tty氏というのは、正直な方である。
もし、tty氏のいうとおり、訴訟支援の会のメンバーが「花田は敵である」というものが「適切」で
あり、事実、そのとおりだとしたら、正直、私は苦笑せざるをえない。
「誹謗中傷発言をして、それを摘発したら「敵」」などというのでは、おそらく、今後は議論になら
ないだろう。私を「敵」というならば、一体、tty氏にとっての「味方」とは何であろうか。と考えた。
「自分たちにとって都合の悪いこと、公にされると具合の悪いこと」に正面から向き合うことなく、
それはひたすら、内部で隠蔽しようとし、公開の場では、SYSOPたるものを維持しようと懸命に
なる。
それを支えればtty氏にとっては「味方」ということになるのだろうか。そんな汚れ切った味方を私
は演じるつもりなど毛頭ない。「敵」と書いて、私が「怖れ慄く」と、もし考えたとしたら、それはtty
氏の認識不足である。
以前、tty氏は「パズルを解くように色々なありとあらゆることを想定する」という趣旨の発言を残
していたが、物事を自分で複雑にし、更に自分がそのことに縛られていく、という、それこそ性癖
をお持ちなのではないかと思う。
何度も書くが、この問題は、別に複雑なことでも何でもない。「本人が読めない場所で本人を誹謗
中傷侮辱する発言があった。その発端は、このHPのことであった。私はそのことを知り、公開の
場での私の反論権を求めた。それに応じるのか、応じないのか、応じないというのであれば、そ
の理由なり根拠はどういうことなのか」
単純な話である。そういう単純なことを説明すらできずに、あれこれ考えても大した知恵など浮か
ぶものではない。問題になっている「そのもの」に向かいあわない限り、問題は解決しないのであ
る。tty氏が私を「敵」だと書いたことによって、何か事が進展するか。何も進まない。
例えば、私は尊敬する輝虎氏という会員と「戦後保障」の問題で長い議論を行ったことがある。
議論の中身をみてもらえばわかるが、互いの立場は、180度といっていいほど対立していた。
では、対立することは「敵」か。もちろん、そんなことはない。何が対立しているのかということを
真摯に捉え、対立点を吟味し、議論を続けていけば、意義深いツリーを作ることが可能となる。
私は、今でも、あのときの議論が最も楽しかった。対立はしていても、輝虎氏も私も、互いの立
場は立場として尊重することを念頭に置いていたからであろう。ああいう論者に、今後、FSHISO
で出会うことがないのだとしたら、それは私にとっては一抹の寂しさを感じざるをえない。
ただ、tty氏が「花田をFSHISOにおいても敵となりうる」と書いたことによって、氏は「花田を擁護
するような奴も、同様、自分は信用しないし、SYSOPの敵になるのだぞ」という意味を或いは込
めたということはあるかもしれない。さて、場の操作として、そういうものがtty氏にとって有効に
働くかどうか。なかなかに興味深い面もある。意識するにせよ、しないにせよ、WAKEIさんと違い
tty氏はSYSOP-IDで議論を続けてきた以上は、何らかの脅威というものを意図させたかったの
かもしれない。しかし、そんなものを脅威と、私は感じないのである。
FSHISOでSYSOPがFSHISOの会員を処分するという場合、公開で、適正な手続きというものが
求められる。もちろんFSHISOで処分が行われる際には、被処分者の反論権は完全に保障され
ている。なるほと゛、こうやって「将来の敵となり得る」という、ある意味、光栄な称号を頂戴してみ
ると、公開運営制度というものは、確かに意義深いものがあるといえる。
理屈抜きの感情で好きなことがSYSOPにできるわけではないからだ。公開運営というものは、運
営側も守ると同時に、発言者の権利も尊重されるということである。
議論も、対立も、ネットでは楽しくやらないと、いけない。
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