(1)スータは語りました:
おお シャウナカよ。このようなデーヴァリシ(聖仙)の出生と霊的な努力の物語を聞いて、 サティヤヴァティーの息子である偉大なるリシ、ヴィヤーサは再び彼について次のように尋ねました。
(2)ヴィヤーサは語りました:
あなたを霊的な智慧に導いた苦行者が出立したとき、あなたは、ほんの子供でした。あなたはそこでどうしたのでしょう?
(3)いかにして、おおブラフマーの息子(自ら生まれたもの)よ、あなたはその後の生涯をどのようにおくられたのでしょうか? そして時が訪れたとき、どのようにして死すべき運命にある束縛を脱ぎ捨てたのでしょう?
(4)最も重要なことは、全てを破壊する時が、なぜあなたの前カルパにおける存在の記憶を消しそこなったのでしょう?
(5)ナーラダが答えました:
私を霊的な智慧に導いた苦行者達は、去っていく時に、私が幼いことを心配しておりましたが、私はそれから次のようなことを行いました。
(6)私は一人っ子であり、母は無知な女性であり、おまけに奉仕する召使でした。彼女は、一人息子であり彼女に頼る以外にない私への強い愛情で縛られていました。
(7)彼女は心を砕いて、私が望むものを与えようとしたり、将来に備えてくれようとしたのですが、思い通りには行きませんでした。この世は、糸によってコントロールされる操り人形さながらに、まさにその支配者である神に服しています。
(8)彼女への配慮から、私はバラモンへの奉仕をつづけました。 私はたったの5歳だったので、四方位はおろか、時間や空間の概念さえもありませんでした。
(9)ある晩、彼女はミルクを搾りに家を出ました。これが運命なのでしょうか、途中彼女はヘビを踏みつけ、無力な女性は噛まれてしまいました(そしてこれは彼女に早過ぎる死をもたらしました)。
(10)私はそれを、信者の福利を気遣う主からの恩恵として受取りました。そして北へ向かって一人で旅立ったのです。
(11-14)私はその遍歴の中で、繁栄した国、都市、村や牛飼達の仮住まい。鉱山、村落、山と川の際にできたまばらな住居。囲いのある農場や果樹園と庭園、様々な彩りに魅力的な山々。象によって倒された木々、心地よい水に満ちた湖。神々がたびたび訪れ、様々な鳥のさえずりが聞え、(あちらの蓮の苗床やこちらへと飛び交う)ミツバチの羽音が美しさを引き立てていた蓮の池などを通りすぎました。
たった一人で遍歴して、私は、い草、竹、アシ、クシャ草とうつろな竹とが密集している広大で深い森が見えるところへ来ました。そこは大蛇、梟そしてジャッカルなどが徘徊している場所でした。
ナーラダの聖なる見神とその後(15-29)
(15)心身ともに疲れ果て、渇きと飢えに襲われて、私は川の淵で沐浴し、その水を飲み、口を漱いで人心地つきました。
(16)その森に人影は無く、私はインド菩提樹の根元に座り、心の中で(かつて私の師から伺っていたように)主を静かに瞑想しました。
(17)まさに主への愛に圧倒されながら、主の蓮華の御足を瞑想していると、シュリー・ハリ(ヴィシュヌ)にお会いしたいという私の願いに応えるかのように、主は私の心に徐々に姿をお顕わしになり、私の両の目には涙があふれました。
(18)私の髪の毛は、主への愛の噴出によって逆立ちました。そして私の心は、凄まじいまでの歓喜と共に、安らぎに満たされました。恍惚の奔流に飲み込まれて、おお賢者よ、私は自分自身と知覚の対象(シュリー・ハリ)の意識を共に失いました。
(19)魅惑に満ち、全ての深い悲しみを払いのけてくれる筆舌に尽くしがたい主のお姿がついに観られなくなったときには、混乱し、不安で座から立ちあがりました。
(20)「もう一度主の御姿を見たい」、と強く願い、私はハートに心を集中して、それを求めましたが、主の御姿をもはや見ることはできませんでした。私は、願いが満たされていない人のように惨さを感じました。
(21)このようにして寂しい森で一人もがく私に、言葉を超えた主は、荘厳な中にも優しさを湛えて、私の深い悲しみを和らげるかのように語ってくれました。
(22)「ああ! 今生では、まだお前は私を観るにはふさわしくない。なぜなら、ヨーガ(信仰)の完成に達していない人々が、私を知覚することは困難だからである。心の穢れがすべて焼き尽くされていなければならないのだ。
(23)私がたった一度だけお前に姿を現したのは、私に会いたい、という燃えるような願望を起こさせるためだったのだ。私に会うことを熱望する人々は、次第に、しかし完全に、自分のすべての潜在的な願望を振り落とす。
(24)たとえそれが短い期間だったとしても、聖者への奉仕を通してお前の心は、確かに私に繋がったのだ。それ故に、このふとどきな(物質)肉体を捨てる時、お前は私の従者となるであろう。
(25)このように、私に確立した思いは、決して止むことはない。そして私の恩寵によって、創造全体が滅んでも、私を忘れることは決して無いだろう。」
(26)一切の支配者で、エーテルとして偏在しているその偉大で不可視なる存在は、以上のように簡潔に語りました。彼の無比の恩寵を理解して、私は偉大なるものの中でも最も偉大なるものに礼拝致しました。
(27)すべての臆病を振りはらい、私は今、神秘的で吉祥に満ちた御名を唱え始め、無限の主の偉業について心を集中しました。すべての願望を放棄し、自惚れと嫉妬を捨て、心の底から満足して、死の時を待ちながら私は地上を遊行しました。
(28)執着なく、このように清浄なる心を持ち、シュリー・クリシュナに心が専心していた私に、死が、ふさわしい時に雷光ように訪れました、おお神聖な賢者よ 。
(29)私が今にも主の従者としての非顕現なる姿に移らんとしている時、前世の因縁によって形成された報いを受けるべき肉体は落ちました。
ナーラダの変容(30-39)
(30)前のカルパの終焉において、主ナーラーヤナが、宇宙全てを浸す洪水の水の上にまどろまれた時、全ての創造物は彼自身の中に溶解していきました。そして(ナーラーヤナ御自身のへそから生えた蓮の中から生まれた)ブラフマー神も彼の肉体に入りこみ、そこで睡眠をとろうとしている時、私もまた(私の微細な身体は)吸気と共に彼の肉体に入り込みました。
(31)4種のユガ の一千回分の時を経て、ブラフマー神(創造者)が起き上がり、再びこの創造をせんと望んだとき、マリーチと、私を含めた他の賢者は、彼の感覚から現われました。
(33)神を不断に礼拝するという私の誓いは、中断することなく続き、三界という外部の世界だけではなく、内なる世界も歩き回りました。主 マハー・ヴィシュヌ(バガヴァーンナーラーヤナ=原初の人間)の恩寵によって私を遮るものはどこにもありませんでした。
(33)音の形で現れたブラフマンを示す基本となる七音階を、主御自身から授けられたこのリュートで奏でながら、私はシュリー・ハリ(ヴィシュヌ)の物語を歌い始めました。
(34)このように彼の偉業を称える歌を歌っているとき、その御足が全ての聖地の象徴である(それら全ての源泉である)喜びをもたらすという名声を持つ主は、程なくして、まるで私に召喚されたかのように、私の心に御自身を啓示なさいます。
(35)主の行為を物語ることは、感覚の喜びを熱望することによって絶え間無く悩まされている人々のための、世俗的な存在の大海を渡る本当のいかだであることが理解されるのです。
(36)常に性欲と貪欲にとらわれている心は、自己制御や主ムクンダ(解脱を授けるもの) の崇拝などの様々なヨーガの実践によって必ず達される平穏に到達することはありません。
(37)おお 、罪無き人よ。私はあなたのすべての疑問、すなわち、私自身の出生の秘密と行い(霊的な努力)、そしてあなたの魂を満足させる方法について、このように答えました。
(38)スータが語ります:
このようにヴィヤーサ(サティヤヴァティーの息子)に語って、聖賢ナーラダは、彼のリュートを奏でながら、達成するべきものは何も無く立ち去りました。
(39)ああ! 神聖なるかの神々しい賢者よ、ヴィシュヌ神(シャールンガ弓の巧者)の栄光が彼のリュートの伴奏で歌われる時、ナーラダ自身が神への愛の酩酊を感じるだけでなく、不幸なこの世界も喜びに輝くのです。