ARMCO派遣1(92.5.16〜8.1) 


 アメリカ合衆国オハイオ州の南にあるミドルタウンという街に、ARMCOという製鉄会社への技術指導ということで約3ヶ月ほど滞在した。当時、川鉄はARMCOの株を半分近く買収し、かなりの人とお金をつぎ込んで経営参加と技術指導を行った。

 川鉄からARMCOへは、@2年程度の長期、A3ヶ月程度の中期、B3週間程度の短期の3種類のパターンでエンジニアが派遣された。私は当初Bの予定であったが、一度帰国してAに切り替わった。今回は短期派遣2名、中期派遣9名の全11名のミッションであった。

 ミドルタウンという町は内陸にあり、夏は暑く冬は寒い気候で、冬に行った人は大変だったらしいが、夏に行った私はゴルフや旅行をして充分楽しむことができた。

 オハイオ州はニューヨークから西に数百kmのところにあり、北は五大湖のひとつであるエリー湖に接し、西はインディアナ州、東はペンシルバニア州とウエストバージニア州、南はケンタッキー州に接している。首都はコロンバスである。

 ミドルタウンはオハイオ州の西南に位置し、エアフォースミュージアムのあるデイトンと野球のレッズで有名なシンシナティの中間にある。それがミドルタウンの名前の由来とのこと。アメリカの田舎町という感じで、のびのびとしたところである。

 3週間の短期派遣組は上の写真のマンチェスター・インというホテルに滞在した。中期派遣組はアパートに住み、長期派遣組で家族が一緒の場合は持ち家に住んでいた。

 ミドルタウンに行って最初に訪問したのは、長期派遣組の藤原課長のお宅であった。上の写真のような芝生が青々としている、広々とした住宅街に藤原課長の家はあった。

 これが家の全景。日本ではとても住めないような豪華な家である。ガレージには車が2台停められるようになっている。地下室もあった。

 家の中もとても広々としている。また、家具なども、とてもおしゃれであった。こんな家に住んでいたら、日本に帰ってきたくなくなるのではないかと感じられた。

 その後、日本食の買出しに、車で40分のところにある小山商店に行った。カップラーメンや漬物等、日本のものなら何でもあった。また、日本のテレビを録画したテープのレンタルもやっていた。その隣は会津という居酒屋でここもよく行った。

 私の隣に写っているのは当時の冷延技術室の鈴木作業長(現、川電磁)。鈴木さんはすでに2回ARMCOに来ていて、今回は我々11名が早く仕事や生活になじめるように手助けをする役割で、1週間程滞在した。

 出勤第一日目は、うまく仕事ができるかとか、英語がちゃんと話せるかとか不安で一杯であった。しかし、川鉄の仲間もたくさんいたし、ARMCOの人も親切だったので、すぐになじむことができた。英会話をそこそこ勉強しておいたので助かった。

 がないと生活できないので、二人に一台の割合で車が支給された。私も国際免許証を持っていって、左ハンドル、右側通行に悪戦苦闘しながらも車を運転した。左折時に少し戸惑ったが、慣れてしまえば何の事はなかった。

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