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えふしそ いえすたでい(1)



『「現代思想フォーラム」に入会していなければ、何をしていたか』
何度か問われたことがある。

その都度、思いつきで答えていたような気もするが、おそらく、どこかのフォーラムに属して、発言実績
を重ねたのち、人権・報道関係の新フォーラムを立ち上げたか、今のようにInternetのHPを作成し、業
界関係者と議論・交流の場を設けることに結局はなったのかもしれない。自分が「やりたい」ことを実現
するためには、手間隙と多少のコストをかけないと、できないものだなぁと最近、考えるようになった。

ただ、個人史として、えふしその節目節目を考えると、こういうことは言える。

まず、WAKEIさん辞任後の新SYSOPの募集がある。このとき、もしMiranda氏がSYSOPに就任していた
ら、躊躇することなく、私はFSHISOを退会していた。以後、覗くことすらしなかっただろう。

これは想像の域を出ないが、私はおそらくWAKEIさんは、Miranda氏をSYSOPに指名したかったのだろう
と今では思っている。ところが、公募の際、Miranda氏の支持は極めて少なかった。ただ、あと二人、三人
の支持発言があれば、これとてどうなっていたかは、おそらくわからなかっただろう。

当時もそうだし、今もそうだが、FSHISOの運営スタッフは「罵倒発言」を認めたこともなければ奨励した
こともない。ただし、罵倒発言だからといって、排除したり、それだけで発言削除したりしなかったという
だけのことである。

ただ、Miranda氏をSYSOPに推挙するというのであれば、それは「事実上の罵倒発言」を前SYSOPは容
認することになる、と私は考えた。その考え方に、私はついていけないだろうと思ったからである。おそら
くniftyが容認しないだろうとは考えていたが。

醒火氏がSYSOPに就任していたら、私は会員として発言することはあっても、BLとかSUBSYSに立候補
することは、到底考えもしなかっただろう。当時、FSHISOをみていれば、一般会員として参加することが
最も「自由」だということは、私にもみてとれた。

実は、tty氏という会員を、私は、氏がSYSOPに立候補するまで、殆ど知らなかった。ひとつは私が3番
会議室を当時、巡回していなかったからである。何故、tty氏が立候補したのか、私には全くわからなか
った。ただ、直感的に、このSYSOPで10番で、おそらくは今後も勃発するであろう様々な騒動を収拾する
ことができるのだろうか、という、ぼんやりとした不安があった。

SYSOPの就任後、様々な事件がおきた。手続きや対応に問題があり、10番会議室が荒れた。就任早々
に「辞任要求」などというものがで始める。私は今でも覚えている。tty氏が「FSHISOではマンガとセックス
の話しかしない」という趣旨のことを書き、WAKEIさんが「なら、FSHISOのSYSOPは辞めなさい」と一言、
発言したことを。

tty氏の発言の真意も、WAKEIさんの「辞めなさい」発言も、私には不思議なものにみえた。一体どういう
基準で推薦したのか。どういう引継ぎが行われたのか。これではうまくいかない。私は実に憂鬱な気持ち
に陥ったものである。

私は4番のBLに就任した。とにかく発言を続けた。幸い、Anonymous.P氏という、経験豊かな会員がい

くれたこともあって、氏との間には、何ということもなく、ひとつの役割分担のようなものができていく。私は
もっぱら「炭焼小屋」を担当することになる。私ですら、あの当時のWAKEI氏とtty氏の「やりとり」というも
のは、みていて不思議だった。どれだけ議論をしても、関係は修復できないだろうなと、醒めてもいた。

臨時SUBSYSに就任したときのことである。役割を終え、辞任する際に、会議室でtty氏から継続要請が
あった。私はそれを拒絶した。私がSUBSYSになれば、10番での騒動に関して、無関心ではいられなくな
る。SUBSYSである以上、発言することによって、しかも、他者の騒動の収拾が大部分を占める作業に、
忙殺されることは、目にみえていた。そういうことをするために、私はFSHISOに入会したわけではないと
いう思いがあった。BLの方が、作業としては遥かに建設的である。

それでも時期をおいて、SUBSYSに立候補した。みていて危ういということが、沢山あったからである。
運営のジャッジメントが、大部分、私に「かかってくる」という予感があった。それでも立候補したのは、
その結果、SYSOPがFSHISOでSYSOPとしてやりたいことを見極めてくれればいい、そう考えたからで
ある。

実際に、運営議論の大部分を私は引き受けることになる。例えば、ある事態に遭遇して、私がSUBSYS
としての対応を示す。SYSOPが追認する。本当は、それが追認された段階で、それに反対だというので
あれば、最終責任者はSYSOPなのだから、SUBSYSの対応を追認したSYSOPと議論するというのが、
筋である。私は、そういうスタイルをとってきた。

ところが、WAKEIさんは、おそらく考えることがあったのだろう、もっぱら議論の矛先は私に対してであっ
た。そのたびに私もまた、自分の主張をぶつけてきたのだが、SUBSYSの職責というものを考えれば、
「追認したSYSOPとやってくれ」でも、よかったのである。何故、そうしなかったのか、今となっては不思議
に思うのだが、何とはなく私は、WAKEIさんはtty氏とは「議論」したくないのではないかと、一時期そう思
っていた。まぁ、そうなっても仕方がない状況もあったのだけれど。

ただ、このときの経験というものは、私が実際、HPを運営する上で非常に役に立っている。
また、実際に今のFSHISOというのは、運営問題には、SYSOPが自ら対応している。SUBSYSというのは
「コマンド執行の代行者」ということを考えると、今の「かたち」というのは、本来に近いといえるのかもしれ
ない。

例えば、FSHISOの危機といわれた騒動がおきたとき、私はSUBSYSだったが、tty氏が「高熱」でダウン
したことがあった。SYSOPに電話連絡をとり、WAKEIさんに説明いただくことの了承を得て、会議室で、
WAKEIさんにお願いをした。「厭だ」と言われれば、それこそ私は途方に暮れただろう。

前SYSOPと現SYSOPが「ぎくしゃく」しているというのは、私からみれば、実にやりにくいものがあった。
SUBSYS辞任の発言を書き、その理由を示し、FF解除を確認した際に、私はホッとしたことを今でも覚
えている。これで少なくとも、色々なことを「背負う」ということからは、解放される。プライベートな旅行で
あっても、パソコンを持参しなければならないなどということを、もうしなくてすむ。輝虎氏から要請された
プライバシー侵害に対する発言保留は、確か、正月ではなかっただろうか。

ただ、運営というのは、面白い面もあって「自分の思うようにはならない」ことが沢山ある。西村博之氏が
以前「削除人の心得」たるものをHPに記載していた頃があって「自分の都合や主観で削除していないか
を削除を実行する前に、ほんのちょっと考えて」というものがあった。興味深い視点であったことを今でも
覚えている。





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