評論するページ

現代思想フォーラムの残影



みなさん、こんにちは。花田 信一郎です。

このページでは、時折、私が「現代思想フォーラム」について、思い出したことを、自分の内に
制約を課さずに書いてみようと思います。いわば、私にとってのネットワーク個人史のようなも
のです。そういうものは、FSHISOに書くべきことでもありませんし。

今日では、現代思想フォーラムも、私が入会した1996年当時とは、書き手も様相も様変わりし
てしまいました。その原因はいくつか考えられますが、ひとつはプロバイダの増加により、必ず
しも、niftyに縛られる理由がなくなったこと。もうひとつは、私程度の知識ですら、既にHPを運
用できるほど「場」の作成は簡単になったということ。現に、私自身、管理する「議論系」のHP
をひとつ運営しています。そのHPのURLを公開したことはありませんが、それは現代思想フォ
ォーラムの発言者を「奪う」ようなことをしたくなかったからです。

今回は、あえてPRをFSHISOでさせていただきました。というのは、そういうことを語る場は今
のFSHISOにはないからです。これならばバッティングすることはありません。掲示板のテーマ
のひとつに「えふしその歴史を検証する」というものを設定してみたわけです。

例えば苺ちゃんねるに「えふしそ板」というものがあります。時折、ざっと読むことはありますが
「事実となる核」になるものが、ぶれているものですから、それを前提とするツリーはどんどん
ぶれていきます。あそこに行ってまともに反論しようという気には、とてもなれない。

私は、FSHISO訴訟の高裁判決が示されることによって、このフォーラムは、よくも悪くもそれで
幕を閉じるという理解をしています。それは「役割を終える」という意味ですね。

であるならば、私は私として、このフォーラムをどう考え、何故、参画し、そこに何をみたかとい
うことは、ささやかながら残しておきたいと考えました。事実を伝えるということが、反論に変わ
るということは「ある」と考えたからです。

それと、今はniftyの会員ではない、かっての会員たちに、何かを伝えることができるかもしれ
ない。そういうことも頭をかすめました。あなたがたにとっての「理想とするえふしそ」は何であ
ったのかということを。





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