若菜摘みも寒いので中止。女性たちは連れ立って帰ってゆく中に、一人たたずみ、僧に、求塚を教えましょうと、案内に立った。
塚の前に至ると、女は僧の求めに応じて、求塚のいわれを語り始めた。その物語とは…
昔この所に菟名日乙女(うないおとめ)が住んでいた。その頃小竹田男(ささだおとこ)・血沼の益荒男(ちぬのますらお))二人の青年が乙女に心をかけ、同じ日同じ時に思いのたけを綴った手紙を贈った。
少女は、片方になびけば片方の恨みも深いことであろうと、応ずることもなかったが、「あの生田川の鴛鴦(おしどり)を射あてた方へなびきましょう」と申し出た。二本の矢はもろともに一つの翅(つばさ)に中(あた)った。
他人事(ひとごと)のように求塚のいわれを語っていた女性は、語るにつれて、私は…と、調子が変ってゆく。
その時わらは思ふやう むざんやな さしも契りは深緑の 水鳥までもわれ故にさこそ命はをし鳥の つがひ去りにし哀れさよ
思ひ侘び 我が身捨ててん 津の国の 生田の川は 名のみなりけり
と これを最期の言葉にて この川波に沈みしを 取り上げて此の塚の 土中に籠(こ)め納めしに 二人の男は此の塚に求め来りつつ いつまで生田川 流るる水に夕汐(いうしお)の 刺し違へて空しくなれば それさへ我が科(とが)になる身を助け給へとて 塚の中に入りにけり 塚のうちにぞ入りにける
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