第6話 あなたの声が聴きたくて

あぐおさん:作





「シンジ君、私がもらってもいいよね?」

マリはアスカをまっすぐ見据えながらはっきりと言った。ストレートすぎるマリの告白。それはアスカにとって不意打ちの宣戦布告だった。

「・・・・それ、なんでアタシに言うんですか?」

それがアスカが口にできる精一杯の抵抗だった。マリはわかっているくせにと笑みを浮かべる。

「そりゃ〜姫が一番近い場所にいるからね。彼の優しさ、あと音楽の才能。どれも姫にはもったいないものよ。君は見た目もいいし、オツムも悪くない。本気で望めばなんだって手にできるポテンシャルを持っている。みんなが本気で羨ましがるような相手だってよりどりみどりさ。私はさ、ひねくれた性格しているから、変な誤解をされてばかりだし、欲しいものは手に入らないものが多すぎるのよ。でも、シンジ君だけは・・・彼だけはそんな私を笑いもせず、いやらしい視線も向けずにちゃんと私のことを見てくれる。そんな人なかなかいないよ?王子様かと思ったね。だから私は彼が欲しい。だから譲ってよ」

アスカは何も言わない。ただ、肩を震わせている。

マリは自分の言いたいことは全て言ったと校舎の中へと戻る。その途中、アスカとすれ違う時。

「じゃあ、もらうね」

と耳元で囁いた。

屋上にはアスカだけが取り残された。震えが止まらない。

マリは確かに言った。自分はなんでも手にできるポテンシャルがあると。確かに手に入るだろう。地位や名誉。誰もが羨むような理想的な伴侶。

「それが・・・・なんだって言うのよ・・・・」

アスカはそんなものに興味がなかった。彼女が心底欲しいと思ったのは一人しかいないのだ。でも、マリのストレートな告白に何もできなかった。彼女の告白に彼女がどれだけシンジを欲しがっているのかわかってしまった。

(アタシ、アイツに何もできやしなかった!何一つ言い返せなかった!悔しい!悔しい!)

敗北感が心に溢れ、涙が溢れて止まらなかった。



放課後、今日はバンド練習もない完全なオフの日だ。帰りにアスカと遊んでいくのも悪くない。シンジはそう思いアスカに声をかける。

「ねえ、アスカ。今日どこか遊びに・・・」

(優しくしないで)

「・・・アスカ?」

(惑わせないで)

言葉が続かない。あるのは絶対的な拒絶。シンジに声をかけられたアスカは恨めしそうにシンジを睨み付けたのだ。

「アスカ、どうしたの?僕なんか変なこと言った?」

(どうせ、いなくなるくせに)

心配そうに声をかけるがアスカはシンジを睨んだままだ。

アスカは何も言わず荷物を持つと教室から出ていこうとする。その時、入れ違いになるかのようにマリが教室に入ってきた。

「シンジく〜ん!遊びに行こう!」

「せ、先輩・・・」

「ほら、いいからいいから♪」

「ちょっと!待ってくださいよ!」

シンジの言うことも聞かずにマリはシンジの腕を組むとシンジを教室から連れ出す。アスカはドアの前でその様子を聞いていた。奥歯がギリッと鳴る。そして教室からアスカは出ていった。

「なにがあったんや・・・」

「さあ・・・」

「これ・・・なんかヤバくないか?」

ヒカリ、トウジ、ケンスケはアスカの出す異常な空気に嫌なものを感じざるを得なかった。

そして、その予感は間違いではなかった。シンジに対するアスカの出す空気は最悪なものだった。シンジはやはり何が起こっているのかわからず、アスカと接触を試みるも憎しみが込められた冷たい視線を受けて取り付く島もない。

アスカは絶対的ともいえる拒絶の空気を巻き散らかしている。それは友人であるヒカリに対してもそうだ。アスカに誰も近づけない。シンジがアスカに何か酷いことをした、或いは言ったのではないかと思われたが、シンジがそのようなことをする人物ではないのはクラス中のみんながわかっているので静かにシンジに「頼むから早く仲直りしてくれ」と懇願するだけだ。シンジとしては全く心当たりが全くないため、そのようなことを言われても困る。

「どうすりゃいいんだよ・・・」

シンジは頭を抱える他なかった。


シンジの精神的な不衛生は音楽にも影響した。

「シンジ君、最近どうしたよ?ノレてないにゃ」

バンド練習終了後、シンジはマリに唐突にそう言われた。

「え?そうですか?」

「そうだよ、音を聞いていればわかるにゃ」

「そういうものですか・・・」

マリはシンジに近づくと、前かがみになりシンジを見上げる。

「もしかして、姫のことかにゃ?」

「・・・姫?」

「惣流アスカ・ラングレー」

シンジは思わずドキッとした。それは肯定でもあった。マリはひとつため息をつくとシンジに向き合う。

「シンジ君、姫のことで悩む理由・・・多分それ、私のせい」

「先輩・・・?」

「私のせいだと思うよ?でも、私は姫に悪いとは思わないし、謝る気もない。なんでだと思う?」

シンジはマリに不快感を表すように顔を背けた。

「そんなの・・・わかりません」

「じゃあ、教えてあげる」

マリは両手でシンジの顔を包むと、目をそらさせないように自分の顔を近づけて正面に向かせる。

「私は、シンジ君のことが好き。大好き。もう抑えきれないほど」

「先輩・・・?」

何を言っているのかシンジには理解ができなかった。マリは続ける。

「音楽のセンスも好きになった理由のひとつでもあるけど、シンジ君が初めてだったんだよ。私のことちゃんと見てくれる人、音楽とかそういうジャンル抜きで私のこと見てくれたのは君が初めて。そしてその優しさ。その優しさはあの子にはもったいないよ。だから私は君が欲しい。私と、付き合わない?」

マリはまっすぐシンジを見つめる。その茶色の目にはシンジの顔が映り込んでいる。どれだけの時間が経ったのかわからない。マリはシンジの顔から手を離す。

「今すぐ答えは・・・本当は欲しいけど、すぐに決められないもんね。時間あげるから、考えてよ」

マリはそれだけ言うと教室を後にする。教室にはシンジだけが取り残されていた。



その夜、シンジは眠れない夜を過ごしていた。頭の中はマリの言葉が浮かんでくる。

(あんなに真正面で好きなんて言われたの、初めてだな)

その状況をシンジはどこか冷めた視点で見ていた。マリのことを好きかと言われれば間違いなく好きと答えられる。でも、それはあくまでもバンドの仲間として、友人としての視点であり、ひとりの女性としての視点ではない。彼女の言葉と同じくらいに頭に浮かんでくるのはアスカの顔だった。

憎むものを見るかのように睨み付けるアスカの目。シンジはそれがどうしても憎しみからくるものではないように思えてしかたがない。

(そう、あれは・・・小さい子供が泣いているような・・・)

迷子になった子供が親から離れた寂しさで泣いているような、そんな気がしてならないのだ。

(どうして、こんなこと思うんだろう?アスカは僕にとってどういう存在なんだろう?)

どんなに考えても答えは出ない。ふと天井を見上げる。普段寝つきの良いシンジにとってそれは見慣れないものだった。

「知らない・・・天井だ」

そんな言葉が不意に出た。



その頃、アスカはリビングのソファーに横になりテレビを見ている。いや、見ているとは言えない。ただ眺めている。それはさっきから何度もチャンネルを変えているからだ。少し眺めて変える。また少し眺めて変える。この作業を延々とこなしている。それはアスカのストレスが溜まり、そのストレスをうまく消化できないときにやるアスカの癖だ。そうやってストレスから目を背けているのだ。

(久しぶりに見るわね・・・その癖)

お風呂からあがったばかりのキョウコはそんなアスカの様子を珍しそうに見ている。理由はわかる。キョウコは髪の毛をタオルで包むとビールを取り出し、少しだけ飲んでからアスカを呼んだ。

「ねえ、アスカちゃん」

「なによ。ママ」

目を合わせず不機嫌な口調で答える。

「こっち来なさい。ママとお話しましょうか」

そう言われると、アスカはテレビを消してキョウコの前に座る。キョウコが手にする缶ビールを見て思わず眉毛が吊り上がる。

「・・・ママ、ビール飲んでるの?」

「いいじゃない。アスカちゃんも飲む?」

「いらない。苦いだけだもの」

少し前は大人ぶって飲んでたくせにと心の中で呟く。キョウコはいきなり核心をつくようなことを言う。そうしなければ娘ははぐらかすからだ。

「シンジ君と何かあったの?」

「な!なんでそこでアイツの名前が出てくるのよ!」

椅子から飛び上がるアスカ。それは十分すぎるほど効果があった。アスカの怒りにも似た焦りは肯定を意味していたからだ。

「アスカ、ママに話しなさい」

それは優しい口調でありながら、どこか逆らうことを許さないものだった。

アスカはゆっくりと話し出す。マリから言われた言葉。何も言い返せなかった悔しさ。敗北感。シンジへの想い。コントロールできない感情。すべてキョウコに打ち明けた。

キョウコはただ黙って聞いていた。聞いていてキョウコは嬉しく思った。少し前までは異性に嫌悪感と不信感しかなく、誰に対しても横柄とも取れるような態度を取り、自分を強く見せ、時には暴力にも頼ってでも自分の価値を示すことしかできなかった少女が、自分のことしか考えることしかできなかった娘が、こんなにも誰かを想うことで心を痛めている。そのことがただ嬉しかった。キョウコは優しく語り掛ける。

「そうね、アスカちゃんは・・・本当にシンジ君のことが好きなのね」

「・・・うん、でも・・・いくら好きになっても受け入れてもらえないなら、アタシ嫌われたほうがいい」

自分が傷つきたくないから。それはキョウコにも理解できた。それは過去の自分もそうだったから。

「ったく、どうしてアスカちゃんは変なところだけママに似たのかしらね?パパは・・そんなことくらいじゃめげなかったわよ」

「パパが?」

「そ、パパがママに何回アプローチしたか知ってる?」

アスカは首を横に振る。自分が知っているのは大恋愛して結婚したということだけだ。

「10回以上はアプローチしてきたわよ」

「そ、そんなに!?」

キョウコはハインツとの馴れ初めを語り始める。

彼らが初めて出会ったのは高校2年生の時、ハインツが交換留学生として日本に来た時のことだ。ハインツはそこでキョウコに一目ぼれした。自分が日本に来たのは彼女に会うためだと本気で信じてしまうくらいに。

ハインツはキョウコにアプローチをかけたが、歯牙にもかけずにフラれた。当時キョウコには大学生の彼氏がいたし、医者になるという夢に向かって努力していたため、ハインツのアプローチは迷惑以外の何物でもなかったのだ。

そのまま留学期間は終了し、ハインツは失意のまま帰国する。しかし帰国しても思い出すのはキョウコのことばかり、ハインツはけついする。いつか自分が立派な大人になり、成功すればきっと彼女も振り向いてくれるはずと前向きにとらえ勉強に専念した。

そして数年後、ドイツの大学病院でハインツは留学してきたキョウコと再会する。ハインツは運命だと喜んでアプローチを再開したが、やはり相手にもされなかった。それでも諦めきれずに何度もアプローチを重ねて、交際へといきついたのである。

「そんなことがあったんだ・・・」

アスカは両親の馴れ初めがそんなものだったとは思いもしなかった。それだけ両親は仲がよかったからだ。

「ねえ、アスカちゃん。アスカちゃんの話を聞く限りだと、シンジ君がその先輩と交際を始めたわけじゃないでしょ?だったらまだ諦めちゃいけないわよ。まだ何も始まってないし、決まったわけでもないわ」

「でも・・・受け入れてもらえなかったら、この気持ちはどうすればいいの?」

アスカの瞳が涙で揺れる。キョウコははっきりとした強い口調で答える。

「パパがね、なんで何度もママにアプローチしたのか。だって、パパはその時のママから見てもかなりモテてたのよ?それでも他の女性には目もくれずにママだけを見ていた・・・初めの頃は正直うざったかったわ。今思えば、かなりきつい言葉を浴びせたことも何回もあるわ。それでもパパは諦めなかった。それはね、後悔だけはしたくなかったからだそうよ。自分じゃ太刀打ちもできないような人と付き合い始めたり、結婚したりすれば諦めがつくけど、そうでない限りは諦めたくなかったって。やったことでの失敗はいつか取り戻せる。でも、やらなかった失敗は後悔しか残らない。パパは何度もそういった失敗を繰り返してきたの。ママもそう、そういった失敗は何度もしてきた。あの時こうしていれば良かったっていう後悔は何年も経った今でも心の中に残っているわ。自信を持ちなさい。そして、後悔しちゃダメ。アスカ、あなたはパパの血を受け継いだ娘なのよ」

キョウコはアスカの手を強く握る。するとアスカの瞳にも少しずつ力が戻ってきた。

「わかったわママ。アタシ、もう少し頑張ってみるね」



「ここは・・・」

シンジが目を開けると、目の前に湖が広がっていた。赤い夕焼けに染め上げられた湖は、赤い別の何かでできているようにも見えた。ただ、そこがどこなのか見覚えがない。多分夢の中なのだろう。シンジはそう思った。

「ここは・・・第二芦ノ湖・・・N2地雷で海と繋がってできた湖だ」

(今、僕はなんて言った?第二芦ノ湖?N2地雷?なんだよそれ・・・)

聞いたこともない言葉が口から飛び出る。ふと耳を澄ますと湖のほうから鼻歌が聞こえる。よく見ると壊れた支柱のようなコンクリートの塊の上に座る銀色の髪をした少年と青いショートカットの少女が座っている。もちろんそんな特徴のある人物に見覚えなどない。

「綾波!カヲル君!」

(誰だって!?)

知らない名前が口から出た。

「音楽はいいね。音楽はリリンが生み出した文化の極みだよ。そう思わないかい?シンジ君」

と銀色の髪をした少年が。

「碇君、久しぶり」

と青い髪の少女が笑いながら言う。

シンジは見覚えのないこの二人を前に、もう何年も会っていない旧友に再び出会えたような、ひどく懐かしいという気持ちが沸き上がった。

少女は真剣な顔をする。しかしその目はどこかシンジを責めるような視線だった。

少女は言う。

「碇君。また、あの子をひとりぼっちにする気?」

少年が言う。

「君たちがあの時、ガフの扉で何を望んだのか。何を自分の魂に刻み込んだのか。忘れたわけじゃないだろう?」

(そうだ、僕はあの時、みんなとひとつになることを拒んだ。僕は誰かを傷つけても、誰かに傷つけられても、他の誰かと一緒にいる未来を選んだ。違う!僕はあの子と一緒にいることを望んだんだ!僕が彼女の居場所になることを決めたんだ!でも、なんで僕はこんなことを?)

「彼女は泣いている。隣に碇君がいないから。自分のあるべき居場所がないから」

「僕とレイ君は、どんな形でもいい。君と一つになることを選んだ。だからこうして君の心の中に居続けることができる。でも、彼女は違う。彼女は君の隣に居続けることを選んだ。覚えているかい?あの時、交わした言葉を」



『もう一度やり直そうよ。過去に戻って』

『悪くないわね。でも、過去に戻れば今までの思い出も、この気持ちもなくなってしまうんじゃない?』

『確かにそうだね。過去に戻るっていうのはそういうことだから、それは少し寂しいし悲しいことだけど、でも、僕は!君が世界中のどこにいても!僕らは必ずまた出会える!僕は君を探しに行く!僕は君に会いに行くよ!』

『わかった。待ってる。もし、もう一度出会えたなら・・・もう一度、アタシのことを好きになってくれる?』

『当たり前じゃないか。今だって、これからだって、ずっとずっと君のことが大好きだよ』



「ふふっ思い出したようだね。さあ、シンジ君!」

「今度こそ、離さないでね」

「ありがとう!綾波!カヲル君!」




「ん・・・もう昼なのか・・・」

随分と深く眠ったようで、時計を見ると時刻は昼間になっていた。何か懐かしい夢を、大切なことを思い出したようだけど、記憶がない。でも夢ってそういうものだと思う。

ただ、何をしなければいけないかはわかる。もう一度時計を見る。

「いっけね。今日バンド練習あるじゃん」

シンジは飛び起きて準備を整えるとベースを持って家を出た。


バンド練習終了後、シンジとマリは公園で話をしている。

何度も頭を下げるシンジ、そしてそれを気にしていないというように両手を振っているマリ。

そして、公園にシンジが残され、マリは公園から出ていった。

マリの瞳には大粒の涙がこぼれ落ちていた。



夕食後、アスカはボーッとテレビを見ている。昨日のように何度もチャンネルを変えるような素振りはなく、心ここあらず、ただ流れている映像を眺めているだけのようだ。

その時、アスカの携帯に着信音が鳴った。

「誰・・・?」

通知にはバカシンジの名前が。

「え・・・」

電話に出ようか悩む。そして・・・

「・・・もしもし」

『夜分ごめんね。碇だけど』

「通知を見ればわかるわ。何か用?」

『アスカに話したいことがあるんだ。少し、外に出て来れないかな?』

「はあ?今から?」

時間は夜の8時前、外に出るには遅くはないが、寒いので出ようという気持ちがわかない。

『聞いてほしいことがあるんだ。いいかな?』

シンジの必死な思いが電話越しにも伝わる。行くと言いたかった。しかし、それを素直に言えるような性格ではない。“時間考えなさいよ!行けるわけないでしょ!?”そう口から言葉が出ようとした時。


『ダメ。素直になって』


どこからか声が聞こえた。思わず部屋の中を見渡す。当然のことながら、そこにはアスカとキョウコしかいない。ただ、ここで断ると取り返しのつかない間違いをおかしそうな、そんな気がした

「わかったわ。どこに行けばいいの?」



アスカはシンジに呼び出された公園に来た。そこはちょうどシンジの下宿先とアスカの家の中間にある小さな公園だ。シンジはその公園のベンチに座っている。ゆっくりと近づくアスカ。

「・・・話ってなによ?」

シンジはゆっくりと顔を上げる。

「こんな時間にごめんね」

「別にいいわよ。それで?話って何よ?」

シンジはベンチから立ち上がり、アスカと向き合う。

「ここしばらく、僕らこうしてまともに話をしたことや、顔を合わせることすらなくなったよね。聞いたよ。真希波先輩が自分のせいだって。それで、先輩から言われたんだ。僕のことが好きだって」

「そう」

(おめでとうと言って欲しいの?)

「ビックリした。あんな真正面で好きだなんて言われたこと初めてだったから。でも、嬉しいって気持ちはなかった。先輩も・・・そこは見透かしていたんだと思う」

「見透かすって・・・何を・・・」

シンジは一歩前に出て、アスカの瞳を見る。

「アスカのこと」

何故そこで自分の名前が出てくるのかわからなかった。シンジは続ける。

「先輩が言うんだ。アスカには僕はもったいないって、音楽の才能も、僕の優しさもアスカには過ぎたものだって、正直、何を言っているかわからなかったよ。僕は音楽の道に進むつもりはまったくないし、僕のことを優しいっていうけど、それは僕の処世術みたいなもので、人に優しくしていれば自分が傷つけられるようなことは少ないからね。だから僕は自分が優しい人間だなんて一度も思ったことがないよ。」

「先輩から告白をされた夜、眠れなくて先輩のことを色々考えていたんだ。でも、そういうことを考えれば考えるほど、アスカのことが浮かんで離れないんだ」

アスカの心臓の音が高鳴る。

「なんで、そこでアタシが出てくるのよ」

「もし、僕が先輩の気持ちを受け取ったら、僕らは今まで通りの関係ではいられなくなる。アスカの近くに、誰よりも近くに僕はいられなくなる。そうなってしまったら・・・僕はきっと悲しいって。だから断ったんだ。先輩のこと・・・アスカと一緒にいたくて」

「・・・え?」

心の中でドロドロと渦巻いていたものが霧のように消えていく。それと同時に『アスカと一緒にいたくて』という言葉が頭に焼き付いて離れない。リピートされているかのように言葉だけが深く響いている。

「思い出したんだ。合格発表の日アスカと再会した時、すごく嬉しかったんだ。また会えたなって。初めて会った時、衝撃が走ったんだ。多分、そのときからだと思う。最初は仲の良い友達のままでずっとアスカの近くにいられればいいと思っていた。でも、それじゃダメなんだ。嫌なんだよ。一度意識したらどうしようもないんだ。もう友達の殻を破りたくて仕方がないんだ。この気持ちを伝えたら、もう二度とアスカの隣にはいれないかもしれない。でも、後悔だけは僕はしたくないんだ!」

(この人、同じだ。パパと同じだ!)

「僕は、初めて会った時からアスカのことが・・・」

「ストオオオオオオップ!!!ステイ!ステイ!ステイ・・・」

溶けている脳を奮い立たせて遮る。そして犬扱い。

「なんなんだよ、もう・・・ステイって僕は犬じゃないよ・・・」

唐突の扱いに抗議するシンジ。彼としては清水の舞台から飛び降りる覚悟を持って挑んだ初めての告白なのに。

アスカにしてもシンジのいきなりの告白は不意打ちだ。全身を真っ赤に染め上げながら悟られないように顔を下に向けて指をくねくねと合わせている。

「ダメ。今は聞きたくない」

それは拒絶の言葉だった。そんなに自分は嫌われていたのかとシンジは思った。

「・・・やっぱり、僕じゃ嫌なんだね」

悲しみに染まるシンジの声。間違ったと思い、アスカは慌てて否定する。

「違う!そうじゃない!そうじゃないの・・・」

「・・・じゃあ、なんなんだよ・・・」

深呼吸をして気持ちを落ち着けようとする。さっきから脳はとろけっぱなしだし、福音を告げるラッパを鳴らす天使が頭の上でぐるぐると舞っている。

「・・・デートして、その後にちゃんと聞きたい。こんな寒い、寂しい夜の公園で聞くのは嫌。明日、海に行きましょう。そこで聞きたい。シンジの声を。シンジの言葉を。一生の思い出として残したいから・・・もしアタシ達の子供が生まれた時に、その子に自分たちの馴れ初めをロマンチックに話したいから」

プロポーズにも捉えられる台詞。シンジはそのことには気が付くことがない。ただ、もう一度聞きたいという言葉だけがリフレインしている。

「わかったよ。じゃあ、明日デートしよう。デートして、最後にもう一度言うよ」

「うん・・・」

この日、二人はそのまま別れた。

そして翌日。夕焼けの海をバックに彼女は涙を浮かべて頷く。シンジはアスカを抱きしめ、影をひとつにした。

このことは母親になったアスカが、かなり着色して子供たちに何度も語ることになる。



数日後、アスカは屋上のドアを開ける。屋上には目的の人が手すりに手をかけ、広がる風景を眺めていた。アスカは彼女に近づき声をかける。

「真希波先輩」

「ん?・・・姫か。なに?私のこと笑いに来たの?」

アスカは首を振る。

「笑いません。先輩のことを・・・同じ人をあんなに好きになった人のことを笑えるほど、アタシは傲慢じゃありません」

「じゃあ、何しに来たの?」

アスカは深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。先輩のおかげで・・・アタシは自分の心に素直になることができました」

「なにそれ?嫌味?」

「いいえ、違います。先輩がいなかったら、きっと気づくのがもっと遅かったと思います。もしかしたら、一生素直になれなかったかもしれません。アタシは・・・先輩が怖かった。アタシが欲しいものをすべて奪われそうで、すごく怖かった」

それはアスカが自分の弱さを認めた瞬間だった。それまでマリはアスカのことを見ようともせず背中を向けていたが、ここでマリはアスカと向き合う。

「怖かった・・・か。姫はそういうけど、私はわかっていたよ。この気持ちがシンジ君に届かないこと」

「え・・・?」

「知ってる?シンジ君さ、一回も私のこと名前で呼んだことないのよね。私のことマリって呼んでって、何度言っても聞きやしない。ずーっと真希波先輩って呼ぶのよ。ファーストネームで呼んでいるのは姫だけ・・・羨ましくて仕方がないよ」

「先輩・・・」

「でも、気をつけなさいよ。シンジ君の手綱しっかり握ってないと・・・私は奪うからね。一回フラれたからって諦めきれるほど軽い気持ちじゃないから」

「この勝負だけは、誰にも負けません。シンジはアタシの全てですから」

互いににらみ合った後、二人は笑った。

「姫とは出会い方が違えば・・・友達になれたかもしれないにゃ」

「なれますよ。同じ人をここまで好きになった女同士ですから。アタシ達、友達になりましょう。真希波先輩。いえ・・・マリ」

「ガッテン承知!」

そして二人は固く握手を交わした。こうして二人は大の親友となっていった。















10年後・・・・

「ウヒヒ・・・」

「・・・・・」

「グヘヘ・・・」

「・・・・・」

アスカとマリはファミレスで食事をしている。マリは顔を赤く染めながら幸せオーラ全開の空気をだしている。アスカはというと落ち着いた様子でコーヒーを飲んでいるが、よく見ると青筋が額のあちらこちらにピクピクと動いている。

マリは両手で顎を支えながら嬉しそうに言う。

「姫〜お先にごめんね〜」

アスカの体からブチッ!という音が鳴った。

「マリ、さようなら」

「姫!ごめん!マジごめん!お願いだから〜〜〜〜!!!」

出ていこうとするアスカを必死で食い止めるマリ。アスカをもう一度席に座らせる。

アスカは席に座るとひとつ大きく深呼吸をして自分を落ち着かせる。

「あのね、アタシはマリのこと親友だと思ってるし、この話を聞いた時は自分のことのように嬉しかった。一番お祝いしてあげたいと思っている。これは本当」

「姫〜〜〜私は姫からそう言われるのが一番うれしいよ・・・」

「でもね・・・・・」

彼女の背中からゴゴゴという文字が浮かび上がりそうな空気である。

「嬉しいのはわかるわよ!?でもね!?アンタと久しぶりに会って一緒にご飯食べてどれくらい時間が経っていると思う!?40分経ってないのよ!?その間に何っ回聞いたと思っているのよ!婚約指輪見せつけられて変な声だしてるし!二言目には『姫、お先にごめんね〜』って何っ回言ったと思ってるの!?10回以上は聞いているわよ!3分に一回のペースよ!?わかってるの!?」

「あははは・・・いや〜まさかこんなに早く結婚できるなんて思ってもみなくてさ・・・」

マリは照れたように頭を掻く。

マリは結婚する。相手は大学時代の先輩だ。馴れ初めを聞いた時に、アスカは実に彼女らしいと思ってしまった。



大学時代に学食で友人と食べていた時に、部屋の隅で黙々と食事を摂るその人が目に入った。それだけなら(なんか寂しい人がいるな)と思うだけなのだが、その人の魚の食べ方があまりにも綺麗に食べるものだから目を引いたのだった。

何故そう思ったのか本人もわからないが、そこからどうしても仲良くなりたくて、わざわざ彼の隣に座ったり、友人たちを巻き込んで一緒に食事をしたりとしていくうちに好きになっていたという。

どこか雰囲気が暗く、友人の少ない彼の一体どこに魅力を感じるのか、対極にいるマリが何故そこまで熱をあげるのか。マリの友人たちはみな首を傾げたが、それをマリが言うはずもない。彼の良さを理解できるのも気づけるのも自分だけでいい。マリはそう思っている。



「まあ、気持ちはわかるけどさ・・・」

「あはは・・・でも姫から言われるのが一番うれしいにゃ」

不貞腐れたように呟くアスカ。マリは本当に嬉しそうに言う。アスカは温くなったコーヒーを飲み干す。

アスカの額にもう一度青筋がくっきりと浮かび上がる。


「それで?本音は?」


「仲間内で一番早く同棲して、『アタシ、もうすぐ結婚するかも』な〜んて散々惚気自慢していた姫が、シンジ君の仕事が忙しくてなかなか次に進めない上に、婚期を現在進行形で逃している姫に対してメッチャマウント取りたかった?」



「さよならマリ。いい友人だったわ」

「ごめん!ごめんってば!姫〜〜〜〜〜!!!!」

帰ろうとするアスカをもう一度必死になって食い止めるマリ。アスカはもう一度席に座る。

「アンタ、いい性格してるわね」

「冗談。冗談だってば・・・3割くらい」

あれから付き合いも長いのでお互いのことは十分わかっている。

ふと、マリは時計を見るとタッチパネルを取り、注文をし始める。

「アンタ、まだ食べる気?ドレス入らなくなっても知らないわよ」

「私が食べるわけじゃないわよ。あの人がそろそろ来る頃だから」

数分後、一人の男性が彼女たちの座る席へと近づいてきた。

「マリ。遅れてすまない」

「別にいいわよ。あ、注文してあるからね。ゲンドウ君」

「お久しぶりです。六角さん」

「ああ、惣流さんお久しぶりです。いつもうちのマリが迷惑かけて申し訳ない」

マリの相手が来た。彼はマリの隣に座る。

名前を六角ゲンドウ。見た目はどことなくシンジの人相を悪役風にして、もう少しシャープにしたような顔つきだ。そんな顔つきのくせにやたらと綺麗な指をしているのが目に入る。

アスカは自然とゲンドウのことを気遣うマリは本当に綺麗な大人の女性だと思った。シンジとの付き合いが長いアスカだが、そこまで自然な振る舞いができるほどじゃない。

「マリ、本当にいい人見つけたわね」

「えっへへ〜あげないよ〜♪」

「いらないわよ。じゃあ、またね。マリ」

アスカは席を立つ。

「あれ?姫、もう帰るの?」

「邪魔しちゃ悪いじゃない」

「いえ、そんなことないです・・・惣流さんがいてくれると、マリも喜びます」

「六角さん、ありがとうございます。私も用事があるで・・・再来週に彼が帰ってくるので・・・」

「あ〜にゃるほど、にゃるほど」

色々と身辺整理したいということなのだろう。マリは実にいやらしい表情を浮かべ、すぐにはしたないとゲンドウからお叱りを受けていた。

店を出るアスカ。その足取りはどこか軽い。もうすぐ長期出張からシンジが帰ってくる。そう思うだけで全てが明るく楽しくなってくる。近いうちに自分達も彼らと同じ場所にたつだろう。早くその日が来るといいと願っている。ただ、今、幸せの絶頂にいる二人を見てどこか寂しい思いがこみ上げてきたのも事実である。

きっと優しい彼なら嫌な顔はしないはず。

アスカは電話を取り出すとコールを鳴らした。ひょっとしたら向こうは仕事中かもしれないけど、それならそれでいい。相手は4回目のコールで出た。

『もしもし?こんな時間に珍しいね。アスカどうしたの?』

「何よ?電話しちゃいけないってーの?」

『そんなこと一言も言っていないだろ?何か用事なのかなって』

「用事ってほどじゃないんだけどさ・・・ただ・・・」



「あなたの声が聴きたくて」















あとがき

あぐおです。

ラストはこの台詞で締める!というところから始まったこのFF。結構趣味に走らせてもらいましたが、当初考えていなかった展開にキャラが動いて話が進んでいくのは書いていて楽しかったです。FFってそういう時がたまにあるで面白いです。今回はラストシーンのアスカがシンジに電話をかけるところのくだり以外はけっこうキャラが独自で動いています。

そのおかげで貞本版エヴァのつもりが全く別の世界観になってしまった・・・学園エヴァとして大目に見てください。

トウジもヒカリもそこまで活躍する予定はなかったし、ケンスケの深掘りも当初は全く想定してなかったですし、レイとカヲル君はそもそも登場する予定はなかったしね。

マリのお相手の男性はユイに出会わなかった場合のゲンドウと思っていただければと思います。なんとなくマリはユイが好きなのは勿論のこと、ゲンドウのことも同じくらいのことも好きだったのかなとそんな感じがするんですよね。シンエヴァを見てそう思いました。

「あなたの声が聴きたくて」もしかしたら外伝という形でアフターや各キャラの深掘りの話も思いつけば投稿するかもしれません。あまり期待はしないでください。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。



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