「〜♪ 〜♪」

夕飯時の葛城家のキッチンに、軽やかな鼻歌が舞っている。

歌い手はアスカで、非常に珍しいことにテーブルの上に茶碗や箸を彼女自身が配っていた。

そのテーブルの中央には卓上ガスコンロ。コンロの上には浅底の鉄鍋が鎮座している。

「シンジのやつ、はーやく帰ってこないかなあーっと♪」

茶碗を箸でチャカポコと叩きながら、彼女の上機嫌は止まらない。

折りしも日付は金曜日。

その昔、花金などという言葉があったが、西暦2000年以降生まれのアスカたちが知るよしもない。

だが昨今の教育界も再ゆとり化の空気が蔓延し、土曜日である明日は高校も休みだ。

もちろんそれだけでアスカの上機嫌は説明できるものではない。

今日は月に一度の第四金曜日。マンションの近くにあるスーパーで肉類の特売デー。

そして保護者であり家主である葛城ミサトの給料日後の時期でもある。

この日ばかりはミサトも大盤振る舞いで、豪勢な夕食を作るよう自らシンジに言い渡していた。

だからといってシンジは無闇矢鱈に購入してきたりはしない。

夕方のタイムセールを潜り抜け、赤札のついた上物の肉だけを目ざとく購入してくる。

これは同居人たちに出来るだけ良い肉を沢山食べさせてあげたい、という彼の真心の表れなのだが、その内情を分析すれば至って散文的である。

まず保護者である葛城ミサトが良く食べる。ビールさえあれば永遠に食べ続けられそうな健啖家ぶりは、あまり味自体には拘りをもってなさそう。

対して良く食べるくせに質や味にうるさいのがアスカだ。

だったらミサトに安い肉でアスカに高い肉を―――といかないのがシンジの性分。

曲りなりにもスポンサーに対して、そんな不義理な真似はできない。

保護者であるミサトが、その気になれば毎日チルドレンにステーキを食べさせられるくらいの手当てを貰っていることを知ったら、また違う感想を抱きそうだが。

着服された手当ての差額はどこに消えているのかはまた別の話で、現実問題としてのシンジは、いかに葛城家のエンゲル係数を下げるかに日夜腐心していた。

特売日に更に赤札狙いという涙ぐましい努力を重ねる理由はそこに由来する。

「ただいま〜」

重そうな袋をぶら下げてシンジは帰還。

努力は報われたらしく、袋の中身は全てすき焼き用の国産肉だ。バーコードの上に重ねられた赤札が、まるで勲章のように輝いている。

「おかえりシンジ!」

これまた珍しく、スキップしながらアスカは同居人の少年を出迎えるため玄関へと向かったのだが―――。

























ady nd ky 〜second air


Act7:決戦! 第四金曜日葛城家 前編 

by三只





























花柄エプロンをつけたシンジがシンクの前で野菜を刻んでいる。

その背中をアスカがつつく。先ほどまでの上機嫌もどこへやら、白磁の顔には仏頂面が浮かんでいた。

「ん? どうかした、アスカ?」

「どうかしたもなにもないわよ…」

すぐ傍の流しの上を見れば、パック詰めの牛肉が幾段も折り重ねられていた。どれも実に美味しそう。

百戦錬磨の主婦たちに混じってこれだけの戦利品を獲得してきたシンジを評するのはやぶさかじゃあない。むしろ軽く尊敬さえしていいとアスカは思う。

しかし。

「…なんでアイツまで連れてきてるわけ?」

アスカが親指で指し示した先。

青い髪の少女、綾波レイが慎ましやかに椅子に座っている。

「買い物先で一緒になってさ。だから綾波も一緒にどうかなって。ご飯はみんなで食べたほうが美味しいでしょ? 
 大丈夫、お肉はいっぱい買ってきたし、それに綾波は」

「ファーストのやつはベジタリアンなんでしょ。知ってるわよ、そんなの…」

我知らずアスカは諦めのため息をついた。

シンジにここまでいわれて抗弁するのも見苦しい。だいたい自分の美意識にも反するし。

「ま、仕方ないわね…」

鷹揚に頷いて、アスカは食卓に綾波レイが加わることを認める。

だけど、チクリと嫌味の一つもいわずにいられないのはアスカのアスカたる所以か。

「ったく、ファースト! アンタもそうホイホイついてくるもんじゃないわよ? …ここだけの話、シンジのやつ、あんな虫も殺せないような顔して、ノンケでも構わないで食っちゃうんだからね?」

「…ノンケ?」

「ようは雑食ってこと。熟々のミサトから、ナルシスホモまで間口は広いわよ〜」

赤と青、二つの瞳がしばし見詰め合う。それからまもなく赤いほうの瞳に奇妙な納得の色が浮かんだ。

しかしそれも数瞬のことで、その瞳の持ち主は、今度は小首をかしげて疑問を投げかけてくる。

「…貴女は碇くんに食べられたの?」

凄まじい勢いでアスカは金髪を左右に振って、

「んなわけないでしょっ!? あんの鈍感馬鹿にそんな甲斐性が…じゃなくって! 冗談よ冗談! ジョーダンなんだからね!?」

「冗談? どの部分が? 該当箇所の説明を」

「全部よっ全部!」

この話題はこれで終わり! とばかりにアスカはバンバンとテーブルを叩いてレイを睨みつけた。何事かと振り返ってくるシンジもついでに一睨み。

あとは椅子にふん反りが返って、一人勝手に冷えた麦茶をあおる。

軽いジョークも通用しないなんて、ほんとファーストの相手は疲れるわー…。

しみじみ呟いてから携帯のランプの明滅に気づき、メールを展開すれば家主兼保護者から。

「…シンジー、ミサトのやつ、遅くなるから先に始めててだって」

背を向けて野菜を刻み続ける少年にそう叫ぶように告げた直後、金髪の少女は露骨な舌打ちを響かせた。

不機嫌そうな顔つきになったのは、もちろんミサトにレイの相手を押し付けようと考えていた目論見が外れたからに他ならない。

「はい、おまたせ。じゃあはじめようか?」

シンジが大皿を二つ抱えて戻ってくる。片方には赤い宝石のような牛肉。もう片方には野菜がてんこもり。

鉄鍋に牛脂を敷いて肉を焼き、割り下をいれて野菜を投入する。

シンジ手製のすき焼きだからといって特に工夫があるわけではない。強いてあげるとすれば、アスカの好みを重視して砂糖を多めにいれるくらいだろうか?

ぐつぐつと煮えたぎった甘しょっぱい湯気のなかに、肉と野菜が香ばしく色づいてくる。

「きゃー、美味しそう!」

遠慮呵責のない歓声を上げたのはアスカである。さっそく自分の小鉢に卵を割りいれようとして、そのまま彼女は固まった。

ギギギと首だけを動かして綾波レイを見やる顔には、悪魔の笑みが浮かんでいる。

「…ファースト、あんた卵も駄目だったわよね、確か」

赤い瞳は手元の卵を見つめたまま止まっていた。卵の加工品は大丈夫なのだが、生の卵は受け付けないレイである。

「ふは、ふはははっ! 残念だわね、ファースト! すき焼きは、絶対に卵を絡めて食べなきゃいけないのよ! それこそが日本人のルール! あたしのジャスティス!  ああ、なんて可哀想なファースト! こぉおんな美味しそうなすき焼きを前に食べられないなんて……!」

「ん? 別にすき焼きは卵ダレをつけなきゃいけないなんて決まりはないよ?」

具材の煮え具合を確かめながら、シンジはあっさりと否定。

「…そうなの?」

「地方によってはそもそも卵を絡めないで食べるところもあるし」

言いながら、シンジはレイの小鉢に飴色に煮えた白菜を盛り付けている。他にも割り下を吸って茶色くなった豆腐と糸コン。

「綾波、どうぞ」

「ありがとう…」

シンジから手ずから渡されて、レイの頬は瞳の色が染み出したかのように赤くなった。

おずおずと白菜を口に入れて咀嚼。続いてはふはふと豆腐も齧る。

「…美味しい」

「そう? よかった」

そんな二人を横目に、アスカは煮えた肉をがっつりと頬張った。

適度な脂のサシが入っている国産高級和牛は、とろけるような舌触り。

…なのに全然美味しく感じないのはなぜ?

「シンジっ! 肉がないわよ、早く追加入れなさいよ!」

「もう食べちゃったの? アスカ、少しは野菜も食べた方が…」

「うっさいわね、肉を食べなくて何がすき焼きか!」

はいはいと慣れた手つきでシンジは新たな肉を鍋に投入。

その肉が煮える間も、レイとシンジは「美味しい?」「…美味しい」とのやり取りを繰り返し、ぽかぽか空間を展開中。

一人蚊帳の外に置かれたに等しいこの状況下で、なおアスカの忍耐力は枯渇していなかった。

ま、まあ、ファーストのやつも、こうしてシンジと差し向かいで食べる機会なんてないでしょうから…。

鷹揚に自分を納得させようとするのだが、即座に強烈なカウンターアタックが頭の中で響き渡り、目の前の光景を揺さぶる。

なにシンジのやつ、このあたしの給仕もしないでファーストとデレデレしてんのよ?

単刀直入に表現すれば、アスカの主張はこの一言に尽きる。

されど認めたくないのは、若さゆえの過ちというより複雑怪奇、交錯微妙な乙女心のなせるワザ。

…このあたしが嫉妬してるっての? ファーストごときに? はっ、そんなわけないじゃない!

豪奢な金髪の下の明晰な頭脳も、なぜか己の感情の有様だけは客観視するのを拒むらしい。

ゆえにアスカは自分の不機嫌の理由は分からない。あえてその理由を明瞭にしようとしない。

「…ふんっ」

腹立ち紛れに鼻息を漏らし、新たな肉をめがけて箸を伸ばした瞬間、横から現れた割り箸が容赦なく煮えた肉を根こそぎ攫っていく。

その割り箸の持ち主は、小鉢に攫った大量の肉を盛り付け、目前の少年へと差し出した。

「碇くんも食べて」

「あ、ありがとう、綾波…」

「……美味しい?」

「うん? ああ、凄く美味しいよ」

「良かった…」

…………アンタら馬鹿ぁ!? 美味しいもなにも、それはシンジの作った鍋じゃない!

喉の奥までこみ上げてきた台詞を、アスカは寸でのところで飲み込む。

されど手は口ほどに物を言い。

ほとんど無意識で翻ったアスカの手首の先から、汁をたっぷりすった熱々のシイタケが綺麗な放物線を描き、狙い違わずシンジの頬にストライク。

「うあちちっ!? なにすんだよ!」

「あら、失礼」

ぷいっと横を向き、アスカは煮えた野菜を口に運ぶ。

シイタケはいうに及ばず、たっぷりと汁を吸った白菜やネギは十分味覚に心地良い。

それでもやはりすき焼きといえば肉がメインだ。

ひたすら野菜を食べる青い髪の少女を、アスカは冷ややかな目で眺めた。

菜食主義なんて、人生の半分を損していると思う。

そのまま眺めていると赤い瞳と視線があった。

「…なに見てんのよ?」

「セカンドの小鉢を貸して」

思わぬ申し出に言葉を失うアスカの手から、半ば奪い取るようにレイは小鉢を受け取ると、

「豆腐は畑のお肉…」

などとブツブツいいながら、次々と野菜や豆腐を盛りいれていく。

「はい」

「あ、ありがと…」

反射的にお礼を言ってしまい、たちまちアスカは憮然としてしまった。

頼んでもいないのにこちらが気づかわれてしまったという事実。それに。

「優しいんだね、綾波は」

シンジにそういわれて、無言で頬を染めるレイの姿も気に食わない。

小鉢に盛り付けるくらいで優しいもへったくれもないでしょーと思う反面、あたしもシンジによそってやろうかしらん、いやいやそれは明らかにファーストの二番煎じ。

高すぎるプライドが邪魔をして素直な行動を阻害した結果、ますますしかめっ面になって小鉢の中身をかきこむアスカだったが、その手がピタリと止まった。

白菜と豆腐を押しのけ、小鉢の中心で激しく自己主張する白い物体。

ふるふると左右に震えるそれは、見紛う事なき牛の脂身である。

「ちょっと! これなんのつもり!?」

箸で牛脂をつまみあげ吼えるアスカを、レイはきょとんとして見返すばかり。

「ああ綾波。それはあくまで牛肉を焼くときに使うだけでさ、あんまり食べたりはしないんだよ。もしかして豆腐と勘違いしたかな?」

見かねたシンジがすかさず助け舟を出すと、

「そうなの…。ごめんなさい、私、すき焼きするの初めてだから…」

存外レイは素直に侘びた。しかし続きがいけない。

「でも、脂身、便利よ。セカンドみたいに身体にいっぱいついていれば、水に浮くもの」

「…ファースト、アンタ喧嘩売っている?」

食って掛かるアスカであったが、まあまあとシンジに仲裁されれば矛を収めるしかない。

されど青い瞳は虎視眈々と反撃の糸口を探している。

うぉのれ、ファースト。この恨みはらさでおくべきか…!

「シンジ! 肉の追加!」

「はいはい」

いそいそとシンジが肉を継ぎ足せば、煮えた瞬間を見計らい二膳の箸が空中で激しく交差、火花を散らした。

アスカがどうにか半分を確保してモコモコと食べている間に、またぞろレイはシンジの小鉢に肉を盛り付けている。

「不毛だわ…」

アスカはそう独りごちる。

普段のすき焼きや焼肉では、アスカは家主であるミサトと高級動物性蛋白質の熾烈な争奪戦を繰り広げているわけだが、お互いに真剣であることはいうまでもない。

なにせ取り損ねた肉は自らの摂取量にダイレクトに反映される。食べたもん勝ちのまさしく弱肉強食。

…だけど、今日はいくらあたしが頑張って食べても、直接ファーストにダメージがない。

飛躍的にシンジの肉の摂取量が増えていることはこの際置いておく。

もっぱら野菜ばかり口にしているレイであるが、アスカは宣言したとおり野菜より肉の方を食べたい。

つまるところ、レイは邪魔されることなく悠々と一人野菜を食べ、なのにアスカは肉の折半を迫られるこの状況。

これってやっぱり不公平じゃない!?

ブツブツいいながらアスカは新たな生卵を手に取る。

卵の摂取量は一日一個が目安、とか、コレステロールが云々なんて警句は知ったこっちゃない。

どうせファーストが食べないぶんも余るでしょ!

そして今まさに卵を小鉢に割りいれる寸前、コロンブスの卵的発想が、アスカの脳内に天啓のように閃いた。

おもむろに高々と箸を持ち上げると、隼のような鋭さで鍋に投入。

引き上げられたのは、程よく煮えた白菜、ネギ、しいたけ、シラタキ。

それを新たな卵を溶いた小鉢に取り込むと、アスカは猛然と食べ始めた。

みるみる目減りしていく鍋の野菜に他の二人が目を見張る中、アスカは声高に叫ぶ。

「シンジ! 野菜、お代わり!」

「…うん、野菜も食べないとね。美味しいでしょ?」

いきなりのアスカの方針転換ぶりに驚きながらも、シンジは嬉しそうに新たな野菜を鍋へと並べた。彼なりに同居人の少女の健康を慮っているのだろう。

慮られた少女の方はというと、猛然と箸を動かし続けている。

煮えた端から野菜を口に運び、ついでに豆腐エリアも蹂躙、壊滅させる勢いだ。

「…おひゃわり!」

「ごめん、アスカ、もう野菜はないよ…」

その返事こそ、アスカの待ち焦がれた一言。間接的な勝利宣言。

箸と小鉢を持ったまま茫然としている青い髪の少女の方を向いて、アスカは豊かな胸を反らしながら哄笑した。

「ふはははっ! 残念ね、ファースト! これでもうアンタが食べるものは何も残ってないわ! …うっぷ」

これぞアスカの逆転の発想に基づく秘策。

名付けて―――ファーストが野菜しか食べないなら、その野菜を全部食べつくしてしまえばいいじゃない作戦。

野菜がなくなってしまえば、レイが鍋をつつく理由は消失してしまう。もう彼女の食べられるものは何も鍋に入ってないのだから。

だから、ファーストが手出しできなくなってから、シンジと二人でゆっくりと肉を食べればいいのよ…。

「…そのために野菜を食べつくしたわけ?」

シンジが呆れたような咎めるような視線を向けてきたが、謹んで無視。

勝ち誇った笑みを満面に浮かべ、アスカは敗者への憐憫の情を行動で示した。

スクっと立ち上がって食器棚へ向かい、一番大きいドンブリを取り出す。そこへ炊飯ジャーから焚きたてご飯をテンコ盛り。

「まあこれでも食べてなさい」

レイの前に置いたときには、ご丁寧に海苔玉のフリカケも添えてある厭味っぷり。

「さあシンジ、一緒にお肉食べましょ?」

属性と内容を切り替えた笑みを同居人の少年に向けたアスカの目前で、憮然とした表情を浮かべていた綾波レイが立ち上がる。

次に彼女がとった行動は、アスカの制止する間もあればこそ。

どじゃん!

具材もほとんど残っていない鍋の中心に落とされたもの。

それはさきほどドンブリに盛られた大量のご飯だった。

突然の行動に呆気に取られて青い目を見張るアスカに、レイは粛々と卓上コンロの火を強めて、

「おじや。……美味しいわよ?」

非常に珍しいことに、赤い瞳には激しい感情の動きが伺えた。もっとも、長年彼女に接した人間でもどうにか察せる程度のものに過ぎなかったが。

そして敏感に察した金髪の少女は、半ば絶叫するように少年へと命じている。

「シンジ! いいから早く肉を煮なさいよっ!」

「でも…割り下吸っちゃってるから、まずはこのおじやを食べてしまわないと」

こういわれると、先ほどレイが投入した飯の量が仇となる。およそ五人分を盛り付けたアスカにこそ直接の原因があるといっていいのだから色々と救われない。

「…アンタ馬鹿ぁ!? これだけのご飯食べたら、もう肉が食べられなくなるじゃないの!」

「はい、碇くん。おじやをどうぞ」

「あ、ありがとう、綾波…」

「…………っ!」

ものの見事に目論見を切り返され、アスカは鋭い歯噛みをした。

完敗………いや、この程度で負けなんか認めない。

なんとなれば、あたしは惣流アスカ・ラングレーだ。この程度の逆境など、鼻歌混じりで切り抜けて当然よ!

「…いいわよ、食べてやろうじゃないの」

シンジが持ってきたレンゲを引ったくり、アスカもおじやをよそって食べ始める。

既に野菜で胃袋が圧迫されつつあったが、気合と根性で食欲中枢を捻じ伏せ、黙々とレンゲを口へと運ぶ。

そして十分後には、見事におじやは食べつくされた。米の一粒も残っていない空鍋を前に、アスカは凄惨な顔つきでシンジへと笑いかける。

「さあ、これで肉を煮ることが出来るでしょ…?」

「う、うん」

意味不明の迫力に気圧されながら、シンジは鍋に醤油、料理酒、砂糖を投入。

ぐつぐつ割り下が音を立て、アスカが「肉、肉ぅ」とやや曖昧な表情を浮かべながら呟いたその時。

どじゃん!

「あ」

鍋の真上で炊飯ジャーの電気釜を逆さまに持った青い髪の少女が、桃色の舌をペロリと動かす。

「おじや、美味しいわ」

「………」

無言で食卓の上に突っ伏した金髪の少女の傍らで、レイは二回目のおじやをほぼ一人で平らげた。






リビングの床の上に仰向けになり、アスカは込み上げて来る吐き気を噛み殺す。

…まったくファーストに付き合ってバカなことをしたもんだわ。

されど後悔はいつだって先には立たない。

恨めしげなアスカの視線の先。リビングの卓上につき、涼しい顔でTVを眺める綾波レイがいる。

あれだけ食べたのに、どーゆー胃袋をしてんのよ、ファーストは…。

食べ比べという観点で見れば、アスカの完全敗北に疑問を投げかける余地はない。

それでも結局、二杯目のおじやを作った直後にシンジも食欲を喪失していた。

黙々と食べ続けたのはレイだけで、よそったりよそわれたりというぽかぽか空間の発生を阻害できたことに関しては当初のアスカの目論見どおりである。

…ま、痛み分けってことかな?

勝手に勝負を仕掛けておいて、一方的にアスカはそう判定をくだす。

そうとでも考えなければ、いまの自分の状態も含めて自己嫌悪の海で溺死しそうだった。

今日はせっかくの金曜日なのに、なにやってんだろあたしは―――。

「碇くん、ご馳走様。そろそろ失礼するわ」

レイが厳かに立ち上がった直後、アスカは心の中で喝采を上げる。

そうよ、さっさと帰りなさいよ! あの薄ら寒いアパートの一室で、一人寂しく眠るといいわ、グコキハハハ!

しかし、本日のアスカの三度目の目論見も裏切られることになる。しかも同居人である少年の手によって。

後片付けの手を止めてエプロンで拭いながら、碇シンジはこういった。

「もう遅いし、今日は泊まっていったら?」

驚きに目を見張り、次いで内心で「帰れ」コールの見えない怪電波を速射するアスカの目前で、青い髪の少女は逡巡していたように見える。

だが、首は左右に振られることはなく、代わりに細い頤(おとがい)が静かに縦に揺れていた。

「…ありがとう。お言葉に甘えるわ」

ほんのり桜色に頬を染める綾波レイの姿を前に、アスカの脳裏に響くものがある。

それは間違いなく第二ラウンドの開始を告げるゴングの音―――。













後編へ続く



三只さんからの連載Lady And Sky 2のAct 7です。今回は前編ですね。

シンジ君をめぐってアスカとレイが火花を散らしているような

まるで気にしてないらしいシンジ君もいいですね(笑)

後編の展開が気になりますので、ぜひ三只さんに感想メールを送って続きも書いてもらいましょう!