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1章
プラーナの起源


ここで翻訳されるシュリーマッド・バーガヴァタは 、ヒンドゥー教の宗教文学であるプラーナに属します。単語「プラーナ」は、直訳すれば、「往古の物語」を意味します。
プラーナ文献が現在の形を取ったのは、B.C.5世紀ですが、核となる部分はもっと早くに成立しており、ヴェーダ文献の本集 (Vedic Samhitas) と同じくらい古いものです。 プラーナへの最も早い言及は、アタルヴァ・ ヴェーダ (Atharva Veda) ( 11巻7章24節)に見られ、それはリク(Riks=節)、サーマン(Samans=歌詠)そしてチャンダ(Chandas=韻律)に加えて、供儀の残り物( Ucchishta )に起源を発すると述べられています。シャタパタ・ブラーフマナ (Satapatha Brahmana) 、 ゴーパタ・ブラーフマナ (Gopatha Brahmana) そしてブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド (Brihadaranyaka Upanishad) はこれに言及しています。ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドでは、マハーブータ(Mahabhuta=至高のアートマン (Paramatman) )の呼吸から、ヴェーダ (Vedas)やイティハーサ(史詩)とともに、生まれたものだと述べられています。
しかしながら、これらの言及全ては、プラーナを、ただ単数名詞として使用している点に注意しなければなりません。我々はこのことから、プラーナは、後世において見られるような抜き刷りのような雑多な宗教文献だったのではなく、ヴェーダの補助学の一つであったと推論しなければなりません。天地創造説、古代の歴史と逸話、金言と国王と聖仙 (Rishis) の系譜、ヴェーダのマントラと供犠祭などの起源に関する伝説などから成り立っているプラーナの暗誦は、通常は長期にわたるヴェーダの供犠祭の儀式と祭典の合間に行われました。
特に馬祀祭 (Aswamedha) や王の灌頂式 (Rajasuya) のような王族の供犠祭において、偉大なる王統の血筋と、彼らの寛大なる宗教心を賛美する、途切れることのない物語(Parliplava Akhyanas)と呼ばれるプラーナを暗誦することは、儀式の重要な部分を形成しました。プラーナ文献の最初期の姿は、ヴェーダの祭式のこれらの物語部分( Akhyana - bhaga )に起源をたどれるはずです。


プラーナ本集 (Purana - Samhita) はヴェーダから分かれた


最も早い段階において、供犠祭においてプラーナの暗誦はブラーフマナ (Brahmana)祭官の職務であったに違いありません;けれども時間が経つにつれて、プラーナの暗誦は、恐らく供犠祭に不可欠なものではなかったために、徐々にスータ (Suta) と呼ばれる混合カーストの階級の人々へ降ろされるようになりました。この分岐は、ヴァーユ (Vayu) 、ブラフマーンダ (Brahmanda) そしてヴィシュヌ (Vishnu)の各プラーナに共通して語られる伝説によって示されます。偉大な賢者ヴィヤーサは、オリジナルのプラーナ本集を編集した後で、彼のスータ階級の弟子であるローマハルシャナにそれを託し、ローマハルシャナはそれを6種に纏め上げ、それぞれを6人の門弟に教えました。この弟子のうちの3人が、別種の本集 (Samhitas) を編纂しました。そしてこれらはローマハルシャナのオリジナルと共に、すべてのプラーナ文献の源になりました。
この伝説が、我々がプラーナ文献の重要な特徴の多くを理解するのに役立ちます。かつて一つのオリジナルのプラーナが流布しており、それは注意深くブラーフマナ祭官に管理されていて、深く儀式と結び付けられていたことを、それは証明します。 ヴェーダ文献の編纂が帰されるヴィヤーサは、またオリジナルのプラーナ本集を体系化し、ヴェーダの儀式と一体となっていたプラーナを分離して、バラモン (Brahmanas) ではなかったスータ (Sutas) に託しました。そして、時代から時代へと人々の要求の変化に伴って推敲し改変することを許可しました。 アーパスタンバ・ダルマ・スートラ(B.C.600-300年)の時までに、プラーナはすでに特別な文献になっていました。なぜならアーパスタンバの中に、出典を特定できないプラーナからの引用が3節、バヴィシュヤ・プラーナ (Bhavishya Purana) からの引用である1節をみることが出きるからです。
ヴェーダは天啓聖典であるがゆえに、いかなる改変も許されず不変のまま残りました。一方プラーナは、ヴェーダの哲学を取り入れつつ、それら自身の背景に従って、少なくともB.C.6世紀からA.D.12世紀にかけて巨大な文献群に増殖し、おびただしい数の宗派や、聖者達の教え、さらには、様々な科学、神秘、社会、そして歴史的な主題についてのたくさんの情報が盛りこまれました。


マハープラーナとウパプラーナ


古く包括的で著名なプラーナは、マハープラーナとして18数えられています。これらの18のプラーナは以下とおりです:ブラフマー (Brahma) 、パドマ (Padma) 、ヴィシュヌ (Vishnu) 、ヴァーユ(Vayu) 、バーガヴァタ (Bhagavata) 、 ナーラディーヤ(Naradiya) 、マールカンデーヤ(Markandeya) 、ヴァラーハ(Varaha) 、アグニ(Agni) 、バヴィシュヤ(Bhavishya) 、ブラフマヴァイヴァルタ (Brahma - vaivarta) 、リンガ(Linga) 、スカーンダ(skanda)、ヴァーマナ(Vamana) 、クールマ(Kiamna) 、マツヤ(Matsya) 、ガルーダ (Garuda)そして ブラフマーンダ(Brahmanda)です 。 しかしながら順序は、古さや重要性を示すものではありません。18種という数はA.D.7世紀までに厳格に決められたものです。というのも、恐らくはこの数が神聖であると思われたからであり、またこのリストにあがっているプラーナは、より古い作品の中に引用されていたからです。しかし、だからといって、プラーナ文献の増広にピリオドが打たれたわけではありません。新しい宗派や外国からの侵略者と先住民とで構成されている新たな民族の必要や思想に伴って、天啓は常に更新されるものでなければなりません。そこで改変できないヴェーダ文献に変わって、A.D.650年から800年にかけて、ついにウパプラーナとして分類される18のさらなる文献が編纂されました。
もしマハープラーナが「主プラーナ」だとするならば、ウパプラーナはそれと対照して、「副プラーナ」だと言われるかもしれません。これらの文献の多くは、かような従属的な地位を承認しないけれども、ヴァーユ・プラーナでは、ウパプラーナの名称の意味を、主要なプラーナ と対比して、「副部分( upa - bheda )」或いは、「補遺(Saura purana)」( khila )と解釈します。
現在広く認知されていることは、18種のマハープラーナ以外のすべてのプラーナは、下位部門あるいは補遺として、それらの幾つかと関連するはずであるということです。


 

第2章
プラーナの主だった特徴と内容


マルカンデーヤ・プラーナ (Markandeya Purana) のような少数を例外として、プラーナは多かれ少なかれ、本質的に宗派色があり、ヴィシュヌ (Vishnu) 、シヴァ (Siva) 、あるいはシャクティ (Sakti)というように、特定の神々が賛美されています。
特定の神格を称揚して、他の神格を下位に置くということは、ヴェーダの宗教の特徴を理解しない人々によって、宗派間の狭隘なセクト主義による敵対関係を表すものである、としばしば謗られてきました。 ヴェーダそれ自身においても、私達は、様々な神格が、交替で至高神の地位を得て、賛美される傾向があるのを見出します。言いかえれば、このことから私達は、ある一つの存在(the one Being )は、異なった御名と姿で崇拝され得るのだ、というヴェーダの聖仙 (Vedic Rishis) 達の理解を見ることができます。 特定の宗派の神格が至高の存在として賛美され、他の神格が軽視されるとき、プラーナの中で表されているのは、まさしくこの見識であり、視野の広さなのです。その意図するところは、特定の宗派に属する信者の信仰を、各々の神格で確固たるものにすることであり、他者の信仰を軽蔑することではありません。
それぞれのプラーナは、生き生きとした描写で自身の宗派の神格を誉め称えます。それはしばしば、想像力に満ち、理想化され、象徴的な言いまわしで語られます。彼の姿、特質、住居、持ち物、人間界での行動、神々と悪魔、そしてこのようにして、信者の信仰をハートに定めるために、神格の写実的で擬人化された概念を信者に示すのです。
さて、アマラコーシャ(Amarakosa)の著者であるアマラシンハ(Amarasimha)(A.D.6世紀)に従えば、プラーナでは次の5つのテーマを扱うことになります :サルガ(Sarga =原初における創造あるいは展開)、プラティサルガ(Pratisarga=宇宙の再創造)、ヴァムシャ(Vamsa=神、悪魔、マヌ、聖仙 そして国王の系譜)、マンヴァンタラ(Manvantara=マヌによって統治された宇宙の周期)そしてヴァムシャムチャリタ(Vamsanucharita=王統紀)。
プラーナのこの制限された内容は、プラーナがヴェーダの供犠祭における入念な儀式の合間に暗誦されたという古い伝統に根ざしているのでしょう。けれどもそれが、ヴェーダの教えと共に、大集団を伴う個別な信仰宗派のメッセージを伝えることも意図する宗教的な文献へと分かれていくにつれて、マハープラーナの概念はこれらの必要を満たすように変化しました。プラーナのテーマは拡大しました。そして、バーガヴァタ・プラーナとブラフマヴァイヴァルタ・プラーナにみられるように、さらに5つのテーマが加えられました。
オリジナルのの5つのテーマはウパプラーナに当てはまり、10種のテーマはマハープラーナに適用できるという理論もまた提出されました。しかしこの主張は吟味されることはないでしょう。我々は、プラーナ文献の広がりにつれて、これらの特徴が加えられたと理解しなければなりません。
マハープラーナの主題を形成する10の話題は、バーガヴァタ・プラーナ ( XII.7.9 - 10)によれば次の通りです:
(1) サルガ(第一の創造) は、未分化のプラクリティ (根本物質)のアハンカーラ(ego)への展開のことです。それはさらには知覚器官へ、そして最終的には、粗雑な物質原理にまで至ります。
(2)ヴィサルガ(第二の創造)は潜在的な傾向、つまり、種子が芽生えるように、時間の経過と共に顕現した被造物のカルマを本質とします。そしてその結果として、知覚の有るものも、知覚の無いものも、すべての存在は、ブラフマー神の創造的活動を通して、プラクリティから展開した原理のコンビネーションによって形成されるのです。
(3)ヴリッティ(生活維持の方法)とは、生物であれ無生物であれ、被造物の生活の仕方に関する記述です。人が自らの性向に従ったり、慎重に決断したり、聖典の命令に従ったりしながら生活していくということです。 また第5巻で語られるスターナ(世界と地球上の大陸、すなわち被造物が住しそれらを支えるものについて)も含みます。
(4)ラクシャ(保護)では、霊性の確立のために、様々な種の姿に化身して行った主の魅惑的な活動が語られます。そこでは信者の救済や、価値のない人々にさえ無条件に与えられた主の恩寵も記述されています。 恩寵授与の主題は、ポーシャナ(育成)として語られている場合もあります。
(5)マンヴァンタラ(マヌに始まる人類紀)の内容は、全ての生物の生の助長と幸福のために、マヌ (Manus) 、デーヴァ (神々) 、マヌの息子達、インドラ神 (Indra) 、聖仙 (Rishis) そして特別に賦与された人々が協力した行動が語られます。
(6)ヴァムシャ(系譜)では、偉大な王家のリストと、ブラフマー神の子孫としての僧侶の家系が述べられます。
(7)ヴァムシャムチャリタ(王統紀)は、神への献身と天地万有の幸福のために尽くした名高い国王と彼らの王朝の統治を扱います。
(8)サムスタ(溶解)は、時間、カルマそしてグナ (Gunas) の影響によって引き起こされるのですが、顕現している宇宙がより微細な状態に向かって溶解していく4種のパターンが述べられています。
これらの溶解(Pralayas)は、顕現する宇宙全ての溶解( Prakrita-pralaya )、部分的な溶解( Naimittika - pralaya )、そして日常的な眠り(Nitya-pralaya) があります。それ以外にも、粗雑であろうと微細であろうと肉体全ての溶解( Pralaya )を意味する人の救済( Atyantika-pralaya )があります。これはまたニローダ (Nirodha)と呼ばれ、全ての現れの撤退(寂滅)を意味し、解脱 (Mukti) あるいは救済を含みます。
(9)ヘートゥ(意図)では、根本原因と、あらゆる創造行為の意味についての検討が主題となります。それは無知 (Avidya)によって生み出された人間 (Jiva=個別の魂)と、無知によって引き起こされる願望とカルマの影響に関わります。すべて創造的な活動は、人間 (Jivas) に彼らのカルマの果実を齎し、最終的には、彼らを無知と再生から救うことになっています。このように、人間 (Jiva) の性質、救済の方法、創造の目的などは、この話題のもとで語られるでしょう。それはまたユーティ(人間のカルマ的傾向)としても表現されます。
(10)アパーシュラヤ(至高の支え)。これは至高の存在 (Ultimate Being) にして支柱の中の支柱である神 (God) です。 前述したすべての出来事と相対的な世界のプロセスは、彼の中で、そして彼の意志によって生まれます。プラーナで論じられる先に触れた様々なテーマは全て、主の卓越性の概念を人々に齎すこことになります。そして人々に主への信仰を引き起こすことでしょう。

プラーナ文献全編にわたって、往古において、歴史、地理学、天文学、自然科学、社会学などがいかに理解されていたかを示す重要な題材が散見されることでしょう。プラーナのこのような記述からは、現代のその種の研究にみられるような、事実に基づく何らかの情報は得られません、、しかし私達に、自然と人、そして神聖な人々のすべての働きは、至高者の栄光を宣言するものであり、それは主の全能、全知そして救済の愛の感覚を私達に齎します。
かなり遅れて編纂されたブラフマヴァイヴァルタ・プラーナは、プラーナで扱われるテーマのリストを、次のように作り直します: スリシュティ(最初の天地創造); ヴィスリシュティ(第2の天地創造); スティティ(世界の維持); パラナ(人類の保護と救済);カルマ・ヴァーサナ(行為の潜在的な傾向); マンヴァンタラ(マヌの話); プララヤ・ヴァルナナ(世界の終滅の話); モークシャニルパナ(解脱論):ハリ(ヴィシュヌ)・キールタナ(ハリ神の物語);そしてデーヴァ・キールタナ(神々の物語)。
ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナは、約A.D.8世紀から16世紀にかけて増広してきた、最も新しいプラーナの一つです。そして聖仙と国王の家系についての記述が取り除かれ、新奇な内容の付加は、聖仙と国王の古代の王朝の重要性が見出せなくなった結果です。

バーガヴァタのプラーナ文献における位置


では、この巨大な宗教文献群におけるバーガヴァタプラーナ (Bhagavata Purana) の位置とはいかなるものでしょうか? それが18種のマハープラーナの伝統的なリストに含められることは指摘されるでしょう。しかしこれは、デーヴィー・バーガヴァタ (Devi Bhagavata) によって異議が提出されました。そこでは(女神崇拝を説く)デーヴィー・バーガヴァタこそがバーガヴァタ・マハープラーナであり、ヴィシュヌ神のバーガヴァタ (Vishnu Bhagavata) はウパプラーナである、と格下げしたのです。 Hazra 教授 (Prof. Hazra) によれば(Cultural Heritage of India, Vol. II, p. 281 )、デーヴィー・バーガヴァタ (Devi Bhagavata) の成立は、12世紀と非常に遅れており、それは、我こそはバーガヴァタであると語っているかのように、マツヤ、スカンダそしてアグニ・プラーナ中のバーガヴァタの記述の特徴を入念に組み入れています。こうしてその自身のシャークタ派の思想を巷間に広める威信を獲得したのです。もしどんな理由であれデーヴィー・バーガヴァタ (Devi Bhagavata) のクレームを受け入れるなら、ヴィシュヌ・バーガヴァタ (Vishnu Bhagavata) の地位はウパプラーナではなく、超プラーナ (Super - Purana) であると言い得るだけです。なぜなら、その卓越性は、人々の心から、他のプラーナの存在全てが忘れ去られるほど、筆舌に尽くしがたい本質を有していたからです。そして、全ての信者たちに広く学ばれ、あらゆる学派の学者によって解説され、インドの様々な言語は言うに及ばず、英語にまで翻訳された一書なのです。それはヴィシュヌ派 (Vaishnava)に属するものであり、そのために、ある意味宗派的ではありますが、それは狭量で排他的なものではありません。それはむしろ、各自が選らんだ神格に対しての専心と信仰を引き出すものなのです。信仰の規範となる崇高さ、熱情そして包容力がそこで説かれています。そのサンスクリットの言いまわしは、品位があり、高尚で簡潔です。そして叙情的な美しさに満ち、詩的なイメージに富んでいます。これほどのプラーナはどこにも見当たりません。それは疑う余地なく、インド文学の、そして霊的な天賦に満ちた最も素晴らしい作品の一つです。