暴走天使日記
〜激闘! 波乱の港編〜



      
     
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 ファナンに来てから、あたしはとっても気分がいい。
 いつもあたしのトリスちゃんの後を、金魚のフンみたいについて回っている陰険メガネが怪我
をして、あまり動き回れないからだ。ご厄介になっているここの宿主のモーリンさんは、お節介
なことに、あの鉄錆くさい説教メガネの怪我を、ストラを使って治療してしまった。
 ったく、虚弱体質のくせに、見栄張って、カッコつけやがって、あのメガネ。
 大袈裟に叫び声を上げて、トリスちゃんの気を引いていた。演技くさいったら。
 しかし、考えようによっては、これはいい機会だ。あたしは一計を案じることにした。

*


「すいません、ネスティさん、入ってもいいですか?」
 あたしが扉の外で声をかけると、虚弱メガネはいつものように気取った声で答えた。
「かまわない」
「失礼します」
 そう言って、あたしは口元がにやけるのをこらえつつ、平静を装いながら部屋に入った。部屋
の中で、陰険メガネは読みかけの本を、ぱたん、と閉じてあたしを見上げた。
「どうしたんだい、アメル?」
 投げ出された気取りメガネのズボンの裾は少しだけ巻き上げられ、包帯が巻かれている。あた
しは笑顔で彼の傍らに座ると、手にしたお盆を横に置いた。お盆の上では、ティーカップが薄い
湯気を立ちのぼらせている。あたしはいつものような調子で言った。
「湿布を取り替えに来ました。それから、あの、あたし、さっきモーリンさんに教わって……、
薬を煎じてみたんです。腫れがはやく引くらしいですよ。ネスティさん、これ、飲んでください」
 そう言って、あたしはお盆を鉄屑メガネの方に、ずっ、と押し出した。
「……ほう、それは……すまないな」
 そう言って、慇懃無礼メガネは、両方の口端を儀礼的に持ち上げると、ティーカップを手にし
た。あたしは、さらににっこりと微笑むと、紙袋から湿布を取り出した。
「これぐらい……たいしたことじゃありません。ネスティさんには、いつもお世話になっていま
すし。それにあたし、みなさんにはご迷惑をかけっぱなしで……せめてこれくらいはお役に立ち
たくって」
 そう言って、あたしは片方の肩を落とすと、憂いを含んだ表情でせつなそうに微笑んでみせた。
これにより、(1)あたしの華奢な肩の線が強調され、(2)さらにそれによってこの微笑みの
悲哀感が強調され、(3)結果として、あたしのけなげさとはかなさが同時に強調されることは
実証済みだ。しかし。
 陰険メガネは、ん? と言って、いきなり眉間に皺を寄せた。
「……ど、どうしたんですか、ネスティさん!?」
 あたしがそう言うのと同時に、鉄屑メガネは、ティーカップの中の煎じ薬を、ぼちゃん、と横
にあった金魚鉢にあけた。
 水の中はあっという間にどくどくしい紫色に変わり、泳いでいた赤い金魚と黒い金魚は腹を上
にして水面にぷかりと浮かんだ。裏なりメガネはそれを見て、ただでさえ陰気な青白い顔をさら
に青くして怒鳴った。
「……これはいったい、どういうことだ、アメル!?」
「し、知りません、あたし……。あたしはただ、教わった通りにお薬を煎じただけなんです!
本当です、信じてください、ネスティさん!」
 あたしはそう言って斜め四十五度の角度から腐れメガネの顔を見上げると同時に、両手を胸の
前で、ぎゅっ、と組み合わせた。これら一連の動作により、(1)あたしの黒目がちな瞳が一層
大きく見え、(2)同時に手の小ささと指の美しさが強調され、(3)その結果として、あたし
の純粋無垢さと無力感が強調され、「守ってあげたくなる感じ」が強調されることは実証済みで
ある。
 が。
 気取りメガネは、無表情であたしの腕をつかんだ。
「あ……何を!?」
 あたしはそう言って、慌てて下唇をきゅっと噛みしめると、涙の粒がこぼれそうでこぼれない
程度に目の端で溜まるように表面張力に気を配りつつ、潤んだ目で上目遣いにクソメガネを見上
げた。これによって……以下、同文。しかし。
 がたん、という音がして、あたしの服の袖口から、鉄のハンマーが滑り落ちてきた。鉄錆メガ
ネは、無言でそれを拾い上げると、嫌味ったらしいゆったりとした動作であたしの目の前に置い
た。
「……これは何だ、アメル?」
「し、……知りません!」
 あたしは下唇をいっそう噛みしめると……以下同文。しかし、陰険メガネは、眉一つ動かさず
に、低い声で言った。
「君はいったい……、何者なんだ、アメル?」
「え?」
 あたしは、大袈裟に驚く振りをして目を大きく見開いた。鉄錆メガネは、淡々と言った。
「しらばっくれるんじゃない。君のその力、立ち居振る舞いその他には、単なる癒しの聖女と呼
ぶには少々疑問の残る点が多すぎる。君は本当にリィンバウムの人間なのか? ……正直に、話
してもらおうか?」
 あたしは……、ふっ、と笑うと髪を軽く掻き上げた。
「ったく、これだから機械野郎はやりづらいのよね?」
 鉄屑メガネは、ぎょっとしたような顔であたしを見た。
「なっ!? 何のことだ?」
 あたしは、くすり、と笑うと目を細めて慇懃無礼メガネの顔を見た。
「……あんたこそ、しらばっくれるんじゃないわよ。あんたが融機人だなんてことはね、最初っ
からバレバレなのよ! あ〜あ、あんたらって、鉄屑くさくって、理屈っぽくって、一緒にいる
と吐き気がしそうだわ〜」
 陰険メガネは、唇をかみしめてあたしの言葉を聞いていたが、ふいにぼそりと言った。
「君は……僕に何をするつもりだったんだ? ……あの薬で、殺す気だったのか!?」
 あたしは首を横に振った。
「死なないわよ、あんな薬じゃ。あの金魚はね、ちょ〜っと意識をなくしてるだけなの。せっか
く、痛くないようにって配慮してあげたのに、無粋な鉄錆野郎よね? ったく、こんな嫌味説教
男に人生の半分以上べったり一緒にいられて、トリスちゃんもかわいそうよね〜。だ〜か〜ら〜、
ちょっと脚をへし折って、しばらくの間後を追い回せないようにしとこうと思ったのに。変なと
ころ、カンだけはいいのね、あんた。ま、いいわ。あんただって自分の正体をバラされたらマズ
いんでしょ? 痛み分けってことで、特別に教えたげるわ。あたしはね……」
 そう言って、あたしは立ち上がった。同時に、しゅるしゅるという音がして、あたしの身体か
ら光が放たれる。久しぶりに「これ」をやるわね。まあ、腐れメガネを脅すには十分でしょうけ
ど。
「な……!?」
 気取りメガネは、メガネがずりおちそうになるほど目を見開いてあたしを見ている。あたしは、
にやり、と笑うと一気に呪文を唱えた。たちどころにあたしの胸は引っ込み、腕や脚は長くなり、
先ほどまで着ていた洋服は白いローブに形を変え、ゆったりとあたしを包んだ。
「……どう? これがあたしの正体ってわけ」
 そう言って、男性体になったあたしが見下ろしてくすりと笑うと、鉄屑メガネは、そのメガネ
の位置を直した。



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