オーディオ日記 第50章 幸せのひと時(その5)2020年9月6日


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密林はオーディオを嘲笑う?

このところ密林音楽にどっぷり状態であるのだが、自分のライブラリ音源に対する今までの意識が変化しつつあるだけではなく、オーディオそのものに対する考え方にも微妙な影を落とし始めている。

決して否定的という訳ではないのだが、密林音楽が(特にアコースティックなPOPS系において)言葉悪く云えば非常にあざとい音がするのだ。これは「オーディオ的に気持ちの良い音」がするとも言い換えられる。自分でそのような傾向の音源を好んで聴いてしまっている、ということでもあるのだが、やはり良い音、心地良い音の音楽を聴きたくなる事には抗えないのだ。

人間の感覚には不思議なものがあって、例えばつるつるピカピカに磨かれた車のボディは何故か美しくも感じられる。これは自然界には絶対に存在しないような人工的なものであるが故なのか。それとも視覚、錯覚のもたらす何かが感覚を刺激するのだろうか。音にも同じようなことがあって、気持ちの良い残響、エコーは響き豊かに心地良く聴こえる。例えて云えば石造りの教会での合唱、洞窟の中での音や話し声にも通じるもの。音楽も同じでこの残響や反射によるたなびくようなエコーは幽玄な感覚をもたらしてくれるし何より音自体が綺麗にも聴こえる。

現代のパッケージメディアやストリーミングで提供される音楽はあるがままの自然な楽器の音や人の声をそのまま捉えて提供されるものではない。かってそうだった時代もあるかもしれないし、現在でも一部の録音は極力自然な響きを捉えようとしているものもある。だが、多くの音楽は人工的に付加されたリバーブやエコー、そして個々の楽器の単位での音響的なイコライズ、ポリッシング、コンプレッションがDSP処理によって行われている。そしてその傾向は国内外を問わずPOPS系の音楽では顕著である。もちろんクラシック系とて全くの無加工というものはほとんどないと思う。

J-POPにおいては音圧競争とも揶揄されるダイナミックレンジの極めて小さいような音源も沢山あって、これらは決して良い録音ではないのだが、適切に処理されたコンプレッションはオーディオ的な音源としては必要悪だとも思うし、それによって再生時の諸環境の制約からも解放される部分があるかもしれない。(多くの人が極めてS/Nの高いリスニングルームを持っている訳では無いので)

「適度に加工され」、「若干音圧の高い」、そして個々の音のクオリティが高くて磨かれた音、気持ちの良いリバーブとエコーに裏打ちされた音からはオーディオファイルとしては逃れる術がない。これは録音のマジックあるいは音作りの上手さでもあろうし、人間の感覚の本質を狙い澄まして突いたものだと思う。そしてそういう音源が案外多いと改めて感じるのだ。

このような音楽、音源はそれ自体が心地良さのテンコ盛りなので、オーディオ的にはみごとにストライクゾーンとなる。だから決してそれを否定する事はできない。しかし、このような音楽の再生には敢えて云えば「普通の装置」があれば充分とも思えてしまう。聴き流す分には気持ち良い。だが、魂を鷲掴みにされるようなことはない。さらさら、さらさらと流れていくだけ、、、、

オーディオファイルならば、自分のシステムで「心地良く再生できる」音源を常に希求していると云って良いと思う。音楽無ければタダの箱なのだ。曲、演奏が素晴らしければ文句無しなのだが、そこは世の常、「曲、演奏、録音」と三拍子揃った音楽、音源は自分のライブラリを鑑みてもそれほど多くは無い。これを何とか増やそうと日々足掻いてはいるのだが。

密林には多くの音楽との出会いが(その可能性を含めて)あるのだが、新しい出会いを求める難しさもやはりある。所謂「おすすめ」に従って何気なく音楽を流すと、この気持ちの良い音楽が溢れ出て流れていく。その瞬間、瞬間は、あ~いい音だな、素敵な音楽だな~と思う。AIの誘惑とも云うべきものか。だが、それは刹那的な心地良さだけであって、何故かほとんどは心には残らない。

その中でも極稀に、これはという旋律や納得の雰囲気があって自分の感性にマッチするのか、どうしてもまた聴きたくなる曲もある。それが「出会いの瞬間」というものだろうか。翻れば、良い音であっても自分によって良い音楽でなければ繰り返し聴く価値はない、ということだろうか。

この流れていく気持ちの良い音を聴いているのならば、何もこんな大袈裟な装置など要らないんじゃ? と真剣に思う。顰め面して音楽に聴き入る程のことも無いんじゃ? だから逆にそういう想いがふつふつと沸いてくるのだ。

駄音源を四苦八苦して何とかうまく鳴らそうという足掻きは不毛であることはもうとうに判っている。無いものねだりは今更する必要もないと思う。だから、素晴らしい音楽、音源は魂が震えるほどの感動で聴き入りたい、そういう想いでのオーディオではないのか。これは大いなる自己矛盾なんだろうかと自問せざるを得なくなる。

我がオーディオを僅かでも工夫し前進させ、音のブラッシュアップしようとしているのは一体何のため? 一握りのお気に入りの音源を繰り返し、繰り返し聴いて自己満足するため? それとも新しい、そして素晴らしい音楽との出会いの瞬間のため? いずれもYESのような気もするし、もしかしたら全く違うのかもしれない。自分のシステムは「いい音がするんだよ~」と人様に云えるようになりたいだけ? 何が正解なのか今は自分で答えは見出せてはいないし元々の答のあるようなものではないだろう。

ひたすら自分にとってのベストサウンドを目指してきたようには思える。そこには多少の自己嫌悪はあっても嘘偽りは無い。だが、今ここで流れているこの気持ちの良い音の前にただぼ~っとして聴き入るいるだけ。これが密林の魔境なのか、、、その緑に呑みこまれていってしまうのだろうか。


                 4way SUP-T11構成の設定備忘録(2020年6月17日更新)設定値
項目 帯域 備考
Low Mid-Low Mid-High High
使用スピーカー
ユニット
- Sony
SUP-L11
FPS
2030M3P1R
Sony
SUP-T11
Scan Speak
D2908
-
スピーカーの
能率(相対差)
dB 97 (+4) 90 (+0) 110 (+17) 93 (+0)
定格値
DF-65の
出力設定
dB +0.0 +1.2 -10.0* +4.0
*DF-65 Att ON
マスターボリューム
アッテネーション
dB -7.0 -6.0 -3.0 -5.0
各チャネル毎の設定
パワーアンプでの
GAIN調整
dB 0 0 -12.0 -12.0
 
スピーカーの
想定出力レベル
dB 90.0 85.2 85.0 80.0
合成での
出力概算値
クロスオーバー
周波数
Hz pass

224
180

800
800

3550
4000

pass
Low Pass

High Pass
スロープ特性
設定
dB/oct flat-24 24-24 24-24 24-flat Low Pass
High Pass
DF-55 DELAY
設定
cm 0.0 -30.0 +28.5 +32.0 相対位置と
測定ベース
極性 - Norm Rev Norm Norm  
DF-55 DELAY COMP
(Delay自動補正)
- ON 自動補正する
DF-55デジタル出力
(Full Level保護)
- OFF 保護しない

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