昨年(2001年)12月31日のことである。
1通のメールが私が当時、所有していたID(CZR02110@nifty.ne.jp)に届いた。
添付ファイル同封のウィルスメールである。
このソースの1部を公開してみたい。
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Date: Mon, 31 Dec 2001 11:32:30 +0900
From: "publius" <_publius@nifty.com>
To: CZR02110@nifty.ne.jp
Subject: Re:
Received: from mail531.nifty.com (mail531.nifty.com [202.248.37.220])
by ums513.nifty.ne.jp (8.9.3+3.2W/3.7W000811) with ESMTP id MAA28569
for <CZR02110@nifty.ne.jp>; Mon, 31 Dec 2001 12:07:22 +0900 (JST)
Received: from aol.com
by mail531.nifty.com (8.11.6+3.4W/3.7W-09/06/01) with SMTP id fBV2WUK09897
for <CZR02110@nifty.ne.jp>; Mon, 31 Dec 2001 11:32:30 +0900
Message-Id: <200112310232.fBV2WUK09897@mail531.nifty.com>
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12月31日の午前11時過ぎに送信されたメール。私はたまたま、このpublius氏が、ある
方の主宰するpatioで「花田に言及したコメント」を多数、残していることを承知していた。
いくら、ハンドルを変えようが、工夫を凝らそうが、私からみれば、馴染みのある「いつも」
の会員である。そもそも、この会員は、自身が所有するパソコンがウィルスに侵食されて
ぼおっとしているような方ではない。確信的に私に送付したものであろう。
私はこの日のことを今でも記憶している。
12月31日といえば大晦日。それがどんな1年であっても、この日は、それぞれが自身の1
年を振り返り、来るべき新しい年への思いを馳せる、いわばそれなりの特別な日でもある
だろう。その日に、パソコンの前に座り、ウィルスメールを送信する人間。仮にそういうこと
を思うだけならば、まだしも、そのことを実行してしまう人間。こういう人種は、私の現実社
会の周囲にはいない。そのことを私は幸せに思っている。
この会員が普通の日ではなく、大晦日にこのメールを送信したことは、おそらく出した当人
は最後まで気がつくことのない致命的なミステークに直結することになった。
それはそれとして、この日、私は自分の処し方をぼんやりとではあるが、決めたのだと思っ
ている。そのことに8ヶ月かかったと申し上げていいかもしれない。
FSHISOを退会して以来「本当に辞めるのか」という問い合わせが相次いだ。「辞められるは
ずはない」という言外のニュアンスが込められていたものもあった。しかし、実際には至極簡
単なことでもあった。6年間、私はあのフォーラムで「やりたいこと」は「やりつくした」という思
いがある。私なりに筋も通したし、周囲の評価とは全く違うところで、私の倫理観に照らして
私は恥じることをしなかった。その点において思い残すこともなければ、気になることもない。
幸い、何度かオフ会の幹事をさせていただいたこともあって、多くの方に出会い、直接、話を
する機会にも恵まれた。色々な場所で、美味しいものにも巡り合えた。未だに何人かの方と
はおつきあいも続いている。わっと氏は退会にあたって、かなり悪態をついてはいたが、私
からみれば、それは実に不思議な光景だった。氏には「楽しかった思い」など存在しないの
だろうかと感じたものである。
「真面目に遊んだ」という場。それが私にとっての現代思想フォーラムであった。損得などあ
るはずもなく、議論を楽しむにはもってこいの「場」でもあった。自分が6年間、在籍したフォ
ーラムである。楽しませてもらった、人間理解の一助ということも考えれば、多くの参加者は
「あの場」をこよなく大事にしていたと思う。今後も、このフォーラムの隆盛を願わずにはいら
れない。私には、もう、すべきことは思いつかない、ただ、それだけのことである。
10月頃だったか、文庫本を読んでいてもどうも途中で投げ出してしまうことが続いた。
肩が異常に凝る。マッサージを受けても治療をしても、はかばかしい効果がないのである。
ふと、思い当たって、眼科医を訪ねた。医師は二ヤッと笑って
「花田さん、それ、老眼ですよ(苦笑)」
衝撃だった。中学の時から「眼鏡」にはお世話になっているのだが、まさか、こんなにも老眼
が早くくるとは思わなかった。今、私の手元には「遠近両用」と「老眼」というふたつの眼鏡が
ある。老眼鏡を用い出してからは、肩こりからも解放され、読書のペースも通常に戻ったの
だが、FSHISOに入会以来、小説を読むという機会が激減していることに気がついた。
書店で、片っ端から現代作家の作品を傾向も考えずに、濫読するようになった。私の行きつ
けの書店には「花田係」という方がいて、これはという本は選んでもらっている。
特攻の問題はFSHISOで、私の想像を些か超える「反響」があった。別に、花田と意見が異な
るというのは、構わないし、私などそういう「意見」の登場を期待しながら、当時、キーボード
を叩いていたものだが、例えば意見は違っても、私とは入会当時からスタンスの全く異なる
帝都幻想氏とぶつかっていれば、それは歴史の背景に即した、緻密な、読み手にとっても
面白い議論が出来たのかもしれない。
過日、フォーラムの私を知る方と酒を呑む機会があったのだけれど「戦時下において、いや
戦時下に限らず、有益な死、無益な死というようなものが存在するのか、犬死にという表現
は、特攻で亡くなった方を二度殺すようなものではないか」と、その方は主張された。
その説に、私はもちろん同意しないが、酒を呑んでいたこともあって、それに対する有効な
反論を提示できなかったので、これは、何かの折にでもきちんと整理したいと思っている。
幸い、FSHISOで書いていると、書く場には困らないという面がある。それはやはり多くの方
々とやりとりをさせていただくことによって、与えられたものであろう。
退会後、WAKEI氏と東京でお会いする機会があった。別に喧嘩などするという事態にはなる
はずもなく、穏やかに酒を呑み、時々を振り返るという和やかなものである。
「しかし、結局、あれは何だったんでしょうかね」とWAKEI氏。
「あれ」と言われても、色々とあるものだから、真意をお訊ねすると「SYSOP3連発削除」のあ
れである。それ自体、私の中では「決着している問題」だから「何を今更」という気もしたが、
WAKEI氏の中では、これは全然、決着していないことで「動機のない者(そのことによって得を
しない者)はそういうことはしないものだ」と強弁を述べるのである。私は聞いていて、可笑し
くて仕方なかった。
私が出版推進のメンバーだった頃、WAKEI氏と私の間で、10番に関連する話となり「著美さ
んは気が弱いのだから」と氏がそうポツンと述べたことがある。
「人間観察が不得手な方だなぁ」と苦笑したことは言うまでもない。
「花田さんはseitan氏をもう少し評価した方がいいですよ」
WAKEI氏はこうも述べた。私がseitan氏など評価することは、氏にとってもはなはだ迷惑なこ
とだろう。そう述べる理由を訊ねてみた。
「氏は義理深い、Cookie氏絡みの件では、全て私が悪者になる」と言ってくれた。
善人が、何かのために自分を犠牲にして悪者を演じるというならともかく、そんなことではない
のだから、滑稽という他はない。戯言や愚言を「義理人情」と混同してもらっては困るのだが。
私は実際にWAKEIさんは「現代思想フォーラム」というよりは「義理人情フォーラム」でも作り
たかったのではないかと、今では半分くらいは真面目にそう思っている。
まぁ、何はともあれ、面白く、少しばかり奇妙で不思議な6年間だった。
2003年、実は、FSHISOでお世話になった方々に、もう一度、直接、お会いする機会を作らせ
ていただこうと思っている。GUESTは「女性」とだけ、ここでは申し上げておこう。
夏を目処に開催を計画するつもりである。私がFSHISOというものを考えたときに、こういうオ
フを一番やりたかったのだと、それはやめてわかったことかもしれない。
そのときにお会いできる方も、お会いできない方も、どうぞ、お元気で。
遠い遠いところからのご挨拶でした。
2002・12・31(TUE) 花田 信一郎
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