1975年7月号から始まったこの人気企画は「誰でも15分間ずつ有名人になれる」というアンディ・ウォーホルの言葉をヒントに、榎本さんが立案したものらしい。 投票方法は、自分の好きな人(個人)を無差別に1番から5番までを官製ハガキに記入する。1番5点、2番4点・・・という満点法も有効票なので、1枚のハガキに全部同じ名前を書いて、一人が15点獲得することも2期までは容認した。 だもんだから、1回目の中間発表(7月号)の翌日から大量の葉書が舞い込んできたと、ここに書いてある。ホームルーム(編集後記)でも、“毎日私の机に積まれるハガキは数10センチ!数日前からうずきだした親知らずに、おたふく顔を更におたふくにしつつ、その整理におわれています。この激務の為に、このハレがひかなかったら、アタシャ一体誰にうったえたらいいんでしょ。略”と、高橋章子も書いている。 実際の人物だけでなく、本や映画、想像上の人物、歴史上の人物でもOKだったから、「火田七瀬」が2位、「こまわり君」や「デビルマン」がそれぞれ上位にいたりできた。この号の1位は中央電気通信学園の学生。自ら満点法で露口茂さんをぬいた。 しかし半年後の1期終了時にはは「ニッポーのお姉さん」が1位に輝いたのだった。この方の説明はまた後日。
手元に、2期のノンセクション中間発表(76年6月号)があるが1位絵守きよし(漫画家)とあり、その得点がなんと115,970点! また、40点以上を掲載してあるのだが、その順位が1,388位! パソコンとか無かった時代だから、ほんとにノイローゼになる数だ。 私が入った頃は、毎月締切の形に変えてあり、満点法も無くなり、ハガキ1枚1点に統一されていたため、多い時の1位の方でも1,041点、少ない時は200点くらいだったので、そう大変でもなかった。 そのため、77年9月号をもって終了している。 ビックリハウスを初めて見た私は、この普通の人が芸能人や、偉人を抜いたり抜かれたりしてるのがとても衝撃的だった。このビックリハウスアゲインでも将来実験してみたい名企画である。
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