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連載 ネパール・タライ平原の村から(24)
   ある村人を看取る〜身近にある“死”

 

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その24回目である。


先日、隣の家に住む司祭カースト「バフン」の母親がガンで亡くなりました。祖母と父母、学校へ通う3人の娘・息子の一家でしたが、父親も昨年に病気で亡くなっています。

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カトマンドゥ・パシュパティナート寺院の火葬場
●カトマンドゥ・パシュパティナート寺院の火葬場

亡くなった父親は、かつてインドに出稼ぎに行っていたものの、昨年は入退院を繰り返していました。僕が田んぼに草取りに出かけた時、いつも田んぼから娘さんが声をかけてくれます。それが、昨年は見かけないと気になっていたら、父親の療養のために米作りは辞めてしまったとのこと。その田んぼも自分たちのものではなく、地主と収穫の半分を折半しあう「アディア」という小作農(刈分小作)だったそうです。

また、家の周囲にも畑があると思っていたら、その家も畑も実は、借家・借地だったことをずっと後になって知りました。その後、この家族は飼っていたヤギも水牛も売ってしまいました。さらに、父親の手術代がないとのことで、村人たちが募金を集めに回ることもありました。そんなある日の深夜、父親は自宅で亡くなりました。 それから数ヶ月後、今度は母親が入院しました。病院からは“なぜもっと早くこなかったのか?”と言われ、親族にはすでに末期症状だと告げられたそうです。自宅へ戻った後は毎日、朝から晩まで近所の人(とくに女性)や親戚の人たちがたくさん訪れ、見守るようになりました。見舞い客は特別なことはせず、普通に世間話をしたりして過ごします。家族だけが看病するのでなく、できるだけ多くの人が一緒に長い時間を過ごすことで、家族の不安感を和らげているようでした。

そんな日が何日も続き、母親はますます衰弱していく中、村の人が母親と娘・息子の写真を撮りました。画像は、カトマンドゥにある海外のNGOが運営する孤児院に送るとのこと。一方、長女は早く嫁に出し、息子は親族が引き取り、次女は孤児院に送るらしい、との噂話も耳にしました。翌朝、相方の母に呼ばれて、彼らの家に行くと、すでに大勢の人だかりができていました。意識を失いかけている母親は、戸外にあるヴィシュヌ神を祀るトゥロシの木(バフンの家に必ずある)のそばで、ムシロを敷いて寝かされていました。その意味について、ある若い男性が周囲を気にして、英語で教えてくれました「last stage(最期だ)...」。

母親が小声で“みかんを食べたい“と言うと、誰かがみかんを持ってきます。息子は母親の手を握り、泣きながらも必死になって声を殺しています。娘は大声で泣きながら、母親を呼んでいます。
その横で、“そんなに泣きなさんな“と声をかける親戚の人も、声が震えています。周囲にいる人の多くが目に涙を浮かべています。「自分の目の前でもうすぐ人が亡くなろうとしている」。見ているだけで胸がギュッと締め付けられる思いがしました。この子らは、これからどうなるのだろうか? そこに集まった人々誰もが、同じことを考えたのではないでしょうか。

ガンジス河へ続くナラヤニ河はごく普通の川
●ガンジス河へ続くナラヤニ河はごく普通の川

しばらくして、近所の人が瞳孔・脈拍・心拍を確認し、顔に布が被せられました。この後、四方にほら貝が鳴り響き、母親の死が伝えられました。遺体は腐敗する前に、速やかにナラヤニ河の岸へと運ばれ、近所の人がそれぞれ出し合った薪で火葬されます(薪を出し合うのは不足しているため)。そして、聖なる河とされるガンジス河へと通じるナラヤニ河に遺灰が流されました。

 

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医療サービスも葬祭業者も介入しないここでの人々の死は、非常に身近なところにあり、深く考えさせられることが多々あります。 (藤井牧人)

 


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