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研究所設立10周年記念シンポジウム
   生産・地域から、変革・未来を展望する

 

さる5月20日、当研究所は設立10年の区切りとして、これまでの活動を振り返り、これからの10年を考えるとの主旨で、記念シンポジウムを開催した。当日は約50人の参加者にお集まりいただき、祝島・氏本農園(山口県)、アグロス胡麻郷(京都府)、しらたかノラの会(山形県)から報告を受けて議論を行った。以下、その概要を研究所の文責で紹介する。当日の記録は別途作成する予定である。

 

二つの節目を重ね合わせて

まず、研究所代表の津田道夫から、以下のようにシンポジウム開催の挨拶がなされました。
 
  「『地域』と『アソシエーション』、その構想と現実」(本誌第97号)でも触れたように、今回のシンポジウムは、2002年9月に当研究所設立から今年で10年を迎えるという節目と、昨年の「3・11」で露呈した日本社会の大きな節目とを重ね合わせたことが動機となっている。

 当研究所の特徴として、次の二点を挙げることができる。一つは、いわゆる学者・知識人による組織ではなく、日々の労働や事業活動に従事しながら、生活現場で現状変革に関わっている人々を中心に運営されている組織だということ。もう一つは、そうした人々が研究所を通じて、自らの考えを整理・普遍化する作業をしてきたことだ。
もちろん、研究所のような形を取らないまでも、おそらく全国各地で、農業や畜産をはじめとして、自然と関わりながら生産・事業活動をされている人々の中には、現代社会がいかに歪んでいるか実感しつつ、そうした現状の変革への志向が日々芽生えていると思われる。

  そうした志向は間違いなく、私たちが未来社会へ向かうための核心だろう。ただ、そうした志向を互いにどのように共有できるか、あるいはこの国全体のシステムとして、思い描くような変革がどう実現されていくのか等々、私たちにとって分からないことはまだまだ多い。 今回のシンポジウムでは、地域にこだわりながら、市場システムや権力システムなどではなく人々の協同関係に軸足を置いて現状の変革を展望されている三地域の方々をパネラーにお招きした。日々の取り組み、その歴史的な経緯、今後の展望などについてお話をいただくとともに、会場の皆さんも交えて議論し、相互の経験を共有できれば、と考える。

 

暮らし全体の地産地消をめざして

●シンポジウムの模様

シンポジウムの一番手として、山口県祝島から氏本農園の氏本長一さんに、「地産地消の食生活が貴方と地域と世界を救う」というテーマで、祝島型食生活と都会型食生活について、食生活環境を比較する形で報告いただきました。

 祝島出身の氏本さんは、長らく北海道で畜産関係の仕事に従事された後、6年前に祝島にUターン。島では完全放牧による豚の飼育を主体として一次産業に携わるとともに、地産地消のランチ専門「こいわい食堂」を経営されています。また、中国電力の上関原発建設への反対運動の一環として、「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」という地域起こし活動にも参加されています。

  以下、要点をかいつまんで紹介します。

祝島型食生活では、一般的にイメージされる農業・漁業よりも、狩猟・採集が大きな比重を占め占めている。農業は有機農業や自然農に近く、漁業も一本釣りが中心。他方、都市型食生活は、工業的で単作型の大規模集約農業、あるいは施設装備型、養殖型の大規模漁業に支えられている。 生産エネルギーの面からみれば、祝島型食生活は基本的に、太陽光のエネルギーで育ったものを人間が一手間かけて収穫する形であり、量は少ないが持続力のあるエネルギーに支えられていると言える。一方、都市型食生活は、化学肥料や農薬、石油、鉄などの鉱物などを総動員している。つまり、継続的な再投入をしない限り持続できない。

 生産と消費の地理的問題で言えば、祝島型食生活は基本的にほとんどが島内で生産と消費が行われるが、都市型食生活の生産は世界中で生産コストの低いところ。だから生産と消費の間の距離は非常に大きい。 つまり、都市型食生活を支える農業や漁業は、経済性に合わない部分を地域社会や生態系に押し付けることで成り立っている。農薬や化学肥料の多投入による環境被害、資源の乱獲、廃棄物の処理、地下水の枯渇、大気や水の汚染など、「隠されたコスト」が不可避である。福島の原発事故は、そうした現実の象徴と言えるだろう。

 では、なぜ祝島ではこうした食生活が成り立っているのか、それは、おそらく祝島の住民の中に、あえて言えば「自然との共生」とか「物質的な豊かさ以外の多様な豊かさ」を軸にした生活規範があるからだと思われる。 祝島型食生活つまり地産地消の食生活は、単に食べ物を食べるとか、任意の食材を選んで調理するといったことではなく、まさに取り替え不可能な特定の場所で生きることそのものを意味している。島民が30年にわたって上関原発計画に反対し続けているのは、危険性の問題というより、むしろ原発によって、そうした特定の場所が失われることへの怒りがあるからだ。

 以上を踏まえて、個人的に祝島の一次産業の未来戦略を考えると、農業も漁業も生産効率を上げるよりも、むしろ、できるだけ狩猟・採集に近い形にシフトしていくことが重要だと言える。その方が、人々の「クォリティ・オブ・ライフ(生活の質)」が向上するように思う。 実はここ数年、祝島に生活の場を求めて都会から移住する人々が増えている。とくに目立つのが30代、小さな子どものいる若夫婦、独身の男性・女性。彼らが求めているのは、自然との共生であったり、物質的な豊かさ以外のクォリティ・オブ・ライフであったり。それが祝島にあると考えているようだ。 一方、祝島の産品を購入してくれる人々もまた、同じような部分に価値を見出している。まさしく付加価値だ。狩猟・採集に近くなれば生産量は増えないが、品質や希少性という点では付加価値が高まる。その意味で、生産規模を拡大したり、生産効率を上げたりしなくても、生活を再生産する経済力を維持できると同時に、地域の生態系を維持することできる。

 それ以外にも、今後の社会全体のあり方として、太陽エネルギーを主体とした小規模分散型の地域エネルギーの自給体制、つまりエネルギーの地産地消の体制が構築できる、と考えているから。もうひとつは地産地消に象徴される食生活をすることで、原発依存の原因となる都市型食生活、つまり消費者は単にお金で買うだけではなく、自分で考えて能動的に選ぶという、ある意味で政治的な行動にもつながり、社会の変化を促す一つのきっかけとなるのではないか。
  個人的には「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」にも、そうした問題意識を込めている。これは原発事故を受けて、電気の電源を原発から再生可能エネルギーにシフトするというだけではなく、暮らしのエネルギー全体をできるだけ地産地消に持っていこうという取り組みだ。2010年ごろに構想され、2011年1月に実質的に発足した。
  「自然エネルギー100%」というように、たしかに我が家にもこのプロジェクトで屋根にソーラー・パネルつけて太陽光発電を始めた。以前と比べ、中国電力から買う電気の量は4割ぐらい減っている。しかし、それだけではなく、人間が暮らす上で電気に劣らず大事な食というエネルギーも自給率100%を目指そうということで取り組んでいる。我が家でやっている「こいわい食堂」も、その一環だ。基本的に祝島でいま手に入るものを食材として提供している。 それ以外にも「介護」の問題がある。祝島では高齢化が進んでいるが、島に生まれ育ったお年寄りはできるだけ島で自分たちで看取ろう、それが暮らしの安心をつくるんだ、ということで、ヘルパーの講習会などをやっている。

  お年寄りがいることで、千年以上続く伝統の祭りを活かして島のアイデンティティーを育んだり、その祭りを通してIターンの人たちを呼び込んで、これからの島を支える人材として育成するとも可能となる。「人材」こそ、地域社会を支えるエネルギーだ。そうしたエネルギーの自給も、非常に重要だと思う。 要するに、さまざまな側面で暮らしの地産地消を実現するため、総合的に取り組むというのが「100%プロジェクト」の目標であり、それはいわいしまだけでなく、他の地域にも通じると思う。

 

人として地域で生き続けるために

報告の2番目は、山形県白鷹町は「しらたかノラの会」の加藤美恵さんと新野祐子さん。加藤さんは1947年白鷹町生れ、地元で保育士として働いた後、農家の加藤秀一さんと結婚。その後に就農され、農産加工グループづくりを経て、現在は地域でさまざまな取り組みを進められています。

  新野さんは1954年白鷹町生れ。首都圏での会社勤めを経て、81年に白鷹町にUターンし、88年に就農。「ノラの会」で農産加工に取り組みつつ、地域の自然を守る様々な活動をされています。
 
 以下、要点をかいつまんで紹介します。

 

●加藤美恵さん  

●加藤さん(左)、新野さん(右)

6年前に「しらたかノラの会」を結成し、昨年11月、それまでの任意団体から企業組合として法人化し、私が代表になった。この5年間について報告するの前に、「ノラの会」設立に至るまでの経緯について紹介したい。
  私は24歳で結婚し、次女の出産を機会に仕事を辞め、農業の道に進んだ。当初は養蚕で現金収入もあったが、繭価の低迷などが続き、次第に頭打ちになっていった。 夫の加藤秀一は、農薬や化学肥料を使う近代農業が身体に合わず、早くから有機農業の道を模索していた。また、当時は国が米の減反政策を進めていたが、彼は反骨精神から減反を拒否し続け、そのため丹精込めて作った米は非正規流通米として買いたたかれ、国の制度資金も貸さないと言われる、そんな時代が長く続いた。

 白鷹町は山形県南部の置賜地方に位置し、以前は人口2万人くらいだったが、いまは1万5000人ほど。専業農家は酪農なども含めて120戸ほどで、高齢化が進んでいる。4ヵ月以上も雪に埋もれるため、かつては冬場の出稼ぎが不可避だった。 農作業のできない冬も百姓で生き続けたいと思い、また相手の言いなりでなく自分で価格が決められる自決権のある百姓をめざして、私たちは農産物の加工品を産直する方向へ活路を見出そうとした。こうして1981年、仲間とともに「白鷹町農産加工研究会」の設立に至る。

  中山間地にある白鷹町は消費地も遠く、生ものでは輸送費がかかる。一方、地元には冬場の保存食の知恵が豊富にある。会のメンバーは当初、自分の農業や子育てなどをしながら、地元の高校の小屋を借り、暇を見て地元に伝わる漬物をつくっては、家々を一軒ずつ回って売り歩いたり、お昼に各職場へ訪問販売などもした。 そこから初めて、間借りでない新たな加工場をつくって生協との取り引きを始め、さらに夏場も働く通年加工に挑戦した。また地域での「有機野菜の会」の発足など、さまざまな試みの末にやっと生活のできる状況になったときは60歳になっていた。あっという間の25年だ。

 その後、いろいろ経過があって農産加工研究会を退会した。他にも退会した人がおり、それぞれ個人で有機農業をやるつもりだったが、せっかくだから何らかのつながりを維持したいということで、2006年に「しらたかノラの会」を設立した。メンバーは現在9名。個人の田畑はもちろん、共同の田畑があり、黒米やもち米、ゴマやキビ、大豆などは共同の畑で共同作業で作っている。加工品は5年間で100種類も開発した。多品目で大変だが、台所の延長で生産者との結びつきも大切にし、これからも開発を続けていきたい。加工品の他に、毎年6月末からは産直野菜の出荷が始まる。それぞれが分担した野菜を週一回持ち寄り、箱に詰めて主に首都圏に発送する。

  総括とまではいかないが、この35年間の中で感じたことをいくつか紹介したい。一つは、加工場で働いて嬉しかったこと。それは、家では嫁であり、妻であり、子供の親であるという立場で暮らしていても、職場に行けば、そうした立場から離れて自分でいられる、自分の意見を言える、一人の人間として見てもらえること。それがとても嬉しく思った。 また、減反や農薬の空中散布などに反対する中で感じたことだが、白鷹町のような狭い地域の中で自分の意見を言うのは容易ではなく、少数意見は簡単に否定されてしまうが、でもやはり意見を言うことによって地域で民主的なものを守らなくてはならない。そうした闘いだったのではないか、と思っている。

  あるいは、産直を始めた当初は、中間マージンの部分を省略して自分たちでやろうという考えが中心だったが、実際にやってみると、流通にはそれなりの仕事があり、それをすべて引き受けることが産直なんだ、ということが分かってきた。 さらに、自分たちが一生懸命に農業をしようとしても、それを取り巻く状況、たとえば国の農業政策との向き合い方も重要だと思うようになった。TPP(環太平洋経済連携協定)への反対も含めて、農業を大切にする政策にしていかなければ、と強く思っている。 以上と合わせて、先ほど祝島のお話を聞きながら、「ノラの会」でも将来を考えて、きちんと理論づけていく必要があると感じた。

 

●新野祐子さん

昨年11月に企業組合になる際、企業組合としては経済活動以外のさまざまな活動まで抱えるのは難しいという話が持ち上がり、では何のために企業組合にするのか、議論になった。その結果、経済活動以外の部分については企業組合とは別に、「ねこの手基金」という組織を作って取り組むことにした。もともと旧「ノラの会」が発足する際に友人知人から出資してもらった賛助金が基になっている。今年の4月には、機関誌「ねこの手通信」もできた。

 活動の目的は、人が人として生きるために、地域で生きていくために必要なことを追求することだ。もちろん「ねこの手基金」の前から、そうした活動はしている。たとえば、昨年の3・11による原発事故という状況を受けて4月に行われた町会議員選挙では、立候補予定者に原発に関する公開質問状を出した。このときには「ノラの会」を事務局として「地域のエネルギーを考える白鷹有志の会」をつくった。8月には「有志の会」で白鷹町議会に「原発の廃止を求める意見書提出方請願」を出し、全会一致で採択されている。

  また、今年3月には「原発・TPPに頼らない未来へ・地域再生の道を探る」と題して、金子勝さんの講演会を実施した。このときには、町の中で幅広い人たちが実行委員会に加わってくれた。これは、私が白鷹に戻ってから初めてのことだと思う。私はかつて農薬空中散布の反対運動をしていたので、地域の人たちから敬遠されていた。それが今回、同じ実行委員会の席に座れたことは、本当に驚きだった。できれば実行委員会を継続し、原発やTPPの問題について引き続き広く考え、行動していきたいと考えている。

  「ノラの会」メンバーで「ねこの手基金」のまとめ役を担っている疋田美津子さんは、かつてNGO「アジア太平洋資料センター」(PARC)の職員で、現在はアジアの農民交流を推進する民間団体APLA(Alternative People's Linkage in Asia)の共同代表をしている。その関係で、私たちもAPLAと連携して幅広い活動を行っている。今年4月からAPLAの主催で、農を軸にした地域づくりに基づいて福島の復興を展望する試み「福島百年未来塾」が開催され、「ノラの会」も協力団体となった。これからも福島の農民と交流を続けたい。 いずれにせよ、私たちの活動が“ここに住んでよかった”とか、“安心して暮らせる地域だ”と思えるような一つの力になれたらと思っている。そして、志を同じくする人たちと地域を越えてつながっていきたい。

 

地域が地域づくりの主体になるように

●氏本さん(左)と橋本さん(右)

三番目は地元関西、京都府南丹市日吉町から農業生産法人「アグロス胡麻郷」の橋本昭さんです。橋本さんは、もともと京都の街中生まれで、大学卒業後に徒手空拳で日吉町の胡麻地区に入植。その後、関西よつ葉連絡会と取り引き関係ができました。アグロス胡麻郷は現在、よつ葉連絡会の扱う「地場野菜」の生産地四地区の一つであり、橋本さんは四地区の生産者の集まりである「摂丹百姓つなぎの会」のまとめ役をされています。 また、地元の胡麻地区では直売所を軸にした地域起こしの取り組みをはじめ、新規就農希望者の受け入れなど、さまざまな活動をされています。

  以下、要点をかいつまんで紹介します。

胡麻地区に入植して以降、自給生産に加えて産直団体に出荷するという形で、農業生産を基本に考えてきたが、アグロス胡麻郷を法人化してから、この8〜9年はとくに、農業生産は法人の若い従業員に任せ、外に出てる機会が増えた。 「地域」という点で言えば、当初は京都の街中の消費者に向けて出荷していたが、その後は地元病院の給食の食材、さらには小学校の給食の食材として納品するようになった。現在はさらに進んで、無人になったJR胡麻駅の駅舎活用と絡め、地域の有力者や行政なども巻き込んで地域振興のNPO法人を設立し、直売所「胡麻屋」の運営に関わっている。自分たちで作った農産物や加工品を出品しつつ、地域からのさまざまな要請を受けて、何ができるか考えている状況だ。

  地域と言っても、これまでは親戚や株内など血縁を中心にまとまっていたものが、この間の町村合併あたりから崩れ方が激しくなっており、また、産業面での基盤もないまま合併だけが進んだ結果、地域としてのまとまり、地域意識のようなものが散漫になっているように思う。 そんな中で、地域の中でモノづくり、人間関係づくりを通じて、お互いが今後も同じところで暮らしていけるような状況をどう展望していくか。それが、この8〜9年やってきたことだろう。

  実を言うと、いま中山間地域の直接支払いとか農地水の環境向上対策という形で、国からの補助金・交付金が結構ある。およそ40ヘクタールの胡麻地区で、年間700〜800万位のお金が下りてくる。これを集落でどう使って次世代につなげていくのか、というあたりにも関わっている。というか、関わらざるを得ない状況だ。 これまで、そうしたお金と地域づくりを重ねて仕切ってきた行政は、合併に伴うリストラや公共工事の削減などで消極的になっている。一方、それなら地域自身でやれるかといえば、これまで行政に依存してきたため、どうしていいか分からない。歴史的に見れば、いまは地域が再び地域づくりの主導権を取り返す黎明期なのかもしれない。

  その中でアグロスとしては、旧来の農家組合や自治会といった、地域の基幹となるような組織を刺激しながら、一緒に方向付けを考えていく形になる。たとえば、いくつかの販路を提供したり、地域の中で労力のやり繰りをしたり、余っている農地は法人で引き受けたり、新規就農者を紹介したりして調整を計る、とういうように。 将来展望を考えたとき最大の問題は、ご多分に漏れず高齢化だ。しかし、これは決して自然な結果ではない。いくら親孝行な子どもでも、田舎では食っていけないからだ。言い換えれば、何らかの産業があれば田舎から出て行く必要もないし、逆に若者を呼ぶこともできる。結果として年寄りの面倒も見られる。だから、引き続き農林業を基本に据えるとしても、今後はそれに加えて産業となるようなものを創っていく必要があるだろう。 まずは、そんなことを話し合うような枠組みをつくって、それを集落の中に定着させていくのが肝心だ。そう思って動いている。はっきりした答が見えているわけではない。“種まき”だ。

  農業生産の部分では、10年ほど前に関西よつ葉連絡会との間で地場野菜の試みをはじめたが、現状を見る限り、田舎の未来にとってある種のヒントになると思っている。実際、「つなぎの会」全体の生産量は増えており、これなら農業生産として持続できるという、一つの実証になっている。 もちろん、これは流通の部分の力量と表裏一体だ。流通の部分はそう簡単に増えるわけではない。とすれば、生産と流通を拡げていくには、どうすればいいのか、よつ葉の地場野菜を一つの核としながら、それ以外のステージや場所をどうつくっていくのか。生産の側からも、生産と流通、消費を一体として考えることが必要だと思う。

  以上の他に、今年は少し頑張ろうと考えているのが「農村に農業を」という試みだ。政府の農政としては、ますます小規模農家の切り捨てに走り、役場や農協の側でも、現在はブランド米や特産品の野菜については指導しても、自給的な農業についてはほとんど関わりを持たないということになっている。その結果、農村全体の総合的な農業力は低下し続けているように思う。 歴史的に見れば、大規模経営の専業農家といっても、個人や家族構成、時代状況によって変化している。代が変わって何だかんだて継がなくなったら、その地域に専業がなくなる場合もある。いまは特定の専業農家だけが知識や技術を持っている状態だが、その人がいなくなって跡を継ぐ人がいなければ、知識や技術も一代で終ってしまう。

  かつては、村全体として、そうした変化を受けとめる力があった。状況の変化で零細農家に農地が集まっても、村全体に蓄積された知識や技術によって、それをこなしていくことができた。しかし現状では、それこそ水路、草刈り、山の始末も含めてどうするか、農村自体の生産基盤を維持していくことが難しくなっているのではないか。
  そんなことで、今年は地区の中で各々の田畑に足を運び、知識や技術を共有するための交流を進めていきたい。アグロスが主催だが、普及所や行政も乗っける形で、地域全体としてやっていくのがいいだろうと考えている。 

 

質疑応答・論議

●会場の模様

 以上の報告を受け、会場の参加者も含めて質疑応答と論議が行われました。これも、ごく簡単に要旨のみ紹介します。

●広島生き活き農産・加藤さん

  祝島の狩猟・採集的な農業や漁業の産品は、どのように流通・販売されているのか、「しらたかノラの会」では、どんな形で流通や販売をしているのか伺いたい。


●祝島・氏本さん

祝島の代表的な産物は「ひじき」と「枇杷」。磯に生えているひじきを手刈りし、雑木林の間伐材で炊いて天日乾燥する。枇杷は無農薬の露地栽培。どちらも高い評価をいただき、需要に対して供給が追いつかない状態だ。
  基本的に、漁協や農協といったオープンな販路には乗らない、クローズドな取り引きが中心になっている。市場で換金されるのは、生産量全体の半分以下だろう。それ以外は自分で食べたり、いわゆる「縁故流通」で親戚縁者に渡す。この場合、換金されることは少ないが、お返しで別のものをもらったりして、ある程度のものは物々交換で手に入るようになっている。
  だから、公式統計で祝島の第一次産業の生産力を見ても、実態は分からない。中国電力など原発を推進する側は、公式統計を見て「これではやっていけない。原発が必要だ」と言うが、祝島の生活力の強さは表面に見えない部分にある。長年にわたって原発反対運動を続けてこられた根拠の一つだと思う。

●しらたかノラの会・加藤さん

会の継続には経済的自立が必要なので、新製品の開発や新たな販路の開拓をどうするか、まさに日々悩んでいる問題だ。昨年は原発事故の影響で非常に厳しい状況だった。 現在は地元の直売所に置いたり、生産者の記録などを交えて二ヵ月ごとに注文販売の案内を送ったりしている。ささやかな取り組みだが、地道なところを大切していきたいと思っている。生協は地元の山形から南は九州まで、およそ7ヵ所と取り引きがある。 消費する側とのつながりがなければ、いくら生産だけ頑張っても難しいのが現状だ。そこのところをどうするか、有機農業の発展や日本の農業の将来展望も含めて、一緒に考えていきたいと願っている。

●研究所・津田

当研究所の名称には「地域」という言葉が入っている。私のイメージでは、地域とは人間が生活したり生産したりという日々の活動を集積していくところであり、その意味では、ある程度空間的に限られた範囲が基礎になるだろうと考える。 そうした自分たちが生産している場所、生活している場所を、自分たちで改めて位置づけ直し、積極的な価値として維持したり、再生産していけるのかどうか。それが未来社会を構想していく上で重要な問題だと思っている。そこで、皆さんが地域というものをどう捉えているのか伺いたい。

●祝島・氏本さん

個人的な考えとして、思うところを話したい。祝島の場合は、やはり海に囲まれているため、「地域」という概念が生まれやすい。また、「祭」というものの存在がとても大事なポイントになると思っている。祝島では1200年続いている、四年に一度の「神舞」という祭がある。それが住民にとって共有可能な「物語」の一つになっている。おそらく、そうした「物語」を共有できる範囲が地域なのではないか。 祝島の「神舞」の祭神は地荒神だ。荒神はいいことばかりでなく、地震や干魃といった災厄ももたらす。ただ、それでも人間を徹底的に追い詰めて殺すようなことはしない。荒神様に寄り添っていれば、大儲けはできないけども、飢えて死むようなことはない。つまり、荒神とは「お天道様」そのものを表現したものだと思う。

  人間がお天道様に唾をかけるようなことをすれば、災厄は自分に跳ね返ってくる。だから、そんなことをしてはいけない。つまり、私的な利益を得るために命の海を埋め立て、原発を建てさせるなどしてはならない。そうした価値観で島の人々はつながっているのだと了解している。 祝島の人たちが、島の外からIターンでやってきた人たちの力を借りながら、祝島の中でいかにこの祭を伝承させていくのか。それが、祝島という一つの地域の存続に直結するのではないかと思っている。

●しらたかノラの会・加藤さん

受け取り方が間違っているかもしれないが、地域という言葉でイメージするのは、やはり道の手入れとか、お祭りとか、教育や福祉に関わるようなことだ。これは、考え方が違っても一緒にやるべきことだと思い、私も積極的にやっている。 たとえば、私の住む地域では月一回、ボランティアと独り暮らしのお年寄りが20人くらい公民館に集まって、ごちそうを食べたりお話をしたりするサロンを開いている。

  「遠くの親戚より近くの他人」と言うが、私たちのところでは比較的仲良く暮らしているので、自分も今後いつお世話になるか分からないし、何かできることがあればと思って、いまヘルパーの講座に通っている。 それと、たとえば国が違ったり、遠く離れていたりしても、生き方に関わる価値観が同じだったりすれば、地球も地域だろうと思う。その意味で、国の内外を問わず関係づくりをしていきたい。

●アグロス胡麻郷・橋本さん

たとえば、何かの目的の会合に行って、いろいろしゃべったり、人の顔を覚えたりすることもあるが、一方で地元の胡麻にいると、それほど付き合いはないけれども、40年近く一緒に年とってきた人はほとんど知っている。そういう人たちの中で暮らしたり、関わったりすることの安心感みたいなものが確かにある。もちろん、知っているが故にシンドイ部分もあるが、それらが錯綜しているのが地域だと思う。

●研究所・津田

皆さんがいま言われた地域の中には、おそらく既存の行政組織や昔から続く村の秩序、あるいは農業生産の面では農協など、どちらかと言えば既存の国家なり行政組織なりにつながるような地域の組織の規制力というものが一定あると思う。 そうした既存の組織との関係はどうだろうか。全く無視する場合もあれば、しようにも完全にはし切れない側面もあると思う。それぞれ皆さんが生産、生活をされている地域の中での既存の組織との付き合い方、関係づくりの方向性などについて伺いたい。

●アグロス胡麻郷・橋本さん

行政で言えば、昔は有機農業なんて全く鼻にもかけないし、相手にしない感じだったと思う。しかし、今は変わって、普及所が有機の人を集めて指導する場面も現れている。そんなこともあり、こちらとしては「今年はこういう形でやろうと思っているから協力してくれ」というように、可能ならば声をかけている。最近では行政・普及所向も、作物別の専門部会はともかく、各地区周りみたいなものが徐々に減ってきて、存在意義が薄れつつある。だから、少し声かけたら喜んで来てくれる関係になっている。農協の方は、部会制になっているので、自分らの取り扱い品目と違うところについては、とくに何か言われるという関係にはない。だから、力関係で対立することもなく、むしろそれなりの距離でつきあっている。「こんな資材があるようだが、情報流してくれないか」というような話をすれば、喜んでしてくれる、そんな関係だ。

●しらたかノラの会・加藤さん

私の家で言えば、そうしたものからはできるだけ避けて暮らす暮らし方を選んできたと思う。先ほど言われたお祭りも、農家にとっては豊作を祝い季節を区切るという意味での地域のお祭りなのに、神社という部分で天皇と結びついていたり、お札を強制的に買わせるとか寄付を集めるというのは、やはりおかしいと思う。それも行政組織の組長さんが集金する場合が多いので、それについては意見を言うべきだろうと思っている。 農協については、これまで減反を推進して、しない人には行政に代わってあれこれ言ってくるようになったので、そういうことに対しては、やっぱり地域の民主主義を守る立場から「自分はやりたくない」とハッキリ意思表示していくことも必要だと思うが、基本的には深くかかわらないという立場だ。

●祝島・氏本さん

もともと地域というのは行政や法律といった制度ではなく、運命共同体的な必然性でつながっている範囲だと思う。両者が一致すればいいが、最近の状況では、市町合併や農協合併のように、制度としての範囲は地域住民の都合ではなく、役所などの都合で変わっていく。だから、そのあたりの付き合いは、よほどしっかり考えないと振り回されてしまう。
  その際に主体的に物を考えるための一つの判断材料というか拠り所として、やはり祭のような、必然性なものは必要なんだろうと思う。むしろ、今だからこそ、そうした政治制度的ではまったくない地域のまとまりがますます大事になってきていると思う。 その典型的な例の一つが、食生活における伝統食のあり方ではないか。必然性のある地域づくりをやろうとする場合、そうした食に関わる切り口で取り組んでみるのも面白いかもしれない。

●研究所・津田

研究所の運営委員会で、今回のシンポジウムでどなたに報告していただくか議論した。その際、次の社会を構想していくにあたり、都会の中で、僕たちから見てヒントになるような活動を担っている方々についても考えたが、もう一つイメージできなかった。もちろん、我々の付き合いが非常に狭いことも原因だろうが、同時に、地域というものの新たな作り変え、あるいは創造を意識しつつ今後の社会を構想する場合、むしろ都会よりも農村の方が可能性があるのではないか、という話になった。

  当研究所や関西よつ葉連絡会を支える基礎のところは、やはり主に都会で生活する消費者を対象にした事業である。もちろん、そうした消費者は、農業や畜産など第一次産業の可能性、現代社会に対する批判や危機感を抱いているが故に、よつ葉の会員になったり、取り組みに賛同したりしていると思う。そうした人々が日々の生活を送っている都会の中で、何か地域を軸にした変化の可能性、あるいはその芽が、どんなところにあるのか、考えてはみるものの、きっかけが掴めない状態が続いている。 それを踏まえ、報告いただいた皆さんとしては、農村の生産現場から都市に対してどう見ておられるのか、現状に対する批判や問題提起などお伺いしたい。

●祝島・氏本さん

やはり都市の問題は、自給というか地産地消をどうするか、地産地消のエリアをどうイメージするか、というところだろう。 その点では、関西よつ葉連絡会のように、ある程度意識を共有できるような人たちがある程度のロットで控えてくれているというのは、産地にとっては心強いと思う。能勢農場のように自分たちの組織内に生産者を抱えて、常に生産面での問題を模索している点も重要だ。これからも、ぜひこの方向で続けていただきたい。

●アグロス胡麻郷・橋本さん

「農業・生産・消費」と言うとき、よつ葉というか私らの界隈で言われている世界と、世間で言われているような世界と両方がある。“よつ葉ワールド”としては、それなりにうまく機能しているし、いろいろ孕みながらも動いていると思っているが、それで果たして日本の農業が語れるのか、二つの世界の関係はどうなっているのか、その不安はずっと前からある。もちろん、私ら田舎の方でも、何とかうまくいっているところもあれば、打開策が見えないところも多い。そんな状況に対して、今のよつ葉のあり方はどのつながっていくのか、あるいはモデルになって牽引していくのか、今後はそのあたりの議論を進める必要がありような気がしている。

●しらたかノラの会・加藤さん

人があんまり住んでないような農村から、都会の高層ビルを前にして、この違いは何だろうなと思うことがよくある。農村で育ったうちの娘は、いま横浜にいるが、厚い鉄の扉のマンションのようなところにいて、冷蔵庫にはすぐ食べられるレトルト商品のようなものが山積みされていて、たまに私が行って野菜料理なんか作ってもほとんど食べない。私が何か話をしても、いま自分が生活するだけで精一杯、他人のこと考える暇なんかない、と言う。こんな分断された状況をどうしたら超えられるのか、切実に考えざるを得ない。
 
 以前、ある生協の組合員が白鷹町を訪れ、泊まった所で夜雨が降ったとき、子どもが雨の音を聞いて、とても驚いたそうだ。それで、その組合員は、それまでマンションかアパートに住んでいたが、雨音の聞こえるところ、土に近いところに引っ越したそうだ。 その話を聞いても、都市と農村の分断されている状況を少しでもいいから近づけられる方法があればいいと思う。

(終わり)

 


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