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浪費は不謹慎とは思わないけどな

 余震で震度6、震度5立て続けって勘弁して欲しいなあ全く。で、例によってライフライン復旧が一部巻き戻っている被災地暮らし。もう少しかなと思ってカセットコンロのガスボンベを買うのを控えてたらこれだもん。また水の汲み置きもせにゃならんな。ガスボンベも多めに調達して来なきゃ。やれやれ。

 ただ、ライフライン復旧のために全国から集まっている復旧隊の皆様も相当しんどいですよね。折角復旧させたのにこの余震でまた壊され、復旧率下がってもーた……。こんなのが続くとしたら、全国からの応援の復旧隊の方々、永遠にご自分の街に帰れないじゃないですか。直しては壊され直しては壊され。まさに賽の河原の石積み。
 地震さん、もう少し、小さいのをこまめにって訳には行かないのかね。震度3や4が1日に50回、とかなら、一向に構わないんだが。まあ多少眠れなくはなりそうだが、今だって夜中に揺れで起こされるのはもう日常なんだし。これ以上、被災者もだけど、ライフライン復旧隊も、いじめるのは勘弁して下さい。

 JRの在来線も1回動き出したのにまた止まっちゃったし(で、折角会社に来られていた人がまた来られなくなってしまった)。余震ってレベルじゃないんだけどなあこれ。
 ただ、この余震でも相変わらず、うちの食器たちは整然と無事なのは本当にどうしてだろう。私は最初にパソコンを押えてしまったので、またもや食器棚放置だったんだけど、やっぱり1つも割れなかったよ。会社に置いてあった、最初の本震を耐えたマグカップは、今回の余震でついに割れちゃったのに。うちの食器棚、マジで小人さんが住んでいるとしか思えない…(いや、実際は、棚を押えている天井の突っ張り棒が優秀なんだろうな、きっと)。

 で、タイトル。
 政治家のアロマオイルだの作家さんのお寿司だののブログが叩かれたり、ACのCMに不謹慎と苦情言われてたり花見を自粛なんて話を見ると微妙に切ないわけで。

 まあ被災者側もいろいろだから一様には言えないですが、でも確実に言えるのは、今、被災者本人は、他人のブログ読んでコメント書いて炎上させるなんてことや、テレビなんてまるで役に立たないメディアに接したり、人の花見にケチつけてるヒマなんかねーってことです。だからこの辺の騒ぎは自動的に「外側」の人たちの意見の方が大きいんじゃなかろーか、と。

 今回の震災は、被災地があまりに広域で、地震・津波・原発という複合災害であるがゆえに、地震1つで日本全体の経済活動ががくんと落ち込んでいるのは連日報道されている通りです。
 だからさ。
 消費するカネがあって、モノがあって、遊んでられる余裕がある人はさ。アロマだろうが高級寿司だろうが花見だろうがCMだろうが風俗だろうがギャンブルだろうが、出来る範囲でやっちゃえばいいじゃん、って思うのは少数派なのかねえ。節電は仕方ないとしても、贅沢品を消費することまで自重しなくても。
 消費活動っていうのは、大なり小なりお金を世の中に「回す」ことになるし、間接的な納税でもあるわけで。今、国の税収が増えることはマイナスになんかなるはずもなし。
 ただし。直接税が増税されるのは被災者が死ぬから、復興税とかマジホントゼッタイどーしても止めていただきたいですけど、間接税は法を変えなくても簡単に税収を増やせるじゃないかい。
 日本には消費税があるのだから。

 物資があっておカネがあって余裕のある人が(電力消費以外で)ゼータク三昧するのも、経済活動を活性化し、間接税による納税を増やす意味では「アリ」だと思うんだけどなあ。それは不謹慎だなんだと責められることじゃないと思うんだけど。

 当然ながら、食べ物とか日用品とかはぜひ被災地に。その辺の余計な買占めはお願いだからやめてください。
 でも、アロマとか高級寿司とか花見酒とか、今の被災者には全然必要のないものは、普段の3倍の勢いで消費してもいいような気が。その金額のうち5%は、国税を経由した立派な「復興資金」になるわけだし。政治家が算数出来れば、だけど。まあ出来ると思いたいけどね。彼らに任せるしかないのだから。計算間違えちゃイヤですよ? 政治家の皆様。
 あ、節電ついでにアロマキャンドル何本か並べるとかどうすか某議員さん? アロマで癒され明かりも減らせて一挙両得じゃないかい?

 歓送迎会、やっといて下さいよ。被災地の分まで。
 公園が節電を理由にお花見を止めても、花見を口実に公園以外で乾杯とかさ、どうぞご遠慮なくですよ。被災地の分まで。こないだ岩手の酒蔵さんが動画で言ってました通り、ここで変に自粛とかされるのは、米どころ・酒どころの東北にとっては正直、経済的な二次被害にしかならないでありますよ。
 義援金ももちろん大切ですが、日本のあらゆる企業が、産業基盤ごと壊滅している被災地の分まで、元気で、正規のやり方で、「稼いで」くれることも、復興の1つの形だと思いますですよ。失業者も溢れているんだから。日本全体の産業基盤が元気になってくれないと。生活が落ち着いたら、大量に発生している失業者を雇用してもらわないとならないんだぜ。
 稼ぎ時は稼いでおこうよ。そうやってどんどんモノやお金を回そうよ。お金は社会の血液なんだから。滞留させちゃダメだよ。サラサラと流さないと。

 てか、義援金さ、折角集めていただいてるけど、正直、何の役にも立ちそうもないのよ(苦笑)。報道されたけど、家族で死者出してても35万円よ? 葬式出すことすら出来ない。今回、被害者多過ぎるから、分配に手間かかる義援金にかまけているより、経済活動を再開させて「普通」を取り戻すために労力割いた方がよくないかなあ。
 義援金、全国団体がまず自治体単位に分けて自治体に送り、最終的に被災者に渡すのは自治体からなんだよね。そういう仕組なんだとはいえ、呆れて物が言えない……。今の被災地自治体に、これ以上仕事増やしてどーすんのよ。お金寄越すだけじゃなくて、人手も送ってもらわないと、今の被災地自治体にはそんなの捌けないと思う。明らかに。で、自治体が動けないと、実際の被災者は、その35万円ですら、受け取ることは出来ない訳で。意味ねーよなぁ。

 それから。
 あれやこれやを不謹慎だ自粛だって騒いでいる皆様。
 自分の感情を表明するのに、被災者を言い訳に使うの止めてよね。うっとおしいったらないよ。被災者側はそんなこと微塵も考えてないのに。外野に勝手に祭り上げられんのうんざり。

 今、日本の産業界に必要なのは、モノやお金を積極的に回すことだと思うぜ。そして雇用の受け皿を、ちゃんと準備しといてくれよナ。
 仮設住宅の次は、職だよ。雇用だよ。被災者側だっていつまでも人の善意に頼って生活するつもりなんかないんだぜ。特に東北人はさ、奥ゆかしくて生真面目なんすから。人から親切にされっ放しってのは、我慢出来ない人種なんだからさ。
 雇ってくれよ。ちゃんと働かせてくれよ。んで給料よこせ。なのですよ。にぱー。

2011.4.16追記

 義援金のくだりでご意見をいただいたので、ちょっと追記させていただこーかと思います。元々、非公開設定でいただいたご意見に対しては一切反応しない、という形でこのサイトをやってるんですけれども(そうじゃないと、中身は非公開とはいえ、どんな意見が来たか、ということだけは公開することになっちゃうから)、なんか、この件に関しては、違う受け止められ方をされる書き方だったかも知れない、と感じたので。
 元々この辺のことも書きたいとは思っていたものの、なんかこれも傲慢過ぎる意見だなあとは思っていて、どう表現していいか悩んでいた部分ではあったのですが。
 書いちゃいます。まあ1つの意見として。

 35万円では意味がないんじゃないかと感じるのは、もちろん少ないのもありますけど、もう少し大きな目で見たら、1人に35万円を渡すために、35万円以上の経費が必要になるんじゃないか、という懸念があります。今の震災、被災者個人のお財布だけがプラスになればいい、という状況ではない、と考えているので。

 配分委員会の人件費は何処から出てるのか。検討するための場所で使った光熱費は。そして、記事でも書いたけど、配分委員会から自治体に行った後、そこでもまた、自治体職員が人件費や光熱費やガソリンをかけて仕分け、届けるという仕事がある。
 その仕事が、今現在の復興フェイズに於いて報われる労力なのか、って考える。
 特に自治体職員は可哀想で可哀想で可哀想で(×100)。元が田舎ですから、余剰職員なんかいないし、その上に更に輪をかけて人数減ってるのに、やることは増える一方だし。
 阪神淡路や中越との一番の違いは、人数と地域の広さ。それらを前例にして同じようにする、という対応で、本当にいいのかどうか。

 あ、でも、えーと、詳しくは言えないですが、今の職場、ちょっぴりライフライン寄りの場所なんで(そのものズバリではないのですが)。だから、自治体寄りの考えになってしまうのはそのせいでもあるかも。今以上何か仕事しろと言われても、人いないし。残ってる人たちが過労死なんかしようものなら、それこそ復興どころじゃないのに。

 たとえば、1人1人に35万円を配る代わり、銀行なりなんなりでプールして、仮設住宅や、避難者受け入れのためにに借り上げた民間のアパートでの光熱費一切をそこで負担し、被災者の、たとえ仮設住宅とはいえ、家を維持するために何かを支払うということが一切ないようにする、というような、使い道の転換は出来ないのかな、と考える。
 一世帯一世帯に配るより、そっちの方が多少手間はかからないんじゃないかなとか。水道局やガス局との間でだけ調整して、グロスでやり取り出来るわけだし。そして被災者側も、一時金として何万円か入って来るっていうのと、今後(たとえば半年)、ガスや水道など公共料金の心配を一切せずに生活出来る、っていう安心と、どっちがいいだろう、って考える。
 (仮設住宅、家賃はないけど公共料金は自己負担なんだよね……)
 仮設住宅に入る人は自動的に家屋に被害のあった被災者でもあるわけで、情報や手続きが二重化されることも防げるような気もする。支援の窓口が(混乱もあるけど)バラバラ過ぎて、支援を受ける方もすごいことになってる(役所に手続きのため並ぶ列が1,000人とか…)し、車はこっち、家屋はこっちと、あっちこっちぐるぐるしないといけない状態だし。義援金関連でまた1つ、お役所内に別のラインが出来てしまって大丈夫なんだろうか、もう少し効率的にならないんだろうか、お互いのために、と感じる。

 35万という金額は、今のこの規模の災害の場合、(配る側の)やってることに見合わない金額ではないか、と感じます。日本人の人件費を考えると。自治体職員がギリギリの仕事を強いられている今、本当にその仕事が、必要なんだろうか。と思えて仕方がない。第一弾だ、ということは聴いていたのでますます。だったら、もう少しまとまった額になってから、経費や労力に見合う金額になってから、ではいけなかったのか。あるいは、被災者側のINとして使うのではなく、これからのごく近い未来のOUTをなくす方向に使うことは出来ないのか。
 とにかく、今回の被災者の数、義援金を受け取る対象になるであろう人間の数が多過ぎるし地域も広過ぎるのですよ。だから、今までの災害と同じ事務処理で淡々と同じことをやってるだけで本当にいいんだろうか。折角の義援金なんだから、世帯単位のミニマル視点ではなく、もう少しグロス視点でも、最終的には個人への支援として役立てる使い方があるような気がしてならないのです。

 これはグチに近いけど、この手の中間経費が日本経済をますます沈めにかかっちゃってるような気がして、ものすごくいたたまれないんですよね…。ただでさえ、「震災のせいで日本経済が…」言われるたびに、今の日本で、私たち被災者が、何も役に立てない穀潰しになっちゃってるんだなーって感じちゃって針のむしろなのに。

 それからもう1つ。

 避難所ではなく自宅被災者になっている人間だから特にそう思うのかもしれませんが。
 100万だろうが200万だろうが、札束持っていたってお腹は膨れない。部屋は暖まらない。車は動かない。お風呂に入れない。
 この苛立ちが、生活の中で一番辛い部分でした。
 特に直後は。財布を握りしめながら何度涙が出たか判らない。家が無事なんだから、お財布も無事なんだから、文句を言っちゃいけないと思っても、それでも、避難所にいる人たちに対して見当外れな羨望のまなざしを向けたことが何度もある。
 特にお風呂。避難所に次々に開設される仮設風呂の光景は何度見ても泣けました。水産加工用の水槽にブルーシートを引いた風呂桶とか。なんて輝いて見えたことか。きらきら。

 何日か過ぎて、自宅被災者が、避難所に支援物資として入って来ているものを分けてもらおうとして断られたなんてニュースが報道されるようになったことが、すごく嬉しかった。自宅被災者は、家やお金があっても物資がないから飢えるしかないってことに、気づくマスコミがいたことが。

 お金なんて、持っていても、こういう時にはただの紙きれで、何の役にも立たないんだということに、ひどく絶望したのです。
 真っ暗で腹ペコで寒い家の中で、万札があったって、それでヒトが生きて行けるかっつったら生きてけないんです。
 通信が復活して、遠い場所にいた親戚が、大変だろうからお金を送るよ、と心配そうに電話をくれるたびに、「そんなお気遣いなさらないで下さい、結構ですから」と、声の表面的にはにこにこ話をしながら、内心では叫んでいたのです。遠慮とかそういうんじゃなくて、本当に本気で、お金なんか、何の役にも立たないんですってばさ。

 その後、物流が復活した後、その親戚とは別の親戚が、カセットコンロ用のガスを何本か送ってくれました。
 家中が泣かんばかりに喜んだものです。何万円もらうより、数百円のガス1本や、会社の人が分けてくれたトイレットペーパー一巻きの方が本当に本当に本当にありがたかった。

 その記憶がまだ、消えないのです。だからちょっと引っかかる。35万円のために膨大な労力を費やさせてしまうことに、引っかかる。

 募金団体もいろいろで、直接被災者にお見舞金を分配するために集めている団体もありますが、寄付を被災者の支援(直接の見舞金ではなくモノやヒトや行動)にお金を使う団体もあります(JPFとかがいい例かな)。
 私個人的に、「今の時点では」後者による、言い方は悪いですけど、「即物的な」支援の方が、「まだ」必要な段階だと感じています。

 お金という紙切れは、食べてもおいしくないのです。部屋が明るくもあったかくもならないんです。車を走らせてもくれないんです。買い物という手続きを経なければ、生きるために必要なモノにはならないんです。でも、今の被災者は、その買い物という手続きを取り戻せていないんです。というか、震災がなくったって元々買い物難民だった人たちも多いし。私個人だって、近所のお店が震災直後に開けなかったら買い物難民仲間入りでした。お金があっても車がなければ何も出来ない。
 現金の出番は、仮設住宅などが出来て、「生活する」ことにちゃんと目を向けられるようになってから後の話じゃないのか。それまでは、食べられるもの、あっためられるもの、夜を照らすもの、車を動かすもの、直接、それが出来るものじゃないと、役に立たない。特に東北は……東北は……鉄路よりガソリンがない方が命に関わる。そういう土地柄だから。

 難しいですね。ニュースバリューとしては原発の方が大きいし、少しでも明るい話題をとばかりに、復興ムードのニュースが多くなって来ているから、被災者が義援金に苦言を呈するのは我がままに見えるのは仕方のないことなんだけど。一番しんどい箇所はまだ「生活」さえも戻っていない、「生きる」だけで必死だという状況は1ケ月を過ぎた今でも全く変わってないし、(震災以前からの)日常を知らない人には東北人の金銭感覚判らない部分もあるだろうし。私を含めて、貧乏には慣れてるっていうのもあるしな。なんかこう。今回の場合ですけど、義援金というシステムは、たくさんの善意の、ベストな使い道ではないような気がしてしまうのですよね。今は、まだ。

固定リンク / 2011.4.9


報道されない(というかそんな価値はない)被災者の日常

●自宅被災者、家にいると軽い脱水症状になる

 水がなくてトイレを我慢する、当然飲む方も我慢する。
 会社に出ている平日は、トイレが確保出来ているから喉の渇きに耐えたりはしていない。飲みたい時に飲む(お茶とか)。
 したがって。
 週末、家にいると具合悪い。だるくてつらい。会社にいる方が、体調がいい。

●首都圏ラッシュよりも凄いことになってる地下鉄

 国土交通省のサイト内の資料によれば、現在、首都圏の通勤ラッシュの混雑率は、一番高いところでも200%前後のようです。
 で。震災直後、一番早く一部復旧した仙台市地下鉄、混雑率は250%らしいです。
 それしか動いていないので、毎日乗ってますけど、人が荷物みたいに押し込まれて運ばれています。なかなか壮絶な通勤になってます。
 でもまあ、それでもトイレに行けない自宅よりは会社の方がマシなので、多少押し潰されたって行きますけど。トイレに行けないことに比べたらこの程度はなんてこたーない。
 250%になると、座席に座ってる方の上に立ってる人の荷物や体がせり出している、座っている人の膝の間に立ってる人が脚突っ込んでる、なんてのが当たり前なので、座っている方々も全然楽じゃない感じです。膝の上に荷物乗せていたりすると、確実に立ってる人の体で押し潰されます(笑)。あ、私は座れたことなんてないですけど。荷物せり出して荷物押し潰す側です。スミマセンねえ。

 地下鉄側は1度も、乗れない時は次の列車に乗ってくれ、というアナウンスだけはしたことがない。どんなにしんどくても、乗る覚悟のある客は残らず乗せようとしてくれていた。地味だけど結構大事。
 で、翌週だったかな、あまりにひどい混雑率を見かねたのか、臨時ダイヤをさらにいじって朝だけ少し増便していました。おかげで今は……うーん、あれは、国土交通省のこの解説と比べてみると……200%くらいかな? うん、やっと首都圏並みになったヨ! ちなみに普段は、通勤電車にしては空いてる、という感じの混雑率だから…160%くらいかなあ…(体感では)。

●食べ物は揃って来たけれど

 灯油が少ないので週末、家にいられません。暖房を1日中点けるのはとても無理。そんなわけで、週末の昼間は全く予定もなく街をうろついています。
 それもお店が開いていればなので、15時16時には泣く泣く家に戻らざるを得ないのですが。軒並み17時閉店って所が多いですかね、今は。
 その意味でもやっぱり会社にいた方がいい。天気予報に並ぶ最低気温はまだ氷点下なのに。
 個人にはまだ灯油もガソリンもなかなか売ってもらえないのですが、避難所はちゃんと燃料確保出来てるのかな。
 まだ自宅被災者は、靴下重ね履きしてダウンジャケット着てマフラー巻いてストール被った上から毛布やら厚い掛け布団掛けてじっとしていれば何とかならなくもないんだけど、ただっ広い場所にいる避難所生活者は暖房ないと命に関わると思うんだけどなあ。東北は。

 てか買い占めとかテラウラヤマシス! 買い占めるほどモノがねーっスよコッチにゃ! つかむしろ買い占めさせてー! ……いや、むしろ東北全体が買い溜めてるようなもんか、今は。食べ物とか。すみません全国の皆様。
 と言いますか、店、早く閉まり過ぎなので、働いてるとそもそもお買い物に行くことすら出来ない。なので必然的に週末大量買い。今、この街では、週末には誰もが買い占めでもしているかのような大荷物です。

 うーん。でもな。今はやっぱりモノより燃料かも。未だ風呂には入れない状態なわけですが、銭湯の類なんかも、営業するかどうかは燃料次第なんですよね。今はまだ、やっていても整理券制を取っている所が多くて、働いていると並びに行けないので諦めていますけど、それすらも出来なくなると本格的にお風呂と呼べるものがこの街から消滅してしまう。
 郊外の温泉にまで行けば日帰り入浴している宿はありますけど。そこまで行くガソリンが、個人ではまだ手に入らないのでねえ……。
 避難所で自衛隊などの皆様が、仮設の入浴施設を作って下さっているのを見ると、ちょっと心がくじけそうになる自宅被災者。羨んじゃいけないとは判っているのですけれどね…。

●パチンコ屋さんがライフライン

 週末、予定がなくても家を出ざるを得なくなっているわけですが、げにありがたきはパチンコ屋さん。田舎ですから、普通に物凄い数のパチンコ屋がこの街にはあるわけですが、トイレ開放してくれたり、震災初期の頃はケータイの充電サービスも積極的に展開してくれていたのがマジありがたかったり。
 他の店は(特に全国的なチェーン店などは)、客にトイレを開放しない店が本当に多かった中、色んな人が助かったと思います。
 あれは何なのかな。業界団体でそういう方針にしたとかなのかしら。まあとにかく、家でトイレが使えずに街に出るしかなかった私たちみたいな自宅被災者にとっては、街歩き時の希少なライフラインになっていたことは間違いないです。

 ただ、ギャンブルには性に合わないので、落ち着いたとしても本業に貢献は恐らく出来ません。恩恵受けっぱなしでお返し出来なくて申し訳なし。

 ただ、なんか、うーん。全国チェーン店の系列店は何処も冷たいすな。仕方ないんでしょうけど。何だかんだ言って地元の小さい小売店は何とかして開けようと頑張ってくれるんだけど……。
 そんな中。仙台に縁のある人だったら恐らく社名をご存知と思いますが、地元の老舗企業の1つがこの震災で廃業に追い込まれ……ちょっとショック。えええマジで! って感じ……。うわあ。もう。こういうニュースだけは聞きたくなかったのに……。

●最後に朗報が1つ

 上水道が復活しました。冷たいであります。
 でも下水道がブッ壊れたままなので(被害の大きい処理場は今、通常処理能力の3割程度らしくて、下水が逆流してマンホールから噴き出す二次災害が起きてます)、トイレに流す水はまだ、使用済生活用水などを溜めて活用中。震災直後の泥水よりはだいぶ衛生的になりましたよ。あまり臭わないし(全く臭わない、とは言えませんけれどね……)。
 あ、ちなみに、その泥水も使い切りました。使い切った後に使用済生活用水を使っています。
 あと、味をしめたので(?)、色んな場面で、水道から直接ではなく、1度溜め置きして温度をちょっと上げた水を使っています。じゃーっと流しっ放しにするなんてことは、節水のためと言うより、温度のために、していません。まあ、一石二鳥ですね。
 これで、今週末は脱水症状に陥らなくて済むだろうか…。

 あと、ライフラインはガス(と下水道)待ち。でもライフライン復活しても、ガソリンや灯油などの燃料が回って来ないとちょっとしんどいなあ。いつになったら個人に普通に売ってもらえるようになるやら。

固定リンク / 2011.4.2


そして震災2週間目、被災者的「よかった探し」の現在

 まあ、被災者本人がポリアンナ症候群に陥る分には構わないでしょ。政治家が震災を却って良かったなんてほざきやがったらブン殴りますけれども。交通手段も燃料もないから殴りに行けませんけどさ。

●やせました(少しだけ)

 まあ当然だわな。食べ物がないのにやせてなかったらおかしいですよ。
 とはいえ、たぶんライフライン戻ったら簡単にリバウンドするんじゃないかと…まあその程度です。

●職場の人と仲良くなれました

 ちらちら書きましたが転職したばっかりなんです。新職場で1ケ月も経たないうちに被災したんです。それまでは、周りの方とは仕事についての最低限のお話をするに留まっていたわけですが、状況がこうなると、一番頼れるのはやっぱり口コミだったりするわけで。スーパーの開店情報のような生活情報、地域毎のライフライン復旧状況などの情報交換で否が応にも喋りまくりでございました。
 また、一足先に水が出ていた会社のトイレは女の子たちのシャンプー場と化していたり。終業後、みんなでトイレの洗面台でシャンプー。その時も、シャンプーやらタオルやらドライヤーやら、持ち寄って貸し合って、ちょっとした銭湯みたいになってます。未だに。
 あとは、備蓄に余裕がある物資の物々交換。トイレットペーパーが足りない家には多めにある人が分けてあげたり。お子様持ちのお母さんから、子供があるお菓子がどうしても食べたいとぐずって困っているなんて話を聞けば、周り中が、お店に寄った時に見つけたからとそのお菓子を少しずつ買って来て分けてあげたり。おせんべいが手に入ったからと、1枚の1/3ずつくらい割ってみんなで分け合って食べたり(ちなみに1枚まるまるなんて食べてません、あの日以来)。物資が回るようにはなって来たけど、仕事していると買い物に並べないですからねえ。
 職場の人でも、未だ家に帰れない人もいます。そもそも家がなくなってしまった人ももちろんいます。家族を失った人も、車などの財産を失った人も。一番マシなのは、私たちのような「家が無事」組です。
 ライフラインが全て復旧して揃っている、という人は未だ誰もいません。みんな何処かしら欠けていて、会社に来られている人でも、朝の始業時間に間に合っている人の方が少ない(混雑路線のバスや地下鉄は、1時間や1時間半待たなければそもそも乗ることすら出来ない状態なので)。
 それでも出られる人が必死で出て来ようとするのは、ここに来れば情報と水があるから、なんじゃないかと思います。あ、それともちろん、人の優しさもね。

●水が温いよ!

 この時期の水道水ってまだ冷たいんですよ東北では。だから手を洗うにも歯を磨くにも、いつもはまだキンキンに冷たくてしんどかったですが、今は何をするにも溜めておいた水を使うことになるので、冷たくないのがちょっと嬉しい。というか、復旧しても汲み置きしておくのいいかもと思っていたりする今日この頃。

●自分の住んでいる街の知らなかった面を知ることが出来ました

 会社に通っているだけの日々だと、バス停・駅と自宅の間の道は、毎日歩くからいろいろ知っていますけれども、それ以外の場所というのは用がなければ行かないものです。
 でも今は、物資やコインランドリーや銭湯を求めて今まで入ったことのない場所に入り、給水車や水の出る公園を探して知らない横道ををうろうろし、しばらくはガソリンも交通機関もなかったので自分の足で何処まで歩けるか挑戦し、……つまり、普段は行くことのなかった道をいろいろと踏破しました。
 てか靴が。震災のせいじゃなくてその後の歩きまくりのせいでちょっとぼろぼろ(苦笑)。でも、普段はデスクワークなので、靴を履き潰すなんて体験はしたことがなくて、これはこれで希少な経験でした。ああ。久し振りに長く履けるかもと思った靴なんだがなあ。でもそれだけ活躍したと思えばいいのか。靴としての天命を全うしたと思えば。

●いま、心に響くうた

 震災直後からETVの「シャキーン!」は通常営業していますね。で、交通機関の関係で私は、普段より随分早く起きて出発しないとならなくなっているので、今、「シャキーン!」の時間帯は朝の身支度ラストスパート辺りなのです。この辺は元々東京ほど通勤時間が長い訳じゃないので、このタイムテーブルは私にとっては異例だったりします。
 で。ちょうど新曲待ち期間だったせいか、あの週に「この空」が流れていたのです。
 無性に泣けました。色んなことを考えて。
 無残で残酷な「別れ」がたくさんあった震災でした。でもこれは。暫しの別れの時です。新しい明日のために歩き出す時なんです。そう聞こえてしまってねー。
 本来は、昨年のこの時期に、卒業ソングとして登場した曲ですから、同じように卒業の季節モノとして取り上げたに過ぎないのでしょうけれど、捩れた心のヒダにぴたんと来てしまったというか。

 もう1曲。「現実という名の怪物と戦う者たち」 by 高橋優。
 説明不要。
 先週から復活したアニメ「バクマン。」のEDで、震災前からずっとこの曲でしたけど、もう今は。今はね………。現実という名の怪物。震災で色んなものが奪われた今、この言葉の感じ方が180度違ってしまって、泣き物件になっちゃいました。てか高橋優やばいなー。前も書いたんだけど。なんでこうやたらと涙腺に来るんだチクショー。コイツと同時代に生きられて良かったッスよマジで。

●その他よかった探しとは無関係な雑記

・セブンアンドアイホールディングス(およびヨークベニマル)がすげー。西友はダメ過ぎる。
 私の周り限定ですが。
 セブンイレブン、イトーヨーカドー、ヨークベニマル、物資調達早かったです。牛乳、トイレットペーパーなど、手に入るわけないよナと早々に諦めていたものが1時間程度並べば入手出来るなんて(今のこの状態では)すげーですホント。
 ダイエーも頑張ってたけど、いかんせん店舗数の絶対数が少ないので。半日並んでいられるほどの時間は私にはありませんでした。ただ震災後からずっと開店しっ放しなので多分、モノはちゃんとあるのだと思われます。いち早く自転車入荷していたのもエライ。
 あと、近所にはないのですが、地元スーパーのウジエやモリヤも結構強かったみたいです。普段から地産地消で、仕入れルートが地元だから(遠くから燃料使って運んでないから)なのかな? 判りませんけれども。
 で、未だに閉店しっ放しなのが西友系の店舗たち。28日一部再開の告知出ましたが、おーそーすーぎーるー!! もう物資がだいぶ回り出した頃になってやっと開けるとかどーいうスピード感よ。うんざり。別に、店内設備が多少壊れてたって、店内ちょっと汚れてたって、そんなこと、この状況で気にしてないですってばさ。
 本当に、くっきり明暗分かれたなあ今回。少なくとも私の中では、西友、いざという時に全く頼りにならない、という印象です。がっかり。ここまでアテにならんとはねえ…。幻滅です。ホント幻滅。
 あと、3年前にオープンした某ショッピングモール、駐車場2階〜4階の通路がごっそり「落ちて」いるの見て唖然。ちょっと待て。耐震基準満たしていたのか本当に!? 3年前だぞ!? 少なくとも岩手宮城内陸地震よりは後に作ったんだろ!? 何手ェ抜いてんだそんなトコで。ひど過ぎる。修復した後も怖くて使えねーすよ。
 ちなみに。地元の小さいお店では、停電していた間も店を開けていたんですよ。紙に品物と値段を書いて、電卓で計算して精算するという超アナログ法で。根性っす。でも、この辺の人たちはあのお店があったから震災直後から少しとはいえ食べ物が手に入っていた。ありがたいでございますねえ。
 あと美容院のシャンプーサービスもすんごいありがたい。ガスが復活していないから、と店を閉めている美容院も多いですが、そんな中、地元の小さいところが、床一面にIHコンロとか電気コンロとか並べて、ヤカンでお湯を沸かしながらシャンプーサービスやってたんですよ。もう、凄いとしか! トリートメントとかブローとかはありませんけど。それでも、風呂に入れないけどおサイフが無事な私たちのよーな幸運被災者はあーいう店にこそお金落とさないとダメじゃんって思いましたマジで。もちろん洗ってもらって来ましたですよ。床一面のヤカンに囲まれながら頭を洗われるなんて、ちょっと愉快な気持ちにもなりました(笑)。
 「物資が必要な時になんとしても物を売る」小売店のがんばりは頼もしい。某西友は除いてな。

・総通局の柔軟さがお役所とは思えない件
 次々開局している被災地の地域FM局、申請をかなり簡略化して電波使用許可出しているらしいですね。
 あと、携帯の臨時基地局についても、先に電波発射して後から日付遡って申請出すという措置があるみたいです。
 マスコミ誰も取り上げてないけど、総通局いい仕事してるじゃん。被災地では、電波の役割は相当デカイから、こういうのが「早い」のは素晴らしいことですね。お役所らしくないなあ。いい意味で。

・常に余震とお友達
 震度3は日常、震度4は日課、震度5は休憩時間(PCのデータが壊れないように、全部のファイルをいったん閉じてPC本体を抑え、揺れが収まると、津波は? 津波は? と言いながらみんなでTV前に集合するから)。
 仕事しているビル、多分免震構造のせいなのか、しょっちゅう起こる余震のために、なんていうか、常に揺れてる感じです。揺りかごで仕事してる感じ。ゆーらゆーら。こういう「慣れ」は良くないんだけどねえ…。

・江頭2:50
 初めて「△」をつけてみたくなったわけで。「最後に見た江頭が手抜きだったら悪い」の名言も何処かで読んで、ああなるほどねえと。この人はそういう生き方をしているのだなあと思った。悔いのないように。やりたいことをやりたい時にやる人なのだなあと。

●後はライフライン待ちだ

 私の自宅は、ガスと水道がまだ復旧していません。風呂に入っていない生活も2週間を超えました。不潔とか言わんといてくださいよ、仕方ないでしょーが(笑)。
 あとJRの在来線も早く復活するといいなあ。このせいで会社にそもそも来られずにいる人もまだ多いからね。

固定リンク / 2011.3.26


1週間後の幸運被災者の現在

 幸運被災者とは自分のことであります。

 最初の幸運は、前記事でも書いたように、やたらと揺れに対しては頑丈なお家に引っ越していたということ。もう20年以上も前のことですが、だとしても、当時の家族の決心がなかったら今自分は生きていないわけで。

 次の幸運は、転職していたこと。前の職場、ライフラインがまだほとんど復旧していないのです。
 今の職場、割と大きめの会社で、立派なビルに入っていて、今、電気も水もある。
 さらに、近くにがんばってるお弁当屋さんがあって。そのお店は、割と大きめの今の会社の昼食需要のために、材料を常に多めにストックしていたのです。
 そう。閉店しちゃうお店が多い中、開いてくれているのですよ。1日限定何十食かではありますけれども。
 直後は早々に売り切れてしまう日もありましたが、今はだいぶライフラインが戻って来たせいか、お昼に買いに走ってまだ在庫があることがあります。その時は、家族の人数分を買って家に持ち帰り、お夕飯にしています。
 自分の家は水もガスもまだないので、本当に助かっています。今や、仕事しに行ってんだかお弁当屋さんに買い物に行ってんだか判らない日々です。いや、仕事してますよもちろん。ええ。そりゃもう。

 そして最後の幸運は、ネットが使えてること(PCもルータもADSLモデムも電話回線も、全てが壊れなかったこと)。会社から帰った後はほぼ被災者支援サイトに張り付いております。ついでなのでmixiで意味もなくずーっとオンラインにしていたり(いやなんとなく、生存確認的に)。

 現状、そんなこんなで一番参っているのはお風呂に入れないこととお洗濯。この連休は、ちょくちょく営業を始めた美容院巡り(というかシャンプーサービス探し)と、物資調達のためのお店巡り、そして何箇所かgoogleマップで場所だけ確認したコインランドリー巡り(営業しているかどうか確認)に費やす予定。何処でもある程度並ぶの覚悟だから、果たして何処まで消化出来るか…。やっているコインランドリー見つけたら、1週間分の洗濯せねば。下着すら売ってないんだもん、手持ちで何とか回すしかない。
 (注・下着については、県内、モノはありますよ。……私が着られるサイズがないだけで。)
 あー、あと、図書館から震災前に借りていた本を返さないとならないんだけど、図書館サイト、サーバが死んでるらしくてつながりません。果たして開いているやらいないやら。実際に行くしかないか。
 ネットでDVDレンタルもしていたんだけど、見てる余裕なし。こっちは期限はないので(次が借りられないだけで)、もうちょっと様子見。某ネットレンタル会社さん、ごめんなさい。もうちょっと借りてます。

 とりあえず、まだしばらくは足で情報を稼がないと。物資情報はヘタにメディアに載せると殺到しちゃうせいか、今や一番頼れるのは足と口コミだけになっている今日この頃。

 しかし、ガス局…。港工場に全部頼っていたとはねえ。水系も電力系も複数に分散してるのに。一極集中は弊害しか生まないってこと、こういうことが起きないと判らなかったのか? 疑問なのですよ…。
 水系はどうやら3系統みたいですね。そのうち2つは今潰れちゃってますけど。1つでも生きていれば、今の自分のように、職場でなら水が使える、ってことにもなるわけで。やっぱり、分散は最強の危機対策じゃありませんかい? どうよその辺。

 ちなみに。
 食料品は回るようになって来ましたですよ。まあ東北ですからネ。被災者の中でも、山間部の方は、自分の畑が生命線になっている人がいたりします。
 今、幸運被災者としては、物資で一番足りてないのは、燃料と紙(トイレットペーパーやウェットティッシュなど)です。特に東北は、車ないと給水車にすら辿り着けない人も多いすかねえ。ただ、燃料は、外部から支援物資を持ち込むために使って欲しいような気もするし。ホント、何処優先したらいいのか。困った。
 とりあえず。
 食べ物は避難所に回してやってつかーさい。家(というかサイフ)が無事な連中は何日か断食したってどーにかなりますよ。うむ。ってゆーかね、街でさ、自動販売機が結構生きてるのが凄いよ。糖分取れば何とか動けますからな。私も、基本的に食料は少ないですが、生存してる自販機で手に入る缶コーヒーが割と貴重なカロリー源になっていたりします。

固定リンク / 2011.3.19


東北電力の作業員の人が神様に見えました

 ライフライン、電気と電話(ADSL)復活。まだ水とガスはありません。というか、たぶん、1ケ月くらい無理だろうという話。電気が通ったのでお米は炊けるけど、お風呂には入れない見込みです。現在4日目。既にかなり汗くさい。1ケ月か。まあ、耐えるしかあるまい。
 地下鉄が動いて仕事には行けるので、貴重な水ですが体を拭いたりして対応はしています。
 ガスはどうしようもないよね。作っていた製造拠点が津波にやられちゃったんだから。誰も作れてないんだしな。ガス局、いろいろ全国から融通出来たらいいのに。

 少し離れた場所の公園のトイレの水道がかろうじて生きているのと、職場に行けば水が使えるので、水については、飲むのと、トイレは、職場に頼ってます。家ではトイレも出来るだけ我慢。飲むのは我慢というより無理。飲むくらいなら米を炊くのに使う。
 トイレはまだ、地震直後の水道管に残っていた泥水を湯船に溜めてあるので、家で我慢出来ない時はそれを使っています。においひどいけど。そのまま放置よりはマシです。いくらか。

 日曜日の夕方、作業服のお兄さんが、電線を見上げ、電柱をチェックしているのを見た時、本気で泣きました。東北電力であってくれと死ぬほど祈りましたとも(ケータイの基地局も近くにあるので、電気かケータイかどっちかだろう、とは思っていた)。
 ライフラインが何も復活していない中で、電気が一番先だったのは本当に不幸中の幸いだとしか言えない。ラジオと懐中電灯で、乾電池の在庫が目減りして行くのが本当に怖くて怖くて。何処も店開いてませんし。

 日本の耐震住宅は優秀だということが身に染みました。この辺りは30年前の宮城県沖の時にグチャグチャになった区域に近いので、ここに家を建てるなら、規定よりももっと強い耐震性を持たせるように設計しないと建てられなかった、と聞いています。
 それが本当に功を奏しました。家が倒れなかった。
 あと、食器棚や本棚など、棚が1つも倒れませんでした。扉が開いて中身は床に散乱しましたが。ところが、一番怖い割れ物の棚は扉すら開かず、ほとんど皿や食器が無傷。どういう奇跡ですか、これ。優秀な小人さんが押さえてくれていたとしか思えない。
 ちなみに、棚の耐震策は、天井と棚の上の間のつっかい棒でした。棚という棚のすべてにつけてあります。

 あと、机から派手に落下していたパソコン本体が無傷ってのもいったいどういうことよ。小人さんありがとう。いや、部屋が狭いから良かったのか(本棚の本が先に床にバラ撒かれていて、その上に落ちたから)。

 1つだけメディアに苦言だよ。
 NHKさん。NHK第一(AM)は、NHK仙台放送局の電力が復活した時点で、24時間すべてを仙台局に預けて県域放送オンリーにするくらいでよかったはず。安否や生活情報をFMに回されたのはありえない。絶対ありえない。大声でバカヤローですわよ。
 乾電池ラジオで、どっちの方が電池の減りが早いか、知らないわけじゃないでしょうに。乾電池ラジオの非常時としての役割はAMだからこそ意味があります。少なくとも現時点では。
 TBC東北放送は、今でも機材ブッ壊れたままで、非常用機材で、ずっと安否と生活情報だけを流し続けています。
 この辺りの地域の住民がなんとかしのげてるのは、TBCで流れた、××の公園のトイレの水道が生きてる、という、そのたった1つの超弩級ローカル情報のお陰かもしれません。NHK第一もちょっとしばらく聞いていたのですが、宮城県域なのに福島原発と関東圏の計画停電のことしか流れて来ないのが。本当にもうどうにかして欲しかった。
 もちろん福島県域は福島原発の情報を厚くすべきです。茨城県域は計画停電重要でしょう。でも、明日の水に困っている宮城県民には、公園のトイレの水道が使える、という情報の方が、生き残るためにはありがたかった。
 特にTBCが非常機材しか使えなくて、割と電波塔が近い区域でもノイズがひどくなってしまった2日目以降は、TBCよりもっと遠くに電波を飛ばせたはずのNHKが、AMで(←ここ重要)、県域で(←ここも重要)、生活情報・安否情報を1日中喋り続けてくれていた方が、被害の大きかった海沿いにも届くはずなのに、と思います。
 TBCで頑張っているアナウンサーさんには申し訳ないけど、災害用の精度の悪い乾電池ラジオでは、今の放送では既にマトモに聞こえてないです。ここですら聞こえないのに、南三陸や女川など、本当に生活情報が必要な、取り残されて耐えている人たちには、この電波が届いていないのかも知れないと思うと悔しさしか出て来ない。
 NHKさん、何とか出来ないのかな。波の使い方、間違ってるとしか思えないのだが。

固定リンク / 2011.3.14


働くことが難しい時代に、就活に苦労したことがない理由は

 自分でもさっぱり判りません。ので、こうすれば苦労しないよ! みたいなハウツーを書くつもりはないので、そういうの求めていた人はごめんなさいですよ。
 就活失敗によるで自殺倍増とかいうニュースがあったり、はてなの大学生増田さんがバイト見つけるまで半年かかったとか書いていたのを見て、ちょっと就活について書いてみたくなっちゃったと言いますか。

 大学出てから物凄く激しく転職を繰り返していますが、とりあえず1度として、就職活動に「苦労」はしたことがないです。
 ただ、私は無理はしない。妥協は大好き。だから、このサイトで時々書いてますが、一時期はお給料的には大学の新卒よりも安い給料で、本当に生活保護以下のワーキングプア(手取りが5桁)だったこともあります。
 でもまあ、自分1人で生きてく分には何とかなっちゃうものです。最低限食べられて、プロバイダと回線とケータイ代さえ工面出来れば。ちなみにお化粧や洋服を含めて「衣」の年間予算は2万円程度です。「食住」は生きてく上で必要になっちゃうのでどうしようもないですけど。
 そうやって放浪人生、得たのは恐らく経験値くらいです。経歴書に並ぶ開発経験言語は12、経験DBエンジンは今回のFileMaker含めて6。一言で言えば器用貧乏ってことだ。
 手取り5桁の超ワーキングプア時代もそれなりに楽しかったですよ。残業もあったし給料も低かったけど、ソーシャルゲームバブルの真っ只中でソーシャルゲーム作らせてもらえたのは大きかったです。顧客とか予算とか、現場と営業の意識合わせとか、くだらねー中間層がいない仕事は精神的にも楽だし。
 使っている人から直にクレーム入る世界は本当に楽だねえ。自分の作ったものが(たとえ娯楽用途であっても)「使われてる」のが判るっていいです。システム屋さんの上流工程とやらが挟まると、本当の現場のニーズが歪んだ形でしか届かないし、誰がどういう風に使っているのか見えないシステムはつまらんよね。作ってても。以前も似たようなことちらっと書いたけど
 まあそれは置いといて。

●転職サイトってやつ

 今回の就活で実は初めてリクナビNEXT使いました。検索条件はガチガチにIT系ばっかりにしておいて求人情報毎日眺めてましたが、結局職を見つけたのはネット経由じゃなかったりする辺り。世の中うまくは行きませんなあ。

 とはいえ、リクナビ(に求人出しているIT系)はねえ。他の転職サイトは結局使わなかったので、あくまでリクナビだけのイメージで申し訳ないんですけど、どーいう人材が欲しくて登録してんのかなあこの会社、と思うことが多くて、ちょっとうんざりする部分もあったりして。
 こういう転職サイトの、特にIT系の仕事って、自分でIT系のスキルがある人が、その腕を生かして仕事を探す、というイメージだったのですけれども。
 でも募集している企業がみんなして「未経験者歓迎」モードなので。
 IT系の求人を眺めていると、開発経験のある人間は逆に応募しちゃいけないような気持ちにさせられんですよね……(笑)。私のような経験豊富な(というかそれしかないというか)人間は求められてないんだなー、という気分になる。
 ちょっと言い方アレですけど、仕事なんかしたことなくても若さの方が武器なのかなあと。「20代30代が活躍中!」も萎えフレーズですよ。ええ。若けりゃいいのかいそうですかい。

 あくまでリクナビしか見てない上での戯言ではありますが、IT系企業の求人は、なんでああも、なんつーか、キャバクラのホステス募集みたいな怪しげなキャッチフレーズばっかりなんでしょうか。それで3桁とか大量採用を謳っていたりすると、未経験でなんにも判らない若い人をカモにしようとしているみたいに見えなくもないのですよね。
 どうにかならないんでしょうかあれ。どこもあんな感じなのかな。少なくとも、私でなくても、経験者はちょっと二の足を踏みがちなんじゃないかと感じたし、そんなレベルの人間を数だけ確保するような募集の仕方をされると、社員を大量生産された駒くらいにしか考えていないような、なんていうか、物凄く、人の価値が軽々しい扱いをされている感じもするし。
 というか、そもそもIT系の求人情報を見る人というのは、経験があったり、システム屋になろうとする覚悟のある人だったりが多いと思うのですよ。基本的に。そんなさ。無料で配ってるフリーペーパー系求人誌ならまだしも、ああいう場所で、IT系の仕事をほとんど考えていないようなシロートさんに対してアピールする必然性ってあるんですかね?? 紙媒体だったら、隣の枠の求人情報を読むついでにでもちらっと見てもらえる機会は、そりゃあ、あるでしょうけれども。

 どう表現していいのやら。とにかくなんか違和感で。結局、他の条件的に(勤務地とかね)は問題があるわけじゃないのに、年齢で断られるかも知れないけど応募だけはしてみよう、という気持ちにすらならず。なんかねえ。うーん。
 次に転職の機会があっても転職サイトはもう使わないかも。転職サイトの運営側は「自分の経験やスキルは細かくちゃんと書け!」って言ってるけど、採用する企業の側は「そんなの要らね」って言ってるよなもんじゃないすか。訳判らんよ。私にゃ合わないってだけかも知れんが。

 ちなみに私は、面と向かった面接でも電話でもこの手の経歴書でも、自分の経歴をことさらに大袈裟に自慢するのも大好きですよ。だから転職サイト様のご提案どおり、経歴は全部こと細かくさらけ出してましたけどね。
 特に今回はねえ。ソーシャルゲームの開発経験って、特に面と向かった時の話のネタにはチョー便利でしたよ。フヒヒ。mixiもGREEもモバゲーも、テレビコマーシャルさんざん流してくれてありがとう。いひひ。

●就活で自分の価値を測る人々

 就活失敗で自殺を考えてしまう10代20代の若者が倍増して、大学生がアルバイトを探すのですら死ぬほど苦労するのに、アラフォーの自分はそんな苦労を実感したことがあまりない。

 就活失敗が自殺の理由になっちゃうなんていうのは凄く現代的だ。
 就活以前に、誰かから評価されたことがないのかな。
 就職以外に、人間の価値を測る物差しの在庫はないんだろうか。

 これ、こないだの電波男の時に書いたことにもちょっと通じるけど、人間がこの社会に生きて行く必然性というか、価値というか、そういうものって、1つの物差しだけで測れるもんじゃなかろう。というのが私の中では大きなウェイト占めているポリシー(的なもの)だったりします。
 親や異性(いや同性でもいいけど)に愛されなければあなたは価値のない人間なのか。
 自分の希望の仕事に就けなければあなたは価値のない人間なのか。
 受験に受からなければあなたは価値のない人間なのか。
 うまく言えないけど、そういう、はっきりした結果の出るもので結果を出せないと、死を考えるくらい追い詰められるっていうのが、うまく想像出来ない。

 私はどの仕事をしていても仕事に不満を感じるってことはあまりなくて。それは、仕事をするっていうのは「所詮は仕事に過ぎない」から、それが自分の人生全てだとは思っていない。自分の一部でしかない。
 仕事で失敗してもそれは自分の人生の失敗ではない。仕事に不満があってもそれは人生の不満ではない。
 それは仕事以外の人生のパーツ全てに当てはまることでもある。
 家族は所詮家族でしかなく、それは自分の人生全てではない。
 恋愛は所詮恋愛でしかなく、それは自分の人生全てではない。
 人間関係は所詮人間関係でしかなく、それは自分の人生全てではない。
 仕事は所詮仕事でしかなく、それは自分の人生全てではない。

 今就活している若い人たちは大手志向だと言われているのは、もちろん倒産の危険性のない安定した所に行きたいという気持ちの人もいるでしょう。でもそれは裏を返せば、自分の人生においてその企業で働くということのウェイトが過剰になり過ぎてやしないのかな、と思えたりもする。

 私は、働く企業の大小に拘ったことがない。大量の労働者を抱える超大企業にいたこともあるし、社員10人以下の零細企業にいたこともある。何処にいたって私は私の仕事をする。私は私であって、大きな会社に勤めていれば偉いわけでもなく、小さい会社に勤めていれば凄いわけでもなく。

 人生の主役は人間だ。会社じゃない。

 就活で失敗は私もする。最後にはもちろんちゃんと採用はされているけど(だから働いているわけだし)、その何倍もの不合格や不採用あってこその採用だ。当たり前に。
 でも私はその、いくつもの不合格通知・不採用通知の山を見ても、「それ」が自分という人間に対して下された評価である、とは、考えたことがない。
 単に、その企業は、私という人間に価値を見出せなかっただけだと、そうとしか考えない。

 だってたかが仕事じゃないの。ねえ。
 私っていう人間の構成要素はいろいろあって、仕事なんてそのうちの一部でしかないのに。
 1日24時間のうち、仕事のために当てる時間なんて半分もないんだぜ。休日は仕事をしていないことを考えれば、人生のうち仕事のために使われる時間なんて1/3もないんじゃないのか。
 たかだか1/3の構成要素に自分を否定された程度で、自身が全否定されたみたいに考えなくてもいいんじゃないかねー。

 企業の人事担当者は私の何を見たか。経歴は見ただろう。年齢や住所も。
 でも私の頭の中は見たのか? 小指の爪は見たのか? PCやケータイを使っているところは。歩き方は。ブラジャアのサイズは。ポーチの色は。愛用しているペンは(万年筆Loverだ!)。入会しているレンタル屋は。録画予約している番組リストは。学校の成績表は。持っているCDの数はゲームの数は本の数はマンガの数は。愛用するフリーソフトは。今までに履き潰した靴の数は。好きな飲み物は。笑い声は。よく行く店は(最近、サンドイッチのSUBWAYにちょくちょく行くのです)。好きなスクリーンセーバーは。布団派かベッド派か(布団派)。愛読しているサイトは。登録しているSNSは。このサイトで何を今まで書いて来ているか。何本の小説を書いたか。詩を書く時のペンネームは。
 企業の人事担当者とやらは私の何を知っているのか。仕事に必要な最低限の「私」を評価しただけだ。それを否定しただけだ。
 私は一部を否定された。
 でも。
 私を否定されたわけではない。
 彼らは、私を私たらしめている構成要素のほとんどを、知らないのだから。

 ……と、私は考える。

 そんな考えで、東京よりは仕事が少ないはずの片田舎で、2ケ月以上休職したことがなく、途切れずにぽんぽん転職し続けていられるのは何故だろう。
 何故私が、前の仕事を何らかの理由で離れなければならなくなった時に、私の次に座るべきポジションがちゃんと空いているんだろう。
 本当に、自分でもよく判らないのだ。
 きっと就活の神様が、私にだけ特に甘いのだろう。美人でもないしスタイルも悪いし半分対人恐怖症みたいな私の、たった1つ与えられた幸運なのかも知れません。

 でも、時々思うこともある。就活の神様は、私なんぞにかかずらう時間を少しでも、もっと若い人たちに分けてあげたらいいのになと。少なくとも、最期に自殺なんて道に追い遣ることはないじゃないのさ。世の中、本当にうまく行かないよねえ。

固定リンク / 2011.3.5


OpenOfficeはもう翻訳されないかも知れない?

 (一応の)公式アカウントが、たとえTwitterとはいえ、そういうの簡単につぶやいちゃうのはどうなんだろうね。
 というか、個人的に、今のTwitterの(一部の方々の)使われ方はどうも……なんてーか……発言することの責任というか、発信することの責任というか、書いたら全世界に公開されるんだよ(設定をしない限り)、ということに対して無頓着になり過ぎている感じがする。たった140字でよくもまー簡単に炎上燃料作れるよねえ……私たちオバチャンにゃ到底無理ッス。文章を書いたらどうしても推敲しちゃうし。いやまあそれは。閑話休題。

 3.4以降の日本語翻訳プロジェクトが動いていない、という話。プロジェクトサイトが移行中らしくて、いろんなドキュメントがことごとくNot Foundになってしまって詳細がよく判らん。辛うじて見つけられたのは2/19に投稿されているフォーラムの記事。ただ、コーディネータがいなくて困っている、という割に、コーディネータ公募に関する情報がリンク切れ。つまりやる気がある人がたとえいたとしても、どうやって立候補したらいいのかすら、情報がない。

 サイトの移行はずっと前から計画されていたことなんだから、こういう時こそooougと連携すりゃいいのにと思うのは外部の人間だから言えることなのかなあ。なんか確執でもあるんスか? oooug.jpドメインはまだしばらくパーマネントなのでしょー? FAQに1つ質問立てる形ででもいいから、サイトが戻るまでコーディネータ公募情報載せたらいいじゃない。リリースに関わることなんだもの。だめなのかなあ。

 ツイートに対する他の人のリプライでも言われていることだけど、今のままでは、本気でコーディネータを募る気がそもそもあるのか、あるいは、翻訳プロジェクトチームはそもそも3.4以降の翻訳を「しないことにした」という意志表示なのか、そのどちらなのかすら見えない。
 リソースが足りないとつぶやいてますけど、足りないからどうしたいのか、を表明していないんですよね。足りないから辞めますなのか、足りないから助けてなのか。助けてだとしたら、何が手伝えるのか。どの程度の仕事が残っているのか。素人に出来ることがあるのか。公募はコーディネータだけで下っ端は要らないのか、それとも、猫の手でもいないよりはマシな状態なのか。
 どうなのよ。
 ツイートは22日だから、フォーラムのコーディネータ公募より後だしなあ。

 実は最近転職したんですけれども。
 その時のもろもろの文書作成は(履歴書も含めて)、全てOpenOffice.orgでやりましたよ。このPCに買い換える時、MS-Officeのライセンス買ってないので。
 ちなみにここ数年は年賀状も全部OpenOffice.orgですよ。裏面のデザインも、表の宛名印刷も。住所録はCalcで印刷はWriterの差込印刷。
 超お世話になってますよ。
 以前もちらと書いたけど、個人的に作っているオフィス系文書は、今、全部ODFで手元にあるので、今さら「これから日本語には翻訳されません」はかなりキツいと感じます。

 私みたいな個人ユーザーはまだ他の選択肢に乗り換えるの簡単だからマシです。官公庁や大企業で社内公用ソフトとして採用しているところなんかは、追加機能については日本語で使えません、になってしまっては……ね。相当マズいことになりかねない気はするのですが。
 たとえ「互換性があるソフトです」と言われたって、社内規定でセキュリティしっかりしているところだったら、じゃあこれからはこっちのソフトにしましょうって簡単にスイッチ出来るわけじゃないでしょう? それなりに大きい会社であれば、Windows Updateですら、社内システムと競合しないか検証してからじゃないとインストール出来ないんですから。
 あるいは、他社丸投げでソリューション買いかも知れませんが、だとしても、そのソリューション会社だって困りませんかい?

 ま、とりあえず身軽な個人はLibreOfficeに乗り換えしかないですかね。私はとっとと入れました。サイトは英語ですが、インストーラ段階から日本語です。
 今のところ、OpenOffice.org→LibreOfficeで困っていることは特にありませんです。見た目やメニューもほぼOpenOffice.org踏襲なので、インターフェイスもアウトプットも別物だったLotus Symphonyよりは移行い易い。違和感ないです。
 宛名印刷用の差込印刷テンプレートも、OpenOffice Writer 2.4の頃から使っているものがそのまま動きました。これで年末も安心。
 ただ、LibreOfficeのチームは基本的に今のOpenOffice.orgからの造反組だから、ここまで踏襲なのは今だけかも。これから、Lotus Symphonyほどではなくても、違う道を歩んで行くのかも知れません。

 今、企業や官公庁でOpenOffice.org導入しているシステム管理部門の皆様、LibreOfficeも見ときましょう。見といた方がいいです。もし「本家」の翻訳プロジェクトがこのまま動けなくなっちゃったら、PCに強くないおっちゃん管理職や、ケータイでしかネットをしたことがないからPC判らない新入社員(←以前勤めていた会社に本当にいた)に、一部英語のままのソフトの操作を教えるという地獄に突入することになる可能性があります。
 日本語で書いてあってすら覚えてくれないあんな人やこんな人が、英語のダイアログやらエラーメッセージやらに翻弄されて、あなたの本来業務をことごとく邪魔する姿が目に見えるようです。
 ああ。おいたわしや(柱の陰から覗きながら)。
 もしまた転職することになったらお手伝いしましょうか? 社内システムサポート経験ありましてよ。おほほ。

 余談。転職して実は事務職に戻ることになったのですが(本人は平気でも、履歴書上の年齢的にPG採用はなかなかしてもらえなくなってきたアラフォー世代)、入って1週間でFileMakerのスクリプト書くのが仕事になっちゃってる不思議。あれー?
 てゆーか、入社するまでFileMaker触ったことなかったんですけど。
 いくつか前の会社でも、事務職採用で結局サーバ管理とか……VBAとか……してた……ような……(遠い目)。結局私はシステム使う方じゃなく作る方に回っちゃう運命なのでしょうか。
 たださすがFileMakerとは思った。1日半でスクリプト書けるようになったヨ。参考資料は本体のヘルプと前任者のスクリプトのみ。これからまた転職する時は経歴書にFileMakerも追加ですよ。ふふん。
 php経験ないのにphpプログラマに転職した時は、1週間朝から晩までphp漬けになってモバイルサイト1つ作ってから採用されましたんでねえ。それに比べるとあんまり苦労した感じがしないです、FileMaker。AccessはVBAがあるから、やろうと思えば本当に何でも出来てしまうけど、FileMakerは極端に自由度が少ないから覚えるのは楽。ただ設計コンセプト的には正直好きになれんタイプですけど。自由度のない言語はさみしいのです。スクリプトは作ってるけど、何もさせてもらえてない気がしてしまうプログラマーの性。

固定リンク / 2011.2.26


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