LICKS JAPAN TOUR 2003

空中浮遊していたミック・ジャガー


●かっこよさに理由なんかない

 「かっこいい」と感じるのに、理由なんかない。そして、ロックンロールの基本中の基本は「かっこいい」ことである。「大阪ドームのローリング・ストーンズは、すごくかっこよかった」と書けば、このライブリポートはすっきりと終了してしまう。

 結論は、既に出ている。しかし、あえて大阪ドームに辿りつくまでの過程を含めて、書き留めておこうと思う。30年近くに渡って、ロックという音楽を聴いてきたが、今回のライブが特別な体験だったからだ。
 しかし、プレイの内容やテクニカルことは書けそうにない。右端とはいえ、最前列でローリング・ストーンズを冷静に見られるほど、大人じゃない。
 21世紀にローリング・ストーンズのライブ。80年代には想像もできなかったことが、目の前で実現している。ビートのうねりに身を任せて、至福の時間を味わうのみだ。

●初来日の落胆

 90年初来日の時、東京ドームで2回のローリング・ストーンズのライブを見た。しかし、席は1階スタンドの後方。ステージとあまりにも距離を感じたし、キーボードを全面に押し出し、整理整頓されたスクエアな音は退屈で、かつて感じたスリルはなかった。「あー、おやじたちも衰えをテクノロジーで隠すようになったか」と落胆したものだ。だから、二度目、三度目の来日公演は行く気にならなかった。

 しかし、前回のツアーの様子を収めたDVDを見て、ぶっ飛んだ。おやじたちはラフでタイトに、そして実にいい加減にライブをしていたのだ。特にアリーナ中央に設けられた小さなBステージで、最小限のメンバーだけでプレイする3曲には驚いた。そこにはテクノロジーで武装した90年型のローリング・ストーンズではなく、スカスカの最小限の音で客と勝負する生身のメンバーがいたからだ。

 メインステージで演奏する場合は、基本的に視点が一方通行である。しかし、アリーナ中央のBステージでは360度すべてから客の視点が注がれる。そんな場所で、まるでライブハウスのごとく、堂々とシンプルでラフな演奏するローリング・ストーンズは「バンドとして、とんでもないところに来たものだ」と思った。数万人の客と正面から向き合う体力、気力、そしてプレイに対する自信がなければできないことだ。50歳をとっくに過ぎたはずなのに、アリーナのど真ん中で客と真剣勝負である。こんなバンドは他にはない。
 そして、前のツアーのサウンドには「ストーンズのノリ」としか表現しようがない、ルーズなグルーブが復活していた。かつて70年代のライブ盤で感じたノリである。うまいのだが、下手なのだかよく分からないが、ロックロールの核心を感じるあの音が蘇っていたのだ。ホントに恐ろしいオヤジたちである。
 DVDをながめながら「ローリング・ストーンズ、すまなんだ。次のツアーは必ず見に行く」と心に誓った。

●大阪ドームに辿りつくまで

 昨年末、ローリング・ストーンズの日本ツアーの日程が発表された。ウドーのホームページに掲載されたスケジュールをながめながら、初来日が決まった1990年の正月開けの寒い日、早朝からチケットぴあに並んだことを思い出した。
 あの時はストーンズ・バブルだったから、チケットを取るのが大変だった。しかし、今回はインターネットに先行予約のページが用意されている。先行予約当日、意外にも予約のページには簡単にアクセスできた。必要事項を記入して送信ボタンを押せば、チケットは容易に確保できる。家に居ながらにしてローリング・ストーンズのチケットが買える。まったく便利な時代になったものだ。
 しかし、この先行予約を利用してもスタンド席になる確率が高いという話がインターネットの掲示板で飛び交っていた。「飛行機で大阪までに行くからには、とにかくアリーナ」と考えたので、音楽業界にコネのある友人にダメ元でメールを出してみた。返事は「保証はできないけれど、良い席が確保できるかもしれない」だった。これは可能性に賭けるしかない。

 ライブの1週間前、ようやく届いたチケットは「サイドアリーナ二列目」だった。大阪ドームの座席表で位置を確認すると、番号上は二列目ながらも席の配列が斜めなので、事実上の最前列である。前にはステージと客席を仕切る柵しかない。この位置を知ってから、ずっと舞い上がり状態で、チケットを見ながらこれほどまでにニタニタした経験はない。しかし、心配事がひとつ。テレビのニュースが「開戦間近」を盛んに伝えているのだ。
 そして、ライブ当日の3月20日、イラク戦争が始まった。
 
 すでに日本にいて、4回のライブを行なっていたストーンズサイドからは「公演の中止はない」とコメントがあったので一安心したが、もしもイラク戦争が始まってから来日するようなスケジュールだったら、公演は中止になっただろう。
 実際にイラク戦争の影響で、東京ドームで予定されていたシアトル・マリナーズの開幕戦は中止になったし、日本公演のあとの香港、中国でのローリング・ストーンズのライブは、例のウイルス性肺炎の影響で延期である。

 開戦の影響で厳戒体制の空港のセキュリティーをくぐり抜けて、ライブ当日に辿りついた生まれ故郷の大阪。懐かしむ暇もなく、いざ大阪ドームだ。

●たこ焼きドーム

 初めて行く大阪ドームは、なんとも泥臭い場所であった。そもそも大阪ドーム周辺の大正、西九条という土地柄が、大阪の中でもディープな場所である。球場の前にも東京ドームのようなきらびやかさがない。どことなく暗いのだ。しかし、ドーム球場になっても、やっぱり近鉄のホームグランドには日生球場や藤井寺球場を思わせる匂いがあって、妙に安心した。「ここは通称たこ焼きドームっていうんやで」と同行の友人。「なるほど、このデザインはたこ焼きだ」と妙に納得した。

 何度も係員にチケットを見せながらチェックポイント抜け、見つけた席は座席表のとおりに最前列であった。メインステージに少し距離はあるのものの、お目当てのキース側。ミックやキースが、やがて来るであろうステージ脇の花道は、わずか2メートル先だ。
 開演前のドーム内には「モナ」など、かつてローリング・ストーンズがカバーしたR&Bの名曲が流れ、スタンドのあちらこちらでは「プリンキー」(例のベロマークのバッチだが、LEDが内蔵されていてチカチカと光る。1個二千円也)が赤い光を放っている。 ドーム内がとてもいいムードである。そこには、かつてローリング・ストーンズのコンサートに漂っていたであろう暴力的な匂いはなく、これから最上級のロックンロールショウが始まるという期待感が充満していた。

 ライブ開始予定時間の午後7時を30分ほど過ぎた頃、客電が落ち、メンバーがステージに飛び出してきた。次の瞬間、キースのギターの音が「ガツン」とドーム中に響いた。

 一曲目は「ブラウン・シュガー」だ。

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