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研究所設立10周年記念シンポジウム
   パネラー・参加者からの感想

 

 さる5月20日に実施した当研究所の設立10年周年記念シンポジウム。参加された幾人かの方に感想をお願いしたところ、お二人からご意見をいただくことができた。改めて感謝します。

 

10周年記念シンポジウムで学んだこと

田畑 稔さん(大阪経済大学・哲学)
  私は農業や農村の現実についてまったく無知なものですが、3つの実践報告それぞれから学ぶことが多かった。  祝島の氏本長一さんのお話で印象深かったのは、エコロジー的問題意識を持った人々のさまざまな経済的社会的活動のイニシャティヴが、祝島という「今ここ」の自然的諸条件や経済地理的諸条件に素直に内在し、これを活かす形で発揮されているということです。氏本さんが言いたいのは、現代の環境負荷型の生産や消費には、逆に「今ここ」が失われているということでしょう。祝島という対照的実践を紹介してくれたので、非常に説得的でした。   「しらたかノラの会」の加藤美恵さんのお話で感銘を受けたのは「土」(土着)と「風」(外部から来た人)の結合からしか「風土」はできないということです。農村の運動が産直ネットで都市の協同組合と結びつくということにも、家では嫁、妻、母であるが、加工所では「一人の人として見てもらえる」ということにも、同じ確信が語られているように思われました。加藤さんが人生を賭けて獲得された信念で、感銘を受けました。   「アグロス胡麻郷」の橋本昭さんのお話は(お話だけだなくご本人がそうなのでしょうが)自然体で魅力的でした。農村の農業力の低下や地域社会の空洞化の進展といった全般的状況を描きながら、「ゴソゴソ動いています」と表現しつつ、気負いもなく、幻想もなく、もちろん諦めもなく、その都度その都度、近すぎず遠すぎない具体的提案をし、組織につなげる。成果を誇示するといったレベルでなく、もっと深いところで生きておられるのだと思われました。
  このように人生をかけた実践者たちの話を聞くと、私のような文筆の徒は、つい、言葉だけの虚しさを感じてしまう。「いや、俺だって人生をかけているんだ」と確認したくなる。それだけ、それぞれに存在感を感じたお話でした。


10周年記念シンポジウムの感想

氏本長一さん(山口県・祝島)
  祝島では8月に、千年以上前から4年おきに開催されている伝統神事「神舞」が行われ、普段は静かな人口480人の小さな離島は、帰省客や観光客も含めた3000人近い観衆で大賑わいでした。
  5月のシンポジウムの席上で「『地域』をどう定義するべきだろうか?」との質問に、私は行政などの法制エリアではなく、運命共同体的なエリアが望ましく、その判りやすい判断基準として「祭り」を共有できていること、といった意味の返答をしたように思います。   今回の神舞を終えた現在、私にとってその考えはいっそう強くなっています。   「祭り」はその地域住民にとって共通の物語であり、アイデンティティの拠りどころだと改めて実感させられました。   そして、それぞれ固有の物語をもつ地域同士で新しい物語(とりわけ「食」をとおして)を創造して共有しようとする協同の取り組みで、コミュニティではなくアソシエーションの概念が相応しい新たな地域を産み出していけるのではないか、など勝手に思いを巡らせたりします。
  ともあれ現在の我々は、あまりにも自分と地域の関係性への意識が希薄で、その希薄さゆえの様々な問題を抱え込んでいて、自分と地域の関係性を見つめ直す必要を強く感じています。

 


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