1979年1月号特集正月
大掃除していたら懐かしい写真が出てきました。当時、カメラマンの荒川健一さんが撮影して使わなかった分をくれたのです。印画紙は端が皺ついていたけど、私のホッペは皺なしだ。二重アゴ気味ではあるが目の下のたるみもない。23年前の己の姿なのに、どうも自分じゃないみたいだ。
この時はアッコチャンの後ろにトシ子さんと大熊さんと私がひかえている写
真で特集の扉にした。ページをめくると全員頭を垂れてお願い奉っている。場所はいつもエンピツ賞の審査で使う渋谷の聚楽という旅館である。
1枚の写真からというコーナーもあったけど、あまりに非日常的な写真を突きつけられると、首が埋まっているなーとか、手が短いなーとか、鼻の穴が開いてるなーという表象的なことばかり気になって、この日はどんな日だったのか、この頃は何を考えていたのかなんて、全然思い出せない。このかっこでカルタ大会や、水芸の稽古なんかをしていたら、くだらないエピソードまで記憶していたのだろうけど、多分即着替えで即戻りで仕事だったはず。
24歳の頃だから、まだ真面目ちゃんだったんだね、って最後の編集後記見たら、私は女3人で「アンネタンポン」の唄の練習に余念がないと書いておる。これ私が作った替え歌。輪唱ができるんで、たまに3人で出張校正中でも歌ったりした。大熊さんがあきれていたけど、目は笑っていたっけ。ああなんとのどかな青春の日々よ。給料は人並み以下に安かったけどね。幸せだったよ。
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