余震で震度6、震度5立て続けって勘弁して欲しいなあ全く。で、例によってライフライン復旧が一部巻き戻っている被災地暮らし。もう少しかなと思ってカセットコンロのガスボンベを買うのを控えてたらこれだもん。また水の汲み置きもせにゃならんな。ガスボンベも多めに調達して来なきゃ。やれやれ。
ただ、ライフライン復旧のために全国から集まっている復旧隊の皆様も相当しんどいですよね。折角復旧させたのにこの余震でまた壊され、復旧率下がってもーた……。こんなのが続くとしたら、全国からの応援の復旧隊の方々、永遠にご自分の街に帰れないじゃないですか。直しては壊され直しては壊され。まさに賽の河原の石積み。
地震さん、もう少し、小さいのをこまめにって訳には行かないのかね。震度3や4が1日に50回、とかなら、一向に構わないんだが。まあ多少眠れなくはなりそうだが、今だって夜中に揺れで起こされるのはもう日常なんだし。これ以上、被災者もだけど、ライフライン復旧隊も、いじめるのは勘弁して下さい。
JRの在来線も1回動き出したのにまた止まっちゃったし(で、折角会社に来られていた人がまた来られなくなってしまった)。余震ってレベルじゃないんだけどなあこれ。
ただ、この余震でも相変わらず、うちの食器たちは整然と無事なのは本当にどうしてだろう。私は最初にパソコンを押えてしまったので、またもや食器棚放置だったんだけど、やっぱり1つも割れなかったよ。会社に置いてあった、最初の本震を耐えたマグカップは、今回の余震でついに割れちゃったのに。うちの食器棚、マジで小人さんが住んでいるとしか思えない…(いや、実際は、棚を押えている天井の突っ張り棒が優秀なんだろうな、きっと)。
で、タイトル。
政治家のアロマオイルだの作家さんのお寿司だののブログが叩かれたり、ACのCMに不謹慎と苦情言われてたり花見を自粛なんて話を見ると微妙に切ないわけで。
まあ被災者側もいろいろだから一様には言えないですが、でも確実に言えるのは、今、被災者本人は、他人のブログ読んでコメント書いて炎上させるなんてことや、テレビなんてまるで役に立たないメディアに接したり、人の花見にケチつけてるヒマなんかねーってことです。だからこの辺の騒ぎは自動的に「外側」の人たちの意見の方が大きいんじゃなかろーか、と。
今回の震災は、被災地があまりに広域で、地震・津波・原発という複合災害であるがゆえに、地震1つで日本全体の経済活動ががくんと落ち込んでいるのは連日報道されている通りです。
だからさ。
消費するカネがあって、モノがあって、遊んでられる余裕がある人はさ。アロマだろうが高級寿司だろうが花見だろうがCMだろうが風俗だろうがギャンブルだろうが、出来る範囲でやっちゃえばいいじゃん、って思うのは少数派なのかねえ。節電は仕方ないとしても、贅沢品を消費することまで自重しなくても。
消費活動っていうのは、大なり小なりお金を世の中に「回す」ことになるし、間接的な納税でもあるわけで。今、国の税収が増えることはマイナスになんかなるはずもなし。
ただし。直接税が増税されるのは被災者が死ぬから、復興税とかマジホントゼッタイどーしても止めていただきたいですけど、間接税は法を変えなくても簡単に税収を増やせるじゃないかい。
日本には消費税があるのだから。
物資があっておカネがあって余裕のある人が(電力消費以外で)ゼータク三昧するのも、経済活動を活性化し、間接税による納税を増やす意味では「アリ」だと思うんだけどなあ。それは不謹慎だなんだと責められることじゃないと思うんだけど。
当然ながら、食べ物とか日用品とかはぜひ被災地に。その辺の余計な買占めはお願いだからやめてください。
でも、アロマとか高級寿司とか花見酒とか、今の被災者には全然必要のないものは、普段の3倍の勢いで消費してもいいような気が。その金額のうち5%は、国税を経由した立派な「復興資金」になるわけだし。政治家が算数出来れば、だけど。まあ出来ると思いたいけどね。彼らに任せるしかないのだから。計算間違えちゃイヤですよ? 政治家の皆様。
あ、節電ついでにアロマキャンドル何本か並べるとかどうすか某議員さん? アロマで癒され明かりも減らせて一挙両得じゃないかい?
歓送迎会、やっといて下さいよ。被災地の分まで。
公園が節電を理由にお花見を止めても、花見を口実に公園以外で乾杯とかさ、どうぞご遠慮なくですよ。被災地の分まで。こないだ岩手の酒蔵さんが動画で言ってました通り、ここで変に自粛とかされるのは、米どころ・酒どころの東北にとっては正直、経済的な二次被害にしかならないでありますよ。
義援金ももちろん大切ですが、日本のあらゆる企業が、産業基盤ごと壊滅している被災地の分まで、元気で、正規のやり方で、「稼いで」くれることも、復興の1つの形だと思いますですよ。失業者も溢れているんだから。日本全体の産業基盤が元気になってくれないと。生活が落ち着いたら、大量に発生している失業者を雇用してもらわないとならないんだぜ。
稼ぎ時は稼いでおこうよ。そうやってどんどんモノやお金を回そうよ。お金は社会の血液なんだから。滞留させちゃダメだよ。サラサラと流さないと。
てか、義援金さ、折角集めていただいてるけど、正直、何の役にも立ちそうもないのよ(苦笑)。報道されたけど、家族で死者出してても35万円よ? 葬式出すことすら出来ない。今回、被害者多過ぎるから、分配に手間かかる義援金にかまけているより、経済活動を再開させて「普通」を取り戻すために労力割いた方がよくないかなあ。
義援金、全国団体がまず自治体単位に分けて自治体に送り、最終的に被災者に渡すのは自治体からなんだよね。そういう仕組なんだとはいえ、呆れて物が言えない……。今の被災地自治体に、これ以上仕事増やしてどーすんのよ。お金寄越すだけじゃなくて、人手も送ってもらわないと、今の被災地自治体にはそんなの捌けないと思う。明らかに。で、自治体が動けないと、実際の被災者は、その35万円ですら、受け取ることは出来ない訳で。意味ねーよなぁ。
それから。
あれやこれやを不謹慎だ自粛だって騒いでいる皆様。
自分の感情を表明するのに、被災者を言い訳に使うの止めてよね。うっとおしいったらないよ。被災者側はそんなこと微塵も考えてないのに。外野に勝手に祭り上げられんのうんざり。
今、日本の産業界に必要なのは、モノやお金を積極的に回すことだと思うぜ。そして雇用の受け皿を、ちゃんと準備しといてくれよナ。
仮設住宅の次は、職だよ。雇用だよ。被災者側だっていつまでも人の善意に頼って生活するつもりなんかないんだぜ。特に東北人はさ、奥ゆかしくて生真面目なんすから。人から親切にされっ放しってのは、我慢出来ない人種なんだからさ。
雇ってくれよ。ちゃんと働かせてくれよ。んで給料よこせ。なのですよ。にぱー。
2011.4.16追記
義援金のくだりでご意見をいただいたので、ちょっと追記させていただこーかと思います。元々、非公開設定でいただいたご意見に対しては一切反応しない、という形でこのサイトをやってるんですけれども(そうじゃないと、中身は非公開とはいえ、どんな意見が来たか、ということだけは公開することになっちゃうから)、なんか、この件に関しては、違う受け止められ方をされる書き方だったかも知れない、と感じたので。
元々この辺のことも書きたいとは思っていたものの、なんかこれも傲慢過ぎる意見だなあとは思っていて、どう表現していいか悩んでいた部分ではあったのですが。
書いちゃいます。まあ1つの意見として。
35万円では意味がないんじゃないかと感じるのは、もちろん少ないのもありますけど、もう少し大きな目で見たら、1人に35万円を渡すために、35万円以上の経費が必要になるんじゃないか、という懸念があります。今の震災、被災者個人のお財布だけがプラスになればいい、という状況ではない、と考えているので。
配分委員会の人件費は何処から出てるのか。検討するための場所で使った光熱費は。そして、記事でも書いたけど、配分委員会から自治体に行った後、そこでもまた、自治体職員が人件費や光熱費やガソリンをかけて仕分け、届けるという仕事がある。
その仕事が、今現在の復興フェイズに於いて報われる労力なのか、って考える。
特に自治体職員は可哀想で可哀想で可哀想で(×100)。元が田舎ですから、余剰職員なんかいないし、その上に更に輪をかけて人数減ってるのに、やることは増える一方だし。
阪神淡路や中越との一番の違いは、人数と地域の広さ。それらを前例にして同じようにする、という対応で、本当にいいのかどうか。
あ、でも、えーと、詳しくは言えないですが、今の職場、ちょっぴりライフライン寄りの場所なんで(そのものズバリではないのですが)。だから、自治体寄りの考えになってしまうのはそのせいでもあるかも。今以上何か仕事しろと言われても、人いないし。残ってる人たちが過労死なんかしようものなら、それこそ復興どころじゃないのに。
たとえば、1人1人に35万円を配る代わり、銀行なりなんなりでプールして、仮設住宅や、避難者受け入れのためにに借り上げた民間のアパートでの光熱費一切をそこで負担し、被災者の、たとえ仮設住宅とはいえ、家を維持するために何かを支払うということが一切ないようにする、というような、使い道の転換は出来ないのかな、と考える。
一世帯一世帯に配るより、そっちの方が多少手間はかからないんじゃないかなとか。水道局やガス局との間でだけ調整して、グロスでやり取り出来るわけだし。そして被災者側も、一時金として何万円か入って来るっていうのと、今後(たとえば半年)、ガスや水道など公共料金の心配を一切せずに生活出来る、っていう安心と、どっちがいいだろう、って考える。
(仮設住宅、家賃はないけど公共料金は自己負担なんだよね……)
仮設住宅に入る人は自動的に家屋に被害のあった被災者でもあるわけで、情報や手続きが二重化されることも防げるような気もする。支援の窓口が(混乱もあるけど)バラバラ過ぎて、支援を受ける方もすごいことになってる(役所に手続きのため並ぶ列が1,000人とか…)し、車はこっち、家屋はこっちと、あっちこっちぐるぐるしないといけない状態だし。義援金関連でまた1つ、お役所内に別のラインが出来てしまって大丈夫なんだろうか、もう少し効率的にならないんだろうか、お互いのために、と感じる。
35万という金額は、今のこの規模の災害の場合、(配る側の)やってることに見合わない金額ではないか、と感じます。日本人の人件費を考えると。自治体職員がギリギリの仕事を強いられている今、本当にその仕事が、必要なんだろうか。と思えて仕方がない。第一弾だ、ということは聴いていたのでますます。だったら、もう少しまとまった額になってから、経費や労力に見合う金額になってから、ではいけなかったのか。あるいは、被災者側のINとして使うのではなく、これからのごく近い未来のOUTをなくす方向に使うことは出来ないのか。
とにかく、今回の被災者の数、義援金を受け取る対象になるであろう人間の数が多過ぎるし地域も広過ぎるのですよ。だから、今までの災害と同じ事務処理で淡々と同じことをやってるだけで本当にいいんだろうか。折角の義援金なんだから、世帯単位のミニマル視点ではなく、もう少しグロス視点でも、最終的には個人への支援として役立てる使い方があるような気がしてならないのです。
これはグチに近いけど、この手の中間経費が日本経済をますます沈めにかかっちゃってるような気がして、ものすごくいたたまれないんですよね…。ただでさえ、「震災のせいで日本経済が…」言われるたびに、今の日本で、私たち被災者が、何も役に立てない穀潰しになっちゃってるんだなーって感じちゃって針のむしろなのに。
それからもう1つ。
避難所ではなく自宅被災者になっている人間だから特にそう思うのかもしれませんが。
100万だろうが200万だろうが、札束持っていたってお腹は膨れない。部屋は暖まらない。車は動かない。お風呂に入れない。
この苛立ちが、生活の中で一番辛い部分でした。
特に直後は。財布を握りしめながら何度涙が出たか判らない。家が無事なんだから、お財布も無事なんだから、文句を言っちゃいけないと思っても、それでも、避難所にいる人たちに対して見当外れな羨望のまなざしを向けたことが何度もある。
特にお風呂。避難所に次々に開設される仮設風呂の光景は何度見ても泣けました。水産加工用の水槽にブルーシートを引いた風呂桶とか。なんて輝いて見えたことか。きらきら。
何日か過ぎて、自宅被災者が、避難所に支援物資として入って来ているものを分けてもらおうとして断られたなんてニュースが報道されるようになったことが、すごく嬉しかった。自宅被災者は、家やお金があっても物資がないから飢えるしかないってことに、気づくマスコミがいたことが。
お金なんて、持っていても、こういう時にはただの紙きれで、何の役にも立たないんだということに、ひどく絶望したのです。
真っ暗で腹ペコで寒い家の中で、万札があったって、それでヒトが生きて行けるかっつったら生きてけないんです。
通信が復活して、遠い場所にいた親戚が、大変だろうからお金を送るよ、と心配そうに電話をくれるたびに、「そんなお気遣いなさらないで下さい、結構ですから」と、声の表面的にはにこにこ話をしながら、内心では叫んでいたのです。遠慮とかそういうんじゃなくて、本当に本気で、お金なんか、何の役にも立たないんですってばさ。
その後、物流が復活した後、その親戚とは別の親戚が、カセットコンロ用のガスを何本か送ってくれました。
家中が泣かんばかりに喜んだものです。何万円もらうより、数百円のガス1本や、会社の人が分けてくれたトイレットペーパー一巻きの方が本当に本当に本当にありがたかった。
その記憶がまだ、消えないのです。だからちょっと引っかかる。35万円のために膨大な労力を費やさせてしまうことに、引っかかる。
募金団体もいろいろで、直接被災者にお見舞金を分配するために集めている団体もありますが、寄付を被災者の支援(直接の見舞金ではなくモノやヒトや行動)にお金を使う団体もあります(JPF とかがいい例かな)。
私個人的に、「今の時点では」後者による、言い方は悪いですけど、「即物的な」支援の方が、「まだ」必要な段階だと感じています。
お金という紙切れは、食べてもおいしくないのです。部屋が明るくもあったかくもならないんです。車を走らせてもくれないんです。買い物という手続きを経なければ、生きるために必要なモノにはならないんです。でも、今の被災者は、その買い物という手続きを取り戻せていないんです。というか、震災がなくったって元々買い物難民だった人たちも多いし。私個人だって、近所のお店が震災直後に開けなかったら買い物難民仲間入りでした。お金があっても車がなければ何も出来ない。
現金の出番は、仮設住宅などが出来て、「生活する」ことにちゃんと目を向けられるようになってから後の話じゃないのか。それまでは、食べられるもの、あっためられるもの、夜を照らすもの、車を動かすもの、直接、それが出来るものじゃないと、役に立たない。特に東北は……東北は……鉄路よりガソリンがない方が命に関わる。そういう土地柄だから。
難しいですね。ニュースバリューとしては原発の方が大きいし、少しでも明るい話題をとばかりに、復興ムードのニュースが多くなって来ているから、被災者が義援金に苦言を呈するのは我がままに見えるのは仕方のないことなんだけど。一番しんどい箇所はまだ「生活」さえも戻っていない、「生きる」だけで必死だという状況は1ケ月を過ぎた今でも全く変わってないし、(震災以前からの)日常を知らない人には東北人の金銭感覚判らない部分もあるだろうし。私を含めて、貧乏には慣れてるっていうのもあるしな。なんかこう。今回の場合ですけど、義援金というシステムは、たくさんの善意の、ベストな使い道ではないような気がしてしまうのですよね。今は、まだ。
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