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訪問報告:地場野菜農家と福島農家との交流
   「3・11」から2年、福島の農家はいま…

 
 「3・11」から2年が経過する中、福島の農家はどうしているのか。去る3月25〜26日、関西よつ葉連絡会が「地場野菜生産地」と位置づける丹波・北摂四地区の生産者たちが福島を訪れ、わずかな時間ながら現地の三農家と交流の機会を持った。以下、その模様を簡単に紹介する。

 

「つなぎの会」の取り組み

関西よつ葉連絡会が取り扱う農産物の中心に位置付けている「よつ葉の地場野菜」は、北摂から丹波にかけて四地区の農家が生産を担っています。これらの農家の連絡・調整組織「摂丹百姓つなぎの会」(以下、「つなぎの会」)を構成するのは、大阪府能勢町の農業生産法人許k摂協同農場、高槻市原地区の轄rホ農産と高槻地場農産組合、京都府南但市日吉町の泣Aグロス胡麻郷、亀岡市東別院町の農業生産法人兜ハ院協同農場です。四地区合わせて約300戸の農家が一年を通して、作付会議での論議を踏えて、協同して地場野菜の生産に取り組んでいます。


  2年前の福島原発の事故による放射能汚染の影響は、福島県下は言うに及ばず、関東、東北の農家に深刻な被害をもたらしました。その被害は今も続いています。市場流通の世界では西日本産の農産物が東へ動いて、“誰かの不幸は誰かのビジネスチャンス”とばかりに、西日本の野菜を売り込む動きが今も続いているようです。「つなぎの会」では、原発事故の汚染に苦しむ農家の実態をいろいろ聞き、論議する中で、「自分たちにできることは何だろう」という話になりました。ちょうど震災以来、全ての原発が稼動停止に追い込まれる中、関西電力・大飯原発の再稼動が論議になり始めた一昨年の11月頃です。
  「自分たちにできることは、自分たちが日々耕しているこの土地に近い原発の稼動を止めさせることでは」
  「福井県の原発で事故が起これば、今度は自分たちが福島県の農家が今直面している現実を経験することになる」
  「自分たちの農地と大飯の原発がどんなに近い距離にあるのか、実感することから始めよう」
  そんな論議を経て、2012年2月18日、大雪が降る天候の中、大型バス2台に分乗した「つなぎの会」の農家約100名が、「大飯原発はこんなに近いんだ!発見ツアー」と銘打って、福井県の大飯原発視察に出かけました。雪のため高速道路が一部閉鎖となって、猛吹雪も重なり、予定を大きく上まわる時間がかかり、「ちょっと遠い」と感じる大飯原発でしたが、地場の農家にとって、福島県下の農家に思いをはせる一つのきっかけとなりました。
  その後、「つなぎの会」が四地区の農家に呼びかけた大飯原発の再稼動に反対する福井県知事への要望書には333人の署名が集まり、代表4人が県庁へ署名を届けることとなりました。しかし、残念ながら、関西電力は大飯原発の再稼動を強行しました。日本政府、産業界の、何としても原発の灯を消すことは許さないという強い執念を感じ、反原発の長い闘いを覚悟させるものでした。

 

原発と闘う福島農家

今年になって、この農閑期の時期に、福島の原発事故とその下で苦しむ農家の日々に、ちょっとでも触れる取り組みを考えようと、「つなぎの会」で話し合いました。その結果、今年は、福島の現地を訪問して、春の作付を始めようとしている農家と交流し、原発事故の不条理を少しでも感じる企画を進めようということになったのです。
  3月25日〜26日の1泊2日で、福島県有機農業者ネットワークの皆さんにお世話を願い、福島県二本松市と郡山市を訪問することができました。「つなぎの会」の四地区からそれぞれ代表3名、よつ葉農産の職員2名、合計14名での交流ツアーです。
 

大内信一さん(左)の畑で
●大内信一さん(左)の畑で

最初に訪れたのは、福島の有機農業の先駆者として二本松市で農業にとり組んでこられた大内信一さんの圃場です。ほとんど全ての農産物を、おつき合いのある個人やグループに直販してこられた大内さんの場合、事故から2年目の昨年では、セシウム汚染の検出値が全て10ベクレル以下となり、1ベクレルの検出限界で不検出となる野菜がほとんどだったにもかかわらず、販売量は事故以前の約6割にしかなっていないとのこと。その話をうかがって、一同「ウーン」と絶句。「まあ、敬遠される消費者の気持ちも分っかろ」という大内さんの言葉に、一同また「ウーン」。


 

斉藤登さん(左)からお話を聞く
●斉藤登さん(左)からお話を聞く

ネットワークの事務局長を務めておられる斉藤登さんの圃場は、さらに福島原発に近い阿武隈山系の中山間地、旧東和町にありました。11年産の米については、山ぎわの田から穫れた米で、セシウム検査で500ベクレルを越えた米が1〜2ヶ所出て、地区全体の米が保管扱いになったとうかがいました。12年産については、県の指導で、セシウムを吸着するゼオライトの投入が義務付けられ、現在のところ、政府が定めた100ベクレル越えの米は出ていないとのこと。しかし、ゼオライトの投入や圃場の天地返しなどが負担となって、ただでさえ高齢化が進んで、ギリギリ地域で支え合って維持してきた地元に、耕作放棄地が一挙に拡がったと聞かされました。「東電の補償金が入って、なんとか農家は暮らしていけるけど、この先どうなるのか。空間線量を意識して、山からの水を心配して、タラの芽や山菜は食べられない生活が続いています」という斉藤さんの言葉には、うなずくしかありませんでした。


中村和雄さん(右から二人目)と
●中村和雄さん(右から二人目)と

2日目は、郡山市の稲作農家、中村和雄さんの自宅へおじゃまして、お話をうかがい、圃場を見せていただきました。朝から雪が舞って、寒風が吹き抜ける天候でしたが、よつ葉の生産者交流会にも参加して、福島県の農家の現状を報告していだいた中村さんの「放射能汚染なんかに負けられねえべ」という熱い意欲に逆に励まされる交流でした。直前に、山口県の祝島を訪れ、島の人たちとともに上関原発反対の行動に参加してきたと話す中村さんの圃場には、まだ数羽の大白鳥がエサをあさって残っていました。
  「そろそろ帰ってくれないと、米づくりの準備が始められねえから」と白鳥に声をかける中村さん。変わることなく季節が移る自然を前にして、人間の営みのちっぽけさを、ふと思った福島訪問の最後でした。 

(津田道夫:当研究所代表)


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