
『東日本大震災から10年』関連番組を視聴して
2021年5月6日放送を語る会
はじめに
東日本大震災から10年、地震・津波の爪痕、その後の復興の過程を放送はどのように伝 えただろうか。
2021 年3月11 日の前後に放送された東日本大震災をテーマにした膨大なテレビ・ラジオ 番組の中から、その一部を「放送を語る会」メンバーが随意に選んでモニターした。
そのモニター報告をここにまとめてお届けする。
今回の取り組みでは東京から6名、大阪から10名が参加し、総計27編の報告が寄せられ た。モニター報告の書式は予め決めず自由記述とし、対象とする番組も各自の関心と興味に 従って選んだ。従って数多い「東日本大震災から10年」関連番組・報道の一部のモニター に過ぎないことをお断りしておく。末尾にモニターした番組の一覧表を掲載した。
これまでの放送を語る会のモニター活動は、対象番組・モニター期間・報告書式・担当者 などを事前に決めて組織的に取り組み、報告書も検討会議を持ってまとめていた。しかし、 今回はコロナ禍の下でもあり検討会議は開かず、メンバーから寄せられたモニター票をその まま全文掲載し、モニターした人の個性・視点や分析の多様性が感じ取れるようにまとめ た。
各放送局のニュース・番組を比較分析してまとめた従来の「モニター報告」に対し、今回 は会員個人の「個性豊かな番組批評集」とでも位置付けられようか。
担当者のコメントとニュース・番組の概要
今回は、会員から寄せられたモニター票を「デイリーニュース」「原発事故を扱った番 組」「地震・津波災害を扱った番組」「ドラマ番組」の4項目に整理した。
「デイリーニュース」は東京のチャンネル順に番組別に仕分け、放送日順に配列した。
その他の項目は、放送日順に配列した。
それぞれのモニター票は、放送日・番組タイトル・放送局名・執筆者の順に表記した。
1.デイリーニュース
3 月11 日「ニュースウオッチ9」NHK (今井 潤)
タイトル「”暮らしを取り戻す”10年の模索」(30分45秒)
大震災10年目の企画として、有馬嘉男キャスターが宮城県石巻市の復興記念公園から中継 出演した。
2011 年 3 月 11 日、被災地に鯉のぼりをかかげた当時 62 歳の本間栄一さん。 本間さんは自らの手で地域を作ることをはじめた。野菜販売やイベントをしながら、店を 経営してきた。有馬キャスターは本間さんの店を訪れると、本間さんは「10年たつが、道な かばだ」と答える。NHKのアンケート「地域のつながりが戻った実感は?」、「 実感がない」 45%、「実感がある」17%。
この後、スタジオに戻り、日本の大震災に思いを寄せる人々のことばとして、ニュージー ランド(地震)、インドネシア(水害)、日本各地の慰霊祭の様子。大震災10年で立ち直れな い地域と人々の気持ちは伝えられていた。 しかし、メディアが伝えてこなかった情報、例えば原発、放射能などはなく、10年目のこ の日にこそ伝えるべきではなかったか。また、当日の津波が川をさかのぼっていく恐ろしい 映像を空撮で取り続けたカメラマンが、その後カメラマンをやめたというが、そのカメラマ ンの心を折った理由こそ知りたいと思うのである。
3 月11 日「NEWS ZERO」日本テレビ (大場晴男)
タイトル「映像あの日 震災10年『有働由美子・桜井翔が伝える』今だから伝える」 ざっと云えば、前編有働取材・後編桜井取材という分担。まずは、有働キャスターが 「祈り続けた3月11日、失った人を思い 大切な人を守りたいという思いを新たにした3 月11 日をお伝えします」と念を押したものです。この10年、身内や友人が亡くなったり家 を失ったりした方たちそれぞれの今日を淡々と伝えることに終止します。名取、石巻、相 馬、釜石等の方たちのある程度の思いが聞けたようです。後編は桜井の出番。原発事故の 10 年。避難を余儀なくされた富岡町、楢葉町、双葉町での取材。富岡町で何度も除染の手 伝いをした桜井は、地元の人たちの戻る戻らない等の苦しい思いを伝えていました。そんな 状況の中で、二人ともそれなりに頑張っていたことでしょう。でも、敢えて注文をつけれ ば、折角のテーマですし、じっくり何本かのシリーズ番組にするという選択肢はなかったの でしょうか?
3 月11 日「報道ステーション」テレビ朝日 (渋沢理絵-小滝補筆)
タイトル「忘れない・・東日本大震災10年」(CM込み55分30秒)
天皇・菅首相の出席した「東日本大震災10周年追悼式典」を挟んで、被災地の今をフラッ シュで伝えた。富川悠太キャスターは、震災当時取材した宮城県気仙沼の現地から「心の復興 は未だ」とリポート。スタジオの梶原コメンテーターが「復興の闘いは10年の通過点、道半 ば」と応えた。
後半は26分半を費やして「震災とテレビ 未来への検証」。あの日テレビは何ができたか、 テレビ報道の自己検証。
第一は、「大津波警報よりも地震被害を優先」。佐野岩手朝日テレビ報 道制作部デスク「『とにかく逃げてくれ』と執拗に言えば助かる命もあったのではないか」、宮川テレビ朝日報道局長「津波報道より大地震が起きたことに対する報道になってしまった」 と当事者は悔やむ。「ここへ来ると声にならない」と津波で海苔棚を失った被災者、失われた 高田松原の松ぼっくりから育てた苗に希望を託す人。
第二は、「失われた空の目」。仙台空港が 津波に襲われ待機中のヘリが被災、「津波情報が少ない中で、映像で伝えられないのは致命的」 (吉岡東日本放送アナウンス部長)とこちらも悔やむ。
第三は、被災者から「何を求められて いるのか」。富川キャスターが現地から、震災当時避難所で家族・親族の安否を問い合わせる 「伝言板」を放送して、被災者から喜ばれた経験を資料映像を交えて報告。10年前の避難所 でのアンケートに「大きなとこが(報道の)中心」「小さいとこはほったらかし」「すみずみま で意見吸い上げて」という被災者の声が残っていた。 第四は、「テレビが招いた思わぬ事態」。 メディアが取り上げた一部の大きな避難所に救援物資が殺到、「どのような影響が起きるか考 えて放送して」と野田釜石市長。
第五は「原発事故、その時何を伝えたか」。当時、テレビ朝 日は「指示があるまで取材は行わない」と文書で福島だけでなく宮城・茨城に及ぶ広範囲で取 材を一時禁止した。
被災者からは「メディアは逃げた」「自分たちの目や耳になるはずなのに 何で取材に来ない」と非難された。「伝えるべきマスコミがいないのは異常だった」(川内村遠 藤村長)。最後に現地中継で立谷相馬市長が、「テレビ報道は貴重な情報」と感謝を表明しなが ら「原発報道は煽るだけでなく冷静に、自治体と連携し実態踏まえた報道を」と結んだ。
(感想) 色々な立場の人たちが登場し、たくさんの見方があることを感じた。報道局の宮川さんが津波についての情報より、地震報道を優先させたといっていた。その 結果、逃げ遅れた人もいる。
また、テレビは小さな村の被害をあまり伝えず、大きな地域しか伝えない傾向にあると指 摘されていた。 メディア側が情報を選んで構成して、受け手に届けていると思った。ある程度の取捨選択 はしょうがないが、住民側がほしい情報は出すべきだ。
番組のなかで、松ぼっくりが震災直後に植えた当時から、成長している様子に復興が着実 に進んでいると思い、力強さを感じた。
3 月12日「報道ステーション」テレビ朝日 (大林 清)
タイトル「福島原発、廃炉後の姿は・・・廃炉の終着点」
企画が良かった。 スタジオ内に福島第一原子力発電所で発生した炉心溶融(メルトダウン)など一連の放射 性射性物質を放出している箇所などセットで説明し、実際の高放射能を放出している原発事 故現場を富川アナウンサーが放射線検知器がピーピーと鳴っていながら現場リポート。迫力 があった。
原発事故スタジオセットとロボットアームなどCG合成の演出も良かった。メル トダウン物資だけでなく建築物含めた膨大な放射能汚染物はどのように処理するのか。完全 除去には100年~300年かかるとも・・・。
脚本家・倉本聰さんがリモート出演。「廃炉というのは、・・・視察に行ったとき、ビル が建っていて、「これは何ですか」と聞いたら、「廃炉のための会社だ」と言われた。そこ で何をやっているのかわかりませんが、私が一番、気になるのが、高レベル放射性廃棄物。 土も水も含めて、最終処分場が決まっていないことです」と。「みんな最終処分場が来るの は嫌です。ただ、電気を付けて、生活の中で出たもの・・・(処分場を)日本人は誰も引き 受けない。これは卑怯に思えてしょうがないです。再稼働をやろうとしているのに、例え ば、なぜ、前の総理は自分のところに最終処分場を持って来ようと言わないのか」「フィン ランドでは原発をつくるときに、ごみの処理をするということが条件になっているが日本で は、全然できていない。日本人全員が逃げているわけです。僕も含めて、恥ずべきことだと 思います」「この(廃炉)問題は、みんなが責任を持ってやらないと恥ずかしいと思いま す」と締めた。
→いやー、実に明快な応えでした。「原発は止めるべし」の強い言葉も欲しかった。
3 月8日「news23」TBS (府川朝次)
原発事故見えぬ収束 事故から10年 (11分10秒 )
扱ったのは、原発の冷却などによって発生した汚染水と除染で回収した汚染土処理の問題 だった。
汚染水は今も毎日140トン発生している。現在ALPSという放射能除去装置を使って大部 分の放射性物質を除去した水をタンクにためているが、来年秋までには満杯になってしまう。 その先どうするのか。国と東電は安全だとして海に流す計画でいる。しかし漁民は風評被害 を恐れて反対している。番組では菅首相の「政府が責任をもって処分方針を決定する」との談 話を紹介している。
いっぽう、宅地や農地などの除染によって出た汚染土は、いま双葉町の中間貯蔵施設に集 められている。法律では2045年までには県外に搬出することが決められている。しかし、現 実には先の話は全く決まっていないのだ。住民は先が見通せないと将来設計が立てられない と不満を漏らすが、新たな策は何も示されていない。
番組は最後に、「汚染水を処理したフィルターは高濃度の放射線が付着している。そのフィ ルターも増え続けている。人はまだまだ故郷に帰れない」と結んでいる。
【感想】 原発被害は10年を経ても何一つ解決に向かっていない。その様が簡潔に語られている。だ が、扱い方があまいという印象を持つ。たとえば、政府は「国が責任をもって」と気やすく言 うが、「風評被害」という実態をとらえにくい相手にどう責任をもつのか。結局は金を積んで 黙らせるのではないかという疑念がわいてくる。政府が取ろうとしている「責任」とはどんな ものなのか、触れてほしかった。
3 月9日「news23」TBS (府川朝次)
宮城・気仙沼市長 菅原茂氏とともに (15分10秒)
3 月6 日気仙沼市市街地と対岸の唐桑半島を結ぶ三陸沿岸道が開通した。これを機に菊地 正男は妻の幸江とともに、市街地と橋で結ばれた大島で飲食店を始めた。近海でとれる豊富 な海の幸をふるまうのが売りである。総事業費7千億円を投じた宮城県内の防潮堤も6割ほ どが完成している。この日の企画は、復興が進む気仙沼でいま何が問題なのかを、市長の菅原 茂に小川彩佳キャスターがスタジオからラインで聞くものだった。
菅原市長が挙げたのは二点。一つは整ってきたハードに見合ったソフトの充実。たとえば、 街に賑わいを取り戻すにはどうしたらいいか、被災者の心のケア、コミュニティの支援をど うするかといったこと。もう一つは深刻な嫁不足の問題だった。ただでさえ若者が街から出 ていく時代、震災後より鮮明になったのが、男は大学卒業後故郷に戻ってくるケースが多い ものの、女性は都会にとどまってしまうケースが多いということだった。市長はその対策 として、女性にも魅力ある都市づくりが必要と考えている。再生可能エネルギーを使ったク リーン都市に共感する企業の誘致や、スローフードを掲げた都市の建設、そうしたものをイ メージしているという。
かつては人材と原料の供給基地だった気仙沼を、それにとどまらない都市に変えていく こと、それが私の使命と考えている、と市長は結んだ。
【感想】 昨日の双葉町の例と比較してしまう。たしかに、気仙沼の10年前はすさまじいものだった。 とくに津波によって発生した火災によって、街が猛火に包まれた様は今も目に焼き付いてい る。だが、津波だけなら街はいずれよみがえることが可能なのだ。全く先が見通せない原発被 災地と違って、この街には少しずつでも明るい未来を語ることができるようになってきてい る、そのことを痛感した。
3 月10日「news23」TBS (府川朝次)
「傷ついた子どもたちの心」( 11分)
石巻市に住む小学6年生の西条靖汰(せいた)は長女楓音(かざね)次女春音(はるね) の3人姉弟の末っ子である。が、10年前の大津波で春音だけが犠牲になった。幼稚園のバス が津波襲来時海に向かって走っていたのが原因だった。
震災後、二人の子供は異常行動を起こすようになった。楓音は「妹が死んだのに私だけが 生きているのはおかしい」といって、友達付き合いもしなくなり、やがて不登校になった。靖 汰は服の袖をぼろぼろになるまで食いちぎる「異食」症状をあらわすようになったのだ。 原因は私にある、と母江津子は悔やんだ。春音の死を嘆き悲しむあまり、二人の子供を全くか まってやらなくなったのだ。夫婦が幼稚園を相手取って裁判を起こし、それにかまけていた ことも影響しているのではないかと江津子はいう。
そんな子供たちに手を差し伸べてくれた人がいた。木工作家の遠藤伸一である。震災の翌 年遠藤が中心になって、子供たちの心のケアを目的にした「こころスマイルプロジェクト」を 立ち上げた。実は、遠藤も3人の子供を津波で失った被災者だったのだ。彼は震災当日子供 たちを母親に預け、親戚の様子を見に出かけた。その間に津波は3人の子供と母親を飲み込 んでしまったのだ。「父親なのに我が子を守ってやれなかった自分が許せない」、遠藤は後悔 の念にさいなまれていた。それを乗り越えようとしたのが、子供たちの心に寄り添う活動だ った。
遠藤は、専門家のアドバイスを受けながら、子供たちがしゃべりたいときしゃべっていい 場所を作ることを決意した。絵を描かせ、心のうちにたまったものを吐き出させることもや り、枯れ木を無心に磨いてつるつるにする、という工作も試みた。靖汰は次第に心を開くよう になり、「異食」もやめた。
熊谷和華も遠藤に救われた一人だった。熊谷は津波で最愛の姉を失って心を閉ざしてし まった。大学に通うようになっても友達一人作ろうとしなかった。そんな時巡り合ったのが 遠藤だった。熊谷は言う。「同じ経験をした人だから通じ合える何かがあった。家族のような 存在になった」。枯れ木を磨きながら遠藤は言う。
「傷ついた枯れ木でも磨けばつるつるにな る。人も一緒だ」。
スタジオの小川彩佳 宮城県では不登校の子が増え続けていて、この5年間で全国最多 だという。子どもたちには継続してケアが必要だ。
【感想】
10年が過ぎても心に傷を持った子供たちがいるという実態はショックである。遠藤のよ うな大人が一人でも多くいてくれることが救いなのだが。
10 年たった今、メディアは震災についてなにを伝えるべきなのか、答えの一つがこの企 画にあるように思う。10年たって、確かにハード面では復旧は進んだかもしれない。しかし、 心に傷を負った人たちは、まだまだ多いと思えるからだ。
3 月11 日「news23」TBS (府川朝次)
節目なく癒えぬ心それでも前へ 命を守るには 大川小、遺族の10年 (14分)
宮城県石巻市の大川小学校では、あの日津波で児童教師84人が犠牲になった。佐藤敏郎は 当時小学校6年生だった娘を失った。佐藤は4年後学校をやめ震災を語り継ぐ語り部として の活動を始めた。この年、佐藤を含む児童の遺族たちは、学校が児童を適切に避難させなかっ たとして、石巻市と宮城県を提訴した。2019年最高裁は遺族の主張を認め、市と県に約4億 円の賠償を命じる判決を確定した。
佐藤は言う。悲しいことが起きてしまった事実は避けられない。自分の経験した後悔を未 来にどうつなげていくのか、それが問われている。
この後、スタジオの小川キャスターがラインで星浩TBSスペシャルコメンテーターと対話
小川 星さんにとってこの10年とは。
星 震災からコロナへ。共通しているのは根拠なき楽観論が深刻な事態を招くというこ と。 津波は防潮堤があるから大丈夫、原発事故は起きない。コロナは感染症が広がっ ても 病床はひっ迫しない。そのすべてが、現実には吹き飛ばされてしまった。
科学が 進歩しても我々の足元はぜい弱。不都合な真実であっても、足元を見つめてい くこと が必要だ。
小川 星さんは福島が故郷、今何を思う。
星 10年目で大々的に報道されるのはありがたいと思う反面、被災者にとってみると、 9 年も10年も11年も同じ日常であって、同じく苦闘が続く日々だということを理 解し
てほしいと思う。
【感想】 津波の被害を受けた現地からの中継や今日一日のドキュメントを含めれば、この日の震災 関連ニュースは30分以上になる。全体としてみれば、定例化した「震災当日」の企画だった と思う。大川小の問題は、裁判では決着を見たとしても、関係した人々の心には深い傷を残し た出来事だったのではないか。メディアが今後この一件をどうフォローしていくか見守って いきたい。
星氏のコメントも取り立てて印象に残るような内容ではなかった。科学が進歩したとはい え、それはハード面だけであって、科学的根拠に基づいて物事を考えようとしてこなかった のが日本の政治家だったのではないかと私は考えているからだ。コロナに対する国の態度が それを如実に示しているのではないだろうか。
【総評】月~木のモニターを終えて
モニターした4日間で取り上げたテーマは、震災から10年を語るうえで適切な選択だった と思う。なかでも「原発事故」は10年たった今も全く解決のめどがたっていないし、「傷つ いた子ども」は現在もなお潜在的に進行している問題である。その意味からも、今後とも取り 上げ続けてほしいテーマである。
復興という観点からは、多くの自治体が気仙沼と同じような問題を抱えているのではない か。どこかユニークでみんなが参考にしたくなるような事例というものはないのだろう か。調査報道で、人々に希望を与えるような話題も提供してほしい。 なお、モニターした番組の中には、東北とかかわりのあった著名なアスリートたちのメッセ ージも随時取り上げられていたので、ここに紹介しておく。
3 月9日 バドミントン 桃田賢斗(中学、高校を福島県富岡町ですごす)
震災当日はインドネシアに遠征していて、帰国後もすぐに福島に行くことができなかった。 自分がつらい練習に耐えた体育館が、見るも無残な姿をさらしているのを見たときは、言葉 が出なかった。バドミントン人生は福島で培われた。福島は自分にとって第2の故郷。絶対 に風化させてはいけない。これからも、みんな常に支えあっていかなければいけないと思う。 オリンピックで活躍するのが私の務め。自分はスポーツの力で少しでもサポートしていきた い。
3 月11 日 野球 田中将大(震災当時 楽天イーグルズに所属 今年再び楽天に所属)
震災直後バスから見た光景は言葉にならなかった。そんな時、子供たちの元気な姿を見て、 逆に励まされた。10年という節目で何かが大きく変わるわけではないので、これまで通りに 8 何か力になっていくことができれば、と思っている。
3月11日 フィギュアスケート 羽生結弦(震災当時 仙台のクラブに所属)
10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感もある。皆さんは想 像をはるか超えるほど頑張ってきた。10年という節目で何かが急に変わるわけではないし、 まだ癒えない傷もあると思う。簡単には言えないけど言わせてほしい。ぼくはこの言葉に支 えられてきた人間だから。「頑張ってください」。あの日から皆さんからたくさんの「頑張れ」 をいただいてきた。ぼくはかんばります。
3月11日 野球 佐々木朗希(陸前高田市出身、津波で父、祖父母を失う。現在ロッテマ リーンズに所属)
10年という節目だが、毎年忘れることはなかった。田中将大さんにあこがれていたので、 すごく勇気をもらったし、感動した記憶がある(注;2013年楽天が日本一になったことを指 しているとみられる)。
10年前のぼくは多くの人から勇気と希望をもらった。今年は試合でた くさん投げて、勇気と希望を届けたい。
3月11日「news23」TBS (平林光明)
午後11時という遅い時間帯で、一般的に1日の出来事の総まとめ的な意味合いもある 時間なので、総花的にならないかと心配したが杞憂だった。22分の項目時間のうち最初の 7分で、各地の様子と短いインタビューをつないだ。
「阪神淡路」の10年は節目ともいえる復興状況だったが、東北は単なる通過点で、「9 年目も11年目も何も変わらぬ1日だ」という気持ちがよく伝わった。この中で政府主催の 追悼式で菅首相が述べた「被災地の復興まちづくりがおおむね完了するなど復興の総仕上げ の段階に入っている」という式辞には開いた口が塞がらなかった。これなら天皇の「今後と も被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたい」という「おことば」の方がよほ ど人間的だった。
話が少し横道にそれたが、番組は前半のフラッシュの後、後半は、判断を誤り児童・教員 84人の犠牲者を出した、宮城県石巻市の大川小学校の事例に焦点を絞った。隣町女川町で 中学教員をしていて、大川小で次女を亡くした父親に的を当て、震災後の活動を追った。父 親は4年後に教員を辞め、語り部として根拠のない過信を戒めている。その言葉の1つ1つ が胸に沁み込んだが、曜日コメンテーターの星さんが「この10年我々は震災・原発・コロ ナなど、未曽有の体験をしてきたが、共通しているのは根拠のない楽観論が非常に深刻な問 題を引き起こしている」と警告を発していたのが、現在の状況にも引き合わせて印象に残っ た。星さんは故・岸井さんの後を継いで番組コメンテーターになったが、自己抑制なのか忖 度なのか今一つ鋭さが無くがっかりしていたが、この日は冴えていた。別項目のNTTによ る接待問題でも「菅首相は政権運営に政治主導を貫いているが、官僚より大きな権限を持っ ている政治家の規律を、明確に示す必要がある。これが出来るかどうかが、今後の政権を左右する」と、官僚より甘い政治家の規律を問題にしていた。大震災の切り口と合わせ、“報 道のTBS”の底力を感じた。
2.原発事故を扱った番組
3 月6日「こころの時代 福島を語る言葉を探して」NHK・Eテレ (深堀雄一) (本放送2019年11月24日) <内容> ・安藤さんは10年前の福島津波震災・原発事故のあと、茨城県に一時避難。今は福島第一 原発から南に60キロ、いわき市南部の田人地区に夫婦で暮らしている。
・連綿と受けつがれた暮しの中で、彼女が今考えていることは、『被災した後、それでもこ こで暮すことが出来るのか。それでもここでの暮しを愛せるのかという問いに対する答え を見つけることだった』という。それまで人づきあいもあまりしないで暮してきた彼女 は、原発事故のあと、『これまで見て見ぬふりをして暮してきた安定した生活が、一旦崩 れた時にどうなるかを考えることもなく傲慢にいい気に生きてきた』と痛感したという。 更に、『そこに生きた人が記録しなければ、そこに起こったことは無かったことになると いうことの大事さ』も思ったと・・・。
・事故のあと、安東さんは、原発から30キロ以内の集落に仲間と共に通って現在まで7年 間、地元の人々と共に、食品の放射能の測定を始めている。放射能の勉強もした。安東さ んたちと住民は放射性セシウムを検出し、そのくり返しの中で、測定した数値への向き合 い方を見つけて、『何を大切に生きるかを勉強させてもらった』と言う。
・ある日、安東さんは、福島第一原発に隣接した双葉町の知人と出会い、原発の汚染土砂置 場の整地作業に案内される。事故が起きて失われたものに対する痛みの気持ちを、社会は 大切にしてこなかったことを知り、怒りをおぼえる。『私は怒りを表に出すことは好みで はない。あなたが忘れるなら私は記憶にとどめる。怒りを奥歯でかみしめこらえる。それ がそのうち祈りになる。と、いう文章を読んだ。私は怒りが祈りになれば良いと思ってい る』、と安東さんは言い、涙を流した。
・また或る日、安東さんは知り合った川俣町の避難解除地区の農民を訪ねる。彼は人が住め なくなった荒れ地を彼岸花の群生地にした。ここが心の拠り所になると語る農民――。
『ここに来ると故郷で昔、咲いていた花がある。ここは心の拠り所。まわりがどうなろう とも自然は花を咲かせる』 こういう中で、こうした場所で、お互いが共感し合うことの大切さ、大事さをしみじみと 語る、安東さんがいた。
<感想> 一人の普通の、良心的に生きてきた女性が、天地をひっくり返す出来事を体験した時に、 どのような心の動き、そしてそれに伴う行動をとったか――それを素直に共感のもてる日常 の言葉で静かに語る時間に、素直に耳を傾けることが出来た。そして、その彼女の言葉を引 き出した若いディレクターの感性にも共感出来た。 決して大上段に構えるのでなく、日常の言葉で静かに語る出演者と聞き手は、危機の体験 をある種、思想の段階にまで高めることが出来た――というのは、大袈裟な誉め言葉だろう か。
3月6日「ETV特集 原発事故”最悪のシナリオ” ~そのとき誰が 命を懸けるのか~」 NHK・Eテレ (福井清春) 3/11地震発生、3/12福島原発1号機爆発、続いて3/14同3号機爆発。日を追って事故の 深刻さが明らかになっていく、そんな状況下で「最悪のシナリオ」が想定されていく。いち 早く動いたのが米軍・米政府、続いて、米軍に促されるように自衛隊が最悪のシナリオを想 定し、国から要請があった場合の準備を開始する。諸々の対応に追われる日本政府が最悪の シナリオに着手するのは二週間後になる。
米国の対応の早さの背景には、在日米軍と日本在住の米国民の保護という差し迫った事情 があった。番組は、自衛隊に対して米軍中枢から『英雄的行為』を求められていたことも明 らかにした。「原子力政策」も「重大事故への対応・処理」においても、アメリカへの従属 を感じる。
現地の東京電力社員の事故対応は、絶望的な状況下で困難を極める。そんな中、東京電 力・勝俣会長の発言…『自衛隊に原子炉の管理を任せます』という無責任な言葉には唖然と した。
番組の最後は、当時、「最悪のシナリオ」に関わった人たちへのインタビューで結んだ。
*北澤防衛大臣(当時)『国民へ情報公開しないと協力は得られない』
*廣中統合幕僚監部運用部長(当時)『国としてどうするのか。何も変わっていない。同じ ことが起きるだろう』
最大の教訓とすべき『原発廃止』の声を、当時の関係者から番組の中で聞くことはなかっ た。 番組は「最悪のシナリオ」想定を求められる当時の状況を時系列で明らかにし、それが、 国民には全く知らされないまま進められていたことに大きな危惧を感じた。 公文書の隠ぺい・改ざんが常態化する今、果たして当時の記録は残されているのだろうか? 教訓を生かすための記録は残しているのだろうか? 昨年来の国のコロナ感染対策を見るとき、非常事態・原発事故の教訓は全く生かされていな いと感じる。
未曽有の大災害からの復興、それをより困難で長期的なものにしているのが原発事故であ る。 事故発生時、『日本は原発を持ってはいけない国だ』と、多くの国民が痛切に感じたことだ った。自分の中で薄れていく当時の思い、それを呼び覚まさせる番組だった。
3 月6日「ETV特集 原発事故“最悪のシナリオ”
~そのとき誰が命を懸けるのか~」NHK・Eテレ (小滝一志)
東日本大震災を振り返ってそこから何を学ぶか。原発事故からのそれは最も重要なものの 一つだろう。
この番組は、原発事故による「最悪のシナリオ」が首相官邸・自衛隊・米軍でそれぞれつく られていたいたことを明らかにし、東京電力福島第一発電所の三つの原子炉の爆発事故を官 邸・東電・米軍・自衛隊のうごきと併せて克明に検証し、そこから教訓を引き出そうとしてい る渾身の力作だ。当時の菅首相・北沢防衛相など100名以上の当事者に独自取材した証言の 積み重ねが、事故の隠された事実を明らかにし、切迫した危機的状況をリアルに浮かび上が らせる。改めて、この事故が「最悪のシナリオ」寸前だったことを思い起こさせる。なぜ、こ のテーマがNスペでなくE特だったのか不思議だ。
番組は、「最悪のシナリオ」は三つ作られていたことを明らかにした。一つは、官邸が科学 者に依頼した「福島第一発電所不測事態シナリオの素描」で事故から1年後に情報公開請求 で明らかにされるまで極秘だった。そこでは、首都圏を含む半径250㎞県内での甚大な被害 を想定していた。もう一つは米軍の「最悪のシナリオ」。福島原発から半径200マイル(320 ㎞)県内にある6つの米軍基地から87000人を撤退させる計画だった。三つめは、防衛相・ 自衛隊が作成した緊急避難シナリオで、交通手段を総動員して80㎞県内の80万人の人々を 避難させる計画だった。「最悪のシナリオ」は、寸前で回避された。
東京電力の無責任・不誠実をいくつかの事例で、番組は明らかにしている。
最初は、原発1,3号機の爆発の後、2号機も危機的状況が伝えられていた時、東電が「撤 退」許可を求めたうごきだ。伊藤哲郎内閣危機管理監(当時)が官邸に詰めていた東電関係者 に聞いた生々しい証言がある。「1Fを放棄することになる。全くコントロールが聞かなくな る。メルトダウンすれば2Fにもいられなくなる」。
Q「4っつ(2Fの4基の原発)も放棄?」、 「そうです」。
二つ目は、3月15日に政府と東電が立ち上げた合同本部に呼び出された廣中雅之自衛隊統 合幕僚監部運用部長(当時)の証言「(東電勝俣恒久会長から)自衛隊に原子炉の管理を任せ ると言われた」。しかし番組スタッフが真偽を確認しようと問い合わせたが、勝俣会長からは 応答が無かったことをコメントで明らかにしている。
三つめは、当時の東電幹部はだれも番組のインタビューに答えていないことだ。当時の官 邸トップ・菅首相、自衛隊のトップ・北沢防衛相、アメリカNRC(原子力規制委員会)のチ 12 ャールズ・カストー日本支援部長、スティーブ・タウン在日米軍連絡将校などの当事者がイン タビューに応じているが、東電幹部は誰一人、インタビューに登場しない。
番組は、米軍、アメリカ政府の圧力・干渉の実態も明らかにしている。
ワシントンは強い危機感を持ち、事故後、即座にNRCが16人の放射能拡散の専門家を含 む400 人体制の対策本部を設置、日本支援部長を東京に派遣していた。米軍も「トモダチ作 戦」でいち早く福島沖に空母ロナルド・レーガンを派遣していた。しかしレーガンは、13日 17.5µSV/hの放射能検知後は、1Fから50マイル圏には入らなくなった。
そして米太平洋司令官が、自衛隊に「もっと積極的にやれ」、米統合参謀本部議長が「日本 はもっとやるべきだ」などと自衛隊幹部に圧力をかけてきたことを、双方の当時者が証言し ている。
私が屈辱的に感じたのは、アメリカ大使とカストーNRC日本支援部長を議員会館に呼んで、 官邸が科学者に依頼した「最悪のシナリオ」をひそかに提示し、意見を求めた細野豪志首相補 佐官(当時)の証言シーンだ。この「シナリオ」は当時、国民には極秘で、北沢防衛相にすら 見せず、官邸の一部のメンバーだけに共有されていた極秘文書だ。日本政府の態度に「卑屈 さ」を感じるのは、私の思い過ごしだろうか。
再発は防げるか 事件後10年を経た今、当事者たちがかたる証言に私たちはもう一度、立ち止まって耳を傾 ける必要があるのではないか。
「日本政府は、大きな対処方針示すより目の前の事態への対応で精いっぱいだった」(折機木 良一自衛隊統合幕僚長・当時)。
「全体像を早めに打ち出すことに欠けていた。検証して後世に残さねば」(北沢防衛相・当時)
「(危機対応策を)再設計してしくみをつくることが大事」(寺田学首相補佐官・当時)
「最悪の事態考えて備える訓練、日本の中には多分ない。今も何一つ変わっていない。危機的 状況に国としてどうするか。だから同じことが起きる」(廣中統合幕僚監部運用部長・当時)。 これらの警告は、コロナ危機下の現在の政府の対応にもそのまま当てはまるのではないか。 そして、原発再稼働を画策する人々には、この番組を見て、思考停止を解いて、もう一度よく 考えてほしいというのが視聴後の私の感想だ。
3 月7日「サンデーモーニング」TBS (吉田 晃)
10 年を節目に多くの番組で津波の恐怖映像や復興の様子、今後の課題を取り上げていた が、この番組では原発事故に対応する作業にあった問題点の解明について耳目をひいた。
一つはメルトダウンを判断する水位計の誤表示を見極められなかったこと。この水位計の 誤表示問題はスリーマイル島の事故で明らかになっていたが、日本ではこの問題の究明を怠 り、対応の大幅な遅れを招いた。更に9.11のアメリカでの同時多発テロの後、全電源喪失 の危険性を指摘されていたにも関わらず、水蒸気を逃がすベントで停電により停止した弁の 手動操作を誤り、逆流ー水素爆発を引き起こした要因になったことなどを分析していた。
大震災が1000年に一度の周期をもって発生するという知識を活かせなかった点などにつ いて攻めるのは酷かもしれぬが、同質の大災害を同世代のチェルノブイリやスリーマイル島 の原発事故で経験されているのに、その教訓を活かせなかったのは何とも腹立たしい。また 停電でも冷却できる非常用復水器の稼働テストをアメリカでは定期的に行っていたが、日本 では1971年に製造者のGEが数回行っただけで、その後こうした事故を想定した訓練を行 うこと自体、住民を不安にさせるとの判断で行わない傾向があったという。
浜田女史は新型コロナの渦中で原発事故との共通点があるとしながら、大災害に対する心 構えとして、最悪のシナリオを想定することや現実から逃避せず科学的知見を持って判断す るという教訓が活かされていないことを指摘。また同質性の高い組織の中で同じような考え を持った人達が判断することで、間違った方向に進んでしまう。これらの事象を根本的に見 直すべしと断。
ジャーナリストの青木氏も原発事故のあった日を思い起こしながら、一時は東京もダメに なるかもと覚悟した経験や、大使館員が帰国しているのに、テレビや新聞も重大事故の事実 を報じていなかったことを追及、この地震大国に原発はあっていいのか!!と日本の政治、 企業体質の悪弊を厳しく指摘する番組になっていた。
3月8日「ニュースなラヂオ『コロナ禍の東日本大震災10年』」 MBSラジオ (松井成夫)
福島第1原発事故で被災した市民が県外各地に避難しました。 そして、東京電力と国に 対して、原状回復と完全賠償を求めて裁判に訴えて闘っています。
大阪に避難して、訴訟の原告代表として奮闘されている森松明希子さんのお話しから原発 事故は、核兵器 と同じ被ばくの恐怖に襲われること、その被ばくを避けて命と暮らしを守 るために避難は当然の行為であ ることが良く分かりました。
避難できない市民が子どもの命と健康を守る保養をボランティアによる策で自主的に取り 組んでいること、地域の除染も住居や通学路は住民が行うなど公助が届いていないことがリ アルに伝わってきました。
福島から避難してきた人に対して、不当に賠償金を貰っていると疑うなど、原発いじめが 続いていることで、正しく報道されておらず、事の本質を理解していない人が多くいること も浮かび上がりました。
群馬の裁判での「自主避難している人は国土の評価を不当に下げている、住んでいる人の 気持ちを害する」という東京電力と国の主張から本音が見えてきました。絶対に負けられな い裁判であります。
避難することの正当性、被災地の実態が国民に正確に伝わって声が上がってくることが、 避難市民、被災地に残る市民の闘いの後押しになると思います。 正しく報道するメディアの役割が求められています。
3月9日「NHKスペシャル 私と故郷と原発事故」NHK総合 (山村惠一)
波江出身ディレクターが人々の10年を訪ねる旅、同級生や子供たちの涙。
東日本大震災10年の関連番組の中で、原発事故に関わるNHKスペシャルを視た。 それは、取材者と取材される側との距離・関係のありようを考えさせるものともなった。
放送では、全町民避難を余儀なくされ、今も大部分の町民が帰還できていない波江町。そ こで生まれ育ったNHKディレクター(東京・報道)が、浪江町に通い「自分にできること は何か」と取材を続けてきたそうである。震災後10年、今回の取材で果たしてディレクタ ーは、自分に出来ることは見つけることができたのだろうか?
震災後当初から、浪江の町長から「住んでいないお前に町民の気持ちが判らない」など厳 しい言葉がでる中だが、幼馴染や同級生との話、ご近所の人や取材した人のその後などで構 成、浪江町出身者だからこそ聞ける話をとしている。しかし、取材、被取材者の間にある 壁、戸惑い、わだかまりなどが感じられ、つまり、「出身者だからこそ」からはかなり離れ たものにとどまっているとの感想を持った。
ご近所の方のこの先はないとのつぶやきに黙ってじっと聞く、続いて、同級生2人と焚火 を囲んでの談論では、「おまえってさ、いちいち許可を得て入る自分ちは浪江じゃないよ」 と絶望に近い話ののち、もう一人が「外から見て俺たちはどうしたらいいと思う。一緒に学 校に通っていた君の意見は聞きたい」と涙をにじませての問いかけに、答えに窮し言葉を失 うディレクター。浪江を離れていた後ろめたさなのか、遠慮なのか、それとも、取材者とし てわきまえ?客体化しなければの性なのか?さぞ、彼はディレクターの次の言葉を待ってい たのでは。一視聴者の私でさえ切に思う。
番組では、避難先の千葉から浪江町議会議員に当選した同級生や、避難が判るといじめや 差別に遭いながらも、同級生とのつながりで困難を乗り越えられたことや、地区や避難先で の分断・差別の楔となった賠償金をめぐり、ありがたいと思う反面、金が人間をダメにする 赤裸々な話しが聞けている。ここにきて、浪江町が地場産業を興せてなく、除染や廃炉作業 のみが働く場でしかなく、避難先での時間の経過もあり波江町から住民票移転者が続き、町 民同士のつながりも希薄になり、もう無理しなくてもいいとの空気が流れている現状も報告 されている。 ディレクターには浪江町出身だからこそ、上下を脱ぎ捨てて本音をぶっつけて、一緒に怒 り、一緒に泣き、一緒に笑って共感しあえる素の取材者の姿を見せてほしかった。
先の町長は「どこにいても浪江町民」と言いつづけていて亡くなれたが、その言葉をいま ディレクターはどう受け止めるのと問いたい。
3月10日「NHKスペシャル 徹底検証 除染マネー・巨大公共事業 で何が」 NHK総合 (竹中美根子)
東日本大震災での東京電力福島第一原発事故後、国は全域除染を原則に「被災地の生活 を取り戻す」為の巨大事業に取り組んできました。一昨年の国税局から多額の申告漏れで摘 発された福島の相双と言う会社は「住民が戻れる為に何とかしたい」と言う熱い思いから起 ちあげられた会社でした。4年目に利益が100億を超えるようになると社員に新車を買い与 えたり、作業服をスーツにしたり、現場に来なくなったり、そして過剰な接待・不当な利益 供与等、ゼネコン下請け業者として多額のお金を手にした事で、何とかしたいと復興への志 が薄れていった様です。今だに故郷に帰れない帰還困難区域の人が20000人位いると言われ ています。我が家に帰る時に防護服を着て家に入る夫婦の会話がとても印象的でした。「何 の喜びも無い 安心して普通の元通りに戻してほしい。棄民じゃないか。」震災の3月11 日に娘さんの卒業式に着る予定だったセーラー服が目に残りました。
3月10日「NHKスペシャル 徹底検証 除染マネー・巨大公共事業 で何が」NHK総合 (福井いく代)
「除染」にこの10年で5兆6000億円も使われていたのには驚きました。 原発がなければ私たちの税金がこんなに使われることはなかったのにと怒りがこみあげて きます。 (「除染」にかかる経費は東電が持つと言っていたのに、未だにはっきりせず、 実際は税金)「除染」を国でどの省が担当するかでたらい回しの末、環境省が受け、その環 境省では自分達はゼネコンなどと仕事をした事がなく、やり方がわからなかったとはなんと いう言い訳。国の職員は何もわからないからと、福島の小さな業者が56億円もの粗利益を あげ、他の業者は請求書の改ざんまでしていたという。
原発事故の為に故郷に戻れず「心から笑えない10年、早くきれいにして、孫たちが墓参 りくらいには来れるようにしてもらいたい」、いまだに自宅が除染してもらえない人は「誰 の為の除染か。私たちはすてられた」の言葉には涙がでてきます。
『この人たちに除染をするお金は税金だ』と言う自民党の復興加速化本部の谷氏。今まで 湯水のようにお金を使っておきながら、ここに来てお金がないから出来ないとは、いったい 被害者をどう思っているのか。
テレビでは震災被害は伝えるが、この「除染」問題はワイドショーなどでもあまり取上げ ていません。もっともっと、知らせていくべきだと思います。
3月10日「NHKスペシャル 徹底検証 除染マネー・巨大公共事業 で何が」 NHK総合 (平林光明)
大震災10年で集中制作された番組の事前リストの中で、最も注目したのがこのNスぺだ った。所用が立て込んで報告が遅れたが、この間に東京の今井さんからは、詳細な内容紹介 と絶賛するコメント、大阪の竹中(美)さんからは、女性らしい着眼点の感想が上梓されて いた。私も労作だと評価する一方で、やや物足りなさも感じた。これが遅ればせながら原稿 を上げることにした理由である。
古来、巨大公共事業には利権をめぐるきな臭い匂いが絶えない。直近でも、辺野古埋め立 て事業、リニア新幹線建設事業など、枚挙にいとまがない。原発マネーでも福井県高浜町の 元助役が、関電・町当局を手玉に取り、権力と利権をほしいままにしていた事件が記憶に新 しい。 この番組でも降ってわいた除染事業が、大型公共事業の経験豊かな国交省や経産省が、最 後に残る放射性廃棄物の処理を嫌い、経験の無い環境省に事業主体を押し付けた、出発点の 構造的な問題を明らかにしている。その結果環境省が大手ゼネコンに頼らざるを得なくな り、利権の温床となった経過がよく解った。
その結果が竹中さんが指摘していた、住みよい故郷に戻したいという地元の業者の善意 が、金にまみれて失われ、元受けの大手ゼネコンの手駒のように、使い捨てにされる悲劇を 生み出して行った。これは氷山の一角で、似たような話はいくらでもあること、何よりゼネ コンなどの真の狙いは、未来永劫続くと思われる廃炉事業に食い込むことなど、政・官・財 の癒着の構造に迫ると期待していた。
しかし後半は、除染を期待して裏切られた福島の住民たちの話に移った。確かにこの問題 も大事なテーマであり、中間貯蔵施設や仮設焼却施設など、何倍にも膨れ上がる“除染マネ ー”の無限さを表していたが、帰還困難地域の問題は、これだけで1項目立ててもいいよう な内容ではないかと思った。
環境省元事務次官や自民党対策本部の額賀本部長など、キーマンを含む100人余りに取材 した力作だけに、政・官・財を含む利権構造に、もう少し食い込めたのではないかと期待し たが、やはり無理な注文だったのだろうか。
3月11日「羽鳥慎一モーニングショー」テレビ朝日 (吉田 晃)
そもそも総研で20分弱の時間を割いていたが、【本当にあと30年で原発は廃炉となり無 害な土地が戻っ てくると言えるのか】の副題は事態の深刻さを予見させていた。
福島の住民は未だきれいな更地になって戻ってくるかもと期待しているのは当然の感情と 頷けるが、政府もロードマップで30年~40年後、廃炉完了としていることに、専門家から 次々と厳しい現状が突きつけら れた。
まず飛散したデブリの現状把握は今のロボット技術では不可能、汚染水の処理や更にデブ リに触れた汚染水が土壌に染み込んだ場合の処理法もなく、福島の土壌汚染量の計算予測は 東京ドーム8杯分、世界中でも捨てる場所がないといわれている。
原子力技術者の佐藤氏はチェルノブイリも石棺状態で放射能減衰を待つ暫定措置の状態だ が、日本もこれらの方法を踏襲せざるを得ずとし、元内閣官房参与の田坂氏は、今まで政府 は問題の先送りや原発関連予算を振りまいてきたが、ここに至って現状を包み隠さず国民に 説明し理解を得るべきと苦言を呈した。
玉川氏が東京電力に30年という廃炉予定を問いただしても「関係者の皆様や国関係機関 などと相談させていただきながら検討を進めていくことになる」と暖簾に腕押しの答弁と か。
最後に原発再稼働方針に固持する政府に楽観的な見通しはやめて現実をしっかり見極める 時がきているのではないかとの提起は、利権がらみの疑惑の一掃や次世代へ重い負の遺産を 強いる現世代の反省も促され共感を呼ぶものだった。
3月14日「NHKスペシャル 廃炉への道2021 『原発事故10年 の軌跡』」 NHK総合 ( 服部邦彦)
2011年3月の東日本大震災時に、福島第1原発の事故が発生したが、「NHKスペシ ャル」では、2014年 の第1回から7回にわたり「廃炉への道」と題して系統的に取 材・放送してきた。
今回の放送を見て、あらためて認識したことは、福島第1原発事故が世界最悪レベルとい われる事故であったということ、原発事故の状況が1~3号機でそれぞれ異なり、対応も複 雑であったことが詳細に明らかにされたこと、廃炉まで40年以上かかること、数万年にわ たって放射線を出し続ける核燃料デブリが推計880トンに上ること、その核燃料デブリを 取り出す作業がいかに困難で大変なことかということ、また、760万トンといわれる膨大 な放射性廃棄物の処分が方法によっては100~300年かかる可能性。この廃棄物をどこ で処分するか。県内か全国で分担するかなどの問題である。
さらに原発の敷地にたまり続けるデブリを冷却した汚染水を処理する方法について議論に なっている問題、1日に発生する汚染水の量はおよそ140トン。汚染水を処理した処理水 を保管する1000基余りの巨大タンクは間もなく許容限度を超える。専門家でつくる小委 員会は、処理水を大気中か海に放出することが現実的だと提言しているが、地元住民、漁業 関係者の不安、反対が強いことは当然だと思う。この問題について国の公聴会が開かれた が、国は住民の意見を聞くだけで積極的に答えようとしていないことに怒りを感じた。
当初2兆円とされていた廃炉費用は、今では8兆円と試算され、さらに膨らむ可能性があ ることについて驚き、いかに大きな事故であったかということ、「廃炉への道」の厳しさを 認識した。
今なお多くの住民が避難先から帰還できないでいることも深刻な問題、復興も道半ばであ ることを痛感した。
また、2013年9月に、東京五輪招致に向けたIOC総会の場で「(福島原発事故の状況 は完全に)コントロールされている」と発言した安倍首相(当時)の発言のでたらめさ・無 責任さが改めて証明され怒りを新たにした。
「廃炉への道」を詳細に取材した優れた番組であったが、事故の責任者である東京電力や 国の、地震・津波の予知や原発事故防止対策の不十分さの責任について触れていないことに 物足りなさを感じた。
3.地震・津波災害を扱った番組
3 月6日「NHKスペシャル 津波避難」NHK総合(平林光明)
詳細は省くがいくつかの地域の住民が、津波にどう対応したのか、そして生死を分けたの かを丹念な聞き取りで解明した力作だった。ドラマに出た石巻市と助かった住民が逃げた日 和山も描かれていた。1つだけ感想を言わしていただければ、被災地以外日本中が知ってい た「大津波警報」が当の住民に伝わっていない盲点が悔やまれる。そして津波さえなかった ら、原発事故さえなかったら、建物被害も死傷者も、「阪神淡路」より少なかったのでは… と思うと、この震災の特異性が心に沁みた。
3 月7日「Mr.サンデーSP『宮古市を襲った5つの津波』」 カンテレ
(関西テレビ) (平林光明)
民放キー局5局とNHKで作る「民放NHK防災プロジェクト」が、大震災10年に当た り、それぞれが保有している当日の映像を持ち寄って、フジテレビが制作したドキュメン ト。岩手県の宮古市に的を絞った映像をまとめたら、各局撮影分だけでなく、公共機関や住 民が撮影したものを合わせて、36台のカメラに収録された映像が集まった。それを 積み上げて分析する中で、初めは小さい波が重なり合って、予測を上回る巨大津波に成長す るメカニズムが見事に再現された、貴重なドキュメンタリーになった。
宮古湾は複雑な地形 で湾が深く入り込み、津波が大きくなる特徴がある。浜や川が干上がる引き潮に始まり、20 センチ程度の小さい第1波がやってきた。住民も避難を躊躇する様子がうかがえたが、間も なく5方向からの波が湾に押し寄せ、「盛り上がる津波」となった。
高台から見えたその様 子は 海に近い住民ほど、高い堤防に遮られて目に入らない「隠れる津波」となり、初動を遅らせ た。5つの波がぶつかりさらに勢いを増す「沸き立つ津波」となって、街中深くに襲いかか 19 る。そして障害物や山にぶつかり「跳ね返る津波」となって、山に逃げる住民に襲いかか る。「津波に追われながら逃げていたら、前からもっと大きい津波がきた」と振り返る住民 の驚きがそれを物語る。物凄い映像の連続に慄然とした。宮古市には高さ17.5メートル もある堤防が2重に張り巡らされた、田老地区がある。
私も震災以前にこの堤防を下から 見上げ、まるでモンスターのような驚きを覚えた。住民もこのモンスターに頼る気持ちがあ っても不思議ではない。人間の知恵など自然の猛威の前には無力なことを思い知らされた。 珍しく地震が起きた時の映像があったが、私たちが千葉県でとったと同じように、人々が道 路の中ほどに集まり、揺れに耐えていたシーンがあった。その時は家屋にも被害が無く、 人々も無事な様子だったのを見て、改めて津波さえ無ければ…という思いを強くした。
こうした民放とNHKが協力する有意義なプロジェクトを、今後も続けてもらいたい。
余談になるが、民放でドキュメンタリーを見る機会がほとんどないため、度々入るCMに 興をそがれたが、今回に限っては余りに強烈な映像の連続に、頭を休める時間をもらえたと 言えるかも知れない。
3月8日「NHKスペシャル イナサ ~風寄せる大地 16年の記録 ~」
NHK総合 (竹中美根子)
東日本大震災から10年 大津波に襲われた漁村 仙台市荒浜地区の人達の震災をはさん だ16年間の記録です。
イナサとは暖かい東南の風の事で荒浜に豊かな恵をもたらします。 舟が出られなくなる強い北東風はナライと言い風に名前がある様に人々は風を暦がわりに暮 らしてきました。
取材が始まった2005年賑やかな田植えや小学校運動会等が紹介されます。震災で180 人の人が亡くなりました。タンス預金していたのもみんな流されました。仮設住宅を経て5 キロ離れた内陸に居を構えています。老農民 老漁民の人達が大地と海でしっかり生きてき ました。その日常が淡々と描かれています。風避けの松から風にのって落ちてきた松ボック リ その種から育った松だから生命力が強いんだね 種から小さな苗木になり今では3メー トルを超える位大きくなりました。津波になぎ倒された命 又根を下ろし枝を広げていって います。16年間もの長い間の記録ですが毎日の生活の有り難さが伝わってきます。
NHK ならではの番組だと思いました。
3月11日「NHKスペシャル 定点映像10年の記録~100か所のカ メ ラが映した“復興”」NHK総合 (竹中美根子)
同じ場所・同じ画角で、震災後から撮影続けた被災地100カ所の軌跡が、紹介されていま す。
福島南相馬で、2011年5月、瓦礫の中から鯉のぼりが見えました。生まれて7ヶ月の赤 ちゃんがお母さんと一緒に震災に遭いました。翌年、「孝心」と名付けられていた赤ちゃん を偲び鯉のぼりを上げたそうです。 鯉のぼりをあげた翌日、孝心君の遺体が見つかったそうで、孝心君が見てくれたのだと若 いお父さんがつぶやいていました。仏壇には小さい鯉のぼりが供えられていました。 春・夏・秋・冬の風景と音…映像の裏に秘められた知られざる復興の実情が見えました。
3月13日「被災地から世界に届け 10年分のありがとう!」
NHK総合 (竹中美根子)
被災者達が家族や友人らに今まで言えなかった「ありがとう」を伝える番組です。
宮城県 気仙沼市の住民がつくった「委員会」に寄せられた物語から被災地の人々を見つめ直してい ます。気仙沼に関係した花や魚等が挿絵に書かれた可愛い手作りの感謝状を委員会で作りま した。避難所の責任者を務めた坂本さんは避難所の運営、商店街設立を支えてくれた自治会 長さん3人に、震災後、皆でホテルのお風呂に入れてもらった思い出のホテルの露天風呂で 感謝状を読みあげました。自治会長さんは思いがけない感謝状に感激し「高齢者が多い中で 坂本さんは病院にかかっている高齢者の人達のお薬を病院まで行き、お薬を1日がかりでも らい配布した人です。逆に感謝状をあげたい位です」とお風呂の湯気で泣いている顔が見え なかったですが、感動のシーンでした。
当時大学生だった人が津波の様子を見に行こうとしたら、最前線に立ち人に注意を与えて いた警察官に気仙沼の訛りのある言葉で「危ねえから早く戻りなさい」と注意してくれまし た。非常時に自分も大変なのに、人の為、地域の為に命を救ってくれたあの日の警察官にど うしてもお礼が伝えたくて感謝状を書きました。気仙沼に生きる事を決めるきっかけになり ました。家族へ、友達へ、同僚へ、楽天のマー君にも感謝状で、ゲストのイノッチや南野陽 子さんももらい泣きの感動のドラマでした。私も目頭が熱くなりました。本当にホッコリす る番組でした
4.ドラマ番組
3月6日「NHK宮城発地域ドラマ ペペロンチーノ」NHK総合 (佐藤善次郎)
久しぶりに心から納得できる出来栄えでした。 ネットで調べてみたら、プロデューサー、演出ともドラマ一筋の人でなく、全く ビックリです。総合再放送は東北地方だけのようですが、これは全国放送する値打ちあるドラマ です。
3月6日「特集ドラマ・あなたのそばで明日が笑う」NHK総合 (平林光明)
東日本大震災から今年で10年。3・11を前に多くの番組が組まれている。震災を風化させ ないために大事なことで、東北に思い入れがある私も出来るだけ目を通そうと思い、皮切り に標題のドラマを見た。 宮城県の石巻市が舞台で、津波で本屋と、経営していた夫を亡くした女性が主人公。夫は 必ず帰ってくると信じて、子供にも過去の思い出になるからと、かたくなに父のことは話さ ない。その主人公が10年を前に、夫が帰ってきやすいようにと本屋の再建に取り組む。私 の好きな関西テレビの連続ドラマ「監察医・朝顔」にも、主人公の父が、母が流されたと思 われる沼に毎週末東京から出かけ、定年後は現地に住み着いて沼をさらう姿が、もう一つの 縦糸として描かれている。
行方不明のままの人の近親者に、簡単に遺族として接してはいけ ないことが改めて胸に刻まれた。 ドラマは石巻に移住していた建築士に、被災者の心をぶつけながらそっくりの本屋を復元さ せる。このやりとりの中で、完成後は熊本の被災地のリノベーションに、向かうつもりの建 築士が、石巻に永住し女性を支えることを決意する。これに対して主人公が「近くにいるこ とが支えることではない。遠くにいても寄り添うことが出来る」と話し、熊本の支援に行っ てほしいと訴える言葉がこのドラマを象徴していた。津波のシーンも無く、心の動きの機微 を丁寧に描いた温かいドラマだった。
同時に海岸沿いの地域の復旧が、整地し嵩上げされた 更地のままの状態に、被災数年後に見た復旧工事の状況から、何歩も前に進んでいない現状 に心が痛んだ。
まとめに代えて
2021年3月11日前後に放送された数ある「東日本大震災から10年」を扱った番組の一 部のモニターだったが、ニュースだけでなく単発の一般番組にも対象を広げたことでいくつ か見えてきたことがある。
<デイリーニュースでは>・・・
〇 被災地の実態に迫り、被災者の心情にスタンスを置いて伝えようとする姿勢がどのニュ ースでも共通していた。 菅首相は、追悼式典で「復興の総仕上げの段階に入っている」と強調したが、3月11 日、「ニュースウオッチ9」は現地から「10年たつが、道なかばだ」と伝えた。
「報道ステーション」も「復興の闘いは10年の通過点」、「news23」も「被災者にとっ てみると、9年も10年も同じ日常で苦闘が続く日々」と、被災した人々にとっては、 まだまだ復興は序章に過ぎないことを伝えた。
〇 3月11日、「報道ステーション」が、「震災とテレビ 未来への検証」のタイトルで30 分近くの時間を割いて、2011年の震災報道について詳しく自己検証したことは、数少な い貴重な試みとして評価したい。
〇 3月11日、「ニュースウオッチ9」が原発事故をほとんど扱わなかったことが気にな る。モニター担当者は、「10年目のこの日にこそ伝えるべきではなかったか」とやや期 待外れだったコメントを残している。
<番組では>・・・
〇 「NHKスペシャル」・「ETV特集」が精力的に原発事故を取り上げ、中でも官邸・東電・米 軍・自衛隊のうごきを克明に検証した「ETV特集 原発事故 最悪のシナリオ」、税金を 無駄遣いする公共事業の闇を深く追及した「NHKスペシャル 徹底検証・除染マネー」 が力作だった。 原発事故を扱った番組は、好企画が多く、私たちモニター担当者の関心も高く、数多く 取り上げられた。
〇 「NHKスペシャル 津波避難」、「Mr.サンデーSP 宮古市を襲った5つの津波」など災 害の実態に深く迫ろうとした番組が印象に残った。
〇 被災地の実態を静かに見つめ、被災者の心情を優しく深く理解しようとする番組「ここ ろの時代 福島を語る言葉を探して」、「NHKスペシャル 定点観測10年の記録」 な ども記憶に残った。
<最後に>・・・ 「マスコミは原発報道から逃げた」 「マスコミは、自分たちの目や耳の代わりのはずなのに何で取材してくれない」
3 月11日「報道ステーション」の「災害報道の自己検証」にあったこの被災者の言葉を忘 れないでほしい。
東日本大震災とその後の復興をめぐる報道はこれからも長く続くが、復興は道半ばの被災 地の実像と、生業と人のつながり・温もりの戻ることを願う被災者のこころに寄り添った報 道を期待したい。
付表
