タイトル
HOME過去号>104号 104号の印刷データ PDF

連載 ネパール・タライ平原の村から(25)
  新憲法制定をめぐる混乱(その1)

 

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。その25回目。

 

ネパールでは2006年に王制が事実上解体され、翌年に制憲議会が設置されました。しかし、当初は期限2年の議会は、これまで4度に及ぶ期限延長を経て、最高裁判決に基づく今年5月27日の最終期限でも、遂に憲法制定はなりませんでした。その結果、バッタライ首相(マオイスト)は政権議会の解散、11月22日の再選挙を宣言しました。
  この事態について、「制憲議会は一体何だったのか」「大多数の庶民の要望に応えることなく、一握りの議員の要望に応えただけではないか」といった声があちこちから聞こえてきます。憲法制定をめぐるこうした混乱を巡っては、日本でも少し報道があったようですが、当時の状況について、僕の知る範囲で述べてみたいと思います。

※    ※    ※

憲法制定に向け、まず焦点となったのが、マオイスト兵の国軍への統合問題です(約3万人とされたが、兵士として認証されたのは2万人弱)。これについては結局、手当給付で除隊希望者を募り、解決に至る模様です。10年にわたってゲリラ戦を繰り返したマオイスト兵(その多くは普通の村人)ですが、国軍に統合されるのは1400人弱。それ以外は、マオイスト政権によって、あっさりカネでお払い箱となったのです。

●町の国道で集会。
演説の後マガルの女性の踊り

憲法制定の最終期限が迫った5月には、「民族自治州の樹立」が争点となりました。これは、少数民族の政治参加を謳い、支持を集めたマオイストが、当初から訴え続けてきたものです。マガラート州(マガル族)、タルワン自治州(タルー族)、キラート自治州(ライ族・リンブー族)など、各地方で多数派を占めながら、これまで抑圧されてきた少数民族やダリット(不可触民)に自治権を与え、国全体を連邦制に転換する内容です。
計11の自治州を策定する政府案に対して、主要政党や上位カースト集団からは、10州案、12州案、14州案など自治州の線引きを巡る対案、あるいは民族州そのものへの反対が提出されました。これに対し、今度は少数民族グループの側から、民族自治を断固要求する声が高まります。その後、マオイストは主要政党の声も少数民族の声も考慮した、複雑すぎて運用できないような合意案(多民族州案)を提案しました。
ほかにも5月、僕が住む地域では連日、道路を封鎖するゼネストが繰り返されました。医療機関と八百屋以外は、すべて閉鎖されます。少数民族による集会の規模も日増しに拡大し、バイクが止められ破壊される事態も何度かありました。少し離れたところで上位カーストによる集会も開かれ、間に武装警察が待機する緊迫した日もありました。別の地域の集会では、警察の発砲や爆破事件も起こりました。そうした混乱の中、憲法制定は見送られたのです。
その後、日常の暮らしが戻り、暫定憲法も機能しています。とはいえ、白昼に最高裁判事が暗殺されるなど、平穏とは言えません。そもそも制憲議会の再選挙は予想されておらず、選挙実施を危ぶむ声も聞かれます。マオイスト内部では急進派が分裂、さらに、一部とはいえ王政復古を望む声もあり、政局の混乱はいまも続いています。

※    ※    ※

長らく抑圧されてきた少数民族が自治権を訴えることは、まったく正当です。しかしネパール全体には、100以上もの少数民族がいます。一口に少数民族といっても、ある地域で多数を占める民族に特権を与えた場合、その中にさらに抑圧される少数民族を生んでしまう可能性もあります。民族自治州案には、こうした矛盾に対する答えが見つかりません。
民族自治州案を唱えたマオイストの幹部は、多くが上位カースト出身です。そんな矛盾の解決を求めることは、無理な相談なのでしょうか。もしかすると、初めから実現不可能なことを主張していたのでしょうか。とすれば、少数民族は扇動されただけだったのでしょうか。
100以上の民族集団、50以上の言語集団、異なる宗教集団がいるネパールには、どのような自治が必要なのか。村で普通に暮らしている人々に聞いてみたい思います。     

  (藤井牧人)


【参考資料】
●(社)日本ネパール協会『会報』
http://nichine.or.jp/JNS/
● 谷川昌幸教授(長崎大学)『ネパール評論』
http://nepalreview.wordpress.com/


地域・アソシエーション研究所 104号の印刷データ PDF
200×40バナー
©2002-2012 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.