ややこしい文書の苦手な方のために、道庁からの簡単明瞭な返書(質問状は伊藤祥子氏発信)を写しておきます。
[前文略]通達「熊祭りについて」(30畜第471号)では、生きた熊を「公衆の面前に引き出して殺すこと」は廃止されなければならないと指摘していますが、イオマンテ自体は是認しており、開催にあたり届出や許可は必要ありませんでした。
このため、各地域のアイヌの人たちが個々にイオマンテを開催しており、ご質問の小熊の調達方法や死体の処理方法といった具体的な内容について、当方では把握しておりませんのでご理解いただきますようお願いします。
[後略]
さて、びっくりなさったかと思います。茫然、でしょうか。一九五五年の通達が今回の返書によれば、「公開の場での殺戮禁止」であり、私どものもっとも重大視している「熊を殺すこと」には及んでいなかったのでした。
そして、その通達がイヨマンテそのものを禁止したものでなかった以上、当会書状2から5までの質問は「誤解」」に基づくものであり、意味をなさないものでありました。なぜ「誤解」が生じたか。それは報道を鵜呑みにした結果で、一次資料=一九五五年通達本文を求め、熟読しなかったからです。ここにはメディア・リテラシー問題が派生します(後述)。
イヨマンテが禁止されていなかったということは、熊の殺害は続けられていた。熊にとって、公開の場であろうとなかろうと、恐怖と苦しみの末の絶命に、違いのある筈はありません。前回掲出・中田氏書簡中の「父君の感想」の内容は綿々と続いていたわけです。なんということか。
道庁返書によれば、
[一九九五年通達}(P3)の「生きた熊を公衆の面前に引き出して殺すことは…廃止されなければならない」と、[二〇〇七年通知](P5ページ)「ヒグマを絶命させる等の行為が公開で実施された場合に…動愛法に抵触すると指摘されるおそれがあるので留意されたしとしたこと」
とは同趣旨であり、方針の転換ではない、とのことです。
では、公衆の面前での殺害がなぜ実行不可かというと、
[通達]では「(公衆の)同情博愛の精神にもとる」
[通知]では「(公衆が)動愛法抵触を指摘することになるから」
であり、ヒトへの配慮しかありません。
つまり、イヨマンテに参加・見物する人たちが熊に対して憐れみの気持を抱き、苦痛を感じる。または、こういう殺し方は愛護法で許されているの?と疑問をもち、いたたまれなくなる。こういう思いをさせることからヒトは保護されなければならない。という趣旨でありましょう。
儀式関係者のみの場では、如何ようの殺害法もお構いなしとしている。と解釈できます。
[通達]の文面は、言われるように、アイヌ民族の尊厳への配慮を欠いたものであり、廃止されて然るべきものであったと当会も考えます。しかしながら、「父君の感想」内容が存続されるならば、それに対して非をとなえ続けます。「それとこれとは別」なのですから。
この後は、イヨマンテ主催者が「賛否両論が国内外にある」(基本指針)(P4・P5)をどう捌いていくか、見守りたいと思います。
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