名鉄、ライトパープル色の思い出

2001.2.26

■幼い頃の記憶を頼りに

保育園の頃だったか、三河線の電車を「みずいろのでんしゃ」と呼んでいるクラスメートに反論したような気がします。「あれはみずいろじゃない。うすむらさきだよ!」母が言っていた「藤色」ではみんなには通用しないことがわかっていて、他の名前はないのかとしつこく問いただし、ようやく「うす紫」を聞き出したのでした。
 家族で犬山遊園へ行ったとき、遊園地でどんな乗り物に乗ったのかは全く記憶がありませんが、帰りにライトパープルの電車が停まっていたことだけは覚えています。おそらく犬山あたりで乗り換えの電車待ちの最中であったと思いますが、留置されていた電車にみとれていました。
 ヘッドライトが半埋め込みの砲弾形で、(3850系だったのでしょう)それが大のお気に入りだった私は新聞広告の裏が白いものを母からもらい、よくそれを描いていましたが、ライトの形がよくわかるようにといつも真横からの絵でした。

色相変換処理による「塗装変更」最初の作品  

レタッチソフトのガイドブックに出ていた青ピーマンを赤ピーマンにする技法から3780系をデビュー当時の塗装に復元することを思い立ちました。幸い単色同士であるため、入門のトライアルには最適でした。


文献の色合いに惑うことなく幼時の思い出を忠実に

最初の作品、3780系は既存の文献に惑わされて「みずいろ」に近い色づけになってしまいましたが、幼い頃の記憶ではもっと「むらさき」らしい色だったはず。それに忠実な色にしてみました。
原画:広見線、明智ー顔戸をゆくク2759+モ3759

父の日誌によれば犬山行きは1967年4月30日のことです。すなわち私はまだ4才。その当時からテツの魂が宿っていたのです。たまたま(2001年の段階で)4才の姪を見て、こんな小さな頃の思い出なのだなあと思います。その姪はおみやげに買ってきたペンギンのぬいぐるみがとても気に入っているようですが、この子が大人になったとき、はたしてそれを覚えていてくれるでしょうか。

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