わと氏が以前、今はもう当該ログの消えてしまった「ドチャット」で「苺えふしそ」に関する
不満を述べていたことがある。個人情報への行き過ぎた言及も含めて、あまりに内容
に問題がある、というものであった。「わと氏が開示されて、本当に不都合な情報など、
あったかしら」と、そう熱心でない読者の私は、そんなことをぼんやりと思った。
その後、えふしそでキャプテン氏が「苺えふしそ」の閉鎖に関する発言を登録し、氏は、
「現代思想板」から公然と排除される。「排除を提案した当の本人が」「(キャプテン氏に)
夏頃には(現代思想板)に復帰してくれ」などという発言をするあたり、人をこれほどに弄
ぶようなことを、人は平然と行えるのだという毒気に当てられた部分が、正直、私にはあ
る。私は、キャプテン氏は、名実共にネットから「卒業した」と思っているので、氏が今日
私のこのHPも読んでいるとは思わないが、間違っても、ああいう場所に復帰してはいけ
ない。あなたを迎えるのは、ほんの一瞬で、やがてあなたは、すぐに繰り返し弄ばれるこ
とになる。そのことを忘れないで欲しいと、私は切に願う。
苺えふしそ板が閉鎖されて、どれくらいたってのことだったろうか、えふしそで「腹を切っ
た人」が現代思想板に登場した。それ自体は、何とも微笑ましい光景である。
ふと考えることがあって、私は「腹を切った方のHP」を訪れてみた。別にそのURLをここ
に書くつもりなどはない。
実に厭な気がした。私は、自分が自分のHPをどう運用し、そこから本人がどういう情報を
発信しようと、それは本人の自由裁量を相当部分、認める立場にある。個人が不特定多
数に対して、情報を開示し、訴求する。そういう道具を、個人が有することはネットの普及
までは、考えられなかった。考えたにしても、実現させることは、今日のように簡単でもな
く、コストもかかったのである。
ただし、自分にとって便利な道具は、使う。しかし、不特定多数に開示された情報を元に
言及されることは、まかりならぬ。そんな場は潰してしまえ。こういう考え方は身勝手とい
う他はない。私から言わせれば、醜いということになる。そこには「言論の自由」とか「矜持
」という発想が微塵も存在しないからだ。
そういうことを「何もなかったように」リセットできるという感覚が、私には不思議である。
更には、自分のリスクは背負うことなく、ふくやんに対して「しかるべき措置」などとこれを
恫喝する。法律以前の問題として、こういうことは卑怯という他はない。それがキャプテン
氏の行動によって成就しそうになると「もう、自分は何もするつもりはない」などと、平気で
意見を撤回してしまう。
匿名掲示板の発言群を「笑い飛ばすこともできず」、ただ、ただ、自分にとって不快な場所
だからというだけで、それを潰すことに加担するなどというのは、私は到底、容認すること
はできない。この人を「紳士」と呼ぶ理由を、私はそう呼んだ方に聞いてみたいものである。
「現代思想掲示板」は、その名称を「pro-growth氏の独り言」と名称変更してもいいくらい
氏の独壇場となっている。まぁ、御本人の「夢」が実現したのだから、氏だけは、懸命に、
書き込みを続けるのだろうが、本当は、この人の場合、いくらハンドルを変えようがIDを変
えようが、所詮、自分の発言の尻拭いすら自分で出来ない、それでいて、弱者には居丈
高になるという「過去」を清算できるわけではないのだということを、自覚するにはほど遠
いということだろうか。
こういう者に限って「誠意」などという言葉を乱発してしまうのである。度し難い依存心とい
うべきであろう。自分にとって都合のいいことだけを「誠意」などと、そんな意味は辞書に
はあるはずもない(苦笑)
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