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体験主義・人間主義。



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30: 名無し体育の日  2001/10/14(Sun) 14:56
どうも花田氏には、差別問題といい、某前衛政党問題といい、
「体験主義」というか「人間主義」というか、資料を積み
重ねた長大な議論の根底に、「原体験(原判断?)の絶対化」
みたいなものがあるような気がします。そこから一歩離れる
柔軟性が知性というものじゃないのかなあ、と思うことがあ
る。...あまり楽しくない発言でした...。
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以前、会議室でも少し触れたことがあったが、ここでは少し詳しく振り返ってみよう。

私が小学校、三年か四年のときであったと思う。
当時、私の父親は、既に管理職であったが、ある問題で、労働組合と激しく対立していた。
このとき、父親が勤務する会社の組合はふたつあった。
「共産党系」の労組と、「それ以外の」労組である。確か、団体交渉も組合ごとに行っていた
はずである。

毎日、毎日、父親の帰宅時間は深夜に及んだ。日曜日は、それこそ、死んだように眠ると
いう生活が続いた。「遊んでくれ」などと、言える雰囲気にないことは、息子がいちばんよく
わかる。

ある日、小学校から友達数名と帰宅する私を、父の勤務先の工務服を着た数人に、囲ま
れた。「お前の親父はなぁ、お前の親父は“鬼”だ」そう言われた。

回りの友達の方が、驚いていた。「花田の父ちゃん、何かしたのか」
鼻の深いところが、つーんとなった。泣きはしなかったと思う。そういうことが、三回あった。

私は父親にそのことを伝えることを迷った。言ってはいけないことではないか、そう思った。
しかし、最後には伝えた。父親はすぐに電話をとり「子供は関係ない」そういうことを話して
いたと思う。

私は、後日、大学の時だったか、関連会社の管理職に就かれていた、私の父親を「鬼」と呼
んだ方と、会う機会があった。アルバイトに出向いたら、その方が「指導やとりまとめ」を担当
されていたのである。「ああ、花田さんのご子息ですか。それはそれは、はじめまして」

その方に、小学生の私の面影など見出すことは、できなかったのかもしれない。しかし、氏は
小学生のときの私を、それは名札で判断したのか、或いは、家族といる私をどこかでみかけ
て記憶にあったのか、それとも調べたのか、決して迷うことなく、私のところへ、まっすぐ歩い
てきて「鬼」という言葉を吐いた。

相手が忘れても、自分は決して忘れないという出来事が、人生にはきっといくつかある。

ただし、このときの経験が、私の「共産党の認識」として、延々と残っているというわけではな
い。

小学校の五年か六年か、田中角栄氏が、総理就任直前だったと思うが、忘れもしない日刊工
業新聞社から「日本列島改造論」という、のちに狂乱インフレの一因となる、政策提言を出版
された。何故、そんな本を欲しがったのか不思議だが、私は母親にその本をねだった。
願いはかなったのだが、父親が「俺も読まなきゃなぁ」と笑っていたことを今でも覚えている。

その後、読売新聞社から「日本列島改造論批判」という野党の批判提言をまとめた一冊が
出版された。これは確か自分の小遣いをはたいて、買った記憶がある。そのとき、共産党の
宮本顕治氏だったか、誰だったか、もう忘れてしまったが、私は、私なりにその一冊を読んで
「日本共産党の主張」がいちばんすっきりしていて、共感できると、そう感じた。

来客の方、殆どに議論をふっかけた。皆、面白がって聞いてくれた。兄弟のいない私には、そ
れもまた、自分なりにコミュニケーションをとる、何かひとつの手段であったのかもしれない。
早く、大人になりたい。昔からそう思っていた。

中学のときも、高校のときも、保護者が日本共産党の党員という友人がいた。一人は病気で
既に逝ってしまったが、一人とは、今でも交友がある。そのころから、彼は「日本共産党が政
権をとったら」ということを盛んに口にしていた。しかし「政権をとったら」なんてことは誰にでも
いえることだと思っていたことも事実である。

大学の時、解放運動にかかわる機会があった。当時、色々な文献を読むことになるのだが、
このあたりから、私は日本共産党の主張に疑問符をうつようになる。つまり、大衆運動という
概念に、自党のイデオロギーを持ち込むという感覚についていけなくなった。袴田除名は高
校だったか、大学だったか曖昧になっているが、これもまた決定的な要因になった。

ただし、私は「査問」の実態などというものは、知らなかった。治安維持法下ならいざ知らず
川上徹氏が書いたような、昭和45年、46年に「ああいう査問行為」が行われていた。この事
実こそが衝撃だったのである。つまり、私は、日本共産党は「そういうことをしない」政党で
あると、勝手に信じていた。憲法を守る。民主主義社会を尊重する。そういう政党であり、
与党の抵抗勢力として機能する。弱者の味方なのだろうと。

5番会議室では、あまり言及しなかったが、専従党員に対して、ああいう残酷非道なことを一
方的に行う政党というものを、私は根本的に信頼できずにいる。今は、ということだが。

それと、この査問に対する共産党の「反論」をみて、ああ、これは駄目だ。つまり、査問行為
として、ああいうことが行われたのだ。そのことに対して堂々と反論せず、論点回避する。

そして、今尚、日本共産党は、党の機関紙誌で、川上氏なり油井氏の「反論権」の要求に対
して答えていない。こういう体質に私は、ついていけないという面がある。

原体験の絶対化などということはないと思う。ただ、都度々々のきっかけとか、体験というも
のを全く無視できるものではないし、それでは、観念的に過ぎるということも感じている。





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