評論するページ

獲得するというのであれば。



「評価」という問題がある。

この場合、ネットワークにおいては、別にその人の社会的地位とか、年齢とか、性別、国籍、
そういうものは一切、捨象されるから、いわば、ネットワーカーからみた「評価」というものに、
それは絞られていい。そして「ネットワーカーからの評価」という場合、それを量る尺度は「そ
の人が発言している内容であり、その人がネットでやっている振舞いであり、それらの集積」
ということになるだろう。

以前、ここでの掲示板だったか「非公開の発言を公開されれば、それは、その場なり発言者
の評価に影響すると、発言者、関係者が考えているのだろう」そういう趣旨のことを私は述べ
たことがある。その場を守ることを優先すればするほど、公開の場での反論要求には応じに
くいということだ。

しかし、評価というのは、本来、自分が獲得するものである。ネットワーカーとして、ふさわしい
評価というものは、実は、その場の参加者が「自分(たち)が考える、或いは望むであろう評価
に向かって、それを獲得すべく自分を作り出す」ということに他ならない。つまり、自分たちが、
獲得したい評価のためには、自分を抑えることも必要となるし、自治的な、或いは内なる規範
に対して、自分が忠実であろうとする、その蓄積によって「評価」を獲得するということである。

そこで、どんなことがあっても、ただ、ただ「評価」だけは一定のものを欲するというのは、私か
らみれば、奇妙なことである。「主張していることと、実際やっていることが違えば」それなりの
評価しか、そこには生まれない。裏打ちされない主張というのは、空虚なものである。

私は出版推進室に参加しているときに、それが公開とか非公開ということは、殆ど意識したこ
とがなかった。もちろん、非公開を前提として、公開の場には書かないことを発言したことは、
事実である。それはもっぱら、訴訟支援・出版支援にまつわるものであった。意識しなかった
というのは「こういう支援活動に身を置いている限り、それを支援するにふさわしい態度が求
められるのだ」ということであり、それは公開、非公開という制度の問題によって変わってはい
けない、ということである。でなければ、この場は、それら全てが終わったときに、この場にふ
さわしい、内なる評価を獲得できない。それは誰が誰を評価するなどという次元の問題とは、
異なる。周囲がどれだけ高い評価を与えたにしても、自分がそれとはかけ離れたことをやっ
ていれば、およそ満足感など生まれるはずもないし、おそらくは、そのこと「だけ」が、支援活
動に参加する唯一の資格であろう。私はそう考えていた。

「花田の悪口を言う自由はある」
そのとおりである。現に「苺」ちゃんねるでは「花田の悪口」を言う自由は、完全に保障されて
いる。私は、かって、そのような場に対して「花田の悪口を言う場は駄目なのだ」などという、
そんなバカボンのパパのような(笑)ことを述べたことは一度もないし、そういうことに対して
管理者にクレームをつけたり、いわんや「潰してしまえ」などと考えたことなど皆無である。

なるほど、確かに苺ちゃんねるでは「誰が」という部分は抜け落ちている。とりあえず、自分を
隠してという面はある。しかし考えてみれば、誰であろうと、要は、そこに書かれている「内容」
の問題なのだから、そんなことよりも、それに対して、説明、反論しておきたいと自分が考える
ものを選択し、行う。反論権があるのだから、ある意味、健全ともいえるのだ。

FSHISOの会員で、少なからず「苺」ちゃんねるを読んでいる会員はいると思う。ただ、そうい
うことを会議室には、というか表立っては書かないし、さりとて、言いたいことはあっても、FSH
ISOで反論するのは何かみっともないような気もするし、苺に乗り込むというのもちょっとなぁ、
と考える会員も多いだろう。

ただ、私が不思議に思うのは、その「苺」ですら「これ書いたのお前だろ」みたいな発言が沢山
あることである。そんなことは関係ないのではないかと思うのだが、やっぱり「誰が」ということ
を「匿名掲示板」でも、それが時に執拗に求められるのは興味深い。FSHISOを巡回している
会員が苺で書き(そうでないケースもあるが)苺で書いた会員はFSHISOを読んでいる(そうで
ないケースもあるが)そして、苺にも色々な意見がある。非公開の場での「誹謗中傷侮辱」より
は、よほど「美しい」し「優雅」でもある。時々、ユーモラス溢れた発言もある、パロディもある。
匿名掲示板であっても、そこに書き手の「自治」を私は感じるし、それを逸脱した発言は、干さ
れているようにもみえる。

「花田の悪口を言う自由はある」
そのとおりである。例えば、tty氏なり著美氏が「花田の悪口を言うPatio」を自ら作って、それ
をパティオPRコーナーで公募し、人を集め、花田を誹謗中傷する。これならまだわからなくもな
い。「そういうことを行う」という評価を自ら背負ってやるわけだから、そこにはひとつの覚悟も
ある。

しかし、そういうことだけは、やってはいけない場所だったと思います。あの「訴訟支援の部屋」
というものは。それをやって「評価だけは守りたい」というのは、冗談じゃないと思いますね。





トップへ
トップへ
戻る
戻る
前へ
前へ
次へ
次へ