体珠 第七話 |
頭が爆発しそうだった。 頭の中ではありとあらゆる国から集められた太鼓が乱打される中、音痴の大合唱が行われている。 「おい、生きてるか?」 屈山の声はほんのささやき声だったが、独田の頭の中には何百倍にも増幅されて送られている。 「う、うぅ」 独田はただ呻くだけ。指一本動かすのも辛そうだ。 「だから、いい加減にしろって言ったのによぉ。もう、今日は仕事無理だろ?会社には適当に話つけといてやるから、今日は寝とけ!」 既にワイシャツ、ネクタイというサラリーマンの制服に着替え終わっていた屈山は、そのまま外へと出ていった。後ろ手に閉められたドアの音と、鍵を掛ける音が頭の中で響き、やがて外は静かになった。しかし、頭の中の合唱コンクールはまだ終わりそうもなかった。 昨晩、あのまま独田は気が狂ったかのように酒を飲み続けた。屈山はもちろん、純子や酒田も止めるのを一向に聞かない。最後には酒田の判断で酒が出てこなくなったが、それでも気が静まらない独田はそのまま、文句を言う屈山を引き連れて3件の飲み屋をはしごしたのであった。 多分ここは屈山の住むアパートだろう。いつ、ここに来たのか全く覚えていない。というよりも、昨日の夜の記憶はほとんど残っていなかった。全身に気だるさをまとった独田は、動かない体を引きずりながらトイレへと向かう。押し寄せる波のように正確に襲ってくる吐き気と頭痛は昼過ぎになるまで治まることはなかった。 目が覚めると既に6時を回っていた。ようやく気分が落ち着いたところで、そのまま眠ってしまったようだ。まだ屈山は戻ってきていないらしい。まだ体のあちこちが重いが、動けないほどではなかった。ゆっくりと起きあがり、流しの水道に直接口をつけて水を飲む。水分が抜けきっていた体の全身に水が巡っていくようだ。そして、そのまま水を頭からかぶると、一気に目が覚めた。 濡れた髪をタオルで乾かしながら、屈山の携帯に電話をした。 「ようやくお目覚めか」 「スマン。今どこだ?」 「ちょうど、残業の仕事が終わったところだ。で、今からどうするんだ?」 「とりあえず、家に帰ろうと思う」 「そうか。なら、部屋の鍵はポストの中に入れてあるから、鍵締めて出ていってくれよ」 「分かった。本当に世話かけて申し訳ない」 「いや、毎度のことで慣れてるよ。じゃあな」 独田が「毎度のこととはどういう意味だよ」と言いかけたときには既に電話は切れていた。携帯電話の電源を切ると、独田はいまだに首にしめられたままだったネクタイをはずし、乱暴にズボンのポケットへとしまう。濡れたタオルを洗濯機の中へと放り込み、鞄を抱いて、玄関で乱雑に転がる靴を履く。 「あ、そうだ。体珠は…」 昨日の晩に居酒屋で出した体珠のことをすっかり忘れていた独田はジャケットの内ポケットを探り、巾着袋を取り出すが、袋の口は開いたままで中身は空っぽだった。多分、昨日居酒屋で純子と屈山に渡したままなのだろうと思い出した独田は後で改めて連絡を入れることにして、部屋を出た。屈山に言われたとおりに鍵をして、アパートを出ると雨が降っていた。 独田は軽く空を見上げると、そのまま自宅へと向かって歩き始めた。独田の部屋と屈山の部屋は電車の2駅分ほどしか離れてはいない。まあ、路線によっては2駅分でもものすごい長距離にはなるが、ここではせいぜい歩いても15分といった距離である。疲れているときなどは、屈山のアパートのすぐ近くにある駅から電車を使うのだが、今日はそのまま歩いて帰ることにした。酒が完全に抜けたわけでもないから、まだ多少疲れが残っていたが、アスファルトを叩く音もしない小さな雨粒は、まだ体が暖かい独田にはちょうどいいシャワーだった。 雨雲のせいですっかり暗くなった道を街灯の明かりを頼りに一歩一歩歩いていく。独田は一生懸命、昨日のことを思い出そうとしていたが、頭の中にも雨雲がたたずんでいるようで、街灯の灯りがのない暗闇では何も見えはしなかった。 やがてたどり着いた自分の部屋のベッドに倒れ込んだ独田はそのまま、また眠ってしまった。 |