体珠

第参話


 こんな格好では場違いな感もあるかと思ったが、意外とスーツ姿のサラリーマンが多く歩いているのが見えた。
 通りをすれ違うサラリーマンは自分のように会社をサボっているのだろうかと想像する。
 しかし、そんな人間はそんなにはいないのではないだろうかという結論に達し、妙な罪悪感に襲われた。
 というのも、彼がこうして早退ではあるが会社を休んだのは初めてのことだったからだ。
 突然どこからか同僚が現れて、早退したことを責められるのではないか、そんな大したことでもないことにビクついている自分に気づき、慌てて胸を張って歩き始めたりする。そんな明らかに挙動不審な彼の動きも、若者で溢れかえるこの街ではあまり目立つものではなかった。
 目的のショップは程なくして発見することができた。
 「体珠買取専門店 B.B.」
 黄色い看板に赤いゴシック文字で力強く書かれたその店は、外見は金券ショップのような感じだ。
 狭い店内にショーケースを並べている金券ショップに比べれば幾分広い店内に入ると、こじんまりとしたカウンターと椅子だけがあるシンプルなものだった。壁には色々な体珠の写真が貼られ、その横には買い取り金額が掲示されている。ここだけを見ると中古を扱うゲームショップのようだ。カウンターには顔のいたるところにピアスを開けた、いかにもな若い男が店員とあーでもないこーでもないと口論をしている。買い取り金額の折り合いがついていないようだ。どうにも埒があかなくなったのか、ピアス店員は奥にいるのであろう店長に助けを求めた。
「だ・か・ら!こっちはなんとしても10万いるんだよ!」
「そうは言ってもねぇ、これじゃせいぜい2万どまりだよ。それを5千円割増してあげてんだから、あまり無理言わないでよ」
 口髭を蓄えた30前後の店長らしき人物は軽い言葉ながら、これ以上は妥協できないという強い姿勢を見せて応対をしている。
「買い取りですか?」
 その様子を眺めていた独田を待っている客と判断したピアス店員が声をかけた。
「あ、買い取りじゃないないんですけど…」
 独田はあまりにもピアスとアンバランスな営業スマイルをたたえたまだ20代前半であろう店員に近づく。
「ここでは体珠の販売はしてないんですか?」
「はぁ?」
 思いっきりな尻上がりの口調で店員は眉をひそめる。
「販売っすか?」
 あまりに驚いたのか口調がいつのまにかタメ口だ。
 独田はその店員のあまりの豹変振りにこういうところで買うものではなかったのかと失言を悔いた。
「店長ぉ〜」
 店員はやたらと間延びした口調で横にいる店長を呼ぶ。店長はようやく若者を納得させたようで、若者にお金を渡すところであった。
 簡単にありがとうと若者を見送り、店長が独田の前にやってくる。
「どうした?」
「いや、この人が体珠が欲しいって言うんすよ」
「バカか。世の中にはそういう趣味の人もいるんだよ!そんな怪しげなものを見るかのような視線はお客さんに失礼だろうが!」
 それ以前に客の前でそんな説教をすること自体失礼なような気もするなと独田は思う。
「いやぁ、すいませんねぇ、お客さん。こいつバイトに入ったばかりで、何も分かってないんですよ。でも、うちで販売してるってどこで聞いたんです?上の目もありますからあまり口外しないでくださいよ」
 店長は口元にいやらしい笑みを浮かべてペコリと頭を下げた。どうも、体珠は普通に買うには御法度なものらしい。もしかしたら麻薬や拳銃などと同類のものなのだろうか。独田は悪い世界に足を踏み入れた気分になったが、それ以上に体珠の放つ怪しい光に心を奪われていたので、後のことなど何も考えられなかった。だいたい、そんな危ないものなら、普通の人が普通に身につけていたり、銀行で取引されていることの方がおかしくなる。独田は勝手な自己弁護の意味をこめてそう自分に言い聞かせる。
「で、今日はどういったものをご所望で?」
 急に店長の口調と表情が一転する。ビジネスには真面目な男らしい。堂々と売れるものでもないなら当然なのかもしれないが。
 ここで独田はいかにも買い慣れていそうな振りをすることにした。何せ体珠を買うという行為はちょっと変わった趣味らしい。それを知りもせず言ってしまったことに、今更実は何も知らなくてとは言いづらくなってしまったのだ。
「今日はどんなものが在庫としてあるの?」
 背中に軽く汗をかきながら、平然とした振りをして独田が店長に尋ねる。
「実はさっき回収があったものでそんなにはないんですよ。今さっき相手していた客がいたでしょ。それから買い取ったやつと、あと数個あるだけですね。とりあえず、全部持ってきますから待っててください」
 独田に軽く手を上げ、店長は事務所の方へと入っていった。
 バイトの方は、もう私に興味はないらしく外の通りを歩く人の流れをボーっと口を開けるまま眺めている。
 3分としないうちに店長は小さな箱を持って戻ってきた。
 箱といっても宝石を入れるようなかっこいいものではない。辛うじて蓋はついているが、単なる紙箱だ。
 独田の前で箱を開けると中には5個の体珠が入っていた。
 無色透明のものばかりの中にひときわ鮮やかなライトブルーの体珠に目が奪われた。六角柱の形をしたそれはかなり小さいがキーホルダーのアクセントにはちょうどいいぐらいだ。何よりも、鮮やかな色が大きさを感じさせない力を持っていた。
「やっぱり、それに目がいっちゃいますよね」
 箱の中の一点から目をそらさない独田を見て、店長は笑いながら言う。
「もう少し早く来てもらえれば、他にも何色かはあったんですけど。まあ、この色はかなり珍しいですし、形もはっきりしてますから、これはこれでラッキーですけどね、お客さん」
「これっていくら?」
「は?ああ、この青いヤツですね。えっと、これは………150万ですね」
「ひ、ひゃくごじゅうまん!?」
 思わず大声を出してしまった独田を見て、店長は意外という表情をする。
「そりゃ、これだけはっきりとした色と形ですからこれぐらいの値は当然ですよ。ちなみにうちではこれを100万で買い取ったんですけど、はっきり言って回収業者に渡すよりも安い値段で売ると言ってるんですから大特価ですよ。だいたい、普通こんなもの人に売らないのは分かってるんでしょ?」
「150万…」
 独田はまだショックから立ち直れてはいない。
「あ、もしかしてお客さん、色つき買うの初めてなんじゃないです?」
「あ、ああ、そうなんですよ」
 慌てて独田は答えた。
「それじゃあ、知らないか。いやね、透明のものだったら、知ってると思いますけど余程珍しい形状のもので10万です。いわゆる、普通のやつなら2、3万ってところですからねぇ。だから、そういうのと比べればびっくりするほど高いもんですよ。なかなかできるものじゃないしねぇ」
「そんなものですか」
「もう、大いにそんなものですよ。だいたい、こういう色付きのヤツは作り方が分かっていても100%できるような代物じゃないですから。お客さん作ってみたことあります?あ、ないの。そりゃ、大変ですよ。私もかつて何度か挑戦してみたことがあるんですが、あれは大変ですよ、ほんとに。半年がんばって、薄い、それも本当に薄いグリーンのヤツを1個作るのが限界でした。まあそれは記念として持ってるんですけどね。それ以来色付きを作るのはやめちゃいました。やっぱし、無理をするのは体にもよくないし……」
 よほど、聞いて欲しかったのか、はたまた単なる話好きなのか、店長は聞いてもいないことをベラベラと話し続ける。
 ともかく、色付きを作るというのは大変なのは分かった。じゃあ、さっき駅のホームで話していた女子高生は余程がんばったのか、運が良かったのかなのだろう。他の女子高生たちが目を見張るわけだ。と、ここで独田は課長が作り上げたピンク色の体珠の存在を思い出した。
 長々と話しつづける店長の話の腰を見つけて、会話に割り込む。
「それじゃあ、もしピンク色のヤツなんかはいくらぐらいで取引されるんでしょうか?」
「え?ピンクですか?」
 突然話の腰を折られ、店長は目を丸くする。
「ピンクはまだ見たことないですから、たぶん流通してないはずですよ。だから、もし出てきたら最初のうちは軽く500万ぐらいの値がつくんじゃないですかねぇ。あ、もしかしてお客さん、何か知ってるの?知ってるんだったら教えてくださいよぉ」
 店長はにやけた表情で独田にしだれかかってくる振りをする。独田は大袈裟に避ける振りをして、こう言った。
「ひとまず今日のところはこれをもらいます」
 独田が指差したのは透明なものの中でもとりわけ小ぶりな球体の体珠だった。
「え?これでいいんですか?こんなありふれたものならお客さんでも何とかなるんじゃないです?」
「あ、どうも僕はこういう丸いのが苦手でして。ハハハ」
 とっさに嘘をつき独田は頭を掻く。
「まあ、皆それぞれ体つきが違うのといっしょで、出来上がるものに違いが出てくるのは当然かもしれないですけどね。あ、でも言われてみれば私は二十面体のは出たことがないですよ」
「いくらですか?」
「ああ、ハイハイ。これなら1万円でいいですよ」
「安くないですか?」
 店長はさっき2、3万はするといっていたことを覚えていた独田は意外そうな声を出す。
「いや、こうやって話ができたのも何かの縁ですし、今後もうちを利用してくれるならという意味を込めてのサービスですよ」
 この店長、歯に衣を着せないいい男なのかもしれない。独田は財布からまだ折り目のついていない一万円札を取り出すと店長へと渡した。
「じゃあ、これ。あ、くれぐれもここで買ったとは言わないでくださいよ。今度来られる時のために面白いのがあれば置いておきますから」
 店長はそう言うととびっきりの笑顔で独田に透明な体珠を手渡した。

 店を出た独田は、公園の隅に人影の少ない場所を見つけると近くにあったベンチに腰掛け、ポケットに入れておいた体珠を取り出した。
 青い空に体珠を掲げると太陽光が反射してまるで水晶のような輝きを放っている。これは下手な宝石よりも全然いいものに違いないと感じていた独田はしばらくの間それを笑顔で見つめていた。たまたまそこを通りかかった女性がそんな独田を見て失笑を漏らした。それに気づいた独田は慌てて上げていた手を下ろし、何事もなかったかのように、周囲を見回す。そして、軽く咳払いをすると、再び体珠をポケットへとすべり込ませた。
 両腕を枕にベンチに横になると、鮮やかな青が目に飛び込んできて思わず目を閉じた。そして、今日会社であったことが思い出された。
 課長の涙のシーンが頭で再生されると胸が痛んだ。
 あのピンクの体珠はものすごい開発だったんだ。そんなことも知らずに僕は……
 今は自分が泣いてしまいたい気分だった。ものすごい自己嫌悪が襲ってくる。しかし、これは自分が蒔いた種。そのまま野放しにして雑草だらけにするわけにはいかない。明日はっきりと課長に謝ろう。芽が出て取り返しのつかなくなる前に、種は掘り出してしまわなければいけないはずだ。独田はゆっくりとベンチから起き上がるとそのまま公園を出た。

 公園で色々と考えているうちに時間が過ぎてしまい、自宅についたのは6時を回ったころだった。
 喉が渇いたので冷蔵庫を開けると、お気に入りの野菜ジュースはほとんど残っていなかった。せっかく戻ってきたのに、また外出するのは癪だったが、食糧までない以上、買出しに行かないわけにはいかなかった。
 独田の家の近くには2軒のコンビニエンスストアと1軒のスーパーマーケットがある。普段から自炊をほとんどしない独田には、もっぱらコンビニの方に買い物に出かけることが多い。それでも、たまには料理でも作ろうかという気分になることもあり、スーパーに買出しに出かけることもある。独田は料理を作ることは決して嫌いではない。ただ、後始末が嫌いなので、翌日に食器や鍋が山のように詰まれた流し台を見ると、せっかくの料理を作りたいという想いも萎えてしまう。そして結果的に買った野菜を腐らせてします。そんなわけで今日も独田にはコンビニの何弁当を買うかという選択肢しかなかった。
 自宅から一番近いコンビニは歩いて5分ほどのところにある、Tシャツに短パン、サンダルという少々時期的には早い服装で外へと出たが、さほど寒さは感じない。間違いなく、夏は近づいていると感じずにはいられない。かといって、別に夏が待ち遠しいわけでもない。確かに冬よりは好きだが、泳ぎが得意なわけでもないし、暑さに強いわけでもない。でも、皆が開放的になる、あのなんともいえない気分は嫌いじゃなかった。今年は海でも行ってみようか?海になんて、何年も行ってないが、なんとなくそんな気分になった。こういう気分になるのも悪くない。それもこれも体珠のおかげだと思う。今もポケットの中にある体珠が心の中の靄を吸い取ってくれるような、そんな気分がした。
 コンビニに行く途中には小さい書店がある。店の外に求人誌や住宅情報誌が並べられたラックが置かれていて、2人立ち読みをしていた。普段は雑誌しか読まない独田はこの店には入ったことがなかった。読みたい雑誌は全てコンビニに置いてあるし、立ち読みも自由だからだ。そんな独田が初めてこの店を利用することにしたのは、体珠のことをもっと知りたいという気持ちが強かったため、あれだけ流通しているものだが、ガイドブックぐらいならきっとあるだろう、そういう考えからだった。
 店内は外観から想像されるほどの広さでしかなかった。高さ2メートルほどの本棚が壁沿いにずらっと並べられ、そこに文庫やコミック、実用書などが漠然と並べられている。多分、ちゃんとした理由を持って並べているのであろうが、パッと見て何を規準に並べられているのか分からなかった。まだ古本屋の方がきちんと並べられていると思う。その本棚に取り囲まれるように4本の雑誌ラックがちょうど店内の通路部分で「目」という字を作り上げるように並んでいる。狭い店内に無理やり3本の通路を作ったせいか、それぞれの通路はかなり狭い。人がすれ違うのもぎりぎりだ。もしそれぞれの通路に立ち読み客でもいようものなら、脱出不可能な要塞になってしまうかもしれない。さすがに要塞は言いすぎだ。せめて脱出不可能な小部屋程度か。
 しかし、その心配は全くの杞憂であった。店内には自分を除いて客の姿は見えない。入り口の横にあるカウンターでばあさんが文庫本を読んでいるだけだ。店内には有線も何もかかっていないため、たまにばあさんが文庫本のページをめくる音が妙に大きく聞こえる。そして、たまに前の道をとおる車の通り過ぎる音。それ以外は一切の静寂。独田は自分が偉く場違いなところに来たような錯覚に陥った。こんなところで立ち読みをするのは少々気が引けたが、近所に他の書店がない以上文句は言っていられない。この不況の最中、店が潰れずに存在しているだけでも、ここは十分立派な書店なのだ。外見や雰囲気で気が引けているようではダメだ。独田は意を決し、実用者が並べられている棚へと向かった。
 そこには結構な数の体珠関連本がある。そのほとんどは作り方、いわゆるハウ・トゥー本で、あとはカタログ本となっていた。
 独田はまず表紙に鮮やかな蛍光レモン色の体珠が輝いているカタログ本を手にとる。50ページほどの薄い本だが、全てカラーページのため値段は決して安くない。パラパラとページをめくってみるが、掲載されているもののほとんどは無色透明の、一番ポピュラーなものだった。ただ、その分ありとあらゆる形のものがあるというのがよく見て取れた。今日見かけた球体や直方体、三角錐や六角柱などもある。ほかに珍しいものでは、星型やクロス型、雪だるま型、扇形、ドーナツ型などがあった。また、言葉では形容できないような幾何学的なものも多くあったが、こういうのは意外と安いものらしい。それよりもはっきりとした立体になっているものの方が高価になるようだ。この本で一番高い、無色透明の体珠は何と正100面体で、実に精巧な作りだった。これなら高価なのもうなずける一品だった。わずかに載っている色つきのものは、表紙にあったレモン色、独田が手に入れたブルー、グリーンなどがあった。
 一通り目を通した後、独田は一度チラリとカウンターに座るばあさんを見る。
 ばあさんは客に興味がないのか、相変わらず文庫本を読みふけっている。
 もしかしたら、隙をうかがいながら独田の様子をチェックしているのかもしれないが、独田はこれ幸いとばかりにカタログ本を元の棚に戻すと、隣にあるハウトゥー本の1冊を手に取った。そして、『あなたにも作れる立方体珠』というその本の表紙をめくる。

――私たちの生活と切っても切れない関係にある体珠。それは私たちの生活を潤すためだけではなく、心までも豊かにしてくれるすばらしい物です。お金のためという割り切ったつきあい方もいいですが、きれいな立体を作り上げることによって、あなた自身が産み出した物だという認識を強めていただければ幸いです。

 「はじめに」と書かれた前文を読みながら、独田は自分が知らない間に他の人々との生活とは切っても切れない関係になっていた体珠という存在を思い返していた。そして、この本を読むことによって、独田自身も体珠と深くつきあっていけると考えていた。その驚愕の事実を知るまでは。
 一通り本を読み終えた独田の手は震えていた。わずかに開いた唇からは「そんなバカな」という言葉がかすれるように出てくる。
 独田は勢いよく本を閉じると、その本をカウンターへと叩きつけた。その音にびっくりしたばあさんは叫びながらいすから転げ落ちる。どうやら、本気で文庫本に熱中していたようだ。
「この本をくれ!」
 独田は本を買うと、当初の目的も忘れて家へと走る。
「どういうことなんだ。これは一体どういうことなんだ」
 小さな街頭の灯りが瞬く闇の中を独田は叫んだ。
 よく知っている道が家が電信柱が、そしてすべての風景が嘘のように見える。
 しかし、この世界自体は嘘ではない。
 この世界に紛れてしまった独田自身が嘘の存在。
 それに独田は気づいてしまった。
 そう、ここはパラレルワールド。
 ある1点を除き、今までの世界とはなにも変わらない世界。
 そのある1点こそ『体珠』。
 独田は何が理由かは謎だが『体珠』のない世界から『体珠』のある世界へとやってきたのだった。
 一方、独田が『体珠』のある世界へと旅だった瞬間、逆に『体珠』のない世界へとやってきた者もあった。『体珠』のある世界からやってきた独田、その人である。


第四話へ