アテナ外伝

Act.8 種子

HardRockCAFEの店内は照明が落とされ、スポットライトの中の少女以外、視認できる存在はなかった。
バンドの演奏にあわせ、少女の歌声が響く。
優しい歌だった。
静かで、それでいてどこか力強く、切なさを伴ったメロディ。
甘い旋律にあわせたような、少しもの悲しい恋人達のうた
聴く者を魅了せずにはおれない不思議な魅力が、少女の歌声には在った。
前奏の間こそどこか落ち着かない素振りを見せていた少女も、歌い始めてしまえば堂々たるものだった。
リズムにあわせ歌い踊る彼女の、艶やかな黒髪が宙を舞う。
彼女の腰まで伸びるそれは、大きく弧を描き、飛び散る汗が時折光を放つ。
可憐な外見も手伝って、その様はどこか幻想的でさえあった。
特に予告されていた訳でもないステージは、たまたま居合わせた観客達の見守る中、いつの間にか熱を帯び、鳴りやまぬ歓声を呼び込んでいた。
少女が歌いながらステージ上を移動するにつれ、彼女を追うライトの光がそこにあるものの姿を浮かび上がらせる。
バンドのメンバー一人一人に、彼女は歩み寄り、離れていく。
そして最後に、ベースを担当する赤毛の青年の隣に落ち着く。
その姿は、かつての"一夜限りの歌姫"を彷彿とさせた。


───あの後。
神社での一戦の後、アテナは庵の自宅で、彼の知る全てを聞いた。
オロチとは何か。
"贄"とはどういう意味なのか。
その答えは、彼女にとって決して面白いものではなかった。


「・・・恐らく貴様は、贄の種子たねを植えつけられたのだ。」

激しかった雨も昼過ぎには遠ざかり、雲の切れ間から青空が顔を覗かせていた。
庵との闘いに決着がついた後、全てを聞くためにアテナ達は八神家を訪れていた。
家というよりは―――神社である。
フジ子によれば、いにしえの血脈を受け継ぐ、旧家なのだそうだ。
アテナ達は、その応接間らしき広間に通されていた。
あまり生活感がない家だった。
だだっ広い部屋の隅には、埃が浮かんでいるのが見て取れる。
これだけの広さを持った家にもかかわらず、使用人らしき人影も見えない。
廊下に面した襖も、所々破れている。
天井の隅には、お約束通り蜘蛛の巣がいくつも出来ていた。
畳敷きの広間、その中央の座卓を囲んで座ったところで、庵はおもむろに切り出していた。

「・・・・種子たね?」

庵の言葉に、アテナは思わず聞き返していた。

「オロチの血脈に連なる者と、命のやり取りをしなかったか?」

しかし庵はアテナの言葉には答えずに、別のことを問いかける。

「オロチ?」

「―――だぁ〜〜〜、もうっ!」

一向に成り立たない会話に、それまで黙ってきいていたフジ子が、いきなり庵を殴りつけた。

「・・・何をする?」

「あんたは言葉が足らんのっ!」

首を傾げるしかないアテナは、フジ子の言葉に同意する。

「つまり―――、」

いきなり出てきた天使えんじぇるに、思わず庵は後ずさる。

「最近誰かと、生命いのちのやり取りに近いくらい、激しい闘いをしてないか、ってことね?」

「・・・・そうだ。」

天使えんじぇるのフォローに、平静を装いつつ庵は頷いた。

「・・・ルガール・・・」

天使の言葉に、アテナの脳裏に浮かぶ男の姿。
彼女は反射的にその名を口にしていた。

「恐らく、そいつがオロチの血脈に連なる者、だろう」

「だーかーらー、」

庵の言葉に、再びフジ子が噛み付いた。

「――オロチって、結局なんなのよ?」

これには天使もアテナもうんうんと頷いた。

「オロチは・・・説明すると長くなる、後だ。」

冷たく言い放つと、庵は言葉を続ける。

「そいつは死の間際に、貴様に種子たねを植えつけた。」

いったん言葉を切り、軽く目を伏せる。

「その結果、貴様は一時的な記憶と精神こころの喪失を招いた。」

確認するような庵の視線に、アテナは黙って頷いた。

「そして今、貴様は記憶と精神こころを取り戻しつつある。
・・・そうだな?」

「強い相手と闘うことで精神こころの力を極限まで高め、精神こころの呪縛を打ち破ろうとしているから、でしょう?」

庵の確認に、フジ子が割ってはいる。
彼女の台詞に、天使えんじぇるも頷く。
だが、庵は静かにかぶりを振った。

「・・・あいにくそれは、悪い傾向だ。」

「なんで? どういうこと?」

噛み付くようなフジ子の反応に、しかし庵は淡々とした口調で続けた。

その女アテナ精神こころに、種子たねが馴染んでいっている、ということだ。」

庵の言葉が何を意味するのか、フジ子もアテナも今ひとつ理解しかねていた。
だが、少なくとも自分たちの予想は外れており、快方に向かっていると思われたアテナの精神こころも、どうやらそうではないらしいことだけは想像できる。

種子たねが馴染むと・・・どうなるの?」

フジ子の言葉に頷くと、庵はアテナへと視線を定めた。

「いずれ貴様は記憶も精神こころも、取り戻すだろう。
―――その時、貴様は貴様でなくなっている。」

「どういうこと?」

疑問を口にするフジ子とは対象的に、アテナは黙ったまま庵の言葉を聞いている。

「贄とは、オロチに連なるものに捧げられた供物。
オロチに連なる者共は、その全て──生命いのちまでをも手に入れることで、さらなる"力"を得ることができる――」

「なによ、それ!?」

掴みかからんばかりの勢いで、フジ子がくってかかる。
だがそれには構わず、庵は言葉を続けた。

「――贄はそれを受け入れるしか出来ない。
そういうもの、らしい。」

「それが、種子たね・・・?」

真っ直ぐに見つめ返すアテナを見据えたまま、庵は黙って頷いた。

「・・・なんでそんなことが言えるわけ?」

理不尽な話に対する苛立ちから、フジ子は庵を睨んでいる。
彼女の言葉に、庵はどこか遠くを見る瞳を浮かべる。

「・・・はちすが、そうだった。」


庵の父――先代の八神家当主は、野心家だった。
彼は太古の血脈――オロチの力を我がものとするため、満月の夜に、ある儀式を行ったという。
その際彼は、4人の巫女を儀式へ協力させていた。
その一人が、九条はちすだった。
結局、太古のオロチの精神こころを自らの肉体へ取り込もうとするその試みは、失敗に終わった。
そればかりか、オロチの狂気に触れたのか、八神家当主は"血の暴走"と呼ばれるトランス状態へと陥ってしまった。
巫女達はこれを沈めようとし、結果、当主を永遠の眠りにつかせることで、これを成し得た。
──自分たちの命と引き替えに。


「最後の一人となったはちすは、あの男の最期の足掻きによって種子たねを植えつけられた。」

自分の父親のことを「あの男」と呼ぶ庵に、アテナはどこかもの悲しさを覚える。

「その結果は・・・貴様と同じように、数日の間、記憶と精神こころを失っていた。」

不意に、庵は顎をしゃくり、床の間に積まれた巻物の山――どうやら古文書らしい――を示した。

「後で分かったことだが・・・、オロチに連なる者が、次に転生した際にも以前の"力"を奮うために、自らの"力"を適当な宿主に寄生させている―――、というのが、種子たねの本質らしい。」

「・・・だから、オロチ関係者に狙われる、っての?」

フジ子の疑問に、庵は頷いた。

「命の保証は、ないな。」

そう言って、庵はアテナに向き直る。

種子たねを取り除く方法は分からん。
これ以上、武者修行したところで、危険に身を晒すだけだ。」

アテナは黙ったまま庵を見返す。

「――待っている男がいるのだろう?
大人しく帰ることだ。」

しかし、アテナは静かにかぶりを振った。

「旅を止めたところで、危険が無くなる訳ではありません。
それに、少しでも可能性があるのなら、無駄ではないと思います。」

逡巡する様子もなく、アテナは真っ直ぐに庵を見据えていた。

「・・・一生逃げ回る訳にもいかないですから。」

茶化す様に微笑んだアテナに、庵は苦笑を漏らす。

「そうか。
・・・そうだな。貴様ははちすではなかったな?」

或いは庵は、分かっていてもアテナにはちすをダブらせてしまう自分に呆れていたのかも知れない。
その気分が見えてしまったアテナは、クスリと笑った。
いたずらっぽい表情かおで、庵を見上げる。

「いいですよ?
なんだったら今日は、"蓮"さんでいてあげても?」

しかし彼女は、すぐにその台詞を後悔することになった。


"なんだかなぁ〜・・・"

学校がひけた後、理香はアテナとの待ち合わせ場所へと足を運んでいた。
だがそこに彼女の姿はなく、代わりに待っていたのはフジ子だった。

「・・・面白いことになっているから。」

そういってフジ子は多くを語らず、彼女に言われるまま、理香はHardRockCafeへと足を運んだ。
そして今は、光の中にいる親友アテナを見つめている。

"それにしても。"

一緒に清嶺学園に通っていた頃、理香はアテナと何度かカラオケに行ったことはある。
確かに彼女は、歌うのが上手かった。
ただそれは、練習を重ねた結果だと思っていた。

「・・・初めての曲を、こうも歌えるなんて、ね・・・」

なによりその歌声は、聴くものを虜にする不思議な響き――魅力と言ってもいいだろう――を持っていた。
親友ながら底の知れないヤツ、と、理香は変な感心の仕方をしていた。

「・・・似合わない格闘家なんてさっさとやめて、歌手にでもなればいいのに。」

理香は本気でそう思っていた。
外見から受けるアテナのイメージは、とても格闘をやる人間とは思えない。
どちらかと言えば、静かに窓辺で文庫本でも読んでいた方が似合いそうだ。
すくなくとも、理香はアテナをそう見ている。
だからという訳ではないのだろうが、彼女の手には、アテナのノートPCが握られており、内蔵されたCCDカメラはしっかりと彼女の様子を撮していた。


控え室に戻っても、歓声の波はやむことなく続いていた。
地響きにもにたその木霊を耳にしながら、アテナは受け取ったタオルで汗をぬぐった。

「お疲れ様〜っ」

脳天気な天使えんじぇるの声に、アテナは暫し疲れを忘れる。

"いいですよ?
なんだったら今日は、"はちす"さんでいてあげても?"

"・・・ならば、つきあってもらうぞ?"

アテナの挑発じみた台詞に対する庵の答えが、これだった。
──まさか、のってくるとは思っていなかった。
アテナにしてみれば軽い冗談のつもりだったし、庵の性格からして無視されると思っていた。
それが、こんなことになろうとは。
たった一曲だけの、1回限りのステージ。
かつて、九条はちすが路上で行ったライブの再現。
ぽん、と撫でるように頭をたたかれ、振り返るアテナ。
そこには、微かな笑みを浮かべる庵がいた。

「ありがとう。」

差し出されたドリンクを、微笑んで受け取る。
アテナのその反応に、庵はすぐに背を向けた。
相変わらずの態度だが、それがどこか照れ隠しの様に思えて、アテナはクスリと笑った。
そして、そのことに内心驚く。

"・・・わたし・・・随分と笑ってる・・・"

贄の種子たねが馴染むにつれ、精神こころの動きが元に戻っていくと、庵は言った。
そして、完全に馴染んだ時には、アテナはアテナではなくなる、と。

"わたしが・・・わたしでなくなる・・・?"

今ひとつ、実感がわかない言葉だった。
想像力の限界を、超えていると感じる。
種子たねに屈してしまったとき、果たして自分はどうなっているのだろう。 "オロチに連なる者"とやらに、全てを奪われるしかなくなっているというのだろうか。
それを、甘んじて受け入れるしかないというのか。
──抗い、戦うことも許されずに?
それが事実なら、これほど耐え難いことはないだろう。
種子たねを取り除く方法は分からないと、庵は言った。
取り除くことはできない、ではなく。
ならば、可能性がない訳でもないはずだ。
いずれにせよ、いまのアテナに出来ることといえば、強者共と拳を交え、死線をくぐり、自らの精神こころの力──サイコ・パワーをより高める事だけだ。
無駄だとは思わない。
全ては、"本当の自分"を取り戻すため。
そして、帰りを待っている拳崇の元へ戻らなければ。
全て、元通りになって。
ステージを終え、どこか興奮している周囲のなか、アテナは徐々に冷めていく自分を感じていた。
──と。
不意に背中越しに肩を叩かれ、彼女は我に返った。

「や。」

振り返ったアテナに、理香は短く挨拶を交わす。

「結構、ハマってたね?」

ニヤニヤと、良からぬ事を企んでいそうな笑みを浮かべ、理香は軽口を叩いた。

「客席にたまたま、スカウトさんがいらした様ですなぁ。」

ひらひらと、手の中で長方形の厚手の紙片を弄んでいる。
名刺、の様だった。

「随分と、アテナに興味を持っていたみたいよん?」

楽しげに、理香は笑いかける。

「いっそ、デビューしちゃえば?」

「──冗談、」

理香の軽口に、しかしアテナは取り合わなかった。

「第一、修行中の身だし。」

いまいち、理由になっていない理由を口にしたアテナに、理香は肩をすくめた。

「・・・売れると思うんだけどなぁ。」

心底残念そうに言うと、理香はいきなり話題を変えた。

「ま、いいや。
とりあえず約束通り、ちょっちつきあってよ?」

そして半ば強引に、アテナを外へ連れ出した。


繁華街から少し離れた、裏通りに面した場所に、そのマンションは建っていた。
学生を想定した、ワンルームマンション。
理香は、その目の前にアテナを連れてきていた。

「・・・ここは?」

「覚えてない?」

理香の問いに、アテナは頷いた。

あんたアテナと椎君の、かつての愛の巣。」

大真面目に答えた理香に、アテナは一瞬意味を理解出来なかった。

「・・・なっ?」

数瞬遅れて、狼狽する。
理香の、いつもの妄想混じりの表現だとあたりをつけ、アテナは平静を取り戻そうと試みる。
が、理香はさらに続けた。

「アテナと椎君、一緒に暮らしていたのよ・・・、ここで。」

真剣な表情かおを浮かべる理香に、アテナは一瞬、言葉を失う。
とまどうアテナから視線を外し、理香はマンションを見上げた。

「・・・中国へ渡るまでの一週間、ここであなた達は一緒に暮らしていたわ。」

二人を、微かな夜風が包む。
それは昼間の熱気を微かに残し、余り心地よさを感じさせてはくれなかった。

「・・・そんなこと、好きでもない人と、出来るとは思えない。」

言いながら理香は、アテナへと視線を戻した。

「特に、あたしの知ってるアテナなら、ね。」

「・・・・・」

親友の言葉に耳を傾けながら、アテナはマンションを見上げた。
見覚えは・・・ある様な気もするのだが、定かではなかった。

"───ありがとう、わたしのナイトさん"

不意に脳裏を過ぎった、かつての自分の言葉。

「・・・あたしね、話さなきゃいけないことがあるの。」

理香は、そういって遠い目をした。
そして一語一語、思い起こすように言葉を紡ぎはじめる。
それはアテナにとって、最も苦い記憶へと続くものだった。


気がつけば、深い闇に包まれていた。
理香は、何故自分が闇に包まれているのか、理解できずにいた。

"・・・?"

不意に、何か暖かな温もりに包まれた様な気がした。
それはとてもよく知っている、柔らかな匂いを伴っていた。

"・・・アテナ?"

親友ともの気配を微かに感じたものの、それは不確かで、直ぐに彼女はその感覚を見失った。

"・・・ごめんね・・・"

自分でも理由が分からなかったが、彼女は謝らずには居られなかった。
やがて。
彼女はうっすらと目を開けた。

「───気がついたか?」

最初に飛び込んできたのは、心配そうに見つめる担任教師の顔だった。

「三宮、先生・・・?」

意識がボンヤリとしていた。
見慣れない景色。
知らない天井。
漂ってくる、独特の匂い。

「ここは・・・?」

「病院だ。」

理香の疑問に、三宮は短く答えた。

「病院・・・」

混濁したままの意識で、理香は三宮の言葉を反芻した。
徐々に、意識が明確な記憶を呼び起こして来る。
学校。
溢れるWAD治安部隊。
銃声。
爆音。
───思い出した。
先ほどまで───少なくとも理香の感覚では──学校で起こっていた、非日常的な出来事。
爆破された、本館校舎屋上。
テロリスト潜入を告げる、校内放送。
鎮圧のため、大挙して押し寄せたWAD部隊。
そして。
取り囲まれた、親友アテナの姿。

"──攻撃、開始!"

その命令を下していたのは、他ならぬ三宮ではなかったか。

「・・・思い出したか?」

引きつった表情かおを浮かべる理香に、三宮は複雑な微笑を浮かべた。

「・・・なんで・・・?」

知らず、理香の頬を一筋の光が伝う。

「なんで、先生がアテナを・・・!?」

勢い、三宮を振り仰ぐ。

「・・・なんで・・・あたし、生きてるの・・・!?」

あのとき。
アテナに対する第二派攻撃を止めようとして、割って入った際。
逸るWAD隊員の一人に、確かに自分は撃たれた筈。
確かにあのとき、空の上から自分の倒れた姿を見た。
死んだのだと、自分なりに理解していた。
なのに、今、生きている。

「・・・落ち着いてくれ。全部、話すよ。」

自嘲気味な笑みを浮かべ、三宮は穏やかに語りはじめた。


「──三宮先生、全部話してくれたんだ。」

ワンルームマンションを見上げたまま、理香は語り続ける。
三宮は、アテナが清陵学園に通っていた当時の担任教師だった。
確か、アテナが中国行きを決めた頃、その職を辞していたと、彼女の朧気な記憶は告げている。

「三宮先生は元々WADの人間で、アテナの監視と捕獲のために清陵学園に入り込んでいたんだって。」

言いながら、理香は夜風に乱れた髪を撫でつける。
元々教師を志していた三宮には、うってつけの任務だったらしいと、理香は語った。
任務を全うせんとするあまり、三宮は教師としての自分を余りにも強く築き上げてしまった。
その結果、彼は「教師としての自分」と「WADエージェントとしての自分」のギャップに苛まれることとなったという。

「アテナがWADに狙われた理由も、三宮先生から教えてもらったんだ。」

教え子を傷つけねばならない任務。
それは、教師としての三宮にとって、耐え難いものとなってしまったのだ。
その結果、彼は「教師」でも「エージェント」でもいられなくなってしまった。
三宮が学園を去ったのは、その為だったらしいと理香は語った。
不意に、理香はアテナを振り返る。
何かを探るような、視線。
アテナは、彼女の真意を測りたかったが、その瞳からは窺うことが出来なかった。

「・・・あたしを助けてくれたのが、アテナだったってことも、ね。」

本当はあのとき、自分は死んでいたのだと、理香は語った。
彼女のいう「あのとき」が、アテナにはよく思い出せなかった。
それ故理香の話は、アテナにはおよそ荒唐無稽な絵物語の様に感じられてしまう。

「・・・それも、2度も助けてもらってたんだね。」

そう囁いた理香の瞳から、一筋の光が流れた。


「何、これ・・・?」

理香が退院できたのは、三宮から真実を聞かされた翌日だった。
清陵学園は、未だ立ち入り禁止状態であったが、彼女は難なく潜入していた。
半壊した校舎の中で、理香は生き残っている端末を使い、学園の中枢データにアクセスしていた。
それは、WAD襲撃事件当日の、プログラム実行ログだった。
放課後に、不自然な形で実行されたプログラムがある。
そのデータを開いた理香は、呆然としていた。
プログラム自体は、子供だましのものだった。
だが問題は、そのデータにあった。
2者択一を強要するそのプログラムは、下校中の理香と、アテナの自宅の何れかを選択させる様になっていた。
表示されるように準備されたメッセージデータから、理香にはあの日、およそ何が行われたのかを類推できた。

"・・・あたしと・・・両親の命を、天秤にかけさせたっての?、アテナに!?"

プログラムを解析してみると、選択肢にはそれぞれ、通信モジュールが接続されていた。
そのモジュールに設置された動作パターンの中には、「起爆スイッチ」が存在しており、実際に選択されなかった場合には
「起爆スイッチ」命令が実行されるロジックになっていた。
遠隔操作により、何処かに仕掛けられた爆弾が作動するのだ。
そして。
ログから分かることは、アテナはこのとき、理香を選択していたのた。
その結果、どうなったか。
理香は学校へ来る前に、アテナの自宅が焼け跡になっている現場をその目にしていた。
誰が、何のためにしかけたのかは分からない。
だがハッキリしていることは、経緯はどうあれ、アテナは理香を助けたために両親を失ったのだ。
その事実は、理香の胸に重くのしかかった・・・。


「あたし、分かったの。」

溢れる涙を隠そうともせず、理香はただまっすぐにアテナを見つめた。

「アテナがひとりぼっちになったのって・・・あたしのせいなんだ・・・」

なんと答えて良いのか、アテナには分からなかった。
違う、と言い切るには、記憶があやふやだった。
まだ、その辺りのことは思い出せていない。
ただ瞳を見開いたまま、語る言葉を持たなかった。

「ホントは、ね」

溢れる涙を拭おうともせず、理香は続ける。

「アテナが会いたいって連絡をくれたとき、・・・怖かったんだ。」

夜風に乱れる髪も、最早構う余裕もなくなっていた。

「責められると思った。
・・・だから、わざとはしゃいで誤魔化して。」

口元に、自嘲的な笑みが浮かぶ。

「アテナの記憶がないって分かって・・・、正直、ホッとした。」

頬を伝う涙に濡れた前髪が、理香の顔に張り付いていく。

「笑っちゃうよね・・・。
こんなんで、親友気取りなんだから。」

「理香・・・っ」

それ以上、言葉を続けさせまいと、アテナは理香を遮った。
そして、それが引き金となった。

「・・・アテナ?」

硬直した様な親友の様子に、理香は不思議そうに彼女を見返す。
しかし、アテナはその声に応えることが出来なかった。
膨大な、記憶の奔流に晒されていたから───。


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ACT.9

ひとこと