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脱原発−ドイツの事例から見えるもの

 

去る9月1日、よつ葉ビル5階にて、ドイツ人医師マルチン・ゾンアーベントさんの講演会が行われた。当日は、関西よつ葉連絡会の配送スタッフを中心に、20名近くが集まり、原発問題を巡ってさまざまな議論が行われた。以下、その模様を簡単に紹介したい。

 

ゾンアーベントさんは内科医兼精神科医としてノルトライン=ヴェストファーレン州ヘルフォルトの公立病院に勤務する一方、核戦争防止国際医師会(IPPNW)ドイツ支部の幹事を務め、また地元ヘルフォルトで「ヘルフォルト平和構築エネルギー協同組合」をつくり、エネルギーの「地産地消」に向けた活動を行っている。

●ゾンアーベントさん

今回の訪日は、8月に広島で行われたIPPNW第20回世界大会への参加が中心だったが、そのほかにも福島の被災地見学や東京での市民シンポジウム、さらには各地での交流会などに精力的に飛び回っておられた。関西よつ葉連絡会・日吉産直センターの会員である、京都府南丹市在住のドイツ人シャウベッカーさんとのつながりで、お忙しい中ご足労いただいた。
  ちなみに、IPPNWは米ソ冷戦の最中の1980年、医師の立場から核の脅威を研究し、核戦争に反対するために設立された国際組織であり、85年にはノーベル平和賞を受賞している。
  当日のお話は、「ヒロシマ・ナガサキ」そして「3・11フクシマ」を踏まえ、核=原子力に頼らないエネルギー確保の重要性、その可能性について、ドイツの経験を基に説明するものだった。以下、とくに印象に残った部分を紹介したい。

 

●IPPNW世界大会での失望

ゾンアーベントさんによると、広島市で開かれたIPPNW第20回世界大会では、最終日の8月26日、福島原発事故や原子力エネルギーの是非をテーマに全体会議が開かれ、放射線の健康リスクの評価などを巡って議論があったという。
  とくに日本側の参加者の中から、原発事故に伴う健康リスクを軽視したり、原発の存在を肯定する意見が出されたらしい。実際、マスコミ報道を調べると、次のような記述があった。
  「福島に医療支援で出向いた神谷研二・広島大原爆放射線医科学研究所長をはじめ、同大の医師らが演者として登壇。細井義夫・同研究所教授は、原発事故被災者の甲状腺被曝線量が、チェルノブイリ原発事故(86年)の被災者と比べ多く見積もっても10分の1程度であるとして、影響は『非常に少ないだろう』などと話した。」
  「登壇者の発表後、時間切れで司会者が質疑応答を打ち切ると、一部参加者が反発。質問を受け付ける一幕もあった。低線量放射線の健康影響について意見が割れていることに対し、スイス人心理学者のアンドレ・ミッシェルさんは『不都合なデータも隠すべきではない。科学者として放射線が及ぼすさまざまな可能性を説明することが重要』と指摘。……ドイツ人医師のアンゲリカ・クラウセンさんは『福島のような大惨事が起きた以上、もっと時間を割いて意見交換したかった』とこぼした」。(2012年8月27日付『毎日新聞』広島電子版)
  結局、大会は福島の事故について「悲劇を忘れてはならない」とする「ヒロシマ平和アピール」を発表したが、原発そのものを批判する内容は盛り込まれなかった。ゾンアーベントさんによれば、海外からの参加者はこうした事態に失望し、直ちに対抗的な行動を開始した。すなわち、翌27日には東京で市民団体などとともに「福島の原発事故と人々の健康〜教訓と課題」と題する国際シンポジウムを開催、28日には約30名が福島県内の被災地を視察、それらを踏まえ、29日には「国際的医師団の勧告 福島の原発事故後の人々の健康を守るために」を発表した。
  同勧告は冒頭で、「福島の惨事で被害をうけた人々に対して私たちが負っているもっとも重要な義務は、核兵器を廃絶し原子力から脱却することである」とのティルマン・ラフIPPNW共同代表の指摘を引き、「原子炉と核兵器の根本的な過程は同じである。1998年、IPPNWは、医学上の根拠により、原子力からの脱却が必要であるという最初の明確な立場をとった」とした上で、主に医学的見地から日本政府の被曝対応について重要な指摘を行っている。
  中でも「権威ある専門家や学校教材を通じて、放射線の危険性を軽視するような誤った情報が流布されてきたことは遺憾である。『原子力ムラ』の腐敗した影響力が広がっている」との指摘は、世界大会における日本側の対応を念頭に置いたものであることは明らかだ。
  その上で、同勧告は「安全で持続可能な世界のためには、核兵器も原子力もなくさなければならないことは明白である」と結ばれている。
  ここで指摘されたように、IPPNWの日本支部であるJPPNWは、「核の平和利用=核(原子力)発電」を一貫して容認してきた。まさに、自らの機関誌で公然と述べているごとくである。
  「北米やヨーロッパの主要支部の大部分が反原発・脱原発で、……原発容認のJPPNWは、世界大会でしばしば槍玉にあげられていた。『原発問題までプロジェクトに入れると、核兵器廃絶の命題がぼやける』という理由付けで、反原発がIPPNWのプロジェクトにならないよう、JPPNWが中心になって潰してきた感はある」。(『広島県医師会速報』第2124号、2011年7月5日)
  3・11以降かなり変化したとは言え、核兵器と核(原子力)発電を区別することで後者を救い出そうとするイデオロギー操作は未だ根強いものがある。ゾンアーベントさんのお話から、そうした問題状況を改めて思い知らされた。

 

●ドイツにおける脱原発への道

ゾンアーベントさんからは、ドイツが脱原発を決定するに至った経緯について、緑の党の形成過程も含めてお話しいただいた。
  周知のように、ドイツでは2002年、反原発を掲げる緑の党との連立で、中道左派のシュレーダー政権は22年までに全原発を停止すると決定した。その後、中道右派のメルケル政権に交替し、原発の稼働期間を34年まで延長することになったが、福島原発事故の後、地方選挙で緑の党が大幅に議席を拡大。世論の多勢も原発否定に傾いたことを受け、政府は原発の是非を諮問する倫理委員会を立ち上げたところ、「10年以内に脱原発が可能」との結論が得られたため、再び22年までに、現在17基ある原発を全て停止することが決まったのである。
  その背景には、30年以上におよぶ反核・反原発運動の蓄積がある。米ソ冷戦が再び激化した1980年代初め、ソ連が中距離弾道ミサイルSS20をヨーロッパに向けて配備したことに対し、西ドイツ(当時)のシュミット首相は対抗措置として、米国の中距離弾道ミサイル・パーシングUの実戦配備を提案した。これを受け、こうした動きが第三次世界大戦を誘発し、ミサイル基地としてのドイツが核戦争の舞台になりかねないとの懸念が社会的に高まり、全欧州規模での反戦・反核運動が盛り上がった。
  それからしばらく後、1986年に旧ソ連(現ウクライナ)でチェルノブイリ原発事故が発生した。この事故で放出された放射性物質は、気流に乗ってドイツにも降り注ぎ、社会全体が放射能への恐怖で覆われた。ちょうど、3・11後の日本社会のように、「子どもを屋外で遊ばせてはいけない」「野菜を食べるべきではない」といった情報で持ちきりだったという。実際、ドイツを含む欧州各国では放射能汚染の「ホットスポット」が発覚し、食品汚染や健康への影響も問題となった。
  ドイツで反原発運動が盛り上がったのは、こうした自らに直接影響が及ぶ事態がきっかけだったことは間違いない。しかし、単なる瞬発的な運動だけではなく、一つは緑の党の拡大という形で政治的な影響力を獲得する方向へ、もう一つは再生可能エネルギーを推進する方向へ、具体的に展開していったところに特色がある。
  ゾンアーベントさんによれば、二つの方向性は「草の根」という同じ根源から生まれた相互補完的なものであるという。すなわち、社会的な危機に直面した市民が危機を媒介にして横につながり、アソツィアツィオン(アソシエーション)を形成して危機の克服に取り組んだ結果なのである。ちなみに、ドイツではアソツィアツィオンと言えば、市民団体やNPO(非営利組織)を指す一般的な言葉である。
  とりわけ、再生可能エネルギーの推進に関しては、日本でも映画や書籍で、南西部バーデン=ヴュルテンベルク州にあるシェーナウ市の事例がよく知られている。
  人口2500人のシェーナウ市では、チェルノブイリ原発事故をきっかけに、子どもたちを守るため、市民数人が「原子力のない未来のための親の会」を結成した。放射能から身を守るための情報発信を手始めに、脱原発の一環として「節電キャンペーン」や「節電コンテスト」を市民によびかけた。さらに、市と独占的に契約していた電力会社に対し、原発に頼らない電力供給などを求める。これがあえなく拒否されたことから、「ならば自分たちで電力会社を作るしかない」と立ち上がり、シェーナウ電力会社を設立する。同社は既成電力会社の妨害を受けつつも、紆余曲折の末、1997年に自前の電力供給を達成する。
 

●ヘルフォルト平和構築エネルギー
協同組合のロゴ

ゾンアーベントさんによれば、自らが関わる「ヘルフォルト平和構築エネルギー協同組合」を含め、ドイツ各地でシェーナウ市と同様の取り組みが行われ、自らが使うエネルギーは可能な限り自前で作るという認識が共有されているという。自前のエネルギーを作ろうとすれば、当然にも、環境収奪型ではない、再生可能な循環型のエネルギーを目指さざるを得ない。それは、ひいては海外での資源争奪戦、その結果として生じる戦争の防止にもつながっていく。組織名称の「平和構築」には、そんな意味が含まれている。
  「とにかく、市民がアソツィアツィオンを作ることが重要です。はじめは数人でもいいんです。諦めずに活動を続けていけば、必ず形になります。私たちも、そうしてきたんです」。  自ら「活動家」と称するゾンアーベントさんは、この点を繰り返し強調されていた。強く印象に残る言葉だった。

 

●フランスからの電力輸入について

質疑応答の中で、参加者から「ドイツはフランスから電気を輸入していると言われるが、本当はどうなっているのか」との質問が出された。
  これは、日本で、しばしば原発推進派から指摘される問題である。つまり、ドイツが脱原発しても、不足した電力を原発大国のフランスから輸入することになり、結果的に原発による電力は減らない。ほら見ろ、脱原発なんかすれば電気が足りなくなるんだ、というわけだ。
  これに対するゾンアーベントさんの答えは、次のようである。
「フランスから電気を輸入していることは事実です。しかし、それはドイツの電気が足らないからではなく、電力価格に応じた市場取り引きの結果です。だから、逆にドイツからフランスへ電力を輸出してもいます。」
  実際、欧州の電力網はつながっており、電力市場は自由化されている。したがって、国境を超えた電力の売買もごく普通に行われている。その意味で、脱原発いかんにかかわらず、これまでドイツはフランスから電力を購入してきたし、いまも購入している。
  とは言え、フランスからの購入量は、ドイツ全体の需要のうち、わずかに過ぎない。実態を見れば、ドイツは10年以上前から電力輸出国となっている。また、2010年のドイツの総発電量に占める原子力の割合は24%で、福島原発事故の後に7基が停止して14%となり、電力輸出量は減少したものの、輸入量は変わっていないという。今後、すべての原発が停止されれば、輸出の余力はさらに減ることは確かだが、これまでの状況を見る限り、他国からの輸入に頼らざるを得ないほどの電力不足になるとは考えにくい。
  この点は、次の新聞記事でも確認できる。
  「東京電力福島第1原発事故後に『脱原発』を決め、国内17基の原発のうち約半数にあたる8基を停止したドイツが昨年、周辺諸国との間で、電力輸入量よりも輸出量が多い輸出超過になっていたことが分かった。脱原発後、いったんは輸入超過に陥ったが、昨年10月に“黒字”に転じた。太陽光や風力などの再生可能エネルギーの増加と、全体のエネルギー消費量を抑える『効率化』が回復の要因だという。厳冬の影響もあり、電力不足の原発大国フランスにも輸出している。」


  (2012年2月20日付『毎日新聞』電子版)
  同記事によると、ドイツは昨年8月の段階で、福島原発事故後の7基に1基を加え、原発8基を完全に停止した。その影響で、以前は輸出超過だった電力収支が昨年5月に輸入超過となり、その状態が4ヵ月ほど続いたという。  だが、昨秋以降の天候に恵まれ、太陽光発電や風力発電に有利な条件が整ったこと、政府が住宅の断熱化などエネルギー効率化を推進したこと、さらに原油価格の高騰も加わった結果、昨年は通年で輸出超過になった。  逆に、今年2月に欧州各地が厳冬に見舞われると、暖房全体の3分の1を電気に頼るフランスでは、原発をフル稼働しても電力不足となった。その結果、一時的に脱原発のドイツから原発が電力の7割を占めるフランスへ、電力輸出が超過する事態になったという。
  つまり、原発推進派が持ち回るのとはまったく逆の実態が存在していたのである。日本でも、大飯原発の再稼働を巡って、電力不足の脅威を煽る原発推進派の恫喝が行われたが、フタを開けてみれば、実際の電力需要は原発再稼働を必要としないものであったことが明らかとなっている。
  むしろ、暖房の多くを電力に、電力のほとんどを原発に依存してきたフランスの皮肉な事例は、実は日本の現状を暗示している。すなわち、地域独占と国策を背景に原発建設を推し進め、「オール電化」の謳い文句で電力の過剰消費を煽った結果、不測の事態に対応できないほどに原発依存になっている、ということだ。
  国内の原発8基を停止したドイツでは、発電量に占める原発の割合が低下する一方で、再生可能エネルギーの割合は上昇し、逆転する結果になっているという。ところが、日本では再生可能エネルギーによる発電量は、10年度で全体の約10%にとどまっている。
  この点について、ゾンアーベントさんは、「太陽光、風力、地熱、小水力など、日本は再生可能エネルギーの潜在的な可能性に溢れている国です。なぜ、それを生かさないのでしょうか」と疑問を投げかけていた。要因の一つは、やはり政府のエネルギー政策だろう。
  ドイツ政府は現在、再生可能エネルギーの導入目標として、2020年に35%、2030年に50%、2040年に65%、2050年には80%との数値を掲げている。こうした明確な政策目標の下、再生可能エネルギーの固定価格買い取りの促進、原子力産業に代わる再生可能エネルギー関連産業の育成、前者から後者への労働力再配置などを行っている。対する日本政府は、未だに原子力産業にすがりつく政策を継続しているが、それは明確な見通しを持ったものと言うより、むしろ将来を展望する能力を失った結果と言うべきだろう。
  とはいえ、政府に政策変化を促す原動力が人々の意思と行動にあることは言を俟たない。ゾンアーベントさんが繰り返し強調したように、現状に危機感を持ち、それを変えようとする人々が手をつなぎ、諦めずに活動を続けていくことで、やがては大きな変化に実を結んでいく。脱原発を巡るドイツの事例は、まさにそのことを示唆していると言える。  

   (山口協:研究所事務局)

 


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