■碧海猿渡駅第3展示室

その3:電車、気動車の臨時列車

●自力回送電車3種

2005.7.28〜30、JR西日本へ譲渡されるJR東日本武蔵野線用103系の輸送が行われました。間接的には福知山線の脱線事故に関係し、緊急性を要したものと思われますが、本州JR同士の電車の譲渡は事例が少ないだけに大きな話題となりました。同車の移送にあたっては自力運転は行われず、東大宮(操)−吹田で甲種鉄道車両輸送として、JR貨物の機関車が牽引しました。
 珍しがられた103系の譲渡ですが、国鉄時代は全国レベルで車両の転配属が行われ、本州中央部に位置する碧海地区ではそれらが通過するシーンを時々目にすることができました。これらは可能である限り自力運転されるのが当たり前でした。

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。
485系改造サロ1101300回送
総武・横須賀線用に改造されたサロ110が485系に夾まれて東上。

1986年には在来車の改造が大規模に行われ、特急用グリーン車の普通列車への転用も行われました。中間の横須賀色2両が回送対象ですが、6両の485系が伴走する殿様待遇?でした。クモヤ143あたりで夾めば半分の4連にできますが、おそらく交流区間にある工場で改造されたため、交直両用の伴走車が必要になったものと思われます。直流系列に編入されても「サロ」は交流区間の通過が可能だったようです。

高運転台の103系
ATSを仮設した103系5連の回送列車

甲種輸送されて話題となった103系ですが、国鉄時代は東海道線全線にわたって自力運転が行われていました。高運転台のクハ103は神領にはいなかったので中央西線用ではなく、関西−関東間の移動ということになりますが、転属なのか貸出、返却なのか、目的は不明です。前面にホースが見えているのは、装備しているものと異なる保安装置(ATS)の区間を走るために可搬式のものが取り付けられたためです。

2色のクハ111
阪和色、湘南色のクハ111を夾んで回送するクモヤ145

国鉄時代の末期には短編成化が実施され、中間車への運転台取り付けや既存先頭車の異動が行われました。写真の列車は阪和色と湘南色のクハ111が2両ずつ、クモヤ145に夾まれて回送される模様です。
 この当時は列車番号と時刻しか情報がなく、どんな車両が来るかは来てのお楽しみ。左のような103系では「もっといいのが来るかと思った・・・。」でしたが、ユニークな混色編成は「あたり」でした。

381系
「しなの」を表示した381系が刈谷をゆく。

おや?なぜこんなところに「しなの」が・・・。後ろにはクモヤ90が付いています。浜松工場への入場車は日頃ここでは見られない車種も姿を見せました。
 (入場車は「浜松道」駅で特集しています。

キハ65、58系
キハ65、58系による学生の団体列車

団体の出発地または目的地に非電化区間がある場合には大府より東側でも気動車列車を見ることができました。(時には全区間架線の下を走ることもありました。)
 ガラスが曇った車内は暖かそうです。

185系200甲子園臨
前橋商業高校の甲子園臨185系200番台の回送

群馬代表の甲子園臨は185系200番台でやってきました。お客さんは夜行の下り列車のみで、上りは予定臨8102レのスジで回送されることが一般的でした。8102レは1433Mの113系によく被られました。

修学旅行色の167系
小学校卒業前日、偶然捕らえた167系修学旅行色

小学校の卒業式を翌日に控えた1975.3.19、全くの偶然ながら167系の修学旅行色を捕らえることができました。
緊張したのに加え、技量が伴っていなかったため、小さくしか写っていませんでしたが、結果的にはぶれが最小限で済み、トリミング、色補正、アンシャープマスクによって期待以上に観賞に堪えるレベルに蘇りました。

159系修学旅行電車「こまどり」
我が母校の2年後輩達が乗った修学旅行電車「こまどり」

春秋のシーズンに中京地区の中学校の修学旅行電車「こまどり」が運転されていました。12両編成で、2〜3校が乗車しました。私が修学旅行で乗ったときはまだ塗り替え前でしたが、2年後にはすでに湘南色への塗り替えが進み、半々くらいになっています。

気いつけて行っといでん!
いってくるでね!!

この日は我が母校が出発する日で、中学3年だった弟に「写真撮ったげるでみんなで顔出しとりん。」と言ってありました。
 せっかくの修学旅行、オリジナル塗装の方に乗れてよかったと思ったかどうか・・・?「気いつけて行っといでん!」(気をつけて行っておいで。)

キハ58系(非冷房)
まだ冷房が搭載されていない頃のキハ58系による潮干狩り列車

中学1年のゴールデンウイークは当時では珍しかった3連休(5月4日が日曜日になったときのみ)だったのに、雨がちの天候でがっかりしました。それに満足できなかったためか、翌週もカメラ片手に沿線へと出ていました。
 すると、ここでは日頃見られない気動車がやって来るではありませんか。一緒にいた4人(?)で「ディーゼル!!」と歓声を上げました。ストライキの落書きが見苦しく、少し残念でしたが、続けてもう1本の気動車列車がやってきて驚かされました。
 写真は落書きのない2本目ですが、キハ58系にはまだ冷房装置が搭載されていません。先頭車両から乗客が顔を出していますが、列車のスピードが速くなり、空調が完備された現在、東海道線ではほとんど見られない光景になってしまいました。キハ58系5連による団体臨時列車。

美濃太田のキハ20系
この区間では珍しかった気動車列車。キハ20の潮干狩り列車

1976年春のある日、カメラを持たずに線路を眺めていると、不意に気動車の4両編成が現れました。美濃太田(名ミオ)のキハ20,25×3+キハ17でした。客層から日帰りと判断し、カメラを取りに一旦帰り、ダイヤを見て帰ってきそうなところを狙って行ってみると、待ちはしたもののお目当ての列車が帰ってきました。現国道419号線のアンダーパスの工事のために敷かれた仮線も撤去され、(左の写真が仮線の当時です。)積み上げられた枕木によじ登っての撮影です。前向きはコンパクトカメラで目一杯引きつけたためどうしようもないほどぶれていますが、失敗だと思った後追いは遠写しが幸いして救うことができました。
 時期から判断して潮干狩り列車であったと思われます。

80系快速「大島」
海水浴臨時快速「大島」の先頭を務めるクハ85

1976年の夏、時刻表に中央線中津川発愛知御津ゆきの臨時海水浴電車、快速「大島」という列車が掲載されました。中央線からの直通のため何型が使われるのか楽しみでしたが、見えてきたのは残念ながらありふれた80系。しかし、先頭が神領に転属してここでは見られなくなっていたクハ85107であったのは救いでした。
多治見ー名古屋と名古屋ー蒲郡は時刻表ではノンストップでした。

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