体珠 第九話 |
「体珠返してくれよ」 翌日、いつも通りの時間に出社した独田は先にオフィスでくつろいでいた屈山に向かって手を出した。 「お、来たな、って何だよ。おとといからの礼もなしかよ」 「あ、そうか。たいへんお世話になりました。で、体珠は?」 変に芝居がかった口調で礼を述べると屈山はしょうがないなぁという顔で肩をすくめる。 「体珠って、あの呑兵衛で見せてたやつか」 「そうだよ。昨日見たら、3つともなくなってたから、屈山かジュンちゃんが持ってるんだろうと思って」 「そういえば、どこに行ったかなぁ?確かに一つは俺が持ってたと思うけど……おっと、あったあった。これだろ」 屈山はジャケットのポケットから一つの体珠を取り出す。 「でも、そんなに大事ならしっかりと自分で管理しとけよ。勝手に飲んだくれて、忘れてるんだから、誰にも文句言えないぞ」 「悪い悪い。ということはあと2個はジュンちゃんかな?帰りにでも寄って聞いてみようかな」 「おいおい、残りはジュンちゃんが多分持ってるだろうけどさぁ、お前取り返すつもり?」 「え?」 「あ、そうか、覚えてないのか。あのな、彼女、この、体珠だっけ?、を頻りに欲しがってたんだよ。最初こそ、お前も無視してたけど、最後には根負けしたのかあげるって言ってたぜ」 「あげる?俺が?」 「ああ」 「2つとも?」 「いや、そこまでは覚えてないけど…」 「そうかぁ、あげるって言ったんなら返せとも言いづらいなぁ。でも、2つとも持ってるなら、1個くらい返してもらってもいいよな?」 「俺に聞くなよ」 そこにタイミング良く始業のベルが鳴り、屈山はそそくさと自分のデスクへと戻っていった。 ここまで独田が体珠に固執したのには理由がある。独田の今の思いは元の世界へと帰ることだ。しかしそれよりも先に、体珠を取り戻してから、元の世界に帰ることを考えていた。自分の体から作り出される体珠はいわば自分の分身のようなもの。それを他人に渡すというのはやはり気分がいいものではないのだ。最悪、一つを純子に渡すことになっても、残る一つは自分の手元に戻したかった。決してお金だけのためではない。純粋に、自分のものを取りもどしたいだけだった。そう、自分の子供のように。 独田はそれからしばらくの間、一つだけ戻ってきた体珠を眺めて過ごしていた。もちろん、口うるさい愚汁係長の目を盗みながらだ。が、見つめれば見つめるほど、漠然とした違和感が腹の底からわき上がってくるのを感じた。それは、そのあと営業のため外出したときも続いた。 独田が今いる世界は、今までいた世界とは別の世界である。だから、そんな違和感はある意味当たり前のことであるのに、どうも腑に落ちない。まるで、夢ではっきりと見たのに、全く思い出せないあの悔しさというか寂しさに似たような感覚。 よく思い出して見ろ!お前は何かを見ていたはずだ!何かに気づいたはずだ!心の中のもう一人の自分が、自分に向かって叫んでいる。俺は何を見たんだ?俺は何に気づいたんだ?心の中の自分に向かって、自分が叫んでいる。 自分と自分の板挟みに耐えられなくなった独田はいつの間にやら「呑兵衛」の前に立っていた。 「呑兵衛」は夜は居酒屋だが、昼は定食屋として営業している。実際に独田も、週に1回ぐらいのペースでここを利用している。 12時半を回り、既にピークは過ぎていたが、店内にはまだ結構な量の客が食事をしていた。 独田が店の中へはいると、威勢のいい「いらっしゃいませぇ」の声が迎えてくれた。 「あら?独田さんじゃない。いらっしゃい。今日は遅めなのね」 そう言って店の奥から純子が現れる。 「あ、ジュンちゃん、ちょっといいかな?」 「あら、何かしら?」 ひとまず、独田は近くのテーブル席に腰掛ける。純子はちょうど独田の向かいに座った。 「お、いらっしゃい、何食べるの?」 料理の方も一段落付いているのか、酒田が声を掛ける。 「あ、いやちょっと、今日はジュンちゃんに用事があって」 「何だい、デートのお誘いかい?うちの看板娘にあまり手を出して欲しくはないんだけどなぁ」 酒田はそう笑顔で言う。 「あら、そうなの?連れて行ってくれる場所にもよるけどなぁ」 酒田の言葉に純子もまんざらではなさそうだ。 しかし、独田は酒田の気遣いや、純子の表情に気づかず、せっかくの流れを止めてしまう。 「いや、違うんだ。ほら、おとといに見せた体珠って覚えてる?」 「たいじゅ?」 肩すかしを食らった格好で純子は眉をひそめる。 数秒間考えた後、体珠のことを思いだしたのか、純子は明るい声で話し始めた。 「ああ、あのきれいな石ね。そうそう、あのとき独田さん酔っぱらっちゃったから、お礼も満足に言えなくてごめんなさい。でも、あそこまで酔っぱらった独田さんも悪いんですからね」 独田は話の流れから思い出したくない話題に振ってしまったことを後悔しながら、頭をかく。 「あの時は迷惑を掛けてゴメン。あ、そうだ、サケさんにも迷惑かけちゃったんじゃないかなぁ」 「え?いや、こっちは大丈夫だよ。気にすることはないさ。そんなときもあるよ」 酒田は穏やかな笑顔で答える。 多分、気を使って言ってくれているのだろうと分かっていても、独田には酒田の言葉はありがたかった。 「ところで、やっぱり俺、ジュンちゃんにあげるって言った?」 「やっぱり覚えてないんだ。そんなことだろうとは思ったけどね」 そう言うと、純子はハッピのポケットから小さな小箱を取りだした。 「宝物にしようと思ってたんだけどなぁ」 純子は心底残念そうに箱を開け、一つの体珠を取り出す。それは純子に持たれているのがうれしいのかキラキラと輝いていた。 「あれ?1個だけ?」 「そうよ。だって、独田さん、1個しかダメって言ったじゃない」 「じゃあ、あと1個はどこに…」 「え?1個無くしちゃったの?!うわぁ、もったいない」 「じゃあジュンちゃん、ひとまずコレ返してもらっていいかな?どうしても今必要なもんで…あ、この埋め合わせはきっと近いうちにするからさ!」 「しょうがないなぁ、それ約束だからね」 純子はそう言って、独田に体珠を返す。別に渋々と言った様子でもないところを見ると、埋め合わせに期待しているのだろうか。 「じゃあ、この店に残りの1個は落ちてなかったのかなぁ?」 「少なくとも、掃除をしたときに出てくれば私は気づいてると思うけど…」 ということは、店にはないと考えた方がいいだろう。少なくとも、酒田が隠し持っている可能性はないだろう。もしかしたら、純子がまだ1個隠し持っている可能性はあるが、そこまでして欲しいものならそれはそれであげてしまってもいいだろう。店内で誰か別の客が拾った可能性の方が高いし、と独田は考えていた。 ともかく、3個のうちの2個は手元に帰ってきた。あとは元の世界へ帰るだけだ。この世界の純子に埋め合わせをしてあげることは出来ないかもしれないのが少し残念に感じる。しかし、今の時点では元の世界に戻る方法は分からない。多分、あの会議室が元の世界へと帰るカギになることは間違いないであろう。 独田は色々と考えを巡らそうとしたが、特に注文をするわけでもないので、いつまでも店にいるのも迷惑な話だ。独田は酒田と純子に改めて詫びてから、店を出た。 するとそこには数人の男が待ちかまえていた。自分には関係ない集団だと感じた独田はその隙間を抜けていこうとする。しかし、すかさずそこに1人の男が立ちはだかった。 身長が180センチ以上はあるであろう大男は、オールバックの髪型にサングラス、この暑い最中に黒の上下のスーツで決めている。金色のネクタイに赤色のワイシャツという明らかに一般人とは違うオーラを放つその男は独田の目の前にポケットから意外な物体を取りだした。 「あ、それは!」 「やっぱり、あんたの持ち物か」 低く通る声で男はつぶやく。ようやく出会えたといった安堵の表情が口元に浮かんだが、それも一瞬のことであり、独田は気づかなかった。 そして、男は再びその物体をポケットへとしまう。 「ちょ、ちょっと、それは僕のものなんですが…」 慌てて声を出すが、心なしかその声は震えていた。 「ああ、分かっている。質問に答えてもらえればすぐにでも返す」 男は冷ややかな笑顔を浮かべたまま、言葉を続けた。 「これは一体どこで手に入れたんだ?」 「え?」 男の狙いは体珠だった。独田の全身を悪寒が走り、冷や汗がにじむ。 この男は体珠がどこかに落ちているものだと考えている。しかし、実際は違う。自分の体から生まれ出るものなのだ。かといって、こっちの世界の人間には通じないだろう。それぐらいの知識は独田もこっちの世界で得ていた。 「あ、え、えーと、あれは人にもらったものでして…」 とっさに口から言葉が出る。なぜ、そんなことを言ったのかは分からない。自然に口から漏れたのだ。しかし、誰かにもらったわけではない。自分自身が作ったのだから。 「誰にだ?」 男の口調には暖かみの欠片もない。冷徹な刃のように独田の体を切り刻もうとするだけだ。 答えに窮した独田は男の顔から目をそらす。誰が見ても一目瞭然、明らかに動揺が走っているその姿に、男の顎が動いた。 その動きに今まで回りを固めていた他の男たちが俊敏な動きで独田の両腕を押さえる。何が何だか分からない独田は、慌てた表情で両脇の男たちを見やる。 そしてその独田の腹部に強烈な一撃が加えられると、独田の体からみるみる力が失われていく。 「よし、連れて行け」 その男の言葉を聞き終わる前に、独田は意識を失った。 |