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連載 ネパール・タライ平原の村から(23)
野菜や果樹の栽培に見る多様性

 

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その23回目である。

 

道路整備によって町の拡大が加速する

昨年、インドとカトマンドゥを結ぶ国道沿いの町へ続く道路の道幅が拡張され、アスファルト舗装されました。雨季に道がぬかるむこともなくなり、電灯も一部設置され、夜間の移動もずいぶん楽になりました。住民はおおむね喜んでいます。 道路の整備と前後して、農地の宅地化・土地売買も急速に進みました。町に近く、送電線や舗装道路があると、土地価格も高騰するとのことです。新しい道は土地・農地をお金に換えさせ、資本を流入させる道でもあるようです。

僕が住むカワソティという町は、10年前まで幹線道路沿いの小さな田舎町でした。それが、急速に都市化の方向へ進んでいると実感する機会が多々あります。八百屋、雑貨屋、家具屋、食堂など、昔ながらの商店に加え、7年前の王制解体後に増えたのが、海外出稼ぎ者と連絡を取り合うためのインターネット・サービス店、プリペイドカード式のケイタイを売るモバイル店です。パソコン教室を併設した販売店も増えました。 そのほか、民族衣装より、インドの映画スターが着ていたジーンズや洋服を売るブティック。殺風景なショーウィンドウのバイク店。最近はスクーターも見かけるようになりました。さらに、預金口座が女性名義だと利率がよいなど、様々なサービスを実施する銀行の支店。コマーシャルで連発される衛星テレビや冷蔵庫を売る電器店。 いずれも、これまで首都圏や主な地方都市でしか見かけることがなかったタイプの店が登場するようになりました。また朝夕、これまで個人でやり取りされていた生乳を、村の人から集荷して、加熱殺菌処理する設備も見かけるようになりました。牛乳は地方都市へ供給されるようです。

 

●マハバーラト山脈から平地へ降りる道

こうした変化の理由として、地理的な問題が挙げられます。カワソティがあるナワルパラシ郡は東西に長く、郡庁は西端に位置します。それに対し、カワソティは郡のちょうど中間に位置します。郡庁で行政手続きを行う場合、郡の東端で暮らす人々は、乗合バスで何時間も移動しなければいけません。さらに、郡内の山岳部(マハバーラト山脈)で暮らす人々は山を降りて移動しなければならず、さらに数日かかります。 こうした問題を解決するため、住民登録やパスポート発給、トラブルの多い土地登録などを行う出張所をはじめ、行政機関がカワソティに設置されました。その結果、カワソティは地域の中心地として機能するようになり、人口も増えました。

  一方、町の中に目を移すと、町の拡大を支えるインド系の建築労働者グループを見かけます。彼らの中には20歳くらいの若年労働者が多くいます。また、山岳部から来た農業労働者も、少数ですが見かけます。彼らは平地や首都圏の人々が就かない、非常に安価な労働を請け負っています。 こうした人々を対象に、家を増築し部屋を貸して家賃収入を得る人、農地を売って土地投機に走る人、自営業を始める人などが現れます。在来の牛や水牛に比べて乳量は倍増するが飼料代も倍増する、ホルスタインを飼う酪農家も見かけるようになりました。生計手段の多様化が見られます。

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こちらでは、賃金を得るための「仕事」は、いまでも多くありませんが、それでも働き方は多様化し、現金収入は確実に増えています(大半が出稼ぎ)。と同時に、昔のように農業しなければ生計が維持できない状況から、農業しても生計が維持できない状況に変わりつつあるように思われます。それでも、多くが兼業化や家族内で分業する道を選択し、採算が多少合っても合わなくても家畜を飼い、自分たちの食べ物は自分たちで確保しています。こうした暮らしの基本は、今も昔も変わらず続いているようです。  

  (藤井牧人)

 


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