時間の果実



      


   15 約束の場所


 沈黙と静寂が一瞬広間を支配した、と思ったのもつかの間。
 だん、と重たい音がしてゴーレムは立ち上がると、地を割り裂くようなおぞましい叫び声をあ
げた。
「……出てくる気がないならば、それでもかまわん。こちらから、行くぞ?」
 ライオスは、そう言って目を細めてリリーたちが潜んでいる扉を見た。エメはゴーレムの進行
方向に向かって叫んだ。
「ミリュー!? 逃げなさいッ!」
 しかしゴーレムは、甲高い叫び声をあげると、その長い腕を伸ばしてリリーたちのいる扉に手
をかけた。
「……ミリュー、ミリュー、ミリューッ!」
 エメが弟の名前を呼んだ瞬間、ゴーレムは粘着性の物質を口から吐きながら一気に扉を両手で
引き裂いた。
「この化け物ッ!」
 エメはそう言って、白い稲光を呼び寄せ、ゴーレムの頭上に落とした。
 雷が落ちてからややあって、グゲ、と言う声を出しながら、ゴーレムは振り返った。
「……そうですわ。相手は私。こちらに来なさい?」
 エメはそう言って、両手のひらの中に青白い雷光を蓄え始めた。しかし。
「無駄ですよ、エクメーネ?」
そう言って、ライオスはエメの両腕を背後から羽交い絞めにするようにして取り上げた。ゴー
レムは、不吉な雄叫びをあげ再び扉の向こうをのぞき込んだ。
「くッ!」
 振りほどこうとしてエメはライオスの頭上に雷を呼んだ。
 しかし。
「エクメーネ。あなたのその魔力は、すべて私の掌中にあるのですよ……?」
 そう言ってライオスは、エメの呼んだ雷光を瞬時にして自分の手の中に納め、右手の人差し指
の先で玉のように転がすと、薄い笑みを浮かべた。エメは、きっ、とライオスの顔をにらみつけ
た。
「殺せば、よろしいでしょう?」
 きっぱりとした口調で、エメは言った。ライオスはその場で雷光を弄びながら言った。
「なぜ?」
「そのつもりで……、私をさらったのでしょう? ミリューをおびき寄せた以上、私に利用価値
はないはずですわ」
「殺すつもりはありませんよ、エクメーネ……」
 そう言って、ライオスがにじり寄ると、エメは口端を引き結んだ。
「ミリューは我が一族の宝であり、守るべき基幹ですわ。それを守れず、あまつさえ敵の手に落
ちてミリューをおびき寄せる材料になるなど、姉として、いえ、宝珠の守り手の一族の誇りにか
けて許されぬこと。……もはやこの侮辱には耐えられません。はやく殺してくださいな、ライオ
ス?」
 ゆっくり歩み寄りながら、ライオスは少し悲しげな表情を浮かべた。
「……そんなに、私が嫌いですか、エクメーネ?」
「な、何を言ってるんですの、ライオス?」
 エメは目を丸くすると、ライオスの顔を見た。
「好きだと言ってくれたではありませんか、エクメーネ。38歳のときと、67歳のときと、8
9歳のときと、115歳のときと、127歳のときと、143歳のときに?」
「……え……?」
 エクメーネが、その涼しげな瞳を驚愕でいっぱいにして首を傾げると、ライオスは怒鳴った。
「あれほど好きだと言ってくれたのに、あなたという人は、なぜ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださらない、ライオス? 私、そんな覚えは……?」
「全部日記につけてあるんですよ、あなたが忘れても! エクメーネ!」
 そう言って、ライオスは雷を床にたたきつけた。

 他方。
 ゴーレムは扉を破壊した後、リリーたちを追って長い廊下をのしのしと歩いていた。四人は廊
下の曲がり角で、手はずどおりに三方に別れた。
 どん、ごん、と音を立て、付近の調度品や柱を破壊しながらゴーレムは迫ってくる。
「こっちよ!」
 ふいにエルザはそう言って、ゴーレムを呼び寄せた。
 ゴーレムは、グギャア、と言ってエルザの後を追い、リリーとミリューは反対側に向かって走
った。
「エルザさんに、あんな危険な役割をさせてしまって……」
 ミリューがつぶやくと、リリーは笑顔で言った。
「平気平気! エルザはとっても足が速いんだもの! さ、行くわよ、ミリュー!」
「はい!」
 しかし。
「きゃあっ!」
 すばしこいエルザではあったが、ゴーレムが片っ端から壊した調度品の一つにつまづき、転倒
してしまった。
「ゲ……ゲ……グゴォ……ッ!」
 ゴーレムが不吉な声をあげてその太い両腕を振り上げた、瞬間。
「エルザ! 逃げてッ!」
 リリーはゴーレムの背後に回りこみ、フラムを数発怪物の足元に投げつけた。
「……グ、グ、ゲ……?」
 爆音に反応したゴーレムは、巨大な一つ目を血走らせて振り返った。
「……ミリュー、下がって!」
 リリーが叫ぶと、ミリューは泣きながら言った。
「で、でも、リリーさん、ここじゃ近すぎますよ!」
「いいから、あたしなら平気! ……それぇっ!」
 廊下中を、甲高い氷結音が長く尾を引くようにして響き渡った。
「……うっ……」
 リリーは思わず顔を覆った。
「やった、かしら……?」
 恐る恐る彼女が目を開けると、そこには……。
「や、やりましたね、リリーさん!」
 ミリューはその大きな目を輝かせた。
 目の前の岩石巨人の足元は、リリーがはなった強力なラングレヘルンのために凍りつき、身動
きが取れなくなっている。
「うん! あとはヴェルナーにまかせ……って、ええっ!?」
 ゴーレムはのけぞるようにして大声をあげると、すぐさまべりべりと氷から脚を引き抜いてし
まった。
「……うそ……」
「リリー、撤退しましょう!」
 呆然とするリリーに、エルザが怒鳴った。だが、すでに両脚を引き抜いたゴーレムは、その長
い両腕をリリーに向かって伸ばしている。
「きゃあっ!」
「伏せろ、リリーッ!」
 そのとき、やや高い位置の横断廊下の上に陣取っていたヴェルナーが怒鳴り、同時にサジエス
によって神聖語を書き込まれた翡翠が、ゴーレムの目に当たった。
「グギャアッ!」
 ゴーレムは獣じみた叫び声をあげたが、すぐさまそのおぞましい光を放つ目をかっと見開き、
ヴェルナーをにらむと、傍らにあった彫像を投げつけた。
「……おっと!」
 ヴェルナーが身をかわすと、彫像は壁に当たってたちまち砕け散った。
「チッ、外したか……くそ」
 ヴェルナーは階段の手すりの下にいったん身を潜めると、投げ縄を取り出して二、三回しごい
て感触を確かめた。
「ヴェルナー、いったん引きましょう、逃げて!」
 階下からリリーの声がして、ヴェルナーは顔を上げると怒鳴り返した。
「いいから、おまえはそこをどけッ!」
「ヴェルナー!?」
 リリーが声を上げたときには、ヴェルナーは投げ縄を反対側の横断廊下の手すりに投げ絡ませ
た。
「せいやッ!」
ヴェルナーは、勢いよく縄にぶら下がって振り子のように身をおどらせた。と次の瞬間、廊
下に落ちていた翡翠を右手でとり上げ、そのまま縄にぶらさがったままゴーレムの額の文字に投
げつけた。
「ウ、ウ、グ、ル、ル、キ、キシシシャアアアアアアアアアアア……!」
 ヴェルナーのはなった翡翠は'EMETH'の文字の頭、'E'を的確に消し去った。
 '真理'から'死'へと命令が書き換えられたゴーレムは、断末魔の声をあげて猛り狂いなが
ら、どぶどぶと嫌な音をたてて廊下の上で溶けて崩れ落ちた。
「……ふぅ、やったな……」
 ヴェルナーが額の汗をぬぐうと、リリーは笑顔で言った。
「すごい、やればできるじゃない、ヴェルナー!」
「やればって……どういう意味だ?」
 少々不愉快そうにヴェルナーが言うと、ふいに広間のほうから絹を裂くような叫び声があがっ
た。
「姉様ぁっ!」
 ミリューは、それを聞いて広間に飛び込んでいった。

*


 広間の王座の前では、エメがぐったりとして目を閉じたまま、空中に浮かんでいた。
「姉様に何をするんですか、ライオスさん!」
 ミリューが叫ぶと、ライオスは目を細めた。
「……ミリュー。ゴーレムを倒すとは、成長したものだ……。しばし形勢を立て直すこととしよ
う。エクメーネは、連れて行くぞ?」
 そう言ってライオスが、ぱちん、と指を鳴らすと、エメの身体の下には青白い魔方陣が浮かび
上がった。
「やめろっ! ……うわあッ!」
 走り寄ろうとしたミリューは、見えない壁にぶつかって弾き飛ばされた。
「無理だ、ミリュー。この結界は、この'知識の果実'とエクメーネの魔力を併せて作り出した
もの……。貴様の力では決して破れぬ……」
「ね、姉様をどこに連れて行くんですかッ!?」
 顔の擦り傷をぬぐうと、ミリューは怒鳴った。
「……約束の場所へ」
「約束、の……?」
 ミリューが尋ねると、ライオスは微笑を浮かべた。
「そう。……それでは、さらばだ、ミリュー!」
 ライオスがそう言って右手を高々と上げると、魔方陣が目のくらむような光を放ちはじめた。
それはぐるぐると竜巻のように旋回し、やがてすっぽりとライオスとエメの身体を包み込んだ。
「姉様ぁーッ!」
 ミリューの声が、広間中に反響していった。



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