、気候としては「砂漠型」に近い乾燥地帯と言える。また、決してここ数年だけではない、長期にわたる自然への人間中心主義的な関わり方を考えれば、「牧場型」ヨーロッパの特質と類似するものを感じないわけにはいかない。この点では、風土という概念の有効性と限界が問題になるだろう。
  最後に、中国における深刻な環境破壊は、かつて日本を含めたいわゆる先進諸国が経験したものである。ただし、その速度と範囲は、中国の方が上回っている。日本でも各国でも、多くの犠牲を払いながら、それでも改善が勝ち取られたのは、環境破壊・生活破壊に抗する人々の社会的な運動の故である。たしかに中国では、社会運動の余地は極めて限定されているとは言え、この間では集団的抗議や草の根NGO(非政府組織)の展開といった形で新たな胎動が現れている。その中には、合作社(協同組合)やCSA(地域が支える農業)など農業における新たな実践も含まれる。こうした動きについて、今後ますます見ていく必要があるように思われる。 

   (研究所事務局)


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