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連 載 ネパール・タライ平原の村から(29)
 プンマガルの故郷の村(その1)

 
 ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。その29回目。


 私が歩いた山の道、私が暮らした山の家、放牧に出かけた森、耕した畑、実際に行って、見てきなさい」。あるとき、妻の母から、平地へ移住する前に家族と過ごした山岳を訪れるよう言われました。「山の暮らしがどれだけ大変か、一週間もいれば、帰りたくなるわ」。妻はそう言います。
  そこで、登山用バックに米をいっぱい詰め込み、プンマガルの人々にとって故郷の村、ミャグディ郡ラムチェにあるカパルダンダ村へ行ってきました。山岳部では米が作付できないため、等外米のように品質は低いにもかかわらず“高価”な古米・古古米が一部で流通しています。そのため、親戚を訪問する際には、お土産に米を持っていくと喜ばれます。今回は、妻と初めてカパルダンダを訪れた時のことを紹介したいと思います。

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僕が住む平地のカワソティからミャグディ郡の郡庁所在地ベニまでは、ネパール第二の都市ポカラを経由して、乗合バスで一日かかります。道中、妻が窓の外を見ながら言いました。
「子どもの頃、ポカラへ歩いて行くとき、3日目に泊まった家があの辺りに……」「あの山の頂上近くに父方の親戚が一人いて……」「あの山の裏手に誰々が……」。
越えても越えても山が続く中、かつて村からポカラまで歩いて4日かかったのが、今ではバスで2日で行けるようになったとのこと。乗合バスの終点ベニでは、プンマガルの人々が利用する宿泊所で一泊。翌日、ようやく4年前にできた山道を、乾季だけ運行するジープに乗り、時速5キロ以下で走ること5時間、やっとのことでカパルダンダ(標高2400m)へ到着しました。

村の崖上から見下ろす妻とチェマ
●村の崖上から見下ろす妻とチェマ

ここでお世話になるのが、一人暮らしのチェマ(妻の父の姉妹の呼称)です。チェマは7匹のヤギと2頭の牛を飼って暮らしています。チェマは家畜の飼葉を刈りに行く際、「ジャングルに行く」とは言わず、「ヴィル(崖)に行く」と言います。付いて行くと、そこには本当に落差の激しい切り立った崖がありました。どんな農作業も体験してみるのを趣味のようにしていた僕ですが、ここは途中まで付いて行ったものの、それ以上は断念しました。しかし、ここではこれが普通の農業です。
チェマは朝起きては、近くに草刈りに出ます。朝食後は崖下へ降り、数日前に刈り取った乾草を取りに行きます。昼過ぎ戻って一息ついた後、近くに草刈りに行きます。明けても暮れても薪を集め、草刈りをする日々です。寒季は家畜を引き連れて標高の低い崖下で暮らし、暑季は家畜を引き連れて崖上の家へと移動して暮らしています。
かつて、村人にとって季節に応じて移動する暮らしは当たり前のことでしたが、今では見かけなくなったといいます。「最近の若い者は、ジーンズを履いて皆ベニへ行く(進学のため)」。そんな姿に驚いているとのことです。

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カパルダンダで滞在中、親戚の家々を回って、家族構成や仕事について尋ね、忘れないうちにメモにして、家系図を作ったりしました。また、行政上の地名でない土地の人が使う地名を聞いたり、標高差に応じて変化する植生について名称を教えてもらったりして過ごしました。
  プンマガルの人々が代々暮らすこの土地で、人々はどのように生活してきたのか。その暮らしはどのように変わったのか、変わらないのか。プンマガルの人々の生き方について、今後も同じ時を過ごしながら、注目していきたいと思います。

(藤井牧人)

 


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