人工楽園



      
   
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「だから、詠唱の順番はそうじゃないとさっき言ったばかりだろう、トリス! ……君は何を聞
いているんだ!?」
 ネスティは、あきれたようにトリスに言った。トリスは、そのネスティの顔を見て、その場に
どたりと座り込んだ。トリスが座り込むと……、辺りを柔らかく風が吹き抜けていった。トリス
は口を尖らせた。
「分かってるわよ! ……何もそんなに、ぽんぽんぽんぽん、怒鳴らなくったって、いいじゃな
い、ネス!」
 ネスティは、やれやれ、と言った風に首を軽く横に振った。
「……君は本当に、相変わらずだな? 少しは成長したかと期待していたんだが……?」
 トリスは、頬を膨らませた。
「ネスこそ、もう少し優しくなってるかと思ったら、相変わらず説教くさいんだもん」
 そう言って、トリスは投げ出した両脚を、草の上でぶらぶらと振った。ネスティは、眉間に皺
を寄せた。
「説教くさくて、悪かったな? ……僕だって、好きで言っているわけじゃない。ただ、君があ
んまり……」
「ネス……!」
 ネスティの言葉を遮るようにして、トリスがふいに彼の名前を呼んだ。
「な、何だ、トリス?」
 その様子に少々気圧されてネスティが彼女の顔を見ると、トリスは口をヘの字に結んだ。
「……本当に、あたしたちのいるところに、戻ってきてくれるの?」
 トリスにそう言われて、ネスティは慌ててうなずいた。
「ああ、本当だ……。そのために、君には今、そういう風に世界を書き換える術を覚えてもらっ
ているんじゃないか……?」
 トリスは、ネスティの顔を凝視した。
「……本当に?」
「……僕が君に嘘をついて、何の得があるというんだ?」
 ネスティはそう言って、微笑んだ。トリスは、少し頬を膨らませた。
「だってネスは、今まであたしにいっぱい嘘をついたわよ? ……怪我をして足を擦りむいたと
きには、'この消毒薬は滲みないから大丈夫だぞ?'っていうから、塗ってもらったのに、……
ものすごく滲みて痛かったこともあったし。夏に風土病が流行って予防注射を打たなくちゃなら
なかったときも、'この注射は痛くないぞ?'って言われて打ってもらったら、ものすごく痛か
ったし」
 ネスティは苦笑した。
「……そんな子どものときの話を持ち出して、人を嘘つき呼ばわりされても困るな……?」
 トリスは、大きく息を吐き出した。
「でも、一番の嘘は、あたしに、あたしの出生や運命を教えてくれなかったことよ?」
 ネスティは、一瞬ぎょっとしてトリスの目を見た。
「……トリス?」
 トリスは、くすりと笑った。
「でもね、いいの。ネスの嘘はいつも、あたしのことを思ってくれたものだったのよね?」
 ネスティは、小さくため息をついた。
「君には済まないことをした。言わなかったのは、必ずしも君のためを思ってのことだけじゃな
い。……恐かったんだ」
 トリスは、え? と言って首をかしげた。
「何が、ネス?」
 ネスティは、そのトリスの首元に手を置くと、悲しげに微笑んだ。
「融機人であることを君に知られて、……君に嫌われることが……」
 トリスは、ネスティの手を取った。
「そんなことくらいで、あたしがネスのこと、嫌いになるわけないじゃない?」
 ネスティは、トリスの目をのぞきこむようにして言った。
「いや、本当は……僕自身が嫌いだった。この半分機械と融合した脆弱な身体も、それから僕の
血液の中を流れる記憶も、何もかもが」
「ネス……?」
 トリスが言うと、ネスティは、再び微笑んだ。
「君が知らずにいてくれることが、僕の救いだったんだ。君が何も知らずに幸せでいてくれるこ
とそれ自体が、僕の救済であり、そして希望だったんだ。トリス……」
 ネスティの手は柔らかくトリスの頬の線をなぞり、やがて彼女の肩を包み込むようにして抱き
しめた。

 アイシテイル……。

 耳元でその言葉が、一音一音身体に吸い込まれていくようにして響くのを聞き、トリスは言っ
た。
「そういえば、あたし、まだ、言ってなかった」
 何がだ、トリス? と、ネスティの声は、トリスの頭の中で、また、柔らかく響いた。
「……大好きよ、ネス。ねぇ?」

 ん?

「ネス、ちょっと、首元を見せて」

 どうしてだ?

「……いいから、ちょっと見せて」

 ……分かった。これで、いいか?

「……やっぱり、以前の通りなのね」

 僕のこの身体は、君の記憶の中にあるもの、そのままだからな……。

「ねぇ、ネス?」

 何だ、トリス?

「ネスは、このまま戻って来たい?」

 そうだな……。
 
 ふいに、ネスティは彼女から身体を離した。
「君と同じがいい」
 トリスは、そのネスティの目を見た。
「同じって?」
 ネスティは、トリスの顔真っ直ぐに見ると、微笑んだ。
「君と同じ……人間の身体がいい、できることならば」
 そう、と言ってトリスは、ネスティの半分金属質の素材に覆われた胸元に手を置いた。
「トリス、何だ……!?」
 ネスティがぎょっとしてそう言った瞬間、トリスの身体が白銀色に輝き、やがて光は彼女がネ
スティの胸に置いた手先に集まり、ネスティは光に包まれた。
「……う……っ!?」
 ネスティが、そのまぶしさに思わず目をつぶると、トリスは言った。
「……ごめん、ネス。びっくりさせて……。ねぇ、目を開けてみて?」
 ネスティは、ゆっくりと目を開けた。
「何をしたんだ、トリス……?」
 ネスティの視界には、しゃらしゃらと音を立てて、銀色の粉状の光がまっていた。銀色の光の
破片の中で、トリスは微笑んだ。
「成功したわ!」
 ネスティは、怪訝そうに言った。
「成功って……何がだ、トリス?」
 トリスは、嬉しそうに言った。
「ちょっと、自分の身体を確かめてみて、ネス!」
 ネスティは、首をひねった。
「身体って……え? こ、これは……!?」
 トリスは、にっ、と笑って言った。
「さっきネスに教わったことを、応用してみたの! ……今度は、この身体で戻って来てね、ネ
ス?」
 ネスティは、首から下の自分の身体の感触を確かめた。そこには……彼の顔と同じく白い人間
の肌の感触が広がっているばかりだった。
「……まったく、相変わらず思いつきで無茶なことをするな、君は?」
 ネスティが呆れたように言うと、トリスは頬を膨らませた。
「何よぅ! 成功したんだから、いいじゃない!?」
 ネスティは眉間に皺を寄せた。
「君はバカか!? もし失敗したら、どうするつもりだったんだ?」
 トリスは口を尖らせた。
「失敗しないわよ、だってネスなんだから!」
 ネスティは、少々ぎょっとしながら聞きかえした。
「……どうして、僕だと失敗しないんだ、トリス?」
 だって、とトリスは言った。
「絶対に失敗したくないと思って、身体の意味を組み換え直すから……って、あ、そっか!」
 ネスティは、再度驚いた顔をした。
「な、今度は何がどうしたんだ、トリス?」
 トリスは微笑んだ。
「これくらいの真剣味をもって、世界の意味を書き換えればいいのよね、きっと!」
 ネスティは、苦笑しながら言った。
「……だから、真剣にやれとさっきから言っているだろう?」
「ネス……?」
 トリスは、ネスの顔を見上げた。
「何だ?」
 ネスティがトリスの顔をのぞきこむと、トリスはゆっくりと口を開いた。
「……あたし、真剣よ。だって、'ネスのいる世界'を取り戻すためなんだもん」
「トリス……」
 ネスティが彼女の名前をつぶやくと、また、ざわざわと木々の葉を揺らして風が吹き抜けてい
った。
「今まで、ずっとありがとう。今度は、あたしがネスのために、何かしてあげる番よね?」
 トリスがそう言った瞬間。
「何だ……!?」
 突如、二人の周囲を冷たい突風が吹きぬけていった。ネスティは、思わずマントの裾を軽く引
いた。
「何なの、この風!?」
 トリスが言うと、ネスティは上空を見上げた。
「……いけない、この場所の時空場に、破れ目が出来かけている……!」
 トリスは、ネスティの視界の先を見上げて青ざめた。
「そ、空に黒い雲みたいなものが渦巻いているわ……! どうして!?」
 ネスティは眉間に皺を寄せ上空を凝視した。
「そうか……メルギドスのやつ、……君がここに来たことに気がついて、展開を早めたな?」
 トリスは、ネスティの顔を見た。
「ど、どうすればいいの、ネス!?」
 ネスティは、トリスの両肩に手を置いた。
「……心配しなくてもいい、トリス。君は早く、元の地点に戻るんだ。アメルのいる、大樹の下
に」
 トリスは言った。
「でも、……でも、それじゃ、ネスはどうなっちゃうの? ……また、会えなくなっちゃうの!?」
 ネスティは静かに言った。
「大丈夫。既に賽は投げられている……。君は既に、時空の意味を書き換える端緒を開いた。…
…だから、奴らもそれに気がついたんだ。……ここにいちゃいけない、トリス。このまま世界と
この思念の世界との間の接合が失われたら、君は二度と帰れなくなってしまう……。僕のことは、
心配しなくてもいい。いずれ時が熟したら、再び君に会うことが適うから」
 トリスはネスティの顔を見て、その大きな目に涙をためた。
「……本当に、また会えるの? あたし、どうすればいい、ネス?」
「そうだな、覚えていてくれ、トリス」
 ネスティは、そう言って微笑んだ。
「君は、僕の事を覚えていてくれ。……それだけでいい」
 トリスは、自分の肩に乗せられた彼の白い両手をつかんだ。
「あたしが……、あたしがネスのこと、忘れるわけ、ないでしょう!?」
 トリスがそう叫んだ瞬間、まばゆいばかりの白い風が二人の周囲を吹き抜けていった。

 ……ソウ、ソレデイイ、トリス……。

 彼の声の残響が、トリスの頭の奥に響いていった。



 〜EPILOGUE〜


 柔らかなそよ風が、トリスの周囲を吹きぬけていった。
「……トリス、トリス……?」
 風の合間、優しい声が彼女の名前を呼んだ。
「ん? ……ア、メル……?」
 トリスが目を開けると、アメルが彼女の傍らに、微笑みながら座っていた。
「お茶が入ったわ。……よく寝ていたから、起こすのも悪いかとは思ったんだけど……もうすぐ
夕方になってしまうから……?」
 そう言って、アメルはくすりと笑った。トリスは跳ね起きた。
「あ、あたし! ……どれくらい寝てた?」
 アメルは微笑みながら言った。
「そうね……お昼からだから……四時間近くになるかしら?」
 そう言って、アメルは編みかけの白いレース編みのクロスを横に置いたが、次ぎの瞬間、ぎょ
っとしたように言った。
「ど、どうしたの、トリス……! 何か、悲しい夢でも見たの?」
 そう言って、アメルはハンカチを取り出すと、トリスの目から突然ぽろぽろと流れ落ちてきた
涙をぬぐった。トリスは、アメルの手からハンカチを受け取ると、ぐしぐしと拭いた。
「……なんでもないの、アメル」
 そう言って、トリスは後から後から溢れてくる涙をぬぐい続けた。
「本当よ、悲しい夢じゃない、すごく嬉しい夢を見たような気がするの……。どんな夢だったの
かは思い出せないんだけど……」
 そう、と言って、アメルは静かに微笑んだ。
「……嬉しい夢、だったのね、トリス……?」
 トリスはうなずいた。
「うん。……すごくね、幸せな夢を見たの、あたし……」

 大樹の葉は、夕陽に変わる直前の太陽の気配をはらみ、ひそやかにざわめいていった。
                                    
                                      〜fin〜


 後書き 

 サモナイ2、パートナーED後、再会までの二年間の間に起こった‘事件’という設定を捏造し
て書きました。ネスティが人間の身体で帰ってきた理由を考えて、こうなった次第です。実は、
クリア後一番最初に思いついた話なんですが、何分地味なので、放置されておりました(笑)。
 ……こうして二次創作を書いてみると、ネスティってキャラが立ってますね〜(しみじみ)。
設定の勝利でしょうか。……いえ、自分の文章力で、魅力が引き出せているかどうかは疑問です
が(^^;(2003年6月)。



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