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マリーたちがザールブルグを出発してから、数日。
延々と、雪原が続いていた。グラッケンブルクへと向かうこの道は、一般人の通行を禁止され
てしまっているため、その白雪には足跡一つない。クライスはため息をつくと、西に傾きかけた
太陽を仰ぎ見て、風除けに羽織ったマントのフードをぱさりと下ろした。
「……そろそろどこか野営できる場所を探しましょう、マルローネさん。マ、マルローネさ
ん!?」
「きゃー! シグザール金貨みっけ! あ、ここにも! こっちにも落ちてるわ!」
彼が振り返ると、そこには見事な金髪を乱雑に振り乱し、必死で金貨を拾い集めている憧れの
人の姿があった……。
「すごいですね! こんなにたくさん落ちているの、初めて見ました!」
そう言って、傍らではエリーもまた、マリーに負けるとも劣らぬ速さで金貨を拾い集めている。
「マリー、そんなに慌てて集めなくっても、他に誰もいないわよ?」
そう言ってシアはくすくす笑ったが、クライスは……、無言で立ち尽くした。
……い、嫌な目の光だ、二人とも……。そうか、彼女たちは私のようにアカデミー入学時首席、
在学時首席、卒業時首席、マイスターランク入学時首席、在学時首席、修了時首席、さらに特別
寮住まいから賢人会の研究棟へという輝かしい経歴をもつ人間と違って……ともに入学時最低
成績、寮入居権なし、の底辺生活を味わった身……。恒産なくして恒心なし、すべては貧乏人の
性という訳、ですか……。
「ちょっとクライス! そこで嫌な目つきでぶつぶつ言っていないで、ちゃっちゃと金貨を拾い
集めるのを手伝ってよッ!」
きっ、とにらんだマリーを見て、クライスはやれやれといった顔をした。
「……浮かれて金貨を拾うのも結構ですが、少しはおかしいとは思わないのですか、マルローネ
さん?」
「へ? 何がよ?」
「このドムハイト領内は、シグザール領内と比べて空気が乾燥しており、しかも冬場でも比較的
気温が高いのです。……ここまで雪が降る、というのは非常に珍しいことです」
「たまには、そんな気候の年だってあるわよ!」
「いえ、人の話は最後まで聞いてください、マルローネさん。先ほどから道の傍らに見えている
背の低い木々、これはヒルテン杉の葉です。マルローネさんの足元にもあるでしょう?」
「それが、どうしたのよ?」
「この木は通常、この気候帯の山道付近ではもっと高い位置まで伸びています。ということは、
われわれは雪のおかげで、本当ならば木の枝が生い茂るあたりの高さを歩いている、ということ
になります」
「で?」
クライスは、マリーの背後に生えていた木の枝をしげしげと眺めた。
「なるほど、樹齢にして百年は下らない大木のごく上の部分でしょう。このような木の枝には、
往々にして」
「きゃああっ! マリー! 後ろ! 後ろ!」
シアが叫び、マリーが振り返ると、そこには……。
「ぎゃああっ! 怪鳥アードラ!? ど、どうしてこんなところに?」
マリーは金切り声を上げたが、クライスは淡々と言った。
「……ほう、希少種、ですね。最近は滅多に見られなくなったという話ですが……うわっ!」
アードラはその巨大な羽根を羽ばたかせ、一行に強風を送り込んできた。
「馬鹿! 感心している場合じゃないでしょ!?」
「と、ともかく、この手の鳥は、光るものを収集する性癖があります。おそらく、マルローネさ
んが集めた金貨は、その……」
「あいつの、巣に集められていたっていうの!?」
「おそらくは……。あの化け物鳥からしたら、われわれは巣に侵入し、宝物を奪おうとしている
敵なのです。早く立ち去らなくては……くっ!」
アードラは金属質の金切り声を上げ、ばさりと翼からすさまじい勢いの風を送ってきた。それ
に飛ばされたクライスは、転がって雪の断崖に落ちかけた、のをマリーは腕をつかんで止めた。
「……マルローネさん!?」
「クライス! そっちの枝につかまんなさいよッ! ……よ、い、しょっと!」
「……も、もう大丈夫です。マルローネさんも、こちらに来てこの枝に……」
しかし、マリーは振り返ると風に目を細めながら怪鳥をながめた。
「たしかあの鳥の羽根は……、いーい薬になるんだったわね?」
「無茶ですよ、マルローネさん! われわれは人命救助を第一の目標として装備を整えているた
め、兵器の類は手薄、剣を扱える人間もおらず、しかも、ここの足場は脆弱です。ここは、あの
鳥のテリトリーを速やかに離脱するのが……」
しかしクライスの静止を振り切って、マリーはアードラをぎろりとにらんだ。
「あんな鳥、この杖があれば十分いけるわ! クライス、シア、下がってて!」
「マリーさーん! 援護します!」
横手からエリーの声が飛んだ、と同時に雪原を光の穂がなで上げて行った。それは轟音を上げ
て怪鳥の送り込んできた強風とぶつかり合い、垂直方向に巻き上がっていった。クライスは冷や
汗をかきながら振り返った。
「……エルフィールさん! 足場がよくないこの場所で、杖の力をあまり使うと……!」
しかし、マリーはクライスを押しのけるとメガフラムを片手に怒鳴った。
「エリー、もういいわ! そこどいて!」
「マリーさん、分かりました!」
「ああっ! マルローネさん、 そこで爆薬を使っては!」
クライスの静止も空しく、周囲には爆音が響き渡った。
「……やった!?」
マリーは両手を握り締めて見たが、辺りは一面煙幕が上がり、何も見えない。
「……ゴホッ! マリーさん、アードラを倒せたんですか!?」
エリーの声がした、そのとき。
世にも恐ろしい怪鳥の金切り声が周囲に木霊し、声の主が煙の向こうから巨大な翼をはためか
せ、一行をにらみつけている巨大鳥の姿が現れた。
「あ……わ……わ!?」
と言って、マリーが後じさりすると、
「生きて、いますね……?」
そう言って、クライスが生唾を飲み込んだ。
「後、何発撃てばいいんですか!?」
と言ってエリーは杖を構えたが、次の瞬間、絹を引き裂くような声が飛んだ。
「……いいかげんにしてぇーッ!」
「シア!?」
そのとき。
「あ! シアさん、駄目です! そこは一番足場が脆……!」
と言ってクライスが静止しようとするのと、
「ギィギャアアアアアアアーッ!」
と、アードラが世にも恐ろしい断末魔の声を上げるのと、
「……すごい……ハタキの動きが……見えない……」
と、エリーがつぶやくのと、地獄の底からわき上がってくるような轟音が周囲を揺るがすのと
が、同時に起きた。
「マ、マルローネさん、雪崩です! 何かにつかまって、ぶわっ!」
「シア! エリー! ……クライス!?」
四人はあっという間に白い濁流に巻き込まれ、マリーの視界から友人たちの姿は消えた。
*
涼やかな風が頬をなで上げる感触で、マリーは目を覚ました。
……ん? 音楽……竪琴の、音……?
ぽろん、ぽろんと優美な調べが、心地よい風とともに身体を包み込んでいく。
……あたし、どうしたの……。そうだ……、雪崩に巻き込まれて……でもここは……あったか
いわ。
マリーは、薄く目を開けた。頭上には、雲一つない青空が広がっている。
……ここ、どこ? あたし……死んじゃったのかな……。
そのとき、竪琴の音が止んだ。
「お気づきですか?」
声にうながされ、マリーは起き上がった。
「……ん……? って、エ、エルフ!?」
マリーの目の前には、金色の髪を肩まで垂らし、黒いローブを着たエルフの青年が優しげな微
笑を浮かべていた。
「はい、いかにも私はエルフ族の者です。……あなたは、このエンクレーヴに落ちてからすっ
と意識をなくされていたので、微力ながらこの竪琴で蘇生の術を送っていたのですが……?」
そう言って、エルフの青年は、その色素の薄い青い瞳でマリーの顔をじっとながめた。
「顔色も良くなったようですね。よかった……!」
「あ、あ、あなたどこ、こ、こ、こ、ここは誰っ!?」
上ずった声でマリーが言うと、青年はくすりと笑った。
「ああ、失礼しました。私の名前はライオスと言います。ここは、エンクレーヴ、時間の飛び地
にあたる場所です、マルローネさん?」
「へ? 何であたしの名前を知ってるの?」
ライオスは、くすりと笑った。
「あなたのお持ちになっていた……、その杖に聞きました」
「つ、杖って、あなた、杖と話せるの……?」
「正確に申し上げるならば、その杖は錬金術の技法により生成されたもの……。術により作られ
たものは、術の使用者をその内部に刻み込むものなのです。私は、それを読みました。ご無礼を
お許しください。エルフ族の古語は、この術の言葉による誓約を正しく用いるために作られたも
の……通常、人の子であるあなた方には読めないのでしょうけれども」
そう言って、ライオスは傍らの台においてあったポットから、白い茶碗にお茶を注いだ。
「さ、どうぞ。ミスティカティです、私はあなたの精神と生命力を呼び戻しましたが、身体の細
部はまだ冷えているはず。……温まりますよ?」
「あ、ど、どうも……」
そう言ってマリーが湯気の立つティーカップを受け取った、そのとき。
「そこのエルフ! マルローネさんを放しなさい!」
「ク、クライス!?」
マリーが振り返ると、クライスが目の前の小高い丘の上からこちらをにらみつけていた。……
杖に寄りかかり、肩でぜいぜいと息をしながら。
「おや、お友達、ですか?」
ライオスがそう言って立ち上がった瞬間、白い閃光が走り、クライスの放ったエーヴィヒズィ
ーガーは、正確にライオスの脳天を直撃した。
*
翌々日、夕刻。
……グラッケンブルク、黒くま亭。
数時間前に吹雪へと変わった天候は、ますます荒れ模様になっていた。
「そう、それは心配ね?」
フレアはカウンター越しにエリーの顔を見て、ため息をついた。
「はい。怪鳥に襲われた後、雪崩はすぐに収まったんですけど、その場からクライス先輩とマリ
ーさんがいなくなってしまって……」
シアは、フレアの淹れてくれたお茶を一口すすると、小さくうなずいた。
「たぶん、マリーのことだから大丈夫だろうとは思うんだけど……」
エリーはシアに笑顔を向けた。
「そうですよ、シアさん! マリーさんならきっと無事ですよ! もし万が一途中ではぐれるよ
うことがあったら、グラッケンブルクのフレアさんのお店で落ち合う約束をしていたじゃないで
すか。だから……信じて、待ちましょうよ?」
フレアは、ティーポットに再びお茶を注ぎながら、ぽつんと言った。
「……また、なのね?」
「何が、また、なんですか、フレアさん?」
不思議そうな顔をするエリーに、フレアは言った。
「実は、このところ……この街の周囲で行方不明になる人が増えているの」
「それって、雪崩で遭難とか、そういう類のこと、ですか?」
「いいえ。……それならまだいいのだけれども……。この間、ハレッシュの仕事仲間もいなくな
ったわ。なんでも、商人の護衛で街を出てすぐ南に下った辺りで……、突然、消えてしまったそ
うなの」
「消えた……!?」
シアが目を丸くすると、フレアはカウンターの上に頬杖をついた。
「ええ。荷馬車の御者を務めていた、お爺さんだけが戻ってきて……。目の前で、まるで空中に
吸い込まれるみたいに、商人と護衛と二人とも、ですって。そこのカウンターの前に座って、震
えながらそう言ってたわ」
フレアはそう言って目を伏せた。
「だから私、あの人が……ハレッシュが心配で……」
「ハレッシュさんは、どこに行ったんですか?」
エリーがたずねると、フレアは再びカウンターから身を起こした。
「オアシスよ。この寒波で、暖房のための燃料が必要だからって頼まれて……」
そのとき。
「フレアさん! 旦那さまは、ハレッシュさんは、帰ってきてる!?」
ばん、と扉が開き、吹雪と同時に褐色の肌の美人が息をはずませながら店に飛び込んできた。
「ロマージュさん!」
エリーが言うと、ロマージュは一瞬顔をほころばせた。
「エリーじゃない! 久しぶりねぇ……って言ってる場合じゃないわ。ねぇ、フレアさん。……
ハレッシュさんは、ここに来た?」
「いいえ。まだ、帰ってきてはいないわ」
「……そう」
顔を曇らせたロマージュを見て、フレアは顔を青ざめさせた。
「……まさか、あの人の身に何か……?」
ロマージュは長い睫毛を伏せ、うつむいた。
*
クライスは、すまなそうに口を開いた。
「本当に申し訳ありませんでした。実は私が落ちた場所はもっと別の……、暗闇の中だったので
すが、聞こえてきた竪琴の音を頼りに歩いてきたところ、ふいにこの、」
と言ってクライスは青空を指差した。
「晴れ渡った空の下に、出てくることができたのです」
ライオスは静かに微笑んだ。
「別次元のエンクレーヴに落ちたというのに、この竪琴の音を聞き分けるとは……、あなたもた
いした力をお持ちですね、クライスさん……痛っ!」
転んだ際擦りむいた肘に薬を塗ってもらい、ライオスは一瞬顔をしかめた。
「ごめんなさいね、ライオスさん。クライス! あんた、なんて早とちりなことをしてくれるの
よッ!」
ライオスの治療にあたっていたマリーは、怒鳴った拍子に傷口に消毒薬のついた布をねじ込ん
だ。
「……うぐあぁっ……!?」
「マルローネさん! それは治療ではありません、暴行です!」
あわててクライスが言うと、マリーは手を離した。
「あ、ご、ごめんなさい! 痛かった? 痛かったわよね? もう、でもクライス! 元はと言
えばあんたが悪いのよ!」
「ですから、私はさんざん謝罪したではありませんか!?」
「……お、お二人とも、喧嘩はやめてください。クライスさんも、お気になさらずに。私ならば
大丈夫です。ほら、転んだ拍子に擦り傷をつくった以外には、どこにも怪我はありませんし」
苦笑しながらライオスが言うと、マリーは彼の顔をしげしげとながめた。
「そう言えば……、まったくダメージを受けていないわね?」
「はい。魔法攻撃には……慣れていますから、子どものころから」
ライオスは、そう言って遠くを眺めた。
「……電撃かぁ、ははは……懐かしいなぁ、ははははは……」
マリーは小声でクライスに言った。
「ク、クライス、この人やっぱり、当たり所が悪かったんじゃない?」
「……いえ、魔法ダメージは見事なまでに受けていません。ものすごい耐性です、この方は……」
また、涼しい風が吹き抜けていった。
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